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2016年3月

キラリ「ここまできた!自動運転」2016.3.17

(アナ)

ドライバーなしでコンピュータが自動で運転する、自動運転技術の開発が急ピッチで進んでいる。開発はどこまで来ているのか?課題はなにか?室山解説委員。どんな状況?

(むろ)

従来、主に閉鎖環境や高速道路で行ってきたが、一般道路での実験が、神奈川県藤沢市で、2/29から今月中旬まで行われた。実証実験は2月末から3月中旬まで行われた。スマホで自宅からタクシーを呼び、一般道を走り、目的地までいく。今回はドライバーが同乗し、いざという時のために待機。データも取れ成功した。

(アナ)

なぜ自動運転が可能に?

(むろ)

背景には、自動車技術の進化がある。周囲の環境を把握する「センサー」の進化。情報処理をする「コンピュータ」の進化。GPSなど、現在地を知る「地図情報」の進化。それに、交通事故を減らす、高齢化対策、渋滞解消、過疎化対策などの「社会的ニーズ」を背景に、自動運転が成立しつつある。

(アナ)

今どのレベルまできている?

(むろ)

運転には「操舵」「加速」「減速」の3要素があるが、レベル1は「そのうちの1つ」レベル2は「2つ」レベル3は「すべて」が自動化された状態。しかしそこまではドライバーが全体を制御し、車を走らせるやりかた。レベル4は、ドライバーが運転しない「完全無人運転」となる。レベル3.4がいわゆる自動運転だが、ドライバーの位置づけが大きく違ってくる。

(アナ)

今後の課題は?

(むろ)

センサーは「大雨」「雪」「霧」に弱く、さらに進化させる必要がある。地図情報も「10センチ程度の精度」が必要。そしてコンピュータは「臨機応変な判断」ができなければならない。高速道路にくらべて一般道は環境が複雑で、何が起きるかわからない。特に右折が難しい。

アメリカの自動運転のグーグルカーも、最近、初の車原因の事故をおこした。車線を右に変更しようとしたところ、大きなゴミがあり、低速で元に戻ろうとしたら、後ろから来たバスと衝突。「大型車は止まりにくい」ということをコンピュータが知らなかったようだ。このように人間と混在する状況では、まだまだクリアしなければならないことが多い。

(アナ)

事故を起こした時の責任はどうなる?

 

(むろ)

無人運転ではいろいろな法律的課題がある。例えばドライバーがおしゃべりをしていて事故を起こした時、責任はドライバーなのか?メーカーなのか?昔あった道路がなくなっており、ナビが変更されておらず、そのため起きた事故の責任はどうなるのか?自動運転者がセンサーで読んでいる車線が消失した結果の事故責任は?人間のドライバーが割り込んできて起きた事故責任は?などなど、検討すべき事例が山ほどある。

自動運転を成立させるためには、技術だけではだめで、社会全体の制度や市民の理解が必要といえる。

(アナ)

今後どうなる?

(むろ)

いずれにしても人間中心。社会のコンセンサスを取りながら、巨視的視点を失わずに進めてほしい。

(アナ)

ありがとう。

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3/17(木)くらし解説「ここまで来た自動運転」 10.05-10..15

自動運転技術の開発が急ピッチで進んでいる。 従来、自動運転の実証実験は、主に閉鎖環境の高速道路で行ってきたが、横浜では、2/29から一般道路での実験、しかも、スマホで自宅からタクシーを呼び、目的地に一般市民を送り届ける試みが始まった。 自動運転は、従来の自動車技術に、センサーやGPSを絡ませたIT技術が融合して初めて成立する未来型技術。「交通事故」「環境問題」「高齢化」などの社会問題解決の期待も寄せられ、世界的な大競争が始まっている。 しかし、事故を起こしたときの責任や、テロ対策など、課題が非常に大きく、産業界のみならず、法律、経済、社会全体で進める必要がある。 自動運転の開発はどこまで来ているのか? その現状と課題を解説する。

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原発事故5年、私たちは何が変わったか?

今年は、チェルノブイリ原発事故からちょうど30年。私は、NHK特集の取材で頻繁に汚染地帯を訪れ、放射能汚染の実態を追いかけていた。現場で多くのジャーナリストと会ったが、私たちには奇妙な共通認識があった。それは「ソ連はひどい国だ」「硬直化した社会主義が被害を深刻化させた」そして「このような事故は日本では起きない」というものだった。日本は科学技術先進国であり、原発のタイプも違うし、国民の教育水準も高い民主主義国家だから、原発事故など起きるわけがないと思っていた。

その思い込みが5年前崩れた。民放の中継で「福島第一原発」から立ち上る爆発の煙を見た時、私の背筋を冷たい電流が走った。目をこすり、「嘘だろ!」と叫びながら、関係者に電話をしている自分がいた やがてマスコミで「原発安全神話」崩壊という言葉が出始め、論調が「原発神話」批判に変わっていった。しかし私は、少しためらってしまう。その「神話」を支えていたものの中に、我々マスコミもいたのではないか。

あの事故以来、私たちの何がどう変わっただろうか? 事故の前、都心の繁華街で飲んでいるとき、私には、きらびやかなネオンをともす電気が、福島原発から来ているという意識がなかった。電気は、お金を払えばどこからか無尽蔵に来るもの。どこか遠くの発電所から、大都市東京に供給されるべきもの。「あなた電気を作る人」「わたし電気を使う人」といった格差の構図が、心の中に出来上がっていた。しかしひとたび原発事故が起きた時、その発想の危険性に気が付いた。たった一か所の原発事故が、日本全体を麻痺させ、混乱に陥れてしまうこの奇妙な構図。「大規模生産」「大規模消費」という文明のシステムに、大きな落とし穴があることがわかった。

ある新聞に、震災中自ら作った小水力発電で生き延びた老人の記事が載った。老人はいつも地区の人から変人扱いされていた。電気は電力会社からふんだんに来るのに、自らの農業用水路に小水力発電装置を作り、発電する姿が奇妙だと囁かれていた。しかし震災で周囲の家々の明かりが消え、周囲が真っ暗闇になったとき、煌々と明かりがともり、冷蔵庫まで使える老人の家に、人々は集まり、夜の寒さと暗闇を乗り越えた。

それまで私は、「再生可能エネルギー」が地産地消型だと、知識としては知ってはいた。しかしそのリアリティーがわかった。 万一災害が起きたとき、たとえ数日でも、自前のエネルギーで乗り切ることができれば、社会の混乱は格段に違ってくる。そうした当たり前のことに気が付いた。「地域の時代」だという。ならば地域が、その絆と自律性をしぶとく保ち、「地域」であり続けるエネルギーの姿を、私たちはもっと真剣に考えなければならない。原発事故は、エネルギーのこと、地域社会のことなど様々なことを考えさせる出来事だった。今も続く被災者の方々の苦労を思い、問題を少しでも早く解決しながら、新しい国の姿を模索していかなければならない。

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