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原発事故5年、私たちは何が変わったか?

今年は、チェルノブイリ原発事故からちょうど30年。私は、NHK特集の取材で頻繁に汚染地帯を訪れ、放射能汚染の実態を追いかけていた。現場で多くのジャーナリストと会ったが、私たちには奇妙な共通認識があった。それは「ソ連はひどい国だ」「硬直化した社会主義が被害を深刻化させた」そして「このような事故は日本では起きない」というものだった。日本は科学技術先進国であり、原発のタイプも違うし、国民の教育水準も高い民主主義国家だから、原発事故など起きるわけがないと思っていた。

その思い込みが5年前崩れた。民放の中継で「福島第一原発」から立ち上る爆発の煙を見た時、私の背筋を冷たい電流が走った。目をこすり、「嘘だろ!」と叫びながら、関係者に電話をしている自分がいた やがてマスコミで「原発安全神話」崩壊という言葉が出始め、論調が「原発神話」批判に変わっていった。しかし私は、少しためらってしまう。その「神話」を支えていたものの中に、我々マスコミもいたのではないか。

あの事故以来、私たちの何がどう変わっただろうか? 事故の前、都心の繁華街で飲んでいるとき、私には、きらびやかなネオンをともす電気が、福島原発から来ているという意識がなかった。電気は、お金を払えばどこからか無尽蔵に来るもの。どこか遠くの発電所から、大都市東京に供給されるべきもの。「あなた電気を作る人」「わたし電気を使う人」といった格差の構図が、心の中に出来上がっていた。しかしひとたび原発事故が起きた時、その発想の危険性に気が付いた。たった一か所の原発事故が、日本全体を麻痺させ、混乱に陥れてしまうこの奇妙な構図。「大規模生産」「大規模消費」という文明のシステムに、大きな落とし穴があることがわかった。

ある新聞に、震災中自ら作った小水力発電で生き延びた老人の記事が載った。老人はいつも地区の人から変人扱いされていた。電気は電力会社からふんだんに来るのに、自らの農業用水路に小水力発電装置を作り、発電する姿が奇妙だと囁かれていた。しかし震災で周囲の家々の明かりが消え、周囲が真っ暗闇になったとき、煌々と明かりがともり、冷蔵庫まで使える老人の家に、人々は集まり、夜の寒さと暗闇を乗り越えた。

それまで私は、「再生可能エネルギー」が地産地消型だと、知識としては知ってはいた。しかしそのリアリティーがわかった。 万一災害が起きたとき、たとえ数日でも、自前のエネルギーで乗り切ることができれば、社会の混乱は格段に違ってくる。そうした当たり前のことに気が付いた。「地域の時代」だという。ならば地域が、その絆と自律性をしぶとく保ち、「地域」であり続けるエネルギーの姿を、私たちはもっと真剣に考えなければならない。原発事故は、エネルギーのこと、地域社会のことなど様々なことを考えさせる出来事だった。今も続く被災者の方々の苦労を思い、問題を少しでも早く解決しながら、新しい国の姿を模索していかなければならない。

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