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「テレビの科学報道、科学番組を考える」朝日新聞ジャーナリズム2014年8月号

NHK解説委員 室山哲也

 文科系青年、科学番組ディレクターに変身 

 今から35年前の初夏、うら若き25歳の青年(私)が、宮崎県の青島の浜で遊んでいたら、スピーカーからアナウンスが流れた。「NHKのムロヤマ様、NHKのムロヤマ様、至急局長までお電話ください!」せっかく休暇をとって友人と楽しい時間を過ごしているのに、いったい何だろうと、職場に電話をかけてみると、「お前、今どこにいるんだ?」といつもの局長のぶっきらぼうな声。「青島で遊んでます」「すぐ帰って来い。東京に異動が決まった。」とのこと。「え?今年はなかったんでは?」「俺もわからないが、とにかく帰って来い」。遊んでいたアロハシャツと砂のついたサンダルのまま、あたふたと局長室に駆けつけると、「異動先は、東京の科学番組だそうだ」と教えてくれた。「科学番組?僕が?なんで?ほんとですか?」と素っ頓狂に問う私に、局長は無表情にうなづくだけ。これはえらいことになった。しかしホントなのだろうか?僕は、とにかく科学嫌い。宮崎のローカル放送で作っていた番組は、少年非行や教育問題、地域に生きる老人の番組や、瞽女ごぜのドキュメンタリーなど、ほとんど教養系、報道系の番組ばかり。大学時代の専門も法律で、物理や数学は全く点が取れない典型的な「文科系青年」だったのだ。田舎の岡山に住む父親に電話で報告すると「哲也、よく聞け。人生には落ち着かなければならない時が時々ある。今がその時だ。お前が科学番組のわけがない。その情報はきっと間違いだから、今から東京の人事に電話して確認してみなさい」とのアドバイス。さっそく東京に電話してみると、やけに軽い声の人事担当者が出てきた。「え?宮崎のムロヤマさん?ちょっと待ってくださいね。リスト見てみますから。ええと、室山、室山・・と。あ、ありますよお。教養科学番組部です」ええ!と驚く私。一体東京で何が起きているのだろうか。

 東京に行ってみて、事情が分かった。当時NHKにはHさんという名物プロデューサーがいた。その人は以前鹿児島で漁師をした経歴を持つ、NHK科学番組の大プロデューサー。サイエンスヒューマンドキュメンタリーで名作を連打し、数々の国際賞を総なめにした人物だ。どうもその人が私を呼んだらしい。担当番組は「ウルトラアイ」。現在放送中の「ためしてガッテン」の源流(当時は30%の視聴率を誇っていた!)で、エンターティンメント性満載の生活科学番組だ。「これなら芸能的要素が強いから、僕にでもできるかも・・」と思っていた矢先、最初は1年間、45分の教育テレビを担当してもらうとのご託宣がおりた。最初の番組のテーマは「遺伝子」だった。さっそく明日先生に取材してこいと命令され、私は、おっかなびっくり、初めての科学番組の取材に赴いた。

 伺ったのは、三菱化学生命科学研究所。生命科学の権威、中村桂子先生が私を待っていた。噂通りの聡明で美しい科学者だった。学生の雰囲気横溢で、髪はぼさぼさ、まるで山から下りてきたばかりの風采の私を見て、ニコッと微笑み、「何でも聞いていいわよ」と言ってくださった。うれしくなった私は、「では先生。最初の質問ですが、遺伝子って何ですか?」。先生はちょっと困った顔をして、「室山君は人間?」と聞いてきた。まるで子ども扱いだ。「室山君が知っている生き物ってどんなのがいる?」私はむっとして「いろいろ知ってますよ。犬、猫、サル・・そうだサボテンも、桜も、アメーバーだって生き物です!」(当時の私の生物の概念は、この程度の驚くべき大雑把な状況だった)「今あげた生き物は地球型生物といって、どれも遺伝子DNAを持ってます。遺伝子っていうのは、体の設計図ね。」「DNAは塩基という4つの物質でできていて、不思議なことに地球上の生き物は皆同じ塩基の組み合わせなの。なぜだかわかる?」「わかりません」「もとをただせば同じ生き物だったということです」私は驚愕した。「ええ!犬も、サルも、植物も人間も、先祖は同じということですか!?」「その通り!」。人間27年。NHKディレクター人生5年。私のそれまでの人生で、最も驚きに満ちた話だった。衝撃のあまり少し考え込んだのち、再び先生に聞いた。「あのー、僕の爺ちゃんが、死ぬ前よく、「木には木の神様が、石には石の神様が、獣には獣の神様がいて、みんなつながっている」って言ってましたが、それと同じことですかね?」先生は少し困った顔をして、「まあ、そんなふうに考えてもいいわね」と答えてくれた。その瞬間、私のもやもやが吹っ飛び、目の前に青空が開けた。「それなら、僕、遺伝子分かる気がします!」

 私の、科学番組の初めての取材はこうして終わった。もちろん局に帰って、先輩から「事前勉強もせず、先生に乱暴な質問をするとは何事か!」とこっぴどく叱られたが、私の表情は明るかった。「科学は面白い!」なんだか知らないことばかりで気持ちがわくわくする。この世界こそ、私が求めていたものだ!とまで感動していた。もしもあの時、中村先生から無礼さを叱られたり、無知を馬鹿にされていたら、きっとその後の私はなかったろう。あの一言が私を救い、文科系の私の脳に科学の息吹を吹き込んでくれたのだ。私の人生の記憶が「科学」というキーワードによって繋がり、大きく「認識」という船の進路が変わったのだ。こうして「文科系出身の科学ディレクター」「文科系の科学解説委員」という、奇妙なNHK職員が誕生した。

 

 テレビ局の2つの人種

 この文章のタイトルは「テレビの科学報道、科学番組を考える」だが、テレビ局には2種類の人種が存在する。「記者」と「ディレクター」だ。よく「記者は狩猟民族、ディレクターは農耕民族」といわれる。記者は、社会的事件や事象が起きたとき、速攻で取材し、その状況や内容をいち早くニュースとして伝える任務を負う。これに対してディレクターは、取材はするが、ニュース担当の時以外は、取材で取り込んだ種をまいて育て、花や実を刈り取る農耕民族的な側面がある。記者の報道は今の1秒を争うが、ディレクターの世界では「100年単位のジャーナリズム」もありうる。したがって、放送局において、この両者が科学報道をするとき、内容のあらわれ方に、大きな差が出てくることになる。特にテレビの場合「映像」が大きな要素としてからんでくるので、新聞社に比べ、情報提供の様相がさらに複雑になる。また、科学の世界の物事をそのまま伝える情報番組的なもの以外に、「科学的視点」で日常的な対象に迫ったり、ドキュメンタリーやエンターティンメントに仕立てていくものもあるので、一概に「科学番組」といってもいろいろな種類が存在することになる。

 

●求められている科学番組とは何か?

 では、ディレクターが作る「番組」とはどんなものか?一つの例を挙げてみよう。例えばある村に、どの建物よりも高い塔ができたとする。それを放送するとき、普通のニュースなら、「一番高い」ことを強調するために、まずカメラをパン(横方向にずらす)しながら、家々の屋根をなめていき、そののち、にょきっと屹立する塔の姿を見せるだろう。カメラを下に設置して仰角で撮影し、青空を背景に、堂々とそびえる塔の姿を表現するかもしれない。しかし、長めの番組を企画するとしたら、もう一つの切り口がある。それは、村一番の高い視点からながめたとき、いったい何が見えるかということだ。村一番の高みに立てば、今まで村人が見たことがない風景が展開しているに違いない。今まで村人が知っていた周りの森や川が、違うふうに見えるかもしれない。ひょっとしたら、思いがけないことが発見されるかもしれない。今までの「認識」そのものを変えることすらあるかもしれない。このように、「初めての高み」が生み出す情報や価値にとことんこだわるのが、番組を作る時の特徴なのである。歴史の中にも似たエピソードがある。1906年、ヨーロッパではじめて、サントスデュモンが飛行に成功した時、英国のある新聞は「200mを20秒で飛んだ」ことを伝える記事を書いた。ところがこの記事を読んだ、英国の新聞王ノースクリフ卿が激怒。「20020秒がニュースではなく、英国が島国でなくなったことがニュースなのだ」と編集長を叱った逸話がある。この発想は、番組作りをするディレクターとよく似ている。「科学番組」に重要なことは、ある新しいニュースを即物的に伝えること以上に、新しい方法論や視点を頼りに、新しい風景、新しい価値、新しい世界観を探り出し、新しい物語を発見しようとすることなのだということを、思い起こさせる話だと思う。

 

 映像にしかできないこと、文字でしか表せないこと

 月探査機「かぐや」が、NHKのハイビジョンを搭載して月面を撮影し、映像を地球に送ってきたとき、ある著名な天文学者が、私にこう言った。「室山さん。わたしは天文学者なので、送ってくる情報については全て知っていました。けれども、知ってはいたけど、見て、本当にびっくりしました!」私は、この言葉を聞いた時、とてもうれしく、テレビマンとして「万歳!」を唱えたい衝動に駆られた。この言葉は、テレビマンへの最高の賞賛である。映像には、単に文字や情報に置き換えても、どうしても表現しきれない、何かもっと豊かな、奥深いものが含まれていることを示すエピソードなのではなかろうか。

 ジャーナリストは、取材するとき、まず、目の前で展開している事実を出来るだけ多面的に見つめ、検証し、その背後にあるものを探りながら、視聴者や読者に、文字や映像を使って、その内容を伝達していく。新聞記事の場合、記者は、文字を使ってその内容を構築し、事実のディテールや意味を伝えていく。このとき使う「文字」は記者の脳内に記憶として保存されており、記者は、伝える意味の最も近い言葉を選び、それを組み合わせて意味を作っていく。限られた記号で現実を伝えるため、当然限界があるわけだが、記者は、文字や言葉の限界と戦いながら、それを越えて「客観的」なニュースを構築する努力をしていくのである。一方、テレビの映像の場合、カメラの前にある状況を丸ごと画像化するため、言葉では表現しにくいディテールやニュアンスを伝えることができる。「百聞は一見に如かず」「見ると聞くでは大違い」というが、映像はうまく使うと文字ではできない強力なパワーを発揮する。しかし逆に、目の前のものしか映せないという弱点があるため、たいして熟考せず、その威力に甘えて、「伝えていく努力」を怠った時、表面的で薄っぺらの、見るからにみすぼらしいリポートになってしまう場合もある。優れた記者がいったんペンを握り、その奥の本質にまで食い込んでいく表現には、テレビは到底及ばない。しかし、映像のパワーを、真の意味で味方につければ、新聞にはできない世界を作り上げることができる。結局、メディアによって、長所短所があるという当然の結論になるのだが、今後は、それぞれに内在する落とし穴にはまらず、長所を合わせて、文字と映像の相乗効果で、より豊かな、新しいメディアを育てていくことが重要だといえるのだろう。

 

 東日本大震災がもたらしたもの

 3年前の311日は日本人なら忘れることができない日だ。私はあの時、休日で練馬の自宅にいたが、今まで体験したことのない長時間の揺れに心底恐怖を感じた。日本は、世界の61位の陸地面積の小国だが、世界の地震の2割が、列島周辺で起きている「地震列島」なのだというが、その事実を改めて実感した。そしてその後、あの福島第一原発事故が起きた。テレビ画面で、原発から立ち上る煙を見たとき、私の背筋を、冷たく痛みを伴った電流が走った。「うそだろ」と、何度もつぶやきながら、夢であってほしいと念じた。しかしそれは現実だった。その後、解説委員だった私は、「災害弱者をどう守るか」「放射能汚染にどう向き合うか」「低線量被ばく問題」などの解説を続けたが、やがて、日本のエネルギーをどうすべきかといった点に重心を移していった。それは、私の、ある個人的反省から決めた選択でもあった。

 全く恥ずかしい話だが、実は、東日本大震災以前、東京の電気がどこからどのようにきているかには、ほとんど無頓着だった。新宿のネオンの海で酒を飲んでいる時も、その電力が福島原発によって支えられているという自覚がなかった。「電気はどこかで誰かがつくり、無尽蔵に提供されるもの」「私使う人」「あなた作る人」といったおそまつな認識だったのだ。ところがいったん事故が起きると、大都市東京はたちまちマヒし、日本全体が震撼する混乱に陥った。日本を支えるエネルギー構造は、大規模な電力生産と大規模な電力消費がネットワークでつながれ、心理的に分断されたまま、ある意味差別的に固定化されていたのだ。それに気づいた。そして、そういう国の、災害やリスクに対する脆さや無責任さも強く感じた。そんなこともあり、その後、私は、自分の解説テーマを、原発事故そのものからエネルギー問題にシフトし、地域を支える「分散型エネルギー」や「再生可能エネルギー」のあり方のついて考えることが多くなっていった。

 東日本大震災と原発事故は、その後3年にわたり、日本を苦しめ、科学者の在り方、ジャーナリズムの在り方、市民の在り方、政治のあり方、社会システムの在り方を、深く問い詰め、今も問題提起をし続けることとなった。

 

 チェルノブイリ取材から学んだこと

 福島原発事故を目の当たりにしながら、私の脳裏によみがえったのは1986年に起きたチェルノブイリ原発事故だった。私は事故直後から延べ10年間、NHKスペシャル5本の制作に携わり、解説委員になってからも、折に触れて事故について解説していたが、時が経つにつれて、いつしかその経験は、はるか昔のことのように、沈殿した記憶になっていきつつあった。けれども、福島原発事故は、そのチェルノブイリの記憶を、ありありと私に思い起こさせたのだった。

 私はディレクターとして、チェルノブイリ事故直後以降、2年目、3年目、4年目、10年目と現地に入り、取材、ロケに携わった。2年目からは、ウクライナや立ち入り禁止になっている30キロゾーン、周辺の高濃度汚染地帯、4号炉周辺、そして内部と取材範囲を広げ、4年目には、新たに発表された汚染地図で混乱するベラルーシにもカメラを入れた。汚染地帯が広がる現地では、各国のジャーナリストや、日本の新聞記者とも出会った。チェルノブイリ原発周辺の自然は美しい。森林の鮮やかな緑と青空、豊かな湿原や好き通った水流、ゆっくりと弧を描いて飛ぶ鳥の群れ。何も知らずに現場に立つと、まさかそこが放射能汚染の只中だということには気が付かないような風景だった。しかし、村には人影が見えず、原発事故で放出されたおびただしい放射性物質が、目に見えない形で環境を汚染し、人々を恐怖に陥れ、混乱を引き起こしていた。「色もなければ匂いもしない」放射性物質の特性が、人々の不安や混乱を増幅し、問題をさらに複雑なものにしていた。

 実は、一つ告白しなければならないことがある。それは、当時の私は、原発事故は「ソ連」という特殊な国だから起きたと思っていたことだ。もちろんアメリカのスリーマイル事故のことも知ってはいたが、取材をすればするほど、社会主義というシステムと原発事故が結び付き、事故そのものが政治的な構図の中で起きたものに見えていた。この印象は、私だけでなく、現地で会ったジャーナリストたちも、おそらく同じではなかったろうか。「チェルノブイリ事故はソ連という、「遅れた特殊な」国だからこそ起きた」「日本では(炉のタイプも違うし)このような事故は起きない」「なぜなら、日本は成熟した民主主義国家。情報社会でもあり、高度な技術力をもった先進国。チェルノブイリのようなことが起きるわけがない」そう思っていたのだ。しかし、その思い込みは、福島原発事故を目撃した時、見事に粉砕され、私は現実に目覚めた。その日本で、このような事故が起きたのだ。

 原発を持ち、運用することができる資格を持つ国は、どういう国なのだろうか?私が取材でたどり着いたイメージは、「原発技術を熟知し、放射性物質のリスク管理ができる国」「気象学に明るく」「先進的な情報システムを持ち」「危険物を運搬できる交通環境を持ち」「政府の危機管理能力があり」「国民の理解があり」それらすべてを支える「民主主義が成熟している」というものだ。このものさしから見て、当時のソ連は問題が山積していた。しかし、日本も、結局、そのものさしから見て問題がある国だったということになる。放射能汚染地図をつくるプロセスの混乱、遅れた避難命令、安全基準への住民の不信、風評被害、住民同士の利害対立と確執、そして科学者への不信感・・。日本でも、チェルノブイリで見た同じような光景がいたるところで展開し、科学技術立国日本の基盤は、大きく揺らいでしまった。

 チェルノブイリの取材で、ある印象的な人々がいた。その村はあわただしく住民避難の準備をしていた。村長に聞くと明日、村人と共に避難するという。しかし汚染地図をみると、その村の汚染程度は、それほどではなく、避難しなくても、住み続けることができる数値だった。私は村長にそのことを伝えた。「この村は避難するほど汚れていません。なぜ避難するのですか?」すると村長は答えた。「数値は私も知っている。しかし、体は生きていけるかもしれないけれど、ここにいたら、心が死んでしまう」。この言葉は私にとって衝撃的だった。なぜ村長はそんなことを言うのだろうか?私は、その後、汚染地帯のロケを続けるうちに、次第にその意味が分かってきた。ある村でこんな光景を見た。その村は村民全員の避難ではなく、赤ちゃんや子供のいる家族のみ避難する選択をしていた。しかし、子供がいなくなると、学校が消え、若い夫婦が集まる集会所が消え、買い物ができるスーパーのような店も次第に少なくなっていく。村はやがて火が消えるように、次第に勢いを失い、全体がマヒするように活動を止め、やがては共同体としての機能も失っていく。村に残る老人たちはかろうじて生活を続けてはいるが、世代を超えた会話と夢が消えたために、地域を支えてきた人間のきずなが分断され、共同体が崩壊していく。放射能汚染は、このように、有形無形に人々の心に入り込み、「共に生きる形」を変質させていくのだ。放射能は、体の中だけではなく、心の中にも侵入して、地域を蝕む。私は、村人を引き連れて逃げる村長に対して不思議な共感を覚えた。そして放射能による被ばくには「体の被ばく」と「心の被ばく」があることを知った。

 

 プロセスカット文明を乗り越えよう

 科学報道、とりわけ科学番組の使命とは何だろうか?それは視聴者(読者)に、因果関係を見抜く「科学の目」や、自ら推論して考えることの大切さを伝えることではないだろうか?そして考える楽しみとともに、優れた未来型市民になる道筋を共有することではないだろうか?そうすれば、私たち市民は、日々あふれるばかりの情報に接しても、価値の濃淡を見抜き、自ら考え、判断することができるようになるかもしれない。与えられた情報をうのみにせず、それが生まれた背景や過程を見つめ、因果の中で情報が生まれることを、もっと理解できるようになるかもしれない。日本のロケット開発の父といわれる糸川英夫さんの著作に、「現代文明はプロセスカット文明」だという記述があった。例えば、初期のテレビではチャンネルを変えるとき、わざわざテレビまで人が行って、手動でつまみを回したものだが、いまではほぼすべてのテレビが、遠くからリモコンでボタンを押すだけでできる。エレベーターやエスカレーターを使えば、階段を上るプロセスをカットして、私たちはボタン一つで移動可能。私たち文明人は、辛いプロセスをカットして、「目的」や「結果」を、安易に手に入れたがりすぎるというのだ。情報の世界でも同じ現象が起きている。テレビ番組では、まず結果がどうなのかにこだわる。その経過にはあまり興味を示さない傾向がある。そして結果が分かれば、なぜか、すべてがわかったような気がしてくる。しかし、このような状況が余り続くと、市民はやがて、批判精神を失い、ただ教えられたとおりに行動する、主体性のない、危険な集団となってしまうのではないだろうか。STAP細胞報道の時も似たような危機感を感じた。研究の表面的な事象に振り回され、右往左往する世論。それをあおるように、表面的、断片的情報を垂れ流しし、物事の本質に迫らず、面白おかしくそそのかす、一部のニュースショー。マスコミは「プロセスカット」の悪い部分を拡張し、むしろ世の中をゆがめる働きをしてしまっているのではなかろうか。そもそも「科学する」とは、そのプロセスの中で格闘し、思索を重ねて、物事の本質を追い詰める態度をさしていた。「科学報道」「科学放送」に携わるジャーナリストは、視聴者や読者と共に考え、共に成長していく態度と、「科学」を守っていく責任を、肝に銘じる必要があるのではないかと思う。

 

 これからの科学報道、番組

 大きく変化する時代の中で、科学ジャーナリズムは、どのように変わり、役割を果たしていけばいいのだろうか?テレビドキュメンタリーを例にとると、昔の番組の構成は単純だった。誰か特定の人間を追いかけたり、カメラで撮影できたことで構成していけば、その物事の本質に迫ることができた。社会の構造が、まだ単純だったからかもしれない。しかし今は、私たちの五感で見聞きすることができないレベルで科学が進歩し、社会が激変している。コンピュータのようなブラックボックスで扱われる大量の情報が社会構造を変えたり、目に見えない原子の世界の研究が社会に革命を起こしたりしている。しかも地球環境問題に象徴されるように、科学的に分かった事象と、社会、経済、政治が密接に関連し、より複雑な構図で物事が進んでいる。その意味でこれからの科学報道は、単なる「科学の目」だけでは済まない状況に直面している。ある著名な動物学者が「ヒトばかり見ていると、ヒトがなんだかわからなくなる」と述べたが、これからの科学報道、科学番組は、より想像力を働かせて、ミクロ、マクロの世界を追い、ほかの分野とも連動する「複眼の目」が、さらに求められるのだろう。私は、NHKに入局した直後、ある先輩からこんなことを言われたことがある。「NHKには視聴率ゼロを目指す番組がある。」私は、この奇妙な言葉の真意を尋ねた。「視聴率は見てくれる人の数を表しているのだから、多いほうがいいのではないですか?」すると先輩が答えた。「ふつうはそうだ。しかし、たとえば、障害がある人が、自立するために見る番組がある。その番組は、自立して番組を見なくてもいい人を増やすことが目的だから、視聴率ゼロを目指していることになる」。これは、公共放送のNHKだからでてきたエピソードだろうか?確かにその面はあるかもしれない。しかし私は、ジャーナリズムに生きる仲間たちに、今、この言葉を伝えたい思いに駆られる。「公共」は言うまでもなく、国やNHKだけのものではない。広く市民全体で育てていくべき、最重要課題だといえる。科学ジャーナリストが、社会の公僕として活躍を期待されている限り、やるべき課題は山積し、日に日に増え続けているように思う。

 

 

 

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コメント

 ETV特集、ハートネットTV、サイエンスZERO、BS世界ドキュメンタリー、NHK総合の深夜に放送されるドキュメンタリー(後で「録画予約しておけば・・」と後悔しばしば・・)などがよく見る番組です。
 十代の時、「ゴールデンタイム」(死語?)に近い午後9時からNHK総合で放送のドキュメンタリー番組を「社会(大人の世界)を学ぶ」という面から見ていた記憶があります。
 今日のNHKの番組編成、(私の価値観で若干、偏りがありますが)「若い人たちにも見て欲しい」と思える番組が深夜の時間帯に追いやられていて寂しい限りです。
 NHKのビジネスの「NHKオンデマンド」と反するかもしれませんが、若い人たち向けに「タイムシフト視聴の勧め」としてそのような番組情報を発信して「良い番組を見る機会を増やしてあげることはできないだろうか」と考えてしまいます。長期的な視野に立てば、よい番組の制作を支える視聴者を育てることにもなりますので・・。

投稿: 市川誠 | 2014年8月16日 (土) 21時01分

二回目の書き込みをさせていただきます。
以前自閉症の息子の話からお恥ずかしいコメントを書いたものです。

今回の文章は、ぱっと見て、長い?難しい?と一瞬思いましたが、読み始めたらとてもわかりやすくて、あっという間に読めました(ガラケーだと27ページになるのです)

まず、つかみの、宮崎県でお仕事されていた話。私の両親が宮崎県出身で、私にとっても、とても大切な場所です。
35年前も、現在の所沢に住んでおりましたので、残念ながら室山さんの番組は見ることができていませんが…
ウルトラアイ、は見ていましたが、後に製作には関われたのでしょうか?
あと、私が個人的に感じたことですが

求められている科学番組とは何か?
の項目にある、高さを伝える角度だけでなく、高い視点からどのように見えるのかを伝えたい
ということについて
私が自分の毎日の生活の中で、そのことを思っているということ、つまり、いろいろな角度から物事について考える、事項だけでなく、人々の思考や感情について そのことで学べること、理解できることはたくさんあるなと感じながら暮らしています。それで、相手を思いやる心ができて、より温かい人間関係も生み出すと思うのです。

投稿: 早川まゆみ | 2014年9月 8日 (月) 00時45分

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