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2012年3月

初めてのプロデューサーの仕事がサリン事件だった2012.3.20

17年前の今日、13人が亡くなり、6千人以上が重軽症となった地下鉄サリン事件がおきた。僕はその頃クローズアップ現代のプロデューサーをしていたが、この事件でやっと疑問が解けた。というのもこの事件に先立って、松本サリン事件という事件がが起きていたが、その時放送されたクローズアップ現代が僕のプロデューサーとしての初陣だった。しかしわからないことだらけだった。サリンという聞き慣れない毒物が発生したコト、サリンは有機リン系の物質とある物質を混ぜれば出来ることなど以外は、何もわからなかった。僕らはいくつか仮説を立てた。誰かが間違って有機リン系の農薬を何かと混ぜたとか、近くの研究機関の焼却炉で燃やし、たまたま発生したサリンが、逆転層の気流に乗って現場に落ちてきたとか、いくつもの可能性(あくまで推測)を探ったが、どうしてもいまいち腑に落ちない。当時犯人ではないかといわれていた人物も、理論上はどうしても犯人とは思えなかった。ぼくは首を傾げながら「まさかテロじゃないですよね」と上司にいったが、そんなことがあるわけないと一蹴された。結局クローズアップ現代は、不明だらけの不思議な事件として放送したが、結局、その推測があたっていたことになる。その事実は、地下鉄サリン事件以降の調査で明らかになっていった。あれから多くの時が流れた。しかしサリン事件の傷跡はまだいえることなく、多くの人々の心に忘れがたい悪夢として残っている。日本、いや世界の現代史の中で、あの事件はどんな意味があったのか、あらためてもう一度きちんと検証する必要があるように思う。

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天才ジュウシマツ“パンダ”の悲劇

春になると、いつもあの疑問がわいてきます。それは鳥の声への私の疑問。

鳥の声はどうしてあんなに透明で美しく、はかなく、懐かしいのだろうか?

子供のころキャンプの森で聞いた野鳥の声。さわやかな空気、目に沁みる緑、そして友達同士との気が遠くなるほど楽しい時間の思い出とあいまって、そう思うのでしょうか?いやいや、やっぱり鳥の声は不思議だ。わたしは長年、そう思ってきました。

5月は野鳥が活発に活動する季節。

今年も、またあの疑問について思いめぐらしています。

私が数年前やっていた「科学大好き土よう塾」に出演した高名な先生が、この疑問に答えてくれたことがあります。理化学研究所脳科学総合研究センターの岡ノ谷一夫先生です。

番組のタイトルは「鳥はどうして鳴くの?」。

先生はとてもユニークな方で、

スタジオ

で、鳥の「さえずり」について、非常に興味深い話をしてくださいました。そもそも一般に鳥は、オスメスに限らず、一年中「地鳴き」と呼ばれる声で、鳥同士のコミュニケーションをするのですが、オスだけ、春から夏にかけて、「さえずり」という不思議な鳴き方をするそうなのです。

(余談:したがって春から夏のキャンプでは「鳥のさえずりで目が覚めた」は正しいが、それ以外の季節では「さえずりで目が覚めた」ではなく、「地鳴きで目が覚めた」が正しい表現。あまりロマンチックではないですよね。)

さて、「さえずり」は人間でいうと「歌」のようなもので、この上手下手で、オスはメスにもてるかどうか、つまり自分の遺伝子を後世に残せるかどうかの瀬戸際に立たされる重要なものだというのです。

その岡ノ谷先生の実験を、番組の中で、映像で紹介しました。

ジュウシマツの2匹のオス、タロウとアキラがメスのモモコに求愛し、

その声(さえずり)の分析をします。

まずタロウがモモコと一緒のかごに入りました。

タロウはまだ新米のジュウシマツで、メスへのさえずりに慣れていません。

しかし、かごに入ってまもなく、タロウは果敢にもさえずりをはじめました。しだいに声の調子もあがり、若いタロウは、しきりとモモコに働きかけようとしますが、モモコはなぜか気乗り薄で、タロウがモモコのそばに行っても、顔を背けるようにしてすぐに別の所に逃げてしまいます。

実験終了時、タロウは疲労困憊。がっくりと肩を落として、傷心の状態になってしまいました。

さて次に入れられたのは「アキラ」というジュウシマツ。メスの間では評判のプレイボーイです。アキラがかごに入ってまもなく、アキラは常にモモコのそばにぴったりと寄り添って歌を歌い、あれよあれよという間に交尾してしまいました。しかも、モモコも嫌がる様子がありません。

一体何が違ったのか。

この2羽のジュウシマツの声のパターンを分析すると、タロウの声は一見にぎやかで活発ですが、よく見ると同じパターンを繰り返し、一本調子で押しつけがましい感じ。これに比べてアキラは、まず短い「さわり」の声を出し、次にやや変化をつけたものに変え、そののち「メインテーマ」で歌い上げていたのです。しかも延々と歌い上げることはせず、また短いパターンの声で変化をつけ、再び歌い上げるという、手の込んだ歌唱方法をとっています。また、このバリエーションをメスによって変え、つねにメスのそばに寄り添い、メスの反応を確認しながらさえずりを続け、歌の効果を検証しつつ、タイミングを見計らって交尾に及んでいるのです。まさにプレイボーイジュウシマツの面目躍如です。

それにしても歌い方が違うと、なぜ「もて方」に差が出るのでしょうか。

岡ノ谷先生によると、じつは野鳥の世界では、アキラのような変化に富んだ声を出すのは、本来危険なことなのだそうです。外敵がいる森の中で、歌に精力を費やすと、そのぶん注意力散漫となり、生存の危機に自らをさらしてしまうからです。しかしこの状況をメスから見ると、「危険な中でも歌が歌える頼もしい人(鳥)」ということになります。つまりジュウシマツは複雑なさえずりをすることで、自分の余裕の姿をメスに見せつけ、自分の大きさやたくましさをアピールしているわけです。

わたしはこの話を聞いて、とても不思議な気持ちになりました。

人間と姿も違う鳥の世界で、人間そっくりのドラマが展開し、しかもそれが「歌」という手段を通じて行われている姿は、単なる不思議を通り越して、深い感動すら覚えたからです。これは、人間界でいう「文化」の物語ではないか。生物が生きるとは、一体どういう事なのか。進化の神秘というほかないではないかと感じ入ってしまうのです。

さて、番組の収録も終わり、控室で、岡ノ谷先生とお茶を飲みながら談笑しているとき、衝撃的な話がでました。それは「今までで一番歌が上手かったジュウシマツは誰か」という話題になったときでした。岡ノ谷先生は、突然声を低め、「それはやっぱりパンダだなあ」と、感慨深そうにつぶやき、遠くを見つめました。

「パンダ・・」私の心の中をざわざわと胸騒ぎが駆け抜けました。

パンダは天才的なさえずりの名手でした。

歌のバリエーションはアキラの比ではなく、さわり、展開、メインテーマの組み合わせとも天下一品、絶妙無比。人間ですらうっとりとするほどの技量だったといいます。しかし奇妙なことにパンダはもてなかったのです。

なぜか。

残念ながら、パンダは自分の歌に酔うタイプのジュウシマツでした。

歌のバリエーションは天才的でも、アキラのようにメスの表情を読みながら歌うことをせず、純粋に音のつながりでさえずる芸術家タイプの鳥だったのです。

結局この話は、テレビで紹介されることはなく、

打ち合わせ室に居合わせた、数人のスタッフ達の心の中に、

小さな感動を巻き起こしただけで終わってしまったのでした。

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