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放射能汚染の現場に立つ

室山哲也:昔の作文図書館

放射能汚染の現場に立つ(2006.4.28

 

私はチェルノブイリ原発事故の放射能汚染地帯に何度か行ったことがあります。

私は当時、テレビディレクターで、テレビ番組を作ることが目的でした。

この原発事故は、人類史上、最大、最悪の原発事故です。

20年前の426日、チェルノブイリ原発4号炉が突然爆発して、

中にある放射能が大量に放出され、周辺の国々を広く汚染してしまいました。

放射能は風に乗り、世界中に広がり、日本でも観測されました。

放射能は放射線を出します。放射線は、生物の遺伝子に傷をつけ、がんなどの病気を引き起こすリスクとなります。そういうわけで、放射能で激しく汚染された土地に人間が住むことはできません。放射能の中には半減期(放射線が半分になるまでの年数)2万年以上のものもあり、そのような放射能がある場所では、影響が長期にわたって続きます。

 

事故から3年後、私はその現場に立ちました。

チェルノブイリ原発周辺の自然の美しさは、目を見張るほどでした。透明な空気、美しい湖、川、草原地帯、青空をゆっくりと飛ぶコウノトリ、鮮やかな麦畑をうねらせながら風が通り過ぎていきます。まるでグリム童話の世界を絵にしたような風景の村。

しかしそこに住民の姿は一人もありませんでした。

事故後、汚染勧告で全員が避難。村は「もぬけの殻」になっていました。食べかけのパン、脱ぎ捨てた服といった生活の様子を残したまま、人間だけがすっぽりと消えています。不気味なほどの静寂。遠くに事故を起こした4号炉がシルエットのように見えます。

「色もなければにおいもしない」放射能汚染の現場---

風景が美しければ美しいほど、五感ではわからない放射能汚染が、私の不安感と恐怖を増幅させていきました。

 

事故から20年たって、最近、チェルノブイリ事故の放射能でどのくらいの人が死ぬのかという報告が相次いで出されました。国連の組織が、4000人くらいとか、9000人だとか、いや16000人だとかの数字を公表したり、いやそんなものじゃなく数万人以上なくなるだろうとか、色々な科学者が色々な考えを発表しました。なぜ科学者の言うことがこんなに違うのでしょうか?

それは、実は放射能や放射線の人体への影響はよく分からないからです。

 

 

放射線が人体にどんな影響を与えるかを知る手がかりとしては、広島、長崎に落とされた原爆による医学データがあります。でもチェルノブイリ事故は原発事故なので、原爆とは違います。激しい放射線が人体を外から貫く「外部被曝」の点は同じですが、チェルノブイリ事故の場合、吐き出された放射能がホコリや食べ物を介して人体に入り、体を内部から被曝させていく「内部被曝」というメカニズムがあります。しかも住民は、体の中に放射能を持ったまま、長期間、ゆっくりと被曝していくのです。人類はこういうタイプの放射線被曝を、今まで大規模にしたことがありません。チェルノブイリの汚染地帯にはまだ500万人もの人々が住んでいます。原発周辺や高濃度汚染地帯から逃げ出した人々とともに、これらの人々の健康が心配です。

 

「放射能の分からなさ」はまだ他にもあります。

環境の中に放出されたのち、どのように環境を汚染し、生物に蓄積していくのか。予期せぬことがたくさんおきました。

事故から3年目に公表された汚染地図を見ると、汚染地帯が不規則に各方面に延びています。

実は事故直後、ソビエト政府は原発から周囲30キロの範囲を危険地帯として、そこにいる住民116000人を避難させました。そのときは、それ以外の場所の住民は、自分のところは安心だと思っていました。ところが3年後、政府が突然この地図を発表。汚染地帯に住んでいる住民は大混乱におちいりました。放射能のほとんどが風に乗って30キロゾーン外に飛び出し、広範囲な地域を汚染していたのです。しかもいたるところに「ホットスポット」と呼ばれる超濃度汚染地帯が出来ています。これは吐き出された放射能が雨によって集中したり、水によって一箇所に集まったりしたためです。

「水」が集まる場所は一般的には穀倉地帯が多く、作物ができる豊かな場所です。ところが放射能は、水と共謀して、自然の恵みのメカニズムをオセロのように裏返しにしてしまったのです。

また事故後、放射能は地中に沈み、農作物などへの影響はなくなっていくだろうとされていました。ところが20年たってみると結果は違っていました。放射能が森などの植物が根から吸い、葉にためたのち、落ち葉となって地面に落ちるため、結果的に汚染は、地表近くにとどまっていました。また汚染地帯には泥炭質の土地が多く、森林火災などで火事を起こしやすいため、熱風とともに放射能が舞い上がり、他の土地に移動してしまう心配も出てきています。

 

 

 

もともと医学的に分からないことの多い放射能が、どこのどのようにたまり、どのように振舞うか分からないという状況は、人間を不安にさせていきます。人々はそのような状況で20年間も生活してきたのです。

 

さて、人々が避難し、消えていった町や村は、この20年間で500以上にのぼります。避難は今も続き、廃村の数は増え続けています。

 

私は、消えていく村の様子をいくつも目撃しました。

放射能による汚染レベルが高いために、畑には、たわわに実った麦が、収穫されないまま放置されています。放射線には若い人ほど敏感なため、普通避難は赤ちゃんを持つ若夫婦などから始まります。そして歯が抜けるように住民が減っていきます。若い人が集まる店や学校が消えると、村はしだいに活気を失っていき、やがて機能停止し、消えていきます。

 

村のあちこちに、老人の姿が多くなります。「老人たちは見知らぬ新しい場所に逃げるより、村に残ることを望んだ。」と役場の人は説明しましたが、実際は、いっしょに住んでいた若い人たちに経済的余裕がないため、老人たちは結果的に「置き去りにされた」状態でした。

放射能汚染が人間の絆を引き裂き、村を内面から崩壊させ始めていました。

 

その近くに、住民全員を引き連れて、知人のいる場所へ避難する決意をした小さな村の村長がいました。不思議なことに、その村は汚染レベルとしては国が定める基準値以下の村でした。

「逃げる必要がないのになぜ避難するのですか?」

私の問いに村長は答えました。

「たしかに放射能は遺伝子DNAを切断し、人体にダメージを与えます。でも傷つくものはもうひとつあります。それは心。汚染地帯にいると、たとえ汚染レベルが低くても、共同体が壊れ、人の絆がずたずたに切れていきます。そこでは体は生きても、心が死んでしまうのです。「心が死ぬ場所」に、人間が暮らすことはできない。」

村長の言葉が私の心に突き刺さりました。

私のディレクター人生で、忘れられない言葉の一つとなりました。

被曝には「体の被曝」と「心の被曝」があるのだ。私はそう悟りました。

 

 

 

放射能。つまり放射性物質は、うまく使えば人間に大きな利益を与えてくれます。レントゲン写真でどれほどたくさんの人々の病気が治ったか知れません。

でもこの放射性物質は、原発事故のように、いったん人間の管理の手を離れたとき、まったく違う姿を見せてきます。チェルノブイリがその例です。

最近、わたしは、このような物質は、扱うべき人と、扱ってはいけない人を峻別し、扱ってもよい能力と資格のある人(機関、国、体制)だけが手にすべきものなのだとさえ思います。

 

考えてみると人間が作り出した物質は、すべて似たようなものです。

物質には安全なものから非常に危険なものまで、様々なレベルがありますが、危険性の高い物質、未知な側面の大きい物質については、人間は慎重になる必要があります。

危険な物質の管理には、保管法や操作法といった技術的レベルのものから、安全性をチェックする医学的知識、物質を生産し移動させる交通システム、複合した要素を包み込む社会制度、それを認識し政策として位置づける国民の民主主義の成熟度など、あらゆるフェーズの要素が絡んできます。その意味で、物質のリスク管理は、科学の側面を大きく越えて、その国が到達した社会レベルや文明の高さと直結する問題です。

 

そういう意味で、チェルノブイリ事故は、私たちに、

人間の傲慢と、物質との付き合い方について、今もいろいろな事を教えてくれていると思います。

 

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