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チェルノブイリに見た「心」の被曝

以下、事故18年目に書いた文章です・・・
18年前の4月26日、ウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故は、人類史上、例を見ない放射能汚染をひき起こした。私は当時科学番組部でディレクターをしており、NHKスペシャルの取材で、事故直後から数回、通算半年間ほど汚染地帯で暮らしたことがある。食料や水、ほこりを通して私の体に蓄積されたセシウムやストロンチウム、プルトニウムなどの放射性物質は、いまも体内で放射線を出し続けているはずだ。(放射線は皮膚に届くまでに減衰し、私とお話しする人には影響ありません。念のため。)
はじめて汚染地帯に立ったときの気持ちを忘れることができない。透明な空気、美しい湖、川、草原地帯、青空をゆっくりと飛ぶコウノトリ、鮮やかな麦畑をうねらせながら風が通り過ぎていく。まるで童話の世界を絵にしたような風景の村。しかしそこに住民はいなかった。汚染勧告で全員が避難したのだ。生活の様子を残したまま、人間だけがすっぽりと消えている。不気味なほどの静寂。遠くに事故を起こした4号炉がシルエットのように見える。「色もなければにおいもしない」放射能汚染の現場---。
風景が美しければ美しいほど、五感ではわからない放射能汚染が、恐怖感を増幅させた。
問題が深刻化したのは、事故から4年目だった。事故直後、原発から周囲30キロ以内は立ち入り禁止ゾーンとして無人化したが、ゾーンの外は放射能汚染がなく、立ち退きの必要がないエリアとされていた。しかし、事故の4年後、恐るべき事態が明らかになった。チェルノブイリ原発から放出された放射性物質が、予測不能の気流に乗り、「ゾーン」をはるかに越えた北方のベラルーシ共和国に、大量に降り注いでいたのだ。しかも所々に、水が作り出す「ホットスポット」と呼ばれる超高濃度汚染地域ができており、住民は大パニックに陥った。「水」が集まる場所は穀倉地帯であり、結果的に自然の恵みのメカニズムが裏目となった。公表されていた放射能汚染地図も、根本的に書き換えなければならない最悪の事態であった。私たちは、そのベラルーシにカメラを入れた。ベラルーシの村々の畑には、たわわに実った麦が、汚染のため収穫されないまま放置されていた。すでに住民避難が始まっており、歯が抜けるように住民が減り始めていた。避難は赤ちゃんをもつ若い夫婦から始まった。若い人が集まる店がつぶれ、学校が消え、共同体が機能を失いつつあった。老人と一緒に住む大家族では、若夫婦だけが子供を連れて逃げた。「老人たちは見知らぬ新しい場所に逃げるより、村に残ることを望んだ。」と役場の人は説明した。しかし実際は、老人とともに新しい人生を始める経済的余裕がなく、「現代の姥捨て山」とでもいえる状況が起きていた。老人たちは、行く当ても、生活のすべもないまま放置された。
放射能汚染が村人や家族の絆を引き裂き、ずたずたに崩壊させ始めていた。その近くに、住民全員を引き連れて、知人のいる場所へ避難する決意をした小さな村の村長がいた。奇妙なことに、その村は汚染レベルとしては国が定める基準値以下の村だった。「逃げる必要がないのになぜ避難するのか?」
私の問いに村長は答えた。「たしかに放射能は遺伝子DNAを切断し、人体にダメージを与える。しかし傷つくものはもうひとつある。それは心だ。汚染地帯にいると、たとえ汚染レベルが低くても、共同体が壊れ、人の絆がずたずたに切れていく。そこでは体は生きても、心が死んでしまう。「心が死ぬ場所」に、人間が暮らすことはできない。」村長の言葉が私の心に突き刺さった。私の25年のディレクター人生で、忘れられない言葉の一つとなった。東京に帰って私は考えた。人間が人間として生きていくとはどういうことなのだろうか。科学番組をやっていると、人間を精密な機械として見、物理的ものさしだけで判断をする癖がついてくる。健康上安全な場所から「気分だけで」避難する人をまるで愚か者のように感じてくる。しかし人間には、生物的(物理的)存在としての側面のほかに、社会的、文化的存在としての側面がある。「人はパンのみでは生きない」。この当たり前のことを私たちはすぐに忘れ、無慈悲なシステムを作り上げてはこなかっただろうか。人間の顕在意識だけを尊重し、その底流にある潜在意識の世界を忘れてはいないだろうか。形あるものだけを信じてはいないだろうか。形のないものに内在する価値を忘れ去ってはいないだろうか。
チェルノブイリで私は、被曝には「体の被曝」と「心の被曝」があることを知った。あの日から18年。あの重く苦い記憶は、まだ心の底に沈殿したまま残っている。
                   

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コメント

1986年は1月のスペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故、そして4月のチェルノブイリ原発事故と、科学技術に対する信頼のようなものが大きく揺らいだ年のように思います。
 某建設会社の技術研究所で原子炉解体ロボットの開発プロジェクトに従事していた私にとって後者はある意味、大きな衝撃でした。

投稿: Makoto Ichikawa | 2011年6月 9日 (木) 18時59分

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