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2011年6月

「都市の水辺に暮らす」シンポジウム

2010年2月に行われた「都市の水辺に暮らす」シンポジウムの模様です。http://www.hilife.or.jp/wordpress/?p=4064

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大人ドリル放送少し延びそう

今夜の大人ドリルの放送は、菅さんの記者会見があるので30分(あるいはもっと)遅れそうとのことです。すみませんです。

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大人ドリル「どうなる日本の電力」2011.6.27(月)22.55-30分間

/27(月)22.55-23.25大人ドリル「どうなる日本の電力」。嶋津、山崎解説委員とともに原発事故後日本はどのように電力を確保していくべきかを考えます。お時間があればご覧ください。

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エレーナ・ボンネルさんのご冥福をお祈りします。

エレーナ・ボンネルさん(サハロフ博士の奥様)が亡くなった。ぼくは1988年、広島放送局勤務だった頃、大江健三郎さんとサハロフ博士の対談番組を担当したことがある。たまたまサハロフ博士と二人きりになれ、30分程、当時進行中のチェルノブイリ事故の状況をたずねた。博士はとても優しく真摯な方で、微にいり細にいり教えてくださった。話の流れで、たまたま僕の父親と原爆の不思議な関係(原爆投下時広島駅に到着した列車に乗る筈が、たまたま乗らず、友人は死んでしまった話)を話したら、「あなたはチェルノブイリに行くべきだ」と熱心にすすめてくださった。そのサハロフ先生のそばに寄り添い、静かに微笑んでいたのが奥様のエレーナさんだった。原爆ドームを見た時の、お二人の真剣な、悲しそうな目を今も覚えている。サハロフ先生は対談を終え、帰国し、その直後突然亡くなった。あれから22年、奥様はとうとう先生が居るところに旅立った。人類の歴史に残る激動の人生だった。ご冥福を心からお祈りします。

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チェルノブイリに見た「心」の被曝

以下、事故18年目に書いた文章です・・・
18年前の4月26日、ウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故は、人類史上、例を見ない放射能汚染をひき起こした。私は当時科学番組部でディレクターをしており、NHKスペシャルの取材で、事故直後から数回、通算半年間ほど汚染地帯で暮らしたことがある。食料や水、ほこりを通して私の体に蓄積されたセシウムやストロンチウム、プルトニウムなどの放射性物質は、いまも体内で放射線を出し続けているはずだ。(放射線は皮膚に届くまでに減衰し、私とお話しする人には影響ありません。念のため。)
はじめて汚染地帯に立ったときの気持ちを忘れることができない。透明な空気、美しい湖、川、草原地帯、青空をゆっくりと飛ぶコウノトリ、鮮やかな麦畑をうねらせながら風が通り過ぎていく。まるで童話の世界を絵にしたような風景の村。しかしそこに住民はいなかった。汚染勧告で全員が避難したのだ。生活の様子を残したまま、人間だけがすっぽりと消えている。不気味なほどの静寂。遠くに事故を起こした4号炉がシルエットのように見える。「色もなければにおいもしない」放射能汚染の現場---。
風景が美しければ美しいほど、五感ではわからない放射能汚染が、恐怖感を増幅させた。
問題が深刻化したのは、事故から4年目だった。事故直後、原発から周囲30キロ以内は立ち入り禁止ゾーンとして無人化したが、ゾーンの外は放射能汚染がなく、立ち退きの必要がないエリアとされていた。しかし、事故の4年後、恐るべき事態が明らかになった。チェルノブイリ原発から放出された放射性物質が、予測不能の気流に乗り、「ゾーン」をはるかに越えた北方のベラルーシ共和国に、大量に降り注いでいたのだ。しかも所々に、水が作り出す「ホットスポット」と呼ばれる超高濃度汚染地域ができており、住民は大パニックに陥った。「水」が集まる場所は穀倉地帯であり、結果的に自然の恵みのメカニズムが裏目となった。公表されていた放射能汚染地図も、根本的に書き換えなければならない最悪の事態であった。私たちは、そのベラルーシにカメラを入れた。ベラルーシの村々の畑には、たわわに実った麦が、汚染のため収穫されないまま放置されていた。すでに住民避難が始まっており、歯が抜けるように住民が減り始めていた。避難は赤ちゃんをもつ若い夫婦から始まった。若い人が集まる店がつぶれ、学校が消え、共同体が機能を失いつつあった。老人と一緒に住む大家族では、若夫婦だけが子供を連れて逃げた。「老人たちは見知らぬ新しい場所に逃げるより、村に残ることを望んだ。」と役場の人は説明した。しかし実際は、老人とともに新しい人生を始める経済的余裕がなく、「現代の姥捨て山」とでもいえる状況が起きていた。老人たちは、行く当ても、生活のすべもないまま放置された。
放射能汚染が村人や家族の絆を引き裂き、ずたずたに崩壊させ始めていた。その近くに、住民全員を引き連れて、知人のいる場所へ避難する決意をした小さな村の村長がいた。奇妙なことに、その村は汚染レベルとしては国が定める基準値以下の村だった。「逃げる必要がないのになぜ避難するのか?」
私の問いに村長は答えた。「たしかに放射能は遺伝子DNAを切断し、人体にダメージを与える。しかし傷つくものはもうひとつある。それは心だ。汚染地帯にいると、たとえ汚染レベルが低くても、共同体が壊れ、人の絆がずたずたに切れていく。そこでは体は生きても、心が死んでしまう。「心が死ぬ場所」に、人間が暮らすことはできない。」村長の言葉が私の心に突き刺さった。私の25年のディレクター人生で、忘れられない言葉の一つとなった。東京に帰って私は考えた。人間が人間として生きていくとはどういうことなのだろうか。科学番組をやっていると、人間を精密な機械として見、物理的ものさしだけで判断をする癖がついてくる。健康上安全な場所から「気分だけで」避難する人をまるで愚か者のように感じてくる。しかし人間には、生物的(物理的)存在としての側面のほかに、社会的、文化的存在としての側面がある。「人はパンのみでは生きない」。この当たり前のことを私たちはすぐに忘れ、無慈悲なシステムを作り上げてはこなかっただろうか。人間の顕在意識だけを尊重し、その底流にある潜在意識の世界を忘れてはいないだろうか。形あるものだけを信じてはいないだろうか。形のないものに内在する価値を忘れ去ってはいないだろうか。
チェルノブイリで私は、被曝には「体の被曝」と「心の被曝」があることを知った。あの日から18年。あの重く苦い記憶は、まだ心の底に沈殿したまま残っている。
                   

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スタパ「ITバスで地域が変わる」(2011.6.7)

(アナ)

人口減少や高齢化に悩む地域で、ITを使って自由に移動できる「オンデマンドバス」のシステムが活躍し、注目されています。

室山解説委員。どんなもの?

(むろ)

「オンデマンド・バス」。依頼を受けて走るバス。過疎化が進んでいるところなどでの交通機関として注目されている。路線バスは決められた停留所の間を決められたスケジュールで走行するので、離れた所に住むお年寄りなどは停留所まで行きにくかったり、目的地までずっと乗っていなければならない。しかし、オンデマンドバスは、使いたい人がその旨を伝え、コンピュータにインプットすれば、コンピュータが自動的に調整し、多くの人が、目的地に柔軟に行くことができる。三重県玉城町の事例を紹介する。

V11.50玉城町のオンデマンドバスは町内に3台走っている。週2回の健康教室は、お年寄りの参加率がアップし、倍増した。町の施設にあるオペレーションルームに電話すれば、職員がコンピュータにインプットし、オンデマンドバスのシステムを動かしていく。状況に応じて情報をバス運転手に伝え、多くの人を運ぶことに成功している。

使用者数を調査すると、オンデマンドバスは人気があり、システム導入以降、利用者が急増している。また停留所の数が、以前の53か所から143か所に増えた。またこのシステムは全国各地に展開され、のべ30か所に及んでいる。

(アナ)

地域の変化は?

(むろ)

結果的に、いままで外出できないお年寄りも外出できるようになり、お年寄りが元気になった。お年寄り向けのイベント(カラオケ大会や講演会)も盛況。

(アナ)

便利ですね。

(むろ)

実はさらに便利さをもとめて勉強会が始まっている。玉城町では、今まで4回、150人のお年寄りが参加して、スマートフォンを使って情報を共有する講習会を開いている。こうすればどこからでも個別に自由にバスを呼ぶことができ、さらに便利。また、スマートフォンに「緊急ボタン」も取り付け、なにかあった時SOS信号を送って、近くの人が駆けつけるシステムも開発した。

(アナ)

これからどうなる?

(むろ)

これからの日本は少子高齢化社会になるが、地域を支える仕組みとしても期待できる。東北の被災地でも、自家用車が失われ公共機関を渇望されているが、このようなシステムを上手に使う発想もあるかもしれない。

(アナ)

ありがとう。

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スタジオパーク「ITバスで地域が変わる」2011.6.7(火)13.40過ぎから7分間生放送

東京大学が開発した新しいオンデマンドバスシステムが注目されています。これは過疎が進む地域で、スマートフォンやPCを使ったシステムで、乗りたい場所、行きたいところ、時間などをインプットするとコンピュータが柔軟にコースと時間を調整し、多くの人を乗せることができるシステム。三重県玉城町の事例を紹介しながら、地域を変えるかもしれない新しい交通システムを紹介します。

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雲仙普賢岳に消えた矢内カメラマン2011.6.3

20年前のきょう、雲仙普賢岳で大火砕流が発生。亡くなった多くの人々の中に、NHKカメラマンの矢内君がいた。僕はその訃報を取材先のモスクワで聞き愕然とした。矢内君とは、その直前、NHKスペシャル「北極圏」スペシャルで、作曲家の杉本竜一さんと3人で、真冬の北極圏(アラスカの北極海沿いにあるプルトーベイ)をロケをした間柄。山を愛する矢内君は、いつかチョモランマのドキュメンタリーを撮りたいと嬉しそうに熱く語っていた。物静かで、やさしく粘り強く、懐の深い男性だった。北極ロケの最中、あまりの寒さで危険な状況になった時も、僕らを助けたのはいつも矢内君だった。その彼が、普賢岳の火砕流に巻き込まれ、肺の中を焼き、苦しみの中で世を去った。なんという無念。奥さんが描いた本「なぜ雲仙で死んだの?」にはその様子が克明に書き込まれている。山と映像と家族と仲間を愛したまっすぐな人生。矢内君の冥福を改めて祈らずにおれない。

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