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「李紗に教えてもらったこと」

室山哲也:昔の作文図書館

 

「李紗に教えてもらったこと」2010.1.3

  • 娘が発達障害とわかったとき

李紗が発達障害(自閉症)とわかったのは、2歳のころでした。わたしはNHK東京から広島局に異動し、3年間の忙しいローカル勤務が始まったころでした。李紗は赤ちゃんのころから泣くことも少なく、手のかからない子だなあと感心していたのですが、2歳になったころ、なぜか、後ろから呼びかけても振り向かない、大きな音がしても振り向かない傾向がありました。「耳が悪いのではないか」と広島大学病院で診察しても、耳に異常はなく、脳にも異常は見つかりませんでした。けれどもやっぱり何かおかしいと、市の児童相談所に相談に行き、1年間通所して、自閉的傾向があるのではと告げられる経緯をたどりました。私と妻のショックは大きく、何日もふさぎ込む日が続きました。「なぜ李紗がそんな病気にならなければならないのか?」「なぜ我が家でこのようなことが起きるのか?」心の中で何度自問したことでしょうか。私はそのころ、NHKスペシャル「脅威の小宇宙人体~脳と心」という番組を担当し、脳の専門家の先生とはずいぶんお付き合いをしていたのですが、結果的に、娘の自閉症を見抜くことすらできなかった無力感に駆られ、悩む日が続きました。私はテレビディレクターという仕事をしていたため、ほとんど早い時間に帰宅することが出来ず、妻はますます孤立し、焦りばかりが先行する日々となったのです。「李紗をこれからどのように育てていけばいいのか」。一生懸命李紗に話しかけたり、抱きしめたりしましたが、今となれば、その対応は、自閉症のことをきちんと理解していない、間違った対応でした。私たちは「自閉が脳由来の障害だ」ということをきちんと理解できず、医療や教育で、何とか「治る」ものだと信じていたのです。その結果、李紗のアイコンタクトはほとんどみられず、関係を作り上げることが出来ない状況が続いていたのです。

 

  • 最初のボタンを李紗がはめる

むさぼるように読んでいた本の中に、次のような一節がありました。

「自閉だとわかったとき、親は驚き、あせり、状況を変えようと、子供に激しく干渉するが、それは間違っている。状況を受容し、子供と同じ空間と時間を共有する、ゆったりとした状況からはじめなければならない」。

書かれていることは、当時の私たちにはとても難しいことでしたが、わらをもつかむ気持ちで試すことにしました。

私は畳の上で遊んでいる李紗の横に寝そべり、一日中本を読むことにしました。二日目も、三日目も同じように、そこに寝そべり、ただ本を読みました。今までなら、僕のほうから一方的に、李紗に話しかけたり、体にさわったり、目を覗き込んだりするところですが、そこをぐっと我慢して、ただただ同じ空間を共有するだけに努めてみたのです。

ある日、李紗にわずかな変化があらわれました。遊んでいるおもちゃを僕のほうへ少し近づけ、知らぬ顔をして、別のおもちゃで遊び続けたのです。まるでそのおもちゃで遊びなさいというサインのように。。。

僕は、しばらくして、そのおもちゃを李紗のほうに少し押し返し、読書を続けてみました。するとしばらくして、李紗がそのおもちゃを、今度はもっと近くまで押し返してくるではありませんか。僕は高鳴る胸を押さえながら、しばらく時間を置き、それをさらに彼女に押し返してみました。

この奇妙なやりとりは何度か続き、おもちゃはそのたびにお互いのより近くを往復するようになって行きました。そして、最後に、李紗が僕の目をチラリと覗き込んだのです。「アイコンタクトだ!!」

僕は、そのときの、破裂する風船直前のような喜びを忘れることが出来ません。

その後、李紗の様子が変わりはじめ、時々僕の目を見るようになり、心のつながりが出来上がっていく実感をおぼえるようになりました。

この体験で、いったい僕は、何を学んだのでしょうか。

それは「最初のボタンを李紗がはめる」ということでした。

今までは、僕のほうから、強引に李紗に接近し、コミュニケーションの押し付けをやっていた。李紗はそれを嫌がり、逃げていた。しかし、最初のアクションを李紗がして、それに答えていくことを繰り返すことで、確かなやり取りが生まれていったのではないでしょうか。そしてそれをするためには、子供が出す、最初のわずかなサインを見逃さないことが、大切なのではないでしょうか。

このことは、一般社会にも通用します。

会社で仕事をするとき、部下の意見や発想を元に企画を育てていけば、部下のやる気や仕事への情熱はどんどん大きくなっていきます。押し付けの仕事は、どうしても限界があるように、「最初のボタンをその人がはめる」ということは、普遍的な人間関係の原則なのかもしれません。おかげで、僕は、仕事のときの部下との人間関係が劇的に良くなり、活力のあるチームを作り上げることが出来ました。

李紗が教えてくれたこの経験は、今でも僕の仕事や生活のバイブルなのです。

 

 

  • 一緒に幸せになる

いま、李紗は21歳になり、近くの作業所で働いています。妻は、時々、幼い自閉の子供を育てている若い母親の会に呼ばれ、子育ての秘訣について、体験談を話すようになりました。その内容の一部から、「二つの戒め」をご紹介しましょう。

まず大切なことは「親の虚栄心に気をつける」ということです。

当然ながら私たちの心の奥には、競争心や虚栄心があります。しかし、その気持ちは、時として、自分と仲間たちの関係を萎縮させ、可能性を奪っていきます。「あの子よりうちの子のほうが能力が高い。」とか、負けた勝ったという虚栄心が、際限のない競争を生み、足を引っ張り合う結果になっていることが少なくないのです。カメラをずっとズームバックしてみれば、「障害」がある人々が乗っている船は、粗末で小さく、荒れ狂う社会という海の中でもまれているのに、小さな船の中で争っている構図です。心の中の虚栄心が、いつの間にか、ともに前進していくことを阻んでしまっているのです。

もうひとつの大切なことは「一緒に幸せになる」ということです。

NHKの番組取材で、私は数多くの、障害と闘う家族を見てきました。どの家族もそれぞれの状況の中で奮闘を続け、それぞれの戦いを続けてはいるのですが、時々首をかしげる状況がありました。それは、「子供のためにすべてを犠牲にする」姿です。ある日見た家族は、子供を療育するために、仕事と住所を変え、ほとんどの財産をつぎ込みセラピーを続け、家族全員が心身ともにくたくたになっていました。その思想の根底には、「一刻も早く障害を治さなければならないならない」「正常に戻さなければ負けだ」という考えがありました。この気持ちは痛いほどわかります。しかし、「治る」という発想だけでは、発達障害の問題を解決できないことも明らかです。発達障害を個性のひとつととらえ、子供も親も、ともに成長していく態度がどうしても重要なのではないでしょうか。疲れたときはほかの人や施設の協力を仰ぎ、親の疲れを癒し、親も人生を楽しみ、子供とともに前進していく態度こそが必要なのです。「みんな一緒に幸せになる」。子供も、親も、兄弟も、友人も、社会もすべてが連動して、ともに成長し、人生を謳歌できる状況を作る必要があります。「みんな違ってみんな良い」ことを認め、その人らしく社会に貢献し、真の意味で助け合える社会にしていかなければなりません。

僕は、年をとるごとに、その思いがますます強くなっていくようです。

(NHK解説委員 室山哲也)

 

 

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