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「人工知能にどう向き合うか」2022.9.5

このごろ、人工知能(AI)についての報道が活発だ。AIは、いつのまにか私たちの社会に浸透し、既に社会構造を変え始めている。

顔を見せるだけでテーマパークに入場できたり、会話を自動的に文字起こししたり、MRIなどの医学画像から小さなガンを発見したり、無人のコンビニで、商品を買ってそのまま出ても、自動的に清算が出来たり、ネットで、見透かされたように自分の好みの商品リストが届いたり。昔の生活からは想像もできないことばかりだ。

研究者によると、AIの進化は、まだ序の口で、今後さらに深く社会に浸透し、私達の生活を根本的に変えていくだろうと言われている。

しかし、その反面、どこか不安を感じる人もいる。それは人間の心に似たことを、AIができるからだ。しかし、考えてみれば、人間が走る速度より速く走る自動車が現れたとき、「人間が負けた」と嘆く人はいなかった。なぜ、AIが出てきたときだけ「人間が負けた」とか「不気味だ」とかいうのだろうか?それはおそらく私達が、精神活動や心の世界こそ、崇高な人間のみに許されたものだと信じ、それが侵される恐怖を感じているからなのかもしれない。

人間の脳とAIは同じなのだろうか?それとも、どこか違うのだろうか?

比較の仕方はいろいろあるだろうが、私は、「生きている」かどうかが判断の基準のように思う。人間の脳は、38億年の生物進化の果てに出来上がったものだ。しかしAIは生物進化の結果ではない。

つまり、脳は「生き物」、AIは「死に物」。これが根本的な違いではなかろうか?

では、人間の脳はどのようにできているのだろうか?

脳には「3匹の動物」が棲んでいるとよく言われる。一番奥に「ワニの脳」(呼吸や体温などの生存機能)、その上に「ウマの脳」(喜怒哀楽)、そして一番外側に「ヒトの脳」(知能や知性)の三層構造になっている。これは人間が進化するプロセスで、脳が増築されてきた結果で、この三層の脳が同時に働くのが人間の脳活動だ。したがって、「知能」は脳の働きの一部でしかなく、脳は「生きるため」にこそ存在すると言える。一方、AIは「ヒトの脳」(知能)の一部の機能を真似て増幅したものだ。一見人間の脳に似た動きをするが、AIは生き物ではないので、喜怒哀楽や、生存欲求はない。ただ、情報を操って、人間の知能の脳に似た振る舞いをしているだけなのである。

その例として、2017年に北海道大学が行った「AI俳句プロジェクト」がある。このコンテストでは、AIが作った「かなしみの片手開いて渡り鳥」という句が、最高点を獲得した。しかしAIは「かなしみ」とは何かを知らないまま、この句を作った。私たちは「かなしみ」という言葉を聞くと、人生の記憶がよみがえってくる。失敗した時の「かなしみ」、失恋した時の「かなしみ」、肉親が亡くなった時の「かなしみ」。。胸が締め付けられるような、あの苦いような、痛いような「かなしみの感覚」。しかし、AIはその感覚を知らない。ただ言葉を操り、悲しいふりをして、この句を作ったに過ぎないのだ。

しかし、そんな心のこもっていない句に、感動する人間とはいったい何なのか、逆に考え込んでしまう。どうやら、このエピソードの周辺に、人間とAIの違いを解くカギがありそうにも思う。

しかし、そうはっても、やはりAIは素晴らしい人間の発明品だ。

一定のルールの中では、私達が逆立ちしても及ばない仕事をしてくれる。

私達は、この新しい相棒に、今後どのように向き合っていけばいいのだろうか?そのためには、人間にしかできない部分を発見し、育て、AIと「最強のコンビ」となるしかない。私たちは、人間らしく生きているか?人間にしか出来ない、創造的な暮らしをしているか?もう一度、胸に手を当てて、考えるべき時なのかもしれない。

(日刊自動車新聞2022.9.5掲載)

 

 

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