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8月6日の記憶

76年前、私の父(故郷が岡山)は8時15分頃に広島駅に到着する汽車に、友人とともに乗ることになっていた。しかしその朝、腹痛があり母親に強く止められた。友人たちは汽車に乗り、原爆で死亡した。自分だけが生き延びた負い目からか、父は、子供のころの私を何度か?原爆資料館に連れて行った。資料館はこわかったが、それが私の子供心の原風景の一つとなった。大学を卒業したのちNHKに入局し、なんの運命かヒロシマ局に2年間勤務したことがある。多くの被爆者の方々から、様々な体験を聞いた。番組に出演したサハロフ博士のアドバイスが、僕をチェルノブイリに赴かせた。被ばくの荒野で、放射線被ばくには「体の被ばく」とともに「心の被ばく」があることを知った。今日はオリンピックのさなかの原爆の日。時が流れ、人々の記憶が薄れていく。

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