執筆活動

「太陽系大航海時代の教育論」2023.6.12

「太陽系大航海時代の教育論」

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長)

 

  • 宇宙との出会い

子供のころ、野原に寝そべって星空を眺めたことがよくある。思えば大人になって、空を見上げることが少なくなった自分を、問題だなあと感じるが、子供のころの心は大きく羽ばたいていた。あちこちに見える星々は、それぞれ違う距離にあり、何千万年も、何億年もかけて光が届いていると聞いた時、胸が騒ぎ、宇宙の不思議さに感動した。歴史でいうと、坂本竜馬と、聖徳太子(今は呼び名が違うそうだ)が、同じ星空に並んでいるということになるわけで、時空を超えた宇宙の不思議は、少年の心をとらえて離さなかった。

その宇宙に、今や人類は進出を始めた。地球近傍はもとより、太陽系を超えて探査機を送り込む時代になってきた。「太陽系大航海時代」という言葉を教えてくれた専門家がいたが、まさにそのような時代に突入したのだと思う。

 

  • 地球環境が危ない

さて、その宇宙の一員の地球だが、いま大きな問題に直面している。

ホモサピエンスが誕生して20万年。私たち人類は、科学文明を築くことで、豊かな生活を手に入れたが、一方で深刻な文明の隘路にはまり込んでしまった。

オックスフォード大学が、2015年に発表した「人類滅亡12のシナリオ」には、人類の未来を左右するさまざまな項目が並んでいる。もし人類が滅亡するとしたら、どんなプロセスをたどるかという、論考だ。

その原因として、「核戦争」「生態系の崩壊」「グローバル経済での格差拡大による国際システムの崩壊」「巨大隕石衝突」「大規模火山噴火」「バイオハザード」「ナノテクによる小型核兵器開発」「人工知能」「超汚染物質や宇宙人の襲来など未知の出来事」「政治の失敗」「パンデミック(新興感染症)」などと並んでいるが、一番最初に「気候変動」が挙げられている。人類社会の発展で放出された、温室効果ガスが、地球温暖化を誘発し、その結果、地球の水循環が擾乱され、気候変動問題が発生してしまった。

この根幹には、人類の人口の急激な増加がある。

5万年前、人類の平均寿命は10年ほどだが、今よりはるかに多くの子供を産んでいた。しかし、人口はわずかに増える程度だった。その後、農耕が始まり、食糧が確保しやすくなり、人口が増え始めた。紀元前8000年ころで500万人、1世紀ごろで3億人、19世紀初頭で10億人、そして20世紀に入って急増をはじめ、1960年には30億人、1987年には50億人、2010年には70億人を超え、ついに国連は、「80億人突破」の報告をするに至った。

産業革命以降、食料問題の解決と相まって、私たちの生活は格段に豊かになってきた。しかしその反面、地球環境に大きな負荷がかかり始めたのだ。

エコロジカルフットプリントという指標でみると、人類は、すでに地球1・7個分の生活をしており、今の文明のパターンのまま、人類全員が日本人の水準の生活をすると、地球が2・8個、アメリカ人の水準の生活をすると、5個必要になるというデータもある(14年データ)。

地球は1個しかないわけで、このままでは、地球環境は疲弊し、資源は消耗し、私たち人間は、持続可能な生活を続けることはできなくなる。

これからは、私たちは「地球1個分の生活」をしながら、持続可能で、しかも豊かで質の高い生活をする方法を探さなければならない。

私たちを悩ませた「新型コロナウイルス」も、実はこの構図に密接に関連している。新型コロナは、増加を続ける、新興感染症の一つだが、その原因は、人間社会の開発によって、自然界の奥深くまで、人類が進出し、未知のウイルスに触れることにある。野生動物には、多くのウイルスが取り付いているが、人間が未知のウイルスに遭遇した場合、免疫がないため、病気になったり、また、体内で変異が起き、人間の間で伝染するウイルスに変身してパンデミックが発生する。新型コロナは、私たちが、地球の資源や環境とバランスをとった、持続可能な社会を作る必要があることを教えてくれている。

 

  • 「宇宙」の視点で解決できるか

このような地球規模の問題を、どう解決していけばいいのだろうか?

私は、そのカギの一つに「宇宙」があるのではないかと思う。

以前、ある数学の世界で著名な学者に、多元方程式について聞いたことがある。私は文科系なので、ほとんどわからなかったが、一つだけ記憶に残る言葉があった。それは「次元を上げれば、課題が解決する」という言葉だった。一次元の線上でぶつかり合う点と点は、二次元の面になれば衝突しにくくなる。二次元で衝突する事象は、三次元にすれば解決しやすくなるという風な言葉だった。文科系の私の脳でも理解できそうな気がした。この話を宇宙に当てはめるとどうなるだろうか?今、地上では、様々な深刻な、地球規模の問題が起きている。しかし、この問題に「宇宙」からの視点を入れ込むと、一つ次元が上がり、解決に迎えるのではないかというわけだ。

考えてみれば、地球観測衛星や通信衛星、測位衛星が、陸上のネットワークを進化させ、新しい社会のフェーズに入っているので、おそらく正しい指摘だろう。

しかし、気候変動のような地球の危機(実は人類の危機)を解決するほどの、道筋が存在するのか、私にはわからない。

ただひとつ、あるエピソードを思いだし、そこから何かが学べないかと思ったので、ご紹介したい。

それは、アポロ13号のエピソードだ。そのいきさつは、「アポロ13」という映画でも紹介されている。1970年の4月11日に打ち上げられたアポロ13号は、月に向かう途上、司令船の酸素タンクが爆発するという前代未聞の事態に直面した。被害は、船内の電気、水、生命維持装置などにおよび、乗組員の生命が深刻な危険にさらされた。アメリカは既にアポロ11号で、人類史上初の有人月面着陸を成し遂げており、その直後のこの事故に、強い衝撃を受けた。その意味では、アポロ13号の事故は、アメリカの宇宙開発の汚点ともいえるかもしれない。しかし私は、アポロ11号よりも、このアポロ13号こそが、アメリカの宇宙開発が持つ底力を示す「快挙」なのではないかと思う。

映画の終わりに「アポロ13号は栄光の失敗だ」という言葉が出るが、同感だ。アポロ13号の物語にはある種の感動と共に、現代に生きる人類への深いメッセージが秘められていると思うからだ。

私がアポロ13号を見て感動するのは、地球帰還に至る、試行錯誤に満ちたプロセスにある。アポロ13号の様子を外から撮影した写真を見ると、酸素タンクの爆発で大きな穴があき、ただならぬ被害だと分かる。この状態では月面への着陸どころか、地球帰還すら不可能。結局アポロ13号は月面着陸を諦め、月の軌道を回った後、6日後に地球帰還を遂げるわけだが、そのプロセスは想像を絶する苦闘となった。アポロ13号の船内は、電力低下、極端な室温低下、酸素欠乏、二酸化炭素増加など、呼吸そのものもままならない、最悪の状況。この危機をどのように克服したのか。

NASAのチームは、まず地上にアポロ13と同じ環境の部屋を再現した。そして乗組員との交信の中で、船内にどのような物が残っているのか、どれが使用可能か、克明なリストを作った。検証は、ゴムホース、ひも、ビニールテープ、靴下にまでおよんだ。普通なら見落としてしまいそうなあらゆる物が、生存へのカギとなるからだ。そして船内で次々に起きていくトラブル(温度低下や電力低下、二酸化炭素上昇など)に対して、地上で実験を繰り返し、解決策をアポロの乗組員に連絡。乗組員はその方法を船内で実践していった。たとえば、二酸化炭素の上昇を食い止めるために、数センチのゴムホース、ビニール膜、靴下を組み合わせて奇妙な装置を作り、それを二酸化炭素浄化フィルターと接続して問題を解決するといった案配だ。その結果、船内はまるでパッチワークのような状態になったが、見てくれはとにかく、人間が生き続けられる環境がかろうじて作られ、1つ1つの危機を乗り越え、ついにアポロ13号は、地球帰還を果たす快挙を成し遂げた。

私はこのシーンを見て、今私達が暮らしている地球と似ているなあと思った。

温暖化や地球汚染が進行し、牙をむき始めた地球災害の中で、人類は限られた資源と知恵をつかって生き延びていかなければならない。サバイバル技術と運用する人間のチームワークがその成否のカギとなる。これは、アポロ13号と全く同じ状況ではなかろうか。

私達人類は、地球を捨てることは出来ない。この星の上にある、限られた資源や物質を使い、知恵を働かせて環境を守るシステムを作り、生き延びていくしか方法はないからだ。その意味で、知恵と勇気と協力で、見事に危機を乗り越え、生還を果たしたアポロ13は私達人類のモデルケースといっても良いかも知れない。

このように、宇宙空間で起きることは、時として、地球上の課題を解決するヒントを与えてくれる場合があると思う。

 

  • 人工知能と人間

このごろ、人工知能(AI)についての報道が活発だ。AIは、いつのまにか私たちの社会に浸透し、既に社会構造を変え始めている。人類が宇宙に進出するとき、AIなしには不可能に違いない。宇宙空間では、人間とAIは最強コンビとして活躍するに違いない。しかしその時、AIが進化すればするほど、人間にしかできないことが重要になってくる。では人間にしかできない重要なこととは何か?未来社会では、そのことを深く掘り下げ、そのシナリオに沿った社会構造や教育が必要になってくる。

人間の脳とAIは、どこか違うのだろうか?

比較の仕方はいろいろあるだろうが、取材の結果、私は、「生きている」かどうかが判断の基準のように思う。人間の脳は、38億年の生物進化の果てに出来上がったものだ。しかしAIは生物進化の結果ではない。

つまり、脳は「生き物」、AIは「死に物」。これが根本的な違いではなかろうか?

人間の脳はどのようにできているのだろうか?

脳には「3匹の動物」が棲んでいるとよく言われる。一番奥に「ワニの脳」(呼吸や体温などの生存機能)、その上に「ウマの脳」(喜怒哀楽)、そして一番外側に「ヒトの脳」(知能や知性)の三層構造になっている。これは人間が進化するプロセスで、脳が増築されてきた結果で、この三層の脳が同時に働くのが人間の脳活動だ。したがって、「知能」は脳の働きの一部でしかなく、脳は「生きるため」にこそ存在すると言える。一方、AIは「ヒトの脳」(知能)の一部の機能を真似て増幅したものだ。一見人間の脳に似た動きをするが、AIは生き物ではないので、喜怒哀楽や、生存欲求はない。ただ、情報を操って、人間の知能の脳に似た振る舞いをしているだけなのである。

その例として、2017年に北海道大学が行った「AI俳句プロジェクト」を紹介しよう。このコンテストでは、最終的に、AIが作った「かなしみの片手開いて渡り鳥」という句が、最高点を獲得した。しかしAIは「かなしみ」とは何かを知らないまま、この句を作った。私たちは「かなしみ」という言葉を聞くと、人生の記憶がよみがえってくる。失敗した時の「かなしみ」、失恋した時の「かなしみ」、肉親が亡くなった時の「かなしみ」。。胸が締め付けられるような、あの苦いような、痛いような「かなしみの感覚」。しかし、AIはその感覚を知らない。ただ言葉を操り、悲しいふりをして、この句を作ったわけだ。

しかし、そんな心のこもっていない句に、感動する人間とはいったい何なのか、逆に考え込んでしまう。どうやら、このエピソードの周辺に、人間とAIの違いを解くカギがありそうにも思う。

 

  • 未来を切り開く人間の冒険心とは

かつて、JAXA主催で、世界の宇宙飛行士による「人はなぜ宇宙に行くのか?」という3日連続のシンポジウムがあり、私が司会をすることになった。そこで議論されたテーマの一つに、人間の「冒険心」の話題があった。人間の知的好奇心、冒険心は、科学を推進してきた原動力だ。これこそ人間のあかし。私たちがAI時代にも死守しなければならない人間の特性といえる。

一体「冒険心」とは何か?

最近私は二人の脳科学者に興味深いことを聞いた。

一つ目は、人間とほかの動物の冒険心の違いについてだ。

興味深いことに、「冒険」は人間だけでなく、哺乳類もするらしい。

例えば子ネズミは、母親の元を時々離れ、探索行動をする。周りの環境がどうなっているかを確かめるために、周りをうろうろして、しばらくしたら慌てて母ネズミのもとに戻る。母親はいわゆる「安全基地」。子ネズミは、安心して探索行動を繰り返し、精神世界を広げていくのだそうだ。しかし大人になると、この探索行動は消え、子ネズミの「冒険の時期」は終了する。しかし、奇妙なことに、人間だけは、大人になってもこの探索行動をやめない。それは一体なぜか? 自分を守る親がいなくなっても、自分の友人たちや、グループ、組織、社会を「安全基地」として位置づけ、冒険を続けていくからなのだという。つまり人間は「心の安全基地」を、成長の途中で切り替え、果てしない探索行動(冒険)を続ける存在だというのだ。そしてこの行動を通じて、人類はアフリカ大陸から、世界中に拡散していった。グレートジャーニーのプロセスで、新しい発見をくりかえし、所属集団に情報を持ち帰って共有し、結果的に文明を発展させていったというのだ。

もう一つの説は、「ドーパミン予測誤差説」と呼ばれる考え方だ。

よく知られるように、ドーパミンは脳内の快楽物質。物事がうまくいったり、おいしいものを食べたときに放出される報酬物質で、これを求めて、動物は行動を起こす。ところが、最近言われているのは、ドーパミンは、単にいいことが起きたときに出るのではなく、「自分の予測」と「結果」が大きく食い違い、しかもその結果が「好ましい」という、二つの条件がそろったときに放出される、ということが分かってきた。例えば、ある素敵な場所を予測して出かけたら、予想以上に素晴らしい場所だったとか、予測して食べたものが、予測以上においしかったとかいう場合だ。しかし「予測との誤差」があっても、結果が悪かったら、ドーパミンは出ない。「予測との誤差」+「良好な結果」の組み合わせが必要なのだという。そしてその経験をした動物(人間)は、同じ経験をしようと、同じ行動を繰り返す。しかし、次第にドーパミンは少なくなっていく。結果に慣れ、予測と結果の誤差が減っていくからだ。そして人間は、新たな「誤差」を求めて次の行動をとろうとする。この行動は「未知なもの」にあこがれる人間の特性そのものといえる。別の言葉でいえば、知的好奇心とか冒険といえるものなのかもしれない。この人間独特の特性は、我々人類が進化の中で獲得した「生存戦略」であり、決して消えるものではない。そう考えると、人間とAIの関係は、人間は目標を設定し、AIはそれを補助する形が最強ということになる。

 

  • ロボコンに見る教育論

知的好奇心を子供に育てる方法や教育はどうあるべきなのだろうか?手前みそだが、NHK時代私がやっていた「ロボコン」もその一つだと思う。

私はNHK時代、ロボコン(アイデア対決ロボットコンテスト)の担当プロデユーサーをしていたことがある。ロボコンからは多くのことを学んだ。

あまり知られていないが、NHKロボコンの源流は、アメリカのマサチューセッツ工科大学と東京工業大学の授業だ。ロボット工学の教授が、学生の心に火をつけようと、「限られた材料」でロボットを手作りさせ、性能とアイデアを競う競技大会を始めたところ、これが大当たり!たちまち名物授業となった。なにせ、ロボコンには、正解がない。何をやっても許される。そして自分が作ったマシンが、競技場で動き活躍するのだ。その自由な精神と、創造の喜びが、学生たちの心に火をつけたのだろうと思う。NHKはその様子を番組で紹介し、それがきっかけで、1988年に高専ロボコンが誕生した。そして今やロボコンは、大学生、中学生、小学生にまで広がり、私が設立に関与したABUロボコン(アジア太平洋放送局連合)など、日本が世界に誇る、グローバルイベントに発展した。

タイの前国王も、アジアのリーダーたちも、ロボコンファンが多く、アジアの多くの若者の支持を得て、ロボコンは急速に広がっていった

なぜロボコンは、こんなに若者たちを夢中にさせるのだろうか?その秘密を、「ロボコンの祖」と言われる、森政弘東京工業大学名誉教授に聞いた。

ロボコンには数々の名言がある。

まず「ロボコンに正解なし」という言葉が重要だ。

ロボコンは、材料や競技大会のルールさえ守れば、どんなマシンを作ろうが、形や動きは自由だ。「これが正解」といった、定型的な正解はなく、まさにアイデアこそ、勝負のキーとなる。荒唐無稽、抱腹絶倒、空前絶後のロボットこそ、ロボコン精神が最も大切にするものだからだ。いまや、人工知能が出現し、人間の仕事が消滅していかざるを得ない現代においては、ロボコンの自由闊達な精神が重要なカギとなってくる。

そして、「モノが人を育てる」という言葉がある。

たとえば考え抜かれたマシンの設計図があるとする。しかし作ってみると、マシンはなぜか動かない。町工場のベテラン職人に聞くと、「遊び」が足りないからだという。設計者は、指摘に反発するが、やってみると、確かにマシンは動いた。設計図は、ものつくりの羅針盤だが、ものつくりのプロセスで、その後「モノとの格闘」が始まる。いくら設計図で指示されても、例えば、鉄を曲げようにも、鉄という素材は、そのようには曲がらない場合がある。現実は理屈通りにはいかない。「モノ」が反逆しているのだ。学生たちは、ロボコンを通じて、自分が思い描いたイメージを実現するためには、モノと対話し、格闘し、そして命を吹き込んでいかなければならないことを知る。そしていつの間にか、モノに対する敬意を学んでいく。

「ものつくり教育」の本質は、人間の想像力と、現実のはざまで生み出される美しい関係性にあるのかもしれない。

最後に、「勝ったマシンにゃ力がある、負けたマシンにゃ夢がある」という言葉。これは負けが多いチームの先輩が、後輩に残した言葉だ。しかしなかなか含蓄がある言葉だ。ロボコンは、ただ勝てばいいというものではない。つまらない形の、ただ強いだけのマシンは、あまり面白くない。たとえ弱くても、作り上げようとした夢の大きさ、しなやかさ、独創性こそロボコン精神の柱だという発想だ。実は、ロボコンには「アイデア倒れ賞」が設定され、そのような学生をたたえるシステムが用意されている。

私は、ロボコンを見ていると、子供のころ竹とんぼを作って、野原で飛ばした、あの気持ちを思い出す。自分の頭で考えて、自分の手で作り、それを使って遊ぶという単純な行為が、いかに感動的かを、今となって、しみじみと感じる。宇宙船を作り、それを打ち上げる大人たちも、同じ精神なのに違いない。しかし、今の教育に、そのようなわくわくした、のびやかな要素が、どれほど貫かれているだろうか?

これからは、きゅいくの根本について、もっと考える必要があるように思う。

 

  • 人類の未来は?

人類は、いつまで生き延びていけるのだろうか?

私は、最近の人類社会を取り巻く困難な状況を見て、時々暗い気持ちになる。気候変動にしても環境問題にしても、国際間の紛争や核の脅威にしても、すべて人類の「知」が作り上げたものだ。しかし私は、それらの課題を「知」によって解決できないはずはない。「宇宙時代」という新しい時代に突入する今、私たち人類は、いまこその本領を発揮して、輝かしい未来に進み出る時であってほしい。

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アポロ13号は地球そのものだ2023.3.6

アポロ13号は地球そのものだ

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議JASTJ会長)

 

「アポロ13」という映画をご存じだろうか。ロンハワード監督が、実際に起きた出来事をもとに作った傑作だ。

アルテミス計画で、再び月を目指す今、私は、ある出来事を思い出す。アポロ計画は、米ソの熾烈な宇宙開発競争に打ち勝つために、アメリカが行った「月に人間を送り込む」巨大プロジェクト。計画の途上で、その事故が起きた。1970年4月11日に打ち上げられたアポロ13号は、月に向かう途上、司令船の酸素タンクが爆発するという前代未聞の事態に直面し、乗組員の生命が深刻な危険にさらされた。アメリカは既にアポロ11号で、人類史上初の有人月面着陸を成し遂げており、その直後のこの事故に、強い衝撃を受けた。

その意味では、この事故は、アメリカの宇宙開発の汚点かもしれない。しかし私は、アポロ11号よりも、13号こそが、アメリカの宇宙開発の底力を示す「快挙」ではないかと思う。

映画の終わりに「アポロ13号は栄光の失敗だ」という言葉が出るが、同感だ。アポロ13号が、地球に帰還する、試行錯誤の物語には、現代に生きる我々への深いメッセージが秘められているように思う。

事故直後の写真を見ると、機体に大きな穴があき、ただならぬ被害と分かる。この状態では月面への着陸どころか、地球帰還すら不可能。結局、月面着陸を諦め、月の軌道を回った後、6日後に、なんとか地球帰還を遂げるが、そのプロセスは想像を絶する苦闘となった。船内は、電力低下、極端な室温低下、酸素欠乏、二酸化炭素増加など、呼吸もままならない、最悪の状況に陥っていた。

この危機をどのように克服したのか。

NASAのチームは、まず地上にアポロ13号と同じ環境の部屋を再現。そして乗組員との交信の中で、船内にどのような物が残っているか、どれが使用可能か、克明なリストを作る。検証は、普通なら見落としてしまいそうな、ゴムホース、ひも、ビニールテープ、靴下にまでおよんだ。そして船内で次々に起きるトラブル(温度低下や電力低下、二酸化炭素上昇など)に対して、地上で実験を繰り返し、解決策をアポロの乗組員に伝えた。乗組員はその方法を船内で実践し、課題を一つ一つ解決していった。

手作りの装置で、船内はまるでパッチワークのような状態になったが、見てくれはとにかく、人間が生存できる環境が、かろうじて作られ、危機を一つ一つ乗り越え、アポロ13号は、ついに地球帰還を果たすことが出来た。

私はこのシーンを見て、この宇宙船は、今私達が暮らしている地球と、よく似ていると感じた。

気候変動が進行し、牙をむき始めた地球環境の中で、人類は限られた資源と知恵をつかって生き延びていかなければならない。そして、サバイバル技術と運用する人間のチームワークがその成否のカギとなる。

この状況は、アポロ13号と同じではないか。

人類は、地球を捨てることは出来ない。この星の上にある、限られた資源や物質を使い、知恵を働かせて環境を守るシステムを作り、80億人の人類が、生き延びる環境をつくるしか道はないのだ。

その意味で、知恵と勇気と協力で、見事に危機を乗り越え、生還を果たしたアポロ13号は私達人類のモデルケースといっても良いかも知れない。

一度あなたも、アポロ13号の映画(本)をごらんになって、地球について考えてみてはいかがだろうか。

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「80億人時代の地球の在り方とは?」2023.1.16

「80億人時代の地球の在り方とは?」室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議JASTJ会長)

昨年11月、世界の人口が80億人を突破した。

このままでは、15年後には90億人、2058年には100億人になるという。驚くことに、現在の地球上の大型動物の重さは1億トンだが、人間は3億トンにも上る。まさに「地球は満員」状態だ。

いったいいつからこうなったのだろう?

5万年前、人類の平均寿命は10年ほどだが、今よりはるかに多くの子供を産んでいた。しかし、人口はわずかに増える程度だった。その後、農耕が始まり、食糧が確保しやすくなり、人口が増え始めた。紀元前8000年ころで500万人、1世紀ごろで3億人、19世紀初頭で10億人、そして20世紀に入って急増をはじめ、1960年には30億人、1987年には50億人、2010年には70億人を超え、ついに国連は、去年11月15日「80億人突破」の報告をするに至った。

この、人口急増の背景には、産業革命で生産性が向上し、医療技術の進歩が寿命を延ばしたことがある。それ自体はおめでたいことだが、人口の急増によって、自然が破壊されたり、環境が汚染されるなど、地球規模の環境問題が発生し続けている。世界が直面している「森林の消滅」「生物種の減少」「エネルギー不足」「食料不足」「地球温暖化」などは、急増する人口増加に対して、地球環境が耐え切れない状態になっているわけで、このアンバランスを、何らかの方法で解決しなければならない。

ではどうすればいいのか?

人類の人口を減少させるのが一番だが、それが当面難しければ、地球と人間活動の関係を変えるしかない。つまり、科学技術を使ってイノベーションを進め、地球の資源を浪費せず、環境を汚さず、できるだけ地球に負荷をかけない文明を作り上げる必要がある。最近叫ばれているSDGsは、それを実行するための方策だが、やってみると実現には様々な壁がある。

代表的なものの一つが、「格差」の問題だ。世界の人口増加のうち、急増が目立つのは、アジアやアフリカなど開発途上の国が多い。中国とインドの人口は、共に14億人を超え、特にアフリカでは、2050年までに、人口が、今の2倍以上に増加すると言われている。そしてそれらの国々には「貧困」という苦難が立ちはだかり、深刻な健康被害と、社会不安をもたらしている。

世界では今、10人に1人、8億2800万人が飢餓に苦しんでいるが、安全な飲料水が手に入らない人が22億人存在し、毎日、700人以上の子供が不衛生な水が原因で死亡しているという。昨年、エジプトで開かれたCOP27で問題になった、気候変動による被害の背景には、このような実態が横たわっている。

そしてもう一つ。途上国で人口が急増している一方、先進国の一部では、人口が減少し始めている。その典型が日本で、人口減少のみならず、「少子化」「高齢化」が同時進行している状況だ。つまり現在の世界は、人口急増と減少が入り混じりながら、全体として深刻な地球環境問題が進行するという、複雑な状況になっているのだ。この多元方程式をどう解いていくのか?ウクライナ戦争なども含めて、2023年は、人類社会の未来を決める、重要な年となりそうだ。

 

(日刊自動車新聞2023/1./16掲載)

 

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「ロボコンで心の灯をともせ」2022.12.5

冬が来るとロボコンの歓声が聞こえてくる。

私はNHK時代、ロボコン(アイデア対決ロボットコンテスト)の担当プロデユーサーをしていたことがある。ロボコンからは多くのことを学んだ。

あまり知られていないが、NHKロボコンの源流は、アメリカのマサチューセッツ工科大学と東京工業大学の授業だ。ロボット工学の教授が、学生の心に火をつけようと、「限られた材料」でロボットを手作りさせ、性能とアイデアを競う競技大会を始めたところ、これが大当たり!たちまち名物授業となった。なにせ、ロボコンには、正解がない。何をやっても許される。そして自分が作ったマシンが、競技場で動き活躍するのだ。その自由な精神と、創造の喜びが、学生たちの心に火をつけたのだろうと思う。NHKはその様子を番組で紹介し、それがきっかけで、1988年に高専ロボコンが誕生した。そして今やロボコンは、大学生、中学生、小学生にまで広がり、私が設立に関与したABUロボコン(アジア太平洋放送局連合)など、日本が世界に誇る、グローバルイベントに発展した。

タイの前国王も、アジアのリーダーたちも、ロボコンファンが多く、アジアの多くの若者の支持を得て、ロボコンは急速に広がっていった

なぜロボコンは、こんなに若者たちを夢中にさせるのだろうか?その秘密を、「ロボコンの祖」と言われる、森政弘東京工業大学名誉教授に聞いた。

ロボコンには数々の名言がある。

まず「ロボコンに正解なし」という言葉が重要だ。

ロボコンは、材料や競技大会のルールさえ守れば、どんなマシンを作ろうが、形や動きは自由だ。「これが正解」といった、定型的な正解はなく、まさにアイデアこそ、勝負のキーとなる。荒唐無稽、捧腹絶倒、空前絶後のロボットこそ、ロボコン精神が最も大切にするものだからだ。いまや、人工知能が出現し、決められた作業が消滅し、人間の仕事が、非定型的な創造性に富むものになっていかざるを得ない現代においては、ロボコンの自由闊達な精神が重要なカギとなってくる。

そして、「モノが人を育てる」という言葉がある。

たとえば考え抜かれたマシンの設計図があるとする。しかし作ってみると、マシンはなぜか動かない。町工場のベテラン職人に聞くと、「遊び」が足りないからだという。設計者は、反発するが、やってみると、確かにマシンは動いた。設計図は、ものつくりの羅針盤だが、その後「モノとの格闘」のプロセスが始まる。いくら設計図で指示されても、例えば、鉄を曲げようにも、鉄という素材は、そのようには曲がらない場合がある。現実は理屈通りにはいかない。「モノ」が反逆しているのだ。学生たちは、ロボコンを通じて、自分が思い描いたイメージを実現するためには、モノと対話し、格闘し、そして命を吹き込んでいかなければならないことを知る。そしていつの間にか、モノに対する敬意を学んでいく。

「ものつくり教育」の本質は、人間の想像力と、現実のはざまで生み出される美しい関係性にあるのかもしれない。

最後に、「勝ったマシンにゃ力がある、負けたマシンにゃ夢がある」という言葉。これは負けが多いチームの先輩が、後輩に残した言葉だ。しかしなかなか含蓄がある言葉だ。ロボコンは、ただ勝てばいいというものではない。つまらない形の、ただ強いだけのマシンは、あまり面白くない。たとえ弱くても、作り上げようとした夢の大きさ、しなやかさ、独創性こそロボコン精神の柱だという発想だ。実は、ロボコンには「アイデア倒れ賞」が設定され、そのような学生をたたえるシステムが用意されている。

私は、ロボコンを見ていると、子供のころ竹とんぼを作って、野原で飛ばした、あの気持ちを思い出す。自分の頭で考えて、自分の手で作り、それを使って遊ぶという単純な行為が、いかに感動的かを、今となって、しみじみと感じる。

今の教育には、そのようなわくわくした、のびやかな要素が、どれほど貫かれているだろうか?

テクノロジーが進化し、人間らしさとは何かが、より問われる現代において、「モノを創造する」行為の重要性が、もっと尊重されてもいいと思う。

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議JASTJ会長)

(日刊自動車新聞2022/12/5掲載)

 

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「自然エネルギーと安全保障」2022.5.2

「自然エネルギーと安全保障」
室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長)
ウクライナ戦争の各国の駆け引きを見ていると、安全保障にとって、エネルギーがどれほど重要かがよくわかる。豊かな天然ガスを持つロシアに対して制裁をかけようにも、その天然ガスに依存していては、交渉の切っ先が鈍ってしまうからだ。今後、安定したエネルギーをどう確保するのか?とりわけ、自前の国産エネルギーをどう育成するかが重要なカギとなる。
日本は資源が乏しく、エネルギーも世界に依存しなければ成り立たない国だと言われる。しかし、東日本大震災による原発事故以来、エネルギーをめぐる様々な議論が起きている。その中に、日本がもともと持っている自然エネルギーのポテンシャルを見直そうという動きがある。
日本は国土が狭い島国で、陸地の広さは世界の61位だ。しかし、実は、海(排他的経済水域(EEZ))を含めると、なんと世界6位の広さの海洋大国なのだという。さらに海が深く、容積では世界4位。そこを巨大なエネルギーの黒潮が流れている。もちろん、その強烈なエネルギーはほとんど利用されてはいない。
この海洋を舞台に、洋上風力発電や、潮流発電、波力発電、温度差発電などを展開し、エネルギーの舞台とする計画が動いている。また日本周辺の海底には、固体状の天然ガス「メタンハイドレート」が眠っており、日本が消費する天然ガスの、100年分に近い量があるという試算もある。
また、日本の地熱エネルギーは、アメリカ、インドネシアに続き世界第3位。森林率は先進国では第3位で、バイオマスの宝庫でもある。
さらに、上空から太陽エネルギーがふり注ぎ、豊富な水資源と、豊かな風力にも恵まれた国なのである。
つまり、日本は自然エネルギーの宝庫なのだ。
CO2を出さず、無尽蔵で、なによりも国産エネルギーなため、安全保障上も頼もしい存在といえる。
2011年の東日本大震災の時のエピソードがある。
ある村が津波で壊滅し、夜は暗黒の世界となった。ところが、ある家だけが不思議なことに電気が灯っていた。その主は、かねてから、自宅で小水力発電をしていた老人だった。
「電気はいっぱいあるのに変な人だねえ」と、人々は、奇異な目で見ていた。しかしその家が、災害後、希望の砦となった。夜の村の一角を照らし、冷蔵庫もつかって、人々は寄り添い、災難を乗り越えたのだという。
もちろん、わずかな電気で、村全体を救うことはできない。
しかし、救援までの数日間、その人たちは、なんとか持ちこたえることが出来た。
このエピソードは、自然エネルギーは、災害時などの緊急時に、しぶとい地域を作り出す、重要なインフラなのだということを示している。
自然エネルギーは不思議だ。
単に電気を作り出すだけでなく、共に生活する地域社会が生み出す財産として、人々の心の絆をつなぎ、地域社会を強靭化する、横糸のような存在ともいえるのではなかろうか。
今後、国際世界は、環境、エネルギー、経済、安全保障を織り交ぜながら、激動期に入っていく。
その中で、日本や地域社会がどのように自立し、持ちこたえていくのかを考えるためにも、自然エネルギーにどう向き合うべきかを、考えていく必要があるのではなかろうか。
(日刊自動車新聞2022年5月2日掲載)

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「新型コロナとSDGs」2022.4.5

「新型コロナとSDGs」

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長)

 

「もし人類が滅亡するとしたら、どんなプロセスをたどるだろうか?」

オックスフォード大学が、2015年に発表した「人類滅亡12のシナリオ」には、人類の未来を左右するさまざまな項目が並んでいる。

「気候変動」から始まり、「核戦争」「生態系の崩壊」「グローバル経済での格差拡大による国際システムの崩壊」「巨大隕石衝突」「大規模火山噴火」「バイオハザード」「ナノテクによる小型核兵器開発」「人工知能」「超汚染物質や宇宙人の襲来など未知の出来事」「政治の失敗」と続く中、3番目に「パンデミック(新興感染症)」があがっている。

私たちを悩ませている「新型コロナウイルス」は、この新興感染症の一つ。人間が、自然の奥深く侵入し、免疫をもたない「未知のウイルス」に感染し、現代社会の交通網に乗って世界中に拡大するメカニズムだといわれている。

ウイルスの変異は活発で、人間がたたいてもたたいても、新しいタイプのウイルスが現れる。このため、先進国だけが対策しても、開発途上国などの対応が遅れれば、変異が繰り返され、タチの悪いウイルスが現れ、先進国に再流入し、イタチごっこは終わらない。この構図は、人類全体で取り組まなければ根本的には解決しない点で、SDGs(持続可能な開発目標)のテーマそのものだと言える。

SDGsは、15年の国連サミットで、193カ国によって採択された。「環境問題」「貧困」「紛争」「格差」「健康問題」など、30年までに解決すべき17の目標が掲げられ、その下に169のターゲットが並んでいる。一見ばらばらの目標に見えるが、実はこれらは、根底で関連し合い、影響し合っている。

そしてその最も根本の部分に、「地球環境」があるのではなかろうか。

「命あっての物種」という言葉があるが、自然環境や生態系が壊れれば経済も、政治も、文化も成り立たないからだ。

産業革命以降、人類の人口は急激に増加し、地球環境に大きな負荷を与えてきた。エコロジカルフットプリントという指標でみると、人類は、すでに地球1・7個分の生活をしており、今の文明のパターンのまま、人類全員が日本人の水準の生活をすると、地球が2・8個、アメリカ人の水準の生活をすると、5個必要になるというデータもある(14年データ)。

地球は1個しかないわけで、このままでは、地球環境は疲弊し、資源は消耗し、私たち人間は、持続可能な生活を続けることはできなくなる。

これからは、私たちは「地球1個分の生活」をしながら、持続可能で、しかも豊かで質の高い生活をする方法を探さなければならない。

ではどうすればいいのか?

重要な方法の一つにテクノロジーがある。科学技術は、イノベーションと絡めていけば、効率がよく、最適で、人間を幸福にする社会をつくる力がある。中でも、自動車のありようは大きな影響を及ぼすものの一つだ。CASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)の方向性に従って、自動車が進化していくことは、今後の社会を大きく変える原動力になるに違いない。

(日刊自動車新聞2022年4月4日掲載)

 

室山哲也氏(むろやま・てつや)

1953(昭和28)年、岡山県倉敷市生まれ。76年NHK入局。「ウルトラアイ」「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」などの科学番組、特集番組チーフプロデューサー、NHK解説主幹などを務めた。テクノロジー、生命・脳科学、地球環境問題、宇宙開発など、「人類と科学技術文明」をテーマに論説し、子供向け科学番組「科学大好き土よう塾」(教育テレビ)の塾長として科学教育にも尽力。モンテカルロ国際映像祭金獅子賞、銀獅子賞、レーニエ3世賞、放送文化基金賞、上海国際映像祭撮影賞、科学技術映像祭科学技術長官賞、橋田壽賀子賞ほか受賞多数。現在、日本科学技術ジャーナリスト会議会長。東京都市大学特別教授。

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ウクライナの人々を想う 2022.3.20

信じられない残酷な光景でした。

ロシアの軍隊が、ウクライナの広大な国土を取り囲み、侵入し、残酷な火器で次々に街を破壊し、子供を含む多くの市民を死傷させ、核兵器をちらつかせながら、次第に狂暴化していく姿・・。まるで19世紀の戦争です。しかもその戦争は、ミサイルやドローンなど、テクノロジーを駆使した近代兵器で装飾されており、さらにおぞましい印象を与えます。

核兵器の他、生物化学兵器などの大量殺りく兵器を背景にしながら、超高速ミサイル、原発への攻撃、繰り返される情報操作で、民主主義が破壊され、人類の安全保障が大きく揺らいでいます。

そしてその中で、今日も無辜の市民が犠牲になり続けています。

 

科学ジャーナリストは、このような時、どう考え、何を伝えていけばいいのでしょうか?

この非人道的行動が、科学技術開発、安全保障、民主主義、エネルギーや経済、情報社会、市民意識や教育などと関連し、複雑に絡み合って、引き起こされている現状を、どうとらえればいいのでしょうか?

 

野蛮な戦争は、一刻も早く終結させるべきです。

しかし、その背景は複雑で、今後整理しなければならないことが山積しています。答えは簡単に出そうありませんが、真剣に議論を続けることが大切だと思います。

 

それにしても、悲劇はいつも市民などの弱者に降り注ぎます。

私は、チェルノブイリ原発事故の番組取材で、10年間ロケを続け、その都度、キエフを拠点に、長く滞在したことがあります。原発事故の不安の中でも、キエフは美しい街でした。郊外に出ると緑があふれ、花が咲き、鳥がさえずっていました。独立広場で食べたおいしいアイスクリームも、家族が憩う団地のたたずまいも、居酒屋にいた人々の笑顔も脳裏に浮かんできます。

多くの知り合いもできました。

市内の団地に住む、タチアナさん一家は、ソ連時代の核実験場で被曝し、放射能汚染を免れて、キエフに移住してきました。しかしそこで再び、チェルノブイリ原発事故に直面するという、悲劇に見舞われました。消防士のご主人は、事故後、放射線による後遺症に苦しみながら亡くなりました。その家族が今、再びロシアによる恐怖に直面しているのです。

以前、タチアナさん達が、招待されて来日した時、家族を連れて、都内のホテルで再開しました。私の娘は自閉症で、それを知ったタチアナさんは、娘を強く抱きしめてくれました。弱い立場の人間をいたわる、心のやさしい人でした。その後も交流は続き、取材にいく仲間に義援金を託したりしましたが、消息が分からなくなりました。

ニュースで見る攻撃されるキエフの街角は、タチアナさんと歩いた場所です。その町で、多くの市民が犠牲になり、不幸の淵にあえいでいます。

あの人たちは今、どうなっているのだろう?

どこに避難して、生活しているのだろう?

食事はとれているのだろうか?

 

現地の凄惨な姿は、想像も及びません。

私は、自分の心も一緒に、武力で攻撃されているような、にぶい痛みを感じます。この戦争が一刻も早く終結し、少しでも平和な生活に戻ってほしいと、心から祈るばかりです。

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「自動運転と私たちの暮らし」2022.1.31

最近「自動運転」のニュースが目立つようになってきました。自動運転には大きなメリットがあります。たとえば、現在の交通事故の97%がドライバーの運転ミスですが、自動運転になれば事故が大幅に減ると言われています。また、渋滞が減るので、エネルギー問題や環境問題の解消にもつながるし、過疎地では、お年寄りを運んでくれる、頼もしい味方ともなります。

CASE」という言葉をご存じでしょうか?C(コネクテッド:通信でつながる車)、A(オートノマス:自動化)、S(シェアリング&サービス)、E(エレクトリック:電動化)を略した言葉です。

自動車は今、大きな革命期に入っており、自動運転は、ほかのテクノロジーの要素と絡み合いながら、社会に大きな変化を引き起こします。

車が、動くスマホのようになって社会とつながり、電気で走ることで気候変動を解決し、シェアカーの増加で、マイカーが減り、駐車場がなくなるので、町の様子が大きく変わります。「自動運転」を取り巻く影響は、単なる交通のみでなく、一種の社会革命をもたらすのです。

しかし、一方で、いくつもの課題があることもわかってきました。

自動運転のレベルは現在5つに分かれます。自動車はハンドルで左右に動き、アクセルやブレーキで縦方向に動いたり止まったりしますが、この縦、横の動きを、どの程度自動化しているかでレベルが決まります。

レベル1は、上記の動きの一つを自動化しているもの(自動追尾や自動ブレーキなど)。レベル2は上記の二つを自動化しているもの(車線を変えて追い越すなど)です。レベル12の車は、すでに多く市販されており、自動運転というよりも、むしろ「運転支援技術」といったほうがいいかもしれません。

その場合、運転主体はドライバーですから、事故責任は当然ドライバーが負います。

さて、問題はここからです。

レベル3以降は、運転主体はシステム(AI)です。レベル3はレベル2をさらに高度化したもので、高速道路などでは、ドライバーの監視下で、AIが自動運転を行います(万一の時はドライバーが運転をする)。レベル4は、一定の条件、例えば走行場所や時間、速度制限などの条件を守れば、AIが無人運転をすることができます(過疎地の無人バスなど)。そしてレベル5は、どこにでも無制限に行ける完全自動運転で、このレベルになると、もはや乗る人に運転免許は必要ありません。

ここまで説明すると、自動運転開発は、順風満帆で、実現はもはや時間の問題という印象を受けるかもしれません。しかし、技術が進化する一方、車(技術)と人間との関係について課題が見えてきました。

たとえば「法律上の問題」があります。

一つ例に挙げると、システムが自動運転をしている時に起きた事故責任は、誰がとるのかという問題です。自動車を製造したメーカーでしょうか?あるいは、車を所有しているドライバーでしょうか?

また、走行中の道路の表示が消えていたり、ゴミで表示が見えないために発生した事故は、誰の責任になるのでしょうか?事故原因のケースを想定すればするほど、責任の主体が増え、議論が複雑になっていく傾向があることがわかってきました。今後は、法律の整備が急がれます。

これらの課題の背景には「AIと人間の関係」という問題が横たわっています。

自動運転車はいつでも法律を守ります。法定速度40キロなら、絶対に速度オーバーはしません。すべての車が自動運転なら、おそらく交通は整然としており、事故も激減することでしょう。

しかし、人間のドライバーと混在したとき、問題が起きる可能性があります。

人間は時として、気まぐれで、予想外の行動をとるからです。また、時には法律を破ってでも、歩行者の命や安全を守ろうとする行動に出ます。

人間の意識やコミュニケーションは複雑です。

たとえば対向車がライトを点滅した時、その状況や回数に応じて意味が変わります。人間は、直観と、阿吽の呼吸でコミュニケーションをとります。

自動運転車のAIは、これらのあいまいな人間のコミュニケーションを、どこまで理解できるでしょうか?

これらのことを考えると、今後の自動運転の技術開発は、単に技術のみではなく、人間の心理や行動を、さらに理解したうえで、総合的に進める必要があるように思えます。

 

と、いろいろ課題を並べましたが、自動運転社会への動きは止まることはないでしょう。これから必要なことは、私たち市民がその状況に目を向け、社会の中で自動運転を育てていく意識が大切であることはだけは確かだと思います。

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議会長)

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「どうつくる?持続可能社会~新型コロナとSDGs」2022.1.30

オックスフォード大学が、2015年に発表した「人類滅亡12のシナリオ」というレポートがあります。もし、人類が滅亡するとしたら、どのようなプロセスをたどるかという報告です。内容をみると、「気候変動」「核戦争」「生態系の崩壊」「グローバル経済での格差拡大による国際システムの崩壊」「巨大隕石衝突」「大規模火山噴火」「バイオハザード」「ナノテクによる小型核兵器開発」「人工知能」「超汚染物質や宇宙人の襲来などの未知の出来事」「政治の失敗」と続きますが、3番目に「パンデミック(新興感染症)」があげられています。

実は、世界を混乱させている「新型コロナウイルス」も、この新興感染症の一つ。人間活動が活発化し、自然環境の奥深くに侵入することで、人間が免疫をもたない「未知のウイルス」に感染し、現代社会の活発な交通網に乗って、瞬く間に世界中に拡大するのです。

ウイルスの変異のスピードは活発で、世界各地で違ったタイプのウイルスが現れます。そのため、先進国だけが対策をしても、対応が難しい開発途上国で変異が繰り返され、感染力や毒性が強いウイルスが現れ、先進国に再流入するため、このゲームは終わりません。「新型コロナ」は、人類全体で取り組まなければ解決しない点で、まさにSDGsのテーマの一つといえます。

SDGsは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略称で、「エスディジーズ」と読みます。2015年の国連サミットで、加盟193か国が採択し、「環境問題」「貧困」「紛争」「格差」「健康問題」など17の目標を定め、2030年までに解決しようというものです。一見ばらばらの目標に見えますが、これらは根底で関連しあい、人類の未来を左右する重要な課題となっています。

SDGsが注目される背景に、何があるのでしょうか?

私が最も重要と考えるものに「環境問題」があります。

エコロジカルフットプリントという指標でみると、人類は、すでに地球1.7個分の生活をしており、もし全員が、今の文明のパターンのまま、日本人の水準の生活をすると、地球が2.8個、アメリカ人の水準の生活をすると、5個必要になります(2014年データ)。

しかし、地球は1個しかありません。このままでは、地球環境は疲弊し、資源は消耗し、私たち人間は、持続可能な生活を続けることはできません。

私たちは今後、地球1個分の生活をしながら、しかも豊かで幸福に暮らす方法を見つける必要があるのです。

ではどうすればいいのでしょうか?

エネルギーの面から考えてみましょう。

私たち人類は、今まで、石油や石炭などの化石エネルギーに頼りすぎ、気候変動などの深刻な環境問題を招いてきました。今後は、地球に負荷をかけない、「脱炭素エネルギー」が必要です。

その一つとして注目されているものが「再生可能エネルギー」です。

再生可能エネルギーは「太陽光」「風力」「地熱」「バイオマス」「海流」など、自然の力によって生み出されます。実は日本は、この再生可能エネルギーの宝庫なのです。

日本は陸域面積では世界61位の小さな島国ですが、排他的経済水域を合わせると、世界6位の海洋大国です。深い海が多く、容積では4位。そこに世界最強ともいえる黒潮が流れています。地熱エネルギーは世界3位、バイオマスを生み出す森林率も、先進国で3位。そして、日本全域に太陽光線が降り注ぎ、強い風が吹いている地域も多くあります。

このように、日本は、「自然エネルギー王国」であり、今後はこの自然エネルギーを、さらに生かしていく必要があります。

もう一つ、日本の強みとして「科学技術力」があります。

自然エネルギーと科学技術力をかけ合わせれば、大きな未来が生まれます。

政府が2020年に発表したグリーン成長戦略は、再生可能エネルギーを核とした成長戦略を目指しています。

たとえば海洋に洋上風力発電を建設する構想。海に浮かべるタイプの洋上風力発電には、日本の造船技術が使えます。また風力発電の羽根のまわりに「風レンズ」と呼ばれる輪を付けると、発電量が増加する研究もあります。さらに、火力発電所のCO2で海藻を育て、食料とエネルギーに転換したり、CO2を吸収するコンクリートなど、ユニークな研究が次々と生まれています。

SDGsは各国の個性を組み合わせ、人類全体で達成すべき目標です。

日本も、日本人が培ってきた知恵を組み合わせ、この人類の難局を切り抜けていく先頭グループで、活動を続けるべきではないでしょうか。

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議会長)

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「情報発信者と科学:現代日本の科学ジャーナリズム」

GALAC2020.11月号  

「情報発信者と科学:現代日本の科学ジャーナリズム」

(日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長:室山哲也)

 

  • 「科学ジャーナリズム」と聞くとドキッとする

「科学ジャーナリズム」の現状についての原稿を依頼され、私は少々、困っている。「科学ジャーナリズムとは何か」について、教科書的には説明できても、釈然としない気持ちが残るからだ。NHKで科学番組や解説委員を40年もやってきたのに、いまだによくわからない。それどころか、ますますその気持ちが強くなってきた。私は、大学時代は法学部、いわゆる文科系の人間だ。NHKに入局後、何の因縁か、科学番組部のディレクターとなり、その後、多くの科学報道や、科学番組に携わった。教育テレビの科学番組も作ったし、クローズアップ現代で、宇宙開発やノーベル賞、サリン事件も報道した。NHKスペシャルで、脳科学のドキュメンタリーや、天文学、生命科学、原発報道にも携わってきた。それらを通じて、数多くの科学者や専門家とも向き合ってきた。

しかし、自分が「科学ジャーナリスト」かと問うと、どこか違和感がある。大学で物理学や数学、生物学を専門に学んだ、著名な科学ジャーナリストとくらべて、自分との違いを感じてしまう。

私が、文字を使って表現する記者ではなく、映像を使うTVディレクターだったからかもしれない。

「記者は狩猟民族、ディレクターは農耕民族」という言葉があるが、記者は刻々と変化する社会事象に切り込み、情報をまとめ、11秒でも早く、正確に伝達する仕事だ。一方ディレクターは、同じ情報でも、すぐには報道せず、種をまき、1年後に実った実を収穫して、番組(物語)として放送する。

もちろん私も、科学に関する番組やニュースに関わるとき、元情報に当たる。研究した科学者を何度も取材し、論文を読み、社会的価値としての位置づけを行い、もう一度内容を確認したのちに、放送する。

しかし、高度な科学情報の場合、理解するのも大変だし、わかりやすく伝えるのはとてもむつかしい。私は七転八倒し、研究内容を易しく解説してくれるほかの研究者の講釈も受け、再び、ターゲットの科学者の研究室のドアをノックすることもあった。

半分冗談だが、「正しく」報道するのは、簡単だ。論文をそのまま見せればよい。しかしそれでは報道にならないので、情報を翻訳したり、単純化したりしながら、視聴者や読者に伝える必要がある。しかし、ここで大きな壁に突き当たる。「正確すぎると伝わらず、単純化しすぎるとウソになる」からだ。本質を見誤らず、適切な言葉や表現で単純化し、情報を正確に伝えるのは、本当に至難のわざだと思う。

 

  • 日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)がめざすもの

私は、1年半前NHKを退職したのち、今は、日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)という組織に属している。この会は、19947月に、新聞、放送、通信、出版などの科学ジャーナリストたちが、組織を超えて交流し、刺激しあいながら、新しい価値を生み出そうと誕生した。現在では、新聞記者、テレビプロデューサー、出版の編集者のみならず、大学研究者、フリーランス、企業の広報、弁護士、主婦、学生も参加して、会員数200名を超えるまでになっている。

JASTJの活動は、月例会(講演会)や見学会、会報発行、出版、科学ジャーナリスト賞(その年の優れた記事、著作、放送、展示などを表彰)、JASTJ塾(後進の育成)、科学ジャーナリスト世界会議への参加など、多岐にわたる。

JASTJの長所は、会員と活動の多様性だ。放送業界で仕事をしてきた私は、私の分野とは違う様々な科学ジャーナリストたちの、取材の仕方、伝え方の多様性に触れ、感心するとともに、自分が、放送業界の人間だと、あらためて気づくのだ。

 

 

  • 科学ジャーナリズムの意義

私が、NHKスペシャル「人体:脳と心」の制作にかかわっていた時、取材先でよく「カニッツアの三角形」の話を聞いた。図に書かれているのは、折れ曲がった線と、円に切れ目が入った図形だけなのに、なぜか真ん中に白い三角形が見えてくる。これは、人間の脳が、断片的な情報を手掛かりに、勝手に作り上げた幻影だ。この現象は、人間の脳の機能のすばらしさとともに、脳の危険な落とし穴も示している。脳は、外部からの信号をもとに、脳内に「世界」を作り出す。そして、この仮想情報は、高次になるにつれて、その人が属している文化、国、環境に影響される傾向があり、異なる主観を生み出していく。この多様な主観を乗り越え、できるだけ客観的で、検証可能な認識に近づくために、科学的手法があるのだと思う。

 

あるアメリカのジャーナリストは、記者の基本は「マリスの除去」だと述べた。「マリス」とは「悪意」のことで、取材するとき、まず自分の心からマリスを除去し、透明な心で、謙虚に取材し、反論に耳を傾け、情報と正しく格闘し、整理し、伝えていく必要があるという。私たちの脳内に浮かぶ、悪意、善意、興奮、喜び、悲しみなどの情動を排除し、できるだけ客観的に、事実を共有できる良質な情報に、磨き上げる必要がある。科学ジャーナリストとは、そのような作業を必要とする人々であり、科学技術が日々進化し、多様化、複雑化する現代社会においては、ますます重要な存在となっている。

 

  • 放送メディアは科学ジャーナリズムを体現できるか

ところで、テレビなどの放送業界における「科学ジャーナリズム」は、新聞や雑誌などとどう違うのだろうか?

以前、月面探査機「かぐや」が、月面の様子をハイビジョンで伝えたとき、専門家との電話で、次のような話が出たことがある。

「室山さん、見ましたよ。私は、あそこで写っているものや事象は、すべて知っていました。でも、見てびっくりしました!」

私はこの言葉を聞いて、うれしくなった。「知っていたけどびっくりした」とは、映像が持つ存在感が、文字や記号や知識の範疇を超え、潜在意識に、何か強烈なものを伝えたからではないだろうか。私は、これはテレビマンとしての最高の誉め言葉だと思った。

また、プラネタリウムを作るとき、目で見える星以外の、見えない星もすべて投影するという話を聞いたことがある。そのほうが、宇宙空間のリアリティが増すというのだ。見えないのに、なぜリアリティが増すのだろうか?映像の世界には、文字とは違う、何か特別な潜在的な情報が含まれているのだろうか。

放送では、もちろん言葉や文字も使う。その部分は、新聞と同じだ。しかし、それに映像が加わった時、「科学ジャーナリズム」がどのように変質し、成立するのか?私には、まだよくわからない。もう少し、時間をかけて考えてみなければならない。

 

  • CGが作り出す世界

最近の放送を見ていて、気になることがある。

それは、番組やニュースで使われるCG(コンピューターグラフィック)についてだ。じつは私も、科学番組を作るとき、やたらとCGを使ってきた。今から20数年前「NHKスペシャル脳と心」のディレクターをしていた頃、CGは最先端の表現手段として注目されていた。当時、CGと言えば、メタリックな映像が主流で、リアルな映像との合成が、やっとでき始めた頃だった。その後、コンピュータ技術の目覚ましい進歩で、どこがCGかわからないほどリアリティを増し、今や、テレビ業界では、CGを使わない日はないほど、日常的なものとなっている。

しかし私は、この状況に、漠然とした不安を覚える。

例えば、科学番組やニュースで、脳のメカニズムを説明するとき、ポンチ絵程度なら問題はないが、本物と見間違えるようなCGで説明した時、それが、虚構なのかリアルな世界なのかがわからなくなってくる。

特に、大型の科学番組などで、神経細胞の世界を、ダイナミックな視点移動で説明したり、神経伝達物質の様子を、色を付けて映像化するなど、一大スペクタクルとなっている。まるで、見てきたような感動があり、何よりもわかりやすい。しかし、所詮、CGは作り物である。実際の脳は、中身がぎっしり詰まっており、もっと複雑で、混沌とした世界だ。

もし子供がこのテレビを見て、脳は、そのようなものだと思い込んだら、どうなるのだろうか。きちんと整理された、知識の体系を学ぶのは、いいことだとは思う。しかし、現実の世界に直面し、その複雑さと存在感に触れたのちに、CGで理解する順序ではないだろうか。現実を体験しないまま、疑似映像が多用され続けていくとしたら、この世界に対する敬意や、畏怖の念が忘れ去られ、本当の意味での「科学的思考」を身につけることが出来なくなっていくのではないかと思う。

 

 

  • 未来の科学ジャーナリズムを育てるために

科学ジャーナリズムが、今後、成長するには何が必要だろうか?それは科学ジャーナリズムを支える、スペシャリストの育成に尽きる。海外で取材すると、50代や60代の科学ジャーナリストたちが、生き生きと取材活動を続けている様子をよく見かける。彼らは、知識は豊富で、人脈も豊か。時には専門家が一目置くような発言もする。一方、日本からのジャーナリストは、どちらかというと、若い人が多く、その厚みや存在感において、やや劣っていることを否定できない。

放送局勤務の私の経験から言うと、一般的に、人事の方針は、ジェネラリスト重視。優れた科学ジャーナリストも、部長や局長など、いわゆる「ライン」に乗せ、「出世」させようとする傾向がある。ジェネラリストは、スペシャリストよりも上位だという、伝統的な考え方があるのかもしれない。しかし、高度化、複雑化する科学報道の世界で、このままの状態が続いていいと思えない。今後検討すべき課題ではなかろうか。

日本は、これから、どこへ向かうのだろうか?

司馬遼太郎は、著作「坂の上の雲」で、欧米を追いかける日本を、坂の上の欧米の雲(知識)に向かう存在と表現した。しかし、時が流れ、日本は、既に「雲」に到達し、その先に続く坂を、自らの足で、登る存在となった。

もはや模倣すべき対象はいない。

これからの日本は、独創性こそが、問われる時代となる。

そのためにも、私たちは、激変する科学や技術の状況を深く理解し、高い次元で市民と情報を共有し、自ら考える人材を育て、科学ジャーナリズムを、さらに進化させていく必要があると思う。

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