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わたしはあの時・・「ホデムチューク夫人との出会い」2016.8.21

1989年春、私はNスペ「汚染地帯で何が起きているか~チェルノブイリ事故から4年」で、現場の長期ロケをしていた。難航する取材に疲れ、その日はキエフの食堂酒場で、夕食をとった。煙草の煙が充満する、薄暗がりの洞窟の様な店内。ここがチェルノブイリ事故に揺れる最も近い都市キエフだということを忘れてしまいそうな夜だった。ウオッカでほろ酔いになり、キャベツの酢の物を口に入れていた僕に、中年の夫人が近づいてきた。「あなたたちは日本人ですか?」「そうですが・・」怪訝そうに振り向く僕に、夫人は続けた。「通訳の人に日本の放送局の人だと聞きました。実は明日、亡くなった主人の墓参りに行くのです」「ああ、そうですか。ご主人が亡くなられたのですか。」「一緒に行きませんか?」僕はこの不思議な夫人に警戒感を持ち、恐る恐る会話をしていたのだが、話が進むにつれて、ただならぬことだと気付いた。「ご主人のお名前は?」「ホデムチュークといいます」ホデムチューク…どこかで聞いた名前だと記憶を探って驚いた。炉心付近で被曝し、亡くなった人と同姓だからだ。「あの消防士のホデムチュークさん?」「そうです」僕たちはすっかり酔いから覚め、姿勢を正して話に聞き入った。ワレーリ・ホデムチューク消防士は、チェルノブイリ事故の収束作業で死亡したが、遺体が強い放射線を出す状況となり、搬出できず、4号炉と共に、鉛で埋められた悲劇の人物である。つまり、4号炉はホデムチュークさんのお墓でもあるということになる。夫人は事故直後から、政府に、なんとか4号炉に入り供養をしたいと申し出てきたが、却下され続け、事故4年目、やっと許されたらしい。その墓参りを明日やる。一緒に行かないかと言うのだ。4号炉に入れるという期待感と、放射線への恐怖が交差し、私たちは躊躇した。同行の岡野博士に相談すると、博士はうーむと考えた後「進入ルートは除染も行われているだろうし、行きましょうよ」とあっさり答えた。「ただし中にいる時間は20分としましょう。」と決めた。事故から4年とはいえ、外国の取材チームが4号炉に入ったニュースは聞いたことがない。しかし私たちはジャーナリスト魂に火が付き、ロケをすることを決意した。

翌日、曲がりくねった4号炉の廊下をたどり、ホデムチューク消防士が埋められた鉛の壁際にたどり着いた。夫人は、手に持ったバラの花束と共に泣き崩れた。嗚咽が響く静まり返った構内。色もなければにおいもしない、放射線という悪魔と戦った男たちの魂が、炉の内部のここそこに漂い、私たちに語りかけてくるような不思議な感覚を覚えた。

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