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2020年5月

インターネットと透明人間

インターネットと透明人間(2007.1.14)

 

私は、いわゆる「インターネットいじめ」をうけたことがあります。

関係者が多いので、詳しい記述は差し控えますが、「凄絶」「残酷」などの言葉では、簡単に表現できないような、異常な体験でした。

いじめる第3者側は「祭り」とよんで、軽いノリで書いているらしいのですが、表現は次第にエスカレート。毒気を増し、ふだんは聞いたこともない罵詈雑言になっていきました。インターネット上に仲間がいるらしく、言葉が次の言葉に火をつけ、自己増殖する感じで、数十、数百もの中傷があらゆる方向から降り注いできます。その言葉に傷つき、ついに僕の友人の3人が心身症になり、ひとりは会社を辞めるまで追い詰められてしまいました。

私たちは、もし人を非難するときでも、相手の表情を見ながら話せば、普通そこまでいきません。ノンバーバルな言葉が全体を包み、血のかよった豊かなコミュニケーションが成立しているからです。ところがネットいじめの言葉は、普段は使わないひどいものばかり。おそらくその人たちも、日常生活では絶対使ってはいないのではないでしょうか。

 

なぜ、こんなことがおきるのでしょうか。

 

インターネット上で、文字のやり取りをする場合、情報量が少ないので、表現が先鋭化し、極端になっていく傾向があるという説明をよく聞きます。おそらくそうだろうと思いますが、私はその背後で、もっと深刻なことが起きているような気がします。

 

ある脳科学者が「ボディイメージ」という面白い話をしてくれました。

私たちの脳は、もともと手や足などからなる「人体」と強い絆で結ばれています。身体を取り巻く周囲の情報が、視覚、触覚、聴覚などの五感を通じて脳に入力され、脳の中に「イメージ」が生まれます。逆に脳は、作り上げたイメージを土台にして、指令を出力し、筋肉を操って、身体に移動を命じたり、物をつかませたりしています。このとき、脳の中には「ボディイメージ」と呼ばれる「身体の地図」が出来ており、その地図をベースにして、対象物との距離を測り、つかんだりいじったりしているというのです。

「座って半畳、寝て一畳」しかない、人間の小さな身体。傷を受ければ出血し、死にいたってしまうはかない人体。脳はそのことを熟知し、この身体をどのように操り、生きていこうかを常に考え続けているのです。脳は、身体の虚弱さのゆえに、命のはかなさも知っているのです。もともと人間の脳と心はそのようなものでした。

ところが、脳には、もうひとつの別の側面があることがわかってきました。

サルに道具を使わせると、脳内のボディイメージが道具にまで拡大される研究があります。今まで自分の身体を認識していたニューロン(神経細胞)が、道具を手の一部として認識し始めるというのです。

道具を操る職人が、よく、「道具の先に触れるものの形や硬さ、状態までもがわか

る」と言います。そのとき、道具の先は指先と同じで、脳内の「ボディイメージ」は、道具と一体になった「サイボーグ」のようなものになっているのでしょうか。

この理屈を広げていくと、色々なことが理解できます。

自動車を運転するときの「車間距離」や「車幅感覚」は、自動車が自分の身体のように思えているからかもしれません。タイヤを蹴られると、身体を蹴られたかのようにハラが立つのも、納得がいきます。タンカーを操縦する船長のボディイメージは、堂々とした巨大な鋼鉄製の船のイメージなのかもしれません。

この理論でいくと、インターネットに接続されたときの脳には、どのようなボディイメージが出来ていることになるのでしょうか。

脳は、クモの巣のように果てしなく広がった身体を得て、どこにでも自らの触角を伸ばし、世界を知り、逆に世界に働きかけることが出来ます。無数のサーバーには、無尽蔵の情報が蓄積され、森羅万象の物語、科学的成果、バーチャル住民との虚構の市民生活が詰まっています。そこには「座って半畳、寝て一畳」の虚弱な身体は、もはやなく、生物界の原則を越えた、今まで見たこともない、モンスターのようなボディイメージが出来ているのかもしれません。数百万年かけて人類が獲得してきた人体イメージは、まるで透明人間のように透き通り、淡い粒子となって消え去っているのかもしれません。

「人間とはそのようなものだ」といえばそうかも知れません。人類が、獲物をとるとき最初に棒を手にしたときから、その物語は始まっていたともいえます。しかし、科学技術が爆発的に進歩する中で、生物としての人間の約束事まで急速に塗り替えられ、「生存」にかかわる事態が発生しているのではないかと、私は時々、不安になってくるのです。

インターネットいじめは、そのような文脈で起きているのではないでしょうか。そこは「生物としての掟」が通用しない世界。天使のような人間と、悪魔のような人間が、むき出しで生息する空間なのかもしれません。

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木村花さん自殺 ネット中傷の背後にあるもの 2020.5.30

木村花さん自殺 ネット中傷の背後にあるもの 2020.5.30



https://www.youtube.com/watch?v=LuPJzj8p8Rk&t=38s

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「李紗に教えてもらったこと」(NHK解説委員 室山哲也2010.3)2020.5.23

「李紗に教えてもらったこと」(NHK解説委員 室山哲也)2010.1.3

  • 娘が発達障害とわかったとき

李紗が発達障害(自閉症)とわかったのは、2歳のころでした。わたしはNHK東京から広島局に異動し、3年間の忙しいローカル勤務が始まったころでした。李紗は赤ちゃんのころから泣くことも少なく、手のかからない子だなあと感心していたのですが、2歳になったころ、なぜか、後ろから呼びかけても振り向かない、大きな音がしても振り向かない傾向がありました。「耳が悪いのではないか」と広島大学病院で診察しても、耳に異常はなく、脳にも異常は見つかりませんでした。けれどもやっぱり何かおかしいと、市の児童相談所に相談に行き、1年間通所して、自閉的傾向があるのではと告げられる経緯をたどりました。私と妻のショックは大きく、何日もふさぎ込む日が続きました。「なぜ李紗がそんな病気にならなければならないのか?」「なぜ我が家でこのようなことが起きるのか?」心の中で何度自問したことでしょうか。私はそのころ、NHKスペシャル「脅威の小宇宙人体~脳と心」という番組を担当し、脳の専門家の先生とはずいぶんお付き合いをしていたのですが、結果的に、娘の自閉症を見抜くことすらできなかった無力感に駆られ、悩む日が続きました。私はテレビディレクターという仕事をしていたため、ほとんど早い時間に帰宅することが出来ず、妻はますます孤立し、焦りばかりが先行する日々となったのです。「李紗をこれからどのように育てていけばいいのか」。一生懸命李紗に話しかけたり、抱きしめたりしましたが、今となれば、その対応は、自閉症のことをきちんと理解していない、間違った対応でした。私たちは「自閉が脳由来の障害だ」ということをきちんと理解できず、医療や教育で、何とか「治る」ものだと信じていたのです。その結果、李紗のアイコンタクトはほとんどみられず、関係を作り上げることが出来ない状況が続いていたのです。

 

  • 最初のボタンを李紗がはめる

むさぼるように読んでいた本の中に、次のような一節がありました。

「自閉だとわかったとき、親は驚き、あせり、状況を変えようと、子供に激しく干渉するが、それは間違っている。状況を受容し、子供と同じ空間と時間を共有する、ゆったりとした状況からはじめなければならない」。

書かれていることは、当時の私たちにはとても難しいことでしたが、わらをもつかむ気持ちで試すことにしました。

私は畳の上で遊んでいる李紗の横に寝そべり、一日中本を読むことにしました。二日目も、三日目も同じように、そこに寝そべり、ただ本を読みました。今までなら、僕のほうから一方的に、李紗に話しかけたり、体にさわったり、目を覗き込んだりするところですが、そこをぐっと我慢して、ただただ同じ空間を共有するだけに努めてみたのです。

ある日、李紗にわずかな変化があらわれました。遊んでいるおもちゃを僕のほうへ少し近づけ、知らぬ顔をして、別のおもちゃで遊び続けたのです。まるでそのおもちゃで遊びなさいというサインのように。。。

僕は、しばらくして、そのおもちゃを李紗のほうに少し押し返し、読書を続けてみました。するとしばらくして、李紗がそのおもちゃを、今度はもっと近くまで押し返してくるではありませんか。僕は高鳴る胸を押さえながら、しばらく時間を置き、それをさらに彼女に押し返してみました。

この奇妙なやりとりは何度か続き、おもちゃはそのたびにお互いのより近くを往復するようになって行きました。そして、最後に、李紗が僕の目をチラリと覗き込んだのです。「アイコンタクトだ!!」

僕は、そのときの、破裂する風船直前のような喜びを忘れることが出来ません。

その後、李紗の様子が変わりはじめ、時々僕の目を見るようになり、心のつながりが出来上がっていく実感をおぼえるようになりました。

この体験で、いったい僕は、何を学んだのでしょうか。

それは「最初のボタンを李紗がはめる」ということでした。

今までは、僕のほうから、強引に李紗に接近し、コミュニケーションの押し付けをやっていた。李紗はそれを嫌がり、逃げていた。しかし、最初のアクションを李紗がして、それに答えていくことを繰り返すことで、確かなやり取りが生まれていったのではないでしょうか。そしてそれをするためには、子供が出す、最初のわずかなサインを見逃さないことが、大切なのではないでしょうか。

このことは、一般社会にも通用します。

会社で仕事をするとき、部下の意見や発想を元に企画を育てていけば、部下のやる気や仕事への情熱はどんどん大きくなっていきます。押し付けの仕事は、どうしても限界があるように、「最初のボタンをその人がはめる」ということは、普遍的な人間関係の原則なのかもしれません。おかげで、僕は、仕事のときの部下との人間関係が劇的に良くなり、活力のあるチームを作り上げることが出来ました。

李紗が教えてくれたこの経験は、今でも僕の仕事や生活のバイブルなのです。

 

 

  • 一緒に幸せになる

いま、李紗は21歳になり、近くの作業所で働いています。妻は、時々、幼い自閉の子供を育てている若い母親の会に呼ばれ、子育ての秘訣について、体験談を話すようになりました。その内容の一部から、「二つの戒め」をご紹介しましょう。

まず大切なことは「親の虚栄心に気をつける」ということです。

当然ながら私たちの心の奥には、競争心や虚栄心があります。しかし、その気持ちは、時として、自分と仲間たちの関係を萎縮させ、可能性を奪っていきます。「あの子よりうちの子のほうが能力が高い。」とか、負けた勝ったという虚栄心が、際限のない競争を生み、足を引っ張り合う結果になっていることが少なくないのです。カメラをずっとズームバックしてみれば、「障害」がある人々が乗っている船は、粗末で小さく、荒れ狂う社会という海の中でもまれているのに、小さな船の中で争っている構図です。心の中の虚栄心が、いつの間にか、ともに前進していくことを阻んでしまっているのです。

もうひとつの大切なことは「一緒に幸せになる」ということです。

NHKの番組取材で、私は数多くの、障害と闘う家族を見てきました。どの家族もそれぞれの状況の中で奮闘を続け、それぞれの戦いを続けてはいるのですが、時々首をかしげる状況がありました。それは、「子供のためにすべてを犠牲にする」姿です。ある日見た家族は、子供を療育するために、仕事と住所を変え、ほとんどの財産をつぎ込みセラピーを続け、家族全員が心身ともにくたくたになっていました。その思想の根底には、「一刻も早く障害を治さなければならないならない」「正常に戻さなければ負けだ」という考えがありました。この気持ちは痛いほどわかります。しかし、「治る」という発想だけでは、発達障害の問題を解決できないことも明らかです。発達障害を個性のひとつととらえ、子供も親も、ともに成長していく態度がどうしても重要なのではないでしょうか。疲れたときはほかの人や施設の協力を仰ぎ、親の疲れを癒し、親も人生を楽しみ、子供とともに前進していく態度こそが必要なのです。「みんな一緒に幸せになる」。子供も、親も、兄弟も、友人も、社会もすべてが連動して、ともに成長し、人生を謳歌できる状況を作る必要があります。「みんな違ってみんな良い」ことを認め、その人らしく社会に貢献し、真の意味で助け合える社会にしていかなければなりません。

僕は、年をとるごとに、その思いがますます強くなっていくようです。

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多重人格者との契約書

多重人格者との契約書(2006.7.3

 

私は多重人格者と契約を結んだことがあります。

あの体験は私の人生の中で、もっとも複雑怪奇、奇妙奇天烈、出口混沌、暗中模索な体験でした。「契約」とか何か。そもそも「私」とは何か。私の心に深い思い出を残して、ここ10数年間、すっかり忘れておりました。

ところが最近、あることが原因で、その体験を思い出してしまったのです。

 

きっかけは、京都のATRという研究所に、取材に行ったことでした。

「じゃんけん必勝のロボット作ります!」

髪はぼさぼさ、少し太めで、どこか少年の面影を残した著名な脳科学者が、

押し殺した声で、僕にささやきました。

「へ?どういうこと?」

ぽかんと聞き返す僕を、少し愉快そうにのぞきこみながら、ATR脳情報研究所の神谷先生の説明が続きました。

「脳の活動を外から捉える技術が進んできたので、それを使って、対戦相手の脳を読みながらじゃんけんすれば、100100中、勝てるっちゅうことです」

どうだというかんじで、神谷先生は太ったおなかを突き出して胸を張りました。

 

少しユーモラスだけど、信じられないこの話は、「ブレイン・マシン・インターフェイス」という最先端の科学研究から生まれたものです。

「ブレイン・マシン・インターフェイス」とは、人間の脳とコンピュータ(マシン)を接続し、その人が考えている内容を外から読み取ったり、逆に、心で念じただけでロボットを動作させたりする、いわゆるサイボーグ技術を含む最先端のものです。

少しまえ、NHKスペシャルで、患者の脳内にチップを埋め込んで義手を動かすショッキングなシーンが紹介されましたが、神谷さんたちのグループは、それをさらに進め、fMRIを使って脳の外から脳の血流変化を捉え、解析することで、脳のイメージ通りにロボットの腕を動かすことに、世界で始めて成功したのです。

「じゃんけんロボット」はその文脈から出てきた研究です。

 

しくみはこうです。

私たちはじゃんけんをするとき、脳の運動野の指令で、体(手や指)を動かしています。この運動野の動きを、指が動く前に読めれば、じゃんけんの中身が分かり、勝つことが出来るというわけです。

さらに運動野は運動前野という「計画」を作る部分の指令で動くので、もし運動前野の信号を読めば、さらに早い段階で、じゃんけんが読めることになります。この話はいろんな意味で示唆的なものを含んでいます。

たとえば私がじゃんけんで「グー」を出すとき、私はどの段階で「グー」を出すことを決めているのでしょうか?運動野が「グー」を出せと指令を送るときは、私は「グー」を出すことを知っていると思いますが、運動前野の場合はどうでしょうか?さらに運動前野にどこかから(たとえば前頭前野)から指令がくるとき、どの段階で「グーを出す」意識が生まれているのでしょうか?

「グー」を出す意識は、あるとき突然表れるのでしょうか?あるいは、脳内の前兆活動の中で、グラジュエーションのようにじわじわと生まれてくるのでしょうか?

 

運動の場合はまだ単純ですが、もっと複雑な意思決定の時、自分の意思が生まれるプロセスはどうなっているのでしょうか?

意識の前の無意識のところでの脳の活動はどうなっているのでしょうか?

そしてもしそれらの動きを、この装置で読むことが出来たら・・・

ここまで考えて、私は、かつて取材で出会った多重人格者のことを思い出してしまったわけです。

 

10年ほど前、私がまだディレクターだった頃、アメリカのある病院を舞台に、多重人格者の番組を作ったことがあります。ペグとよばれる女性で、20以上の多重人格者でした。

普通、大型の科学番組をつくるとき、取材を始める前に「許諾書」を示し、サインしていただくのですが、どの人と契約を結べばいいのか、私はハタと立ち止まってしまいました。病院長に相談したところ、正式には全員ということになるが、実質上はそれは不可能だとのこと。ペグの中にいる色々な人格は、仲が極端に悪かったり、引っ込み思案な人がいて、そもそも会うこと自体ができないというのです。

「ペグ」は20数人の中の代表格の人格の名前で、私たちは大体「彼女」と交渉ごとをやっていたのです。

とりあえずペグに相談することにしました。

「私(ペグ)は取材に応じてもいいんだけど、この顔や体はほかの人のものでもあるので、相談したほうがいいかもしれないわね。」

「じゃ、みんなに話してくれる?」(私)

「ちょっと待っててね」(ペグ)

突然ガクッと体を傾け、はっとわれに返ったように話し始めるペグ。

「あの人はOKって言ってる。」(ペグ)

聞けば、心の向こう側の草むらのところに居合わせたほかの男性の人格に聞いてきたのだといいます。

わたしは理解不能で、頭がぐらぐらしてきましたが、さらに聞きました。

「ペグは何人くらいの人の合意を取れそう?」

「分からないけど10人ちょっとならいけると思うけど・・」

ということはそのほかの人格の了承をどう取るのであろうか?

「他の人たちはどうなるの?」

「私はあまり親しくないし、ほとんど出てこない人だから、全員は無理ね」

「どうしたらいいんだろう?」

「うーん・・・」

ペグは困った表情になり、しばしの沈黙。。。

「ま、しょうがないわね。何かあったら私が説得するから・・」

とこういう按配で、結局、可能な限りの数人分のサインをいただいてロケが始まりました。

この病院で、私はのべ十何時間も、多重人格の人たちと話し込むことになりました。

私は「多重人格」者と呼ばれる人に直接向かい合って、奇妙な感覚にとらわれました。目の前の人の脳の中に、何人もの人格がいる。それらの人々が次々と登場し、姿を消していく姿を見ていると、なんだか私の中にいる「何人もの人格」が呼応してうなりを上げ、表に出てくるような気がしたのです。

 

一体「私」とは何なのか。

一つの意思を決めて発言する、社会的は「私」は、本当の私自身(脳の中の人格)と同一か。

否、「私」の中には矛盾した何人もの人格がいて、いつもせめぎあい、闘争し、ついたり離れたりしながら、かろうじて「私」が作られているのではないでしょうか。

本当の私の姿は、矛盾に満ちた、整合性のない、とらえどころのないものなのではないでしょうか。

もし、脳科学の進歩でこの状況が読み取られると、一体どういうことになるのでしょうか。

「私」とはどの部分を指せばいいのでしょうか?

社会はどの私を信頼し、どの私に責任を負わせればいいのでしょうか。

そもそもそんなことがどこまで可能なのでしょうか。

どこまでそれをしてもいいのでしょうか。

社会的ルールはどうなるのでしょうか?

 

 

そいういうわけで、せっかく忘れていたあの感覚。

頭がくらくらするような感覚が、

最近、私の脳に、戻ってきているのです。

 

(私は専門家でないので、哲学的な言葉の定義がばらばらかもしれません。あしからず。)

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「田の神さあ」になった鳥集さん

「田の神さあ」になった鳥集さん2004年夏

 

鳥集さん。

あなたは僕の人生の先生そのものです。東京暮らしから宮崎勤務になり、傲慢で生意気盛りなディレクターだった僕を、まず、霧島山の見える田んぼに連れて行き、静かに「田の神様(たのかんさあ)」のことを教えてくださいました。

霧島の大地が「生命大循環」の中心にあること。人間はそこに生かされていること。生きるせつなさ。苦しさ。ありがたさ・・。そんな思いをこめて、南九州の農民たちは、山麓に点在する「たのかんさあ」を拝み、守り続けていること。

どの「たのかんさあ」も、ずんぐりとした体つきでお山にむかい、笑ったような顔をしていました。体中の細胞がゆるみ、心の底から安心感がこみ上げてくるような姿でした。

 

僕の心にざわざわと南九州の風が吹き抜けました。

 

夜になると、焼酎の飲み方を夜明けまで教わり、南九州の芸能の素晴らしさの講釈。いつしか三味や太鼓で、歌い、踊り、歌い。。。永遠に続くかと想われる時間の中で、世の中にこんな楽しいことがあったのかと圧倒され、桃源郷をさまよう僕でした。

 

ある日、荒武たみさんという女性を紹介してくださいました。北の長岡ごぜに対して、南には薩摩ごぜと呼ばれる人々がいて、たみさんが最後の薩摩ごぜ。霧島山麓を舞台に、ごったんという不思議な楽器を操って、不思議な歌を歌う女性。僕は彼女のとりこになり、何本も番組を作りました。お世話になりすぎて、たみさんは、「独身の僕を養子に迎え、針で眼をつぶして座頭として育てたい」と申し出てきました。困る僕の顔を見て、鳥集さんは傍らでうれしそうに笑っていました。

 

どんなに貧しくても苦しくても、土地に住む神々を祈りぬき、笑いを持って歌い飛ばす南九州の芸能のたくましさ。

 

たみさんと鳥集さんと僕は、何日も何回も霧島山麓を旅して映像を撮る作業を続けました。行く先々のあらゆる自然。小川のせせらぎ、葉の裏側、路傍の小石、洞窟の中のコケ。風の中にすら、神様が住んでいるような気がしました。

 

ぼくは、「神は細部に宿るのだ」と実感しました。

 

眼を閉じれば、霧島山麓という巨大な風土の中を、小さな三人の影が移動していく様子が、見えてきます。鳥集さんの歌声が聞こえてきます。

はんやぶし、やっさぶし・・・。独特の南九州の抑揚。リズム。

 

あれから20数年。

見よう見まねで僕も覚え、東京に来たのちも、みんなの前で歌いました。いただいたごったんの腕はおちたけれど、あの歌を歌うと鳥集さんとたみさんが、いっしょに歌ってくれているような気がします。

 

思い出せば出すほど、胸の中に涙が海のようにたまり、悲しみが増します。

 

でもぼくは、今でも霧島山麓を歩けば、ここそこに鳥集さんが住んでいて、笑いかけてくるような気がするのです。

 

 

NHK解説委員 室山哲也(昭和51-56年 NHK宮崎放送局勤務)

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私の父の室山貴義について2020.5.19

室山貴義は私の父。倉敷の町並み保存は日本のさきがけの一つだが、文化を基調とした地方自治に尽力した。2年前88歳で死去。多くのことを教えてくれた人生の先輩です。

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ネット観劇のご案内2020.5.13

ご案内。

私の妹(旺なつき)は舞台女優です。新型コロナで日本の舞台運営は危機的状況に直面しており、いま、演劇支援プロジェクトが立ち上がっています。旺なつきの舞台もそれに参加しています。ご興味のおありの方は、ぜひとも見てやっていただきたくご案内申し上げます。

下記のサイトで5/17-5/31見ることができます。料金300円です。

 

(演劇支援プロジェクトの中の旺なつきのサイト)

https://savethetheatre.zaiko.io/_buy/1mQR:Rx:31e76

(旺なつき)

https://news.goo.ne.jp/entertainment/talent/W93-0543.html

テレビにはあまり出ませんが、文化庁芸術祭賞や紀伊国屋演劇賞個人賞などもいただいています。以前、NY?プロデューサーが選出する世界の舞台人(ロンドン、パリ?、モスクワ、NY、東京)の中で、東京の部のベスト女優に選ばれたこともあります。

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生放送「北大の西浦教授に実効再生産数(Rt)を使ったコロナ対策について聞く」2020.5.12(火)20.00-22.00

私が属しているJASTJ(日本科学技術ジャーナリスト会議)はきたる5/12(火)の夜、新型コロナウイルスの感染にかかわる数字がどのように算出されるのかについて生放送を行います。やや専門的情報ですが、今後の対策にかかわる重要な情報です。興味のある方は是非ともご覧ください。

■ ■ 緊急勉強会のご案内 ■■
北大の西浦教授に実効再生産数(Rt)を使ったコロナ対策について聞く

ゲスト: 西浦博さん(北海道大学大学院 教授)
     江島啓介さん(インディアナ大学 リサーチアソシエイト)
ファシリテーター: 田中幹人さん(JASTJ会員、早稲田大学 准教授)

日時: 2020年5月12日(火曜日) 午後8:00〜10:00
場所: ニコニコ生放送で生中継します。
URL: https://live2.nicovideo.jp/watch/lv325833316

プログラム:
 趣旨説明 田中幹人さん
 第一部 西浦さんによる講演「Rtを使ったコロナ対策」
 第二部 西浦さんと江島さんによる「Rtの計算方法のすべて」
 第三部 全体の質疑応答

 緊急事態宣言が5月31日まで延長され、地域の感染状況に応じた自粛要請などの行動制限が続いています。感染症対策で最も大切なキーワードの一つが「実効再生産数(Rt)」です。これは対策の結果、一人の感染者が平均して何人に感染させるかを示す数値で、日々数字が変動します。これが感染の動向を見通す物差しとなります。
 民主主義国家における感染症対策では、国民一人一人が対策の科学的意味を理解し、それぞれの持ち場で協力しあうことが大切です。そこで我々は、今後数年間は続くとされる「コロナ時代」において重要な数値である、実効再生産数(Rt)に関心を持つ方たちが、正確に、深く学ぶ機会を作りたいと考えました。
 この実効再生産数(Rt)は理論疫学が構築してきた数理モデルを使って導かれます。基本的な枠組みは世界標準の手法ですが、日本では「人との接触を8割減らすことが流行を収めるために必要」と訴えて「8割おじさん」として広く知られる存在となった、北海道大学の西浦博教授らのグループが計算を担っています。
 そこで今回、西浦教授に加えて米国インディアナ大学で理論疫学を研究している江島啓介さんをオンラインで迎え、実効再生産数(Rt)の意味合い、数理モデル、データの取り方、計算方法のすべてを明かしていただき、データとコードを使って実効再生産数(Rt)を計算する仕組みを理解するオンライン勉強会を開催いたします。

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新型コロナで各国の政治家の力量の差があらわになってきた2020.5.3

新型コロナで各国の政治家の力量の差があらわになってきた。新型コロナはただの風邪だと暴言を吐き、国民の命より経済を守れとするブラジル大統領や、国民の射殺を認めるフィリピン大統領など信じられない報道がある一方、芸術の重要性も認め、スピード感をもって国民を守り続けようと奮闘するドイツのメルケル大統領などもいる。さて、日本の政治家はどうか?PCR検査を増強しますと、今頃になって宣言するも一向に増加しない現状に、なぜだか原因がわからないと他人事のように言う政治家。この不透明さは一体何なのだろう?政府を批判するのはいいが、こんな時こそ市民や企業の力を結集して、状況を突破するポジティブな発想を生み出すコアになっていかなければならないのに、それができない政治家たち。あんなにたくさんいるのに。。今こそ大活躍していなくてはならないのに。。本人は「いえやってます」と言うだろうが、国民から見てそんな印象はない。政治家は国民の希望でなければならない。しっかりしてほしい。

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