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異文化衝突の青春

室山哲也:昔の作文図書館

 

異文化衝突の青春

(第23期生 室山哲也:NHK解説主幹)

 

あこがれの早稲田大学に入学し、キャンパス内で私がはじめて見たものは、ヘルメット姿の「核マル」や「中核」の学生を、ジュラルミンの楯を片手に追いかける機動隊の恐ろしげな姿でした。学生たちは走りながら石を投げつけ、クモの子を散らすように逃げています。

「なんじゃこりゃ!こんな風景見たことない!」

私は愕然としました。倉敷青陵までの18年間、私は過激派の学生も、機動隊も見たことがありませんでした。しかし、当時の早稲田大学にはまだ大学紛争の名残があり、内ゲバで学生が構内で死亡するという事件まで起きる状況が続いていたのです。

私はなんだか無性にハラが立ってきました。そして、よせばいいのに、核マルの学生たちの巣窟といわれる部屋に抗議に行きました。

「君たちは同じ学生なのに、なぜ大学内で暴力を振るうのか」「なぜ歩み寄って解決しようとしないのか」・・

田舎もののウブな私は、ぞろぞろと出てきた10人近い核マルに取り巻かれ、当時の青春ドラマのような安っぽいせりふを吐きました。

私の抗議は34時間続きました。

私は制服と寮歌と野球が大好きな、社会のことにはほとんど無知な純朴な田舎学生。話せば分かる。やれば出来る。人間みんな友達だ。さあいっしょに浜辺を走ろうじゃないか。という単純な思想の持ち主でした。

日本人なら、きっと分かってくれる。肩を組んで涙してくれる。そんな根拠のない幻想を持っていました。

しかし、そこでの議論で分かったのは、同じ日本人なのに、話してもわからないやつがいる。議論が通じないやつがいる。そしてどうやら私よりも知識豊富で頭がよさそうだということでした。

まるで、吉本新喜劇のようなあほらしい結末。

私の18年の哲学は音を立てて崩れ、以後2年間、私はノイローゼとなり、ほとんど話もせず、心身症のような毎日を送る学生になりました。

この世の中で真実とはなにか。本当の倫理や哲学とはどういうものか。それを知りたくて、連日連夜あちこちの宗教団体や、政治団体、教育機関を訪問し、質問し、議論しました。しかしどこにも満足できる答えはなく、私は次第に孤立し、実存主義の本を読み漁る、さらに暗い学生となっていったのです。。

今思い起こすと、当時の私は、「異文化衝突」によって、自分の信念や自我がこわれ、心を閉ざした状況におちいったわけです。

その後、私には何度かの激動の事件があり、私はいつしか、「現代ジャーナリズム研究会」という部をつくり、日本のあちこちをルポルタージュの旅をする学生に変身したのです。

あれから35年。

何の因果か、私はいまジャーナリストになっています。

何百かの番組を作るために、冬の北極にも、夏の赤道にも、事故直後のチェルノブイリ原発にも行きました。多重人格の患者と生活したり、断食行者と共に10日間山にもこもりました。私の目で確かめ、自分の手で触り、自分で考え、自分の言葉で表現することが大好きになってしまいました。

この変身振りは何なのか。自分でも謎です。

しかし今、私は、あの若かった頃、異文化衝突で自分がペッチャンコになってしまったおかげで、今の自分があるような気がしてしようがありません。

たしかにみっともない青春でしたが、その悲喜劇の中で、異質なものとのぶつかり方、議論の仕方、調整の仕方、融合の仕方といった、人生の基本をはじめて学べたのかもしれません。

「人生にゃ、なんも無駄なもんはねえもんじゃのう」

最近わたしは、よくそう思います。

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