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時論公論「“災害弱者”を守れ」2011.4.5

東日本大震災が起きて、3週間が過ぎました。1万2000人をこえる命が失われ、1万5000人もの人が行方不明となっています。そして、今だに、16万人以上の人たちが、過酷な避難生活を続けています。

その中で、助けを求める声をあげられない人たちがいます。障害がある方、認知症のお年寄り、難病の方など、いわゆる「災害弱者」と呼ばれる人達です。

環境の変化になじめず、ストレスの影響を受けやすいため、一般の人よりも、さらに危険な状況に陥りやすい傾向があります。

今夜は、「災害弱者」と呼ばれる人たちを、どう発見し、守っていけばいいかを考えます。

起こった悲劇

先月末、福島県から新潟に避難していた62歳の女性が、早朝、道端で倒れて

亡くなっているのが発見されました。

認知症で、道に迷ったのち、凍死したものとみられます。家族5人と福島県内の避難所を転々としたのち、新潟の避難所に移ってきたばかりでした。

受け付けを終えた直後、突然姿を消して行方不明となり、悲劇が起きました。

認知症の方の支援は、家族や社会の理解の中で、きめ細かく行うことが必要です。しかし、災害が、家族を地域社会から孤立させてしまいました。この悲劇は、弱い人たちを守るために、社会の絆がいかに重要かを物語っています。

避難所の「災害弱者」

(V1

被災した人たちを守る最後の砦は避難所です。

現在、岩手、宮城、福島の3県だけでも、1100か所をこえる避難所がありますが、多くの人たちが狭い場所に密集し、栄養が偏り、体調を崩しやすい状況になっています。

環境が日に日に悪化しているところもあり、断水で、水が流せないため、トイレに行くのを我慢する人が多くなっています。トイレを避けたり、水分を取らずにいると、

「血栓」ができやすくなり、脳梗塞や心臓疾患の原因となります。そして、最近は、亡くなるお年寄りが目立ち始めていることが報告されています。

このような状況では、避難所で暮らす人たちは全て「弱者」といえるかもしれません。しかし、その背後で、さらに強いストレスにさらされている人たちがいることも事実です。

避難所の「弱者」を助けよう

目が不自由な人は、乱雑に置かれた荷物につまづき、けがをする危険性が、常にあります。

耳が不自由な人は、音声情報が不足するために、重要な情報を聞きとれず、孤立しやすい状況です。

自閉症など発達障害の人は、混雑と人ごみのストレスからパニックを起こしやすく、つきっきりで介助する家族の疲労は、極限に達しています。

お年寄りでは、認知症の症状が悪化し、

迷惑だから出ていってほしいと言われ、1週間で7回も避難所を変えた人もいます。

また、自閉症の子を持つある家族は、行き場がなく、車の中で暮らし続けたといいます。

避難所の中で、なんとかうまく共存する方法はないのでしょうか。

周囲の人が「困った人」だと思っている人は、実は「困っている人」なのです。

わずかな支援をすることで、驚くほど改善し、落ち着いた生活をすることができるのです。

(P)

「体が不自由な人」には「移動しやすい環境の整備」が必要です。避難所の荷物の配置を、少し変えるだけで空間がつくれます。

「視覚障害の人」には、放送やハンドマイクでの音声連絡が有効です。

「聴覚障害の人」には、情報を文字にして壁に張ったり、筆談や手話も有効です。

「知的障害や認知症の人」には、身ぶり手ぶりや絵を使って、わかりやすく、ゆっくりと伝えることが大切です。

「発達障害の人」には、不安を減らすために、わずかな仕切りを用意したり、入浴時は同性の人が付き添うと落ち着きます。そして「してはいけない」と否定せず、「こうしたら」と具体的にアドバイスすることも有効です。

たくさんの人が暮らす避難所で、障害の特性を理解し、支援するのは難しいかもしれません。しかし、まず大切なことは、「その人が困っている」ことをみんなで共有することです。本人や家族は、小さな声でもSOSを出し、周囲は、その声に耳をそばだて、聞き取ることが大切です。

福祉避難所は機能しているのか?

このような弱い立場の人々を、専門の避難所で守り、介助していくことはできないのでしょうか。

実は、今から16年前、阪神淡路大震災をきっかけに「福祉避難所」と呼ばれるものが生まれました。(P)

災害が発生したとき、障害者やお年寄りなど、支援が必要な人たちを専門に受け入れる施設です。

自治体があらかじめ決めておいた施設を開放し、介護が必要な人たちのケアにあたるために、看護師やヘルパーを配置します。

(V2

仙台市は、災害前に市内52か所の施設を、福祉避難所に指定するなど準備していました。しかし、震災で一部の施設や職員が被災したこともあり、立ち上げが遅れました。懸命な努力の末、現在30か所まで開設できていますが、一時は、数え切れない入所希望に対応しきれず、少ないスタッフで、物資不足や医薬品の不足、停電の中での、苦しい活動が続きました。

しかし、現実には、福祉避難所を準備していた自治体は少ないのが現実でした。

急きょ「福祉避難所」を設けた自治体もありましたが、病院の患者や、被災した人たちが次々と運び込まれ、本来の機能を果たすことができなくなりました。災害時に「福祉避難所」を十分に機能させるためには、日ごろから体制を確立させておくことが必要だということが、改めて浮き彫りになりました。

できることから始めよう

災害時に最も守られるべきは、弱い立場の人たちです。

避難所で暮らす人々は、何をどのように協力していけばいいのでしょうか?

最近、「災害弱者」という呼び方をやめようという専門家が増えています。「災害弱者」と呼ばれる人たちは、決して全面的に弱いのではない。適切な支援さえあれば、

すぐれた能力を引き出し、社会に貢献できる強さを持っているというのです。

(V3

宮城県女川町(おながわちょう)の小学校では、中学生の自閉症の少年が、ラジオ体操のピアノを弾く役割を果たしていました。避難所の運動不足をなくすため、みんなでラジオ体操を始めようとした時、引き手がいなくてこまっていたところ、ピアノが弾ける少年が名乗り出たのです。彼は、津波で自宅やピアノ、そして大切なおばあちゃんを失っていました。母親は、避難生活のストレスで、自閉症の症状が悪化するのではないかと心配しましたが、自らピアノを弾くことで、災害に向き合い、逆に、その姿勢が周囲の人たちを励まし、勇気を与え始めたのです。

人のきずなこそ再生へのポイント

自閉症の人は、音楽や絵画など特殊な能力を発揮することがあります。コミュニケーションが苦手でも、ち密な作業を見事にこなしたり、我慢強く力仕事を続けることもできます。

他の障害と同じように、「困っている部分」を少し支援してもらえれば、立派に社会に貢献することができるのです。

助けられる側から、助ける側に自らを切り替え、周囲との絆の中で、さらに弱い立場の人をすくいあげていく。そういう連鎖をつくり出すことができるのです。

ピアノを弾いた少年の姿は、被災地がこれから直面する、将来の町作りや地域つくりに、重要な示唆を与えているのではないでしょうか。

震災から間もなく1カ月。

これからは、被災者の体にかかわる医療活動とともに、心に関する医療支援をさらに進めることが必要です。そして、被災者自身が立ち上がれるように、地域復興にむかうための仕事を、もっとつくり出すことも重要です。

被災しなかった地域に住む、私たち市民が、なすべきことは、自らができることを見つけ、被災地で苦闘している人たちを孤立させず、つながることによって、未来に向かって手助けをする。

その持続的な覚悟を、自らに問うことではないでしょうか。

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コメント

16万人というのは私が住む市の人口に相当します。東日本大震災で「難民」となられた方たちの生活基盤をつくるのは、これまでの考え方の延長では無理があることを痛感します。

投稿: Makoto Ichikawa | 2011年4月 8日 (金) 22時23分

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