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「泣き、笑い、そして感動!ロボコンを支える力」1998・2・3

「別に超有名人がでて歌ったり踊ったりするわけでもないのに、ロボットが動くだけで、どうしてこんなに客が入るのか、不思議ですねえ」 あるイベントのプロが私のそばでそうつぶやいた。 アイデア対決・ロボットコンテスト=略して「ロボコン」。NHKグループの代表的なイ ベントである。ロボコン高専部門全国大会の場合、会場の国技館の客数はどう入れても7000人だが、観戦を希望してくる人はゆうに1万人を越える。つまりロボコンのチケットはいまやなかなか手に入らない人気チケットなのである。有名タレントの歌番 組ならまだしも、NHKグループの「教育的」な目的のイベントで、こんな現象は本当に珍しい。 客は親子連れや若者たちが圧倒的に多く、今年の競技の内容の問い合わせがずいぶん 前からきたり、年々人気は高まる一方。イベントの担当者の私ですら、こんなロボコンを見て、「なぜだろう」と、その魅力の理由について考えてこんでしまうことがしばしばである。いまから11年前、ロボコンはNHK101スタジオで「科学番組として」ひっそりと始まった。当時アメリカの某大学で、ある授業が学生たちの間で評判を拡げていた。それは、ロボット工学をめざす学生に、座講ではなく、実際に自分たちの手でロボットの 設計をさせ、自分たちで製作させ、コンテストを通じてその性能を競い合わせようと いうものだった。やってみると、学生たちの学力の伸びはめざましく、この授業の教育的効果は絶大であることがわかった。学生たちは自らの頭で考え、主体的にデータ を漁りつつ、ロボット工学のエキスを知らず知らずの内に吸収していたのだ。「教育 的効果も大きく、何しろ楽しい!」というこの授業は、またたく間に学生の間でも評判になり、マサチューセッツ工科大学(MIT)の名物授業となってしまったのである。 NHKのロボコンはこの授業にヒントを得て始まった。当時ロボコンを始めた科学番組 部のデイレクターの一人、谷田部雅嗣氏(現NHK解説委員)はそのころを振り返り、 こういう。「ロボコンを始めるときは、特にやるぞ!とか、別に強い思いこみはありませんでした。MITの授業を見て、おもしろいと思って、NHKでもやってみようと始めたんです。ものつくりのうまさでは定評のある高専の学生たちを集めてやったらいいのではと思 い、相談してみたところ、おもしろそうだということで、参加校もあっというまに決 まり、番組でコンテストをやることになった。東京工業大学の森政弘先生と相談してルールを決め、乾電池2本でどのくらいマシンが走れるか・・・といった内容の競技 大会をやりました。ところがやってみると、何というのか、とても楽しい。というより、なんだか心がざわついて、鳥肌が立ったり、変な感動がある。「これはいけるぞ 」ということで続けていたら、ロボコンに対する協力者が少しずつ増え、気がついた ら、今日のような巨大なイベントに成長していたのです。ぼくらはなにも新しい教育を見つけようとか、社会のためになることをやろうとか、そんな大それたことを考え たわけではない。ただ、おもしろいことを子供のように喜びながら続けてきただけなんです。」昨年のロボコン高専部門全国大会には、10周年を記念して、NASAから火星探査プロジェクトのリーダーの一人、D.シェイク博士が駆けつけてくれた。博士は会場の様子を 見て大変驚き、ロボコンを賞賛してくれた。18歳そこらの少年たちがこれほど独創性 に溢れたマシンをつくれる事も驚きだが、何よりも楽しそうにこの競技が進行していくことに感銘するということであった。シェイク博士はロボコンとNASAの研究が似ていると述べた。「自由に発想し、楽しみ ながら設計し、創造することに対する感動の気持ちを忘れず、仲間と共に友情をもってチャレンジする。そしてその主役を若者が演じる。」部分が両者に共通していると いうのである。  

*現在NHKグループが行っているロボコンには次の3つの種類がある。
1
)高専部門2)大学部門世界大会 3)大学部門国際大会(International Design Contest


(忘れられないあの場面)私は去年の人事異動で、NHK科学番組部から現在のセクションに異動。ロボコンのイベント担当となった。去年の年末、私ははじめて審査のために各地方の大学を回り、ロボットのでき具合を見たり、学生たちと語り合ったりした。ある大学でこんな事があった。雨のしょぼしょぼ降る夕方の大学校内の実験室。学生たちは緊張したおももちで、私を待っていた。人数はわずか数人。全員髪がぼさぼさ、思い詰めたような目は充血し、周囲にはクマができている。どうやらロボット作りが間に合わず、徹夜でつくったらしく、疲労の色が濃く全員にでていた。「やあこんにちは。室山です。さて早速ですが、マシン、みてみようかあ。」やや軽薄な感じの私の声が、湿り気のある部屋中に響いた。しかし、彼らの緊張はいっこうに解ける気配はない。彼らのつくったマシンは2台あった。1台は人間乗り込み型で、椅子のような板が乗ってはいるが、どこが駆動部分で、どこに箱をつかむアームがあるのか、一見してはわからない出来映えであった。やたらにピアノ線のようなものがはりめぐらされていて、全体がいまにも壊れそうな、奇妙なバランスのなかで「ロボット」は横たわっていた。目を横に転じると、もう1台の自動制御マシンはまだ形になっておらず、金属片とモーター、センサー、ハンダゴテとコードなどが混在しているだけといったありさまだった。聞けば彼らはロボコン初参加。これほどのマシンを製作するのははじめてという。ロボコン実行委員会から配布されたお金ではマシンつくりに足りないため、残りのお金は手分けしてバイトでためたという。操縦者の学生が座席に乗り、モーターのスイッチを入れた。ところがその瞬間、ピアノ線がうなりをあげ、激しい音とともに切れ、マシンは動くことなく静止してしまった。結局、そのマシンは審査にもれ、彼らの成果は会場で披露されることなく終わった。私は彼らに色々質問してみたい気持ちに駆られ、一体なぜそこまでしてロボコンに参加するのかを問うた。「なぜって、やっぱりマシン作りは楽しいからだよな。自分たちで稼いだ金でマシンつくって、それが動いたりしたときは、ほんとに幸せだと感じる。」「稼いだお金で遊んだりしないの?」「遊ぶのも良いけど、いまはロボコンに使う方がいい。」「ロボコンは君たちにとってそんなにおもしろいの?」「おもしろい。高校で受けた授業や、大学の授業は、理論だけでおもしろくない。なんかこう、砂をかむようなそんな感じ。」彼らの顔を見ながら私は、高専大会に参加している高専生たちが、ゲームに勝ったり負けたりしながら、喜びの雄叫びをあげたり、泣きじゃくったりしているシーンをぼんやり思い出した。そして森政弘先生(ロボコン高専部門審査委員長)がいつもいっている言葉が頭に浮かんだ。「いまの教育は知識偏重で、無味乾燥です。ところがロボコンには喜怒哀楽がある。そこが学生たちに強烈にアピールしている。ものをつくるときに流す汗や涙が、彼らの心を潤し、思考の大きな原動力になっていくのです」。「自分の頭で考え、自分の手でつくる。」この当たり前のことが、いまの学生たちにとって、それほど重い意味を持つのか。私は、重く鈍い衝撃を感じた。審査が終わりしばらくたって、私は彼らのメンバーに再び電話してみた。結局彼らのマシンは大会に出場できなかったが、彼らはその後マシンを完成させ、見事に動かす事に成功したという。私には、NHKロボコンの結果に関わらず、ロボットつくりに本気でこだわっている彼らの姿がまぶしく思えた。


(名言連発!ロボコンを支える知恵者たち)ロボコンの仕事に携わっていると、なるほどと感心したり、深く考えさせられる名言に接することが多い。発信源は、ロボコンを生み出し、支えてきたブレインの先生方や、高専そしてNHK関係者である。どの人も、いままで愛情を持ってロボコンの大会や学生たちの姿を見つめてきた方々である。その筆頭株はやはり、東京工業大学名誉教授の森政弘先生だろう。森先生はロボコンの誕生そのものに深く関わっている。もともと知育偏重の理科教育を憂えていた森先生は、教育の中に「夢や感動をもたらす」要素を組み込めないかと考え続けていた。ロボコンの第1回目の企画をNHKが成立させたときも、森先生の存在は欠かせない。その後先生は、NHKのロボコンの精神的支柱とも言える存在となり、たえず我々を励まして下さった。ロボコンの大会で様々なチームが勝ったり負けたりしていくのを見て、森先生はよく次のような言葉で、敗退したチームを讃える。「勝ったマシンには力がある。負けたマシンには夢がある!」私は、努力の甲斐なく勝負に敗退していくチームの学生たちに、この言葉がどれほど勇気を与えているだろうかと、胸に熱いものを感じながら思う。負けたチームが描いた夢・・・。「こんなマシンをつくって、こんな動きをさせたい。」彼らは自らのマシンの勇姿を思い描きながらロボットつくりに挑戦し、大会に参加し、そして思うようなマシンの動きができず、敗退していった失意のチームである。しかし彼らはマシンの実力では負けても、そのアイデアの空想力、創造性では、誰にも負けないという自負をもっている。実はロボコンでは、このことが最も重要なポイントなのだ。ロボコン高専部門では優勝や準優勝以外に「ロボコン大賞」というグランプリとでもいうべき賞がある。この賞は1992年の第5回大会から始まったものだが、そのいきさつはこうであった。ロボコンが始まって、学生たちのロボットづくりにかける熱気は年々高まり、マシンのレベルも向上していった。しかし勝負にこだわるあまり、確かに強いのだが面白味のないマシンが、ときどき見られるようになった。「ロボコン大賞」の設立の意図は、勝負の勝ち負けでなく、そのマシンのもつ「のびやかな発想」「独創性」や「技術的可能性」といった部分を評価しようと言うもので、「アイデア対決」と銘打ったロボコンの本来の趣旨に戻ろうとするものであった。去年の第10回大会では、このほかに「芸術点」という要素が審査に加えられた。マシンの構造、機能、動き全てが織りなす、美しさを、評価の基準に盛り込もうという考え方である。マシンは強ければいいというのではない。今後も、マシンのもつ「質的部分」の高さを評価し、その考え方を発展させていきたいものである。もう一つ、こんな言葉があった。「頭で考えたとおりに物はつくれない。反逆する素材と格闘してこそ本物の教育ができる。」いまの教育の欠点として、知育偏重という言葉がよくいわれる。理科系の教育でも、コンピュータなどを駆使して、まず設計図をつくる。パソコンを使えば、頭の中に描いたイメージはたやすく画像化することができる。メビウスの輪でもクラインの壷でも思いのままだ。しかしそのようにして描かれた設計図に従って、実際に物をつくろうとするとき、我々の目の前に「現実」が立ちはだかり、大きく「待った」をかけ始める。例えば鉄をこのように曲げたいけれど、重力のある地上では、鉄はそういう風には曲がらないという場合がある。イメージと現実のギャップが現れて、そこに物作りの最初の葛藤が生まれるのだ。設計図に従ってもの作りをする人は苦しみ、なんとか素材を我が手中に収め、思いどうりに料理しようとするが、素材の反逆は手強く、それがかなわぬ時は設計図を変更しながら、次のステップに移っていかざるを得ない。このような光景は、実は、かつて日本が技術立国化していくプロセスで、下町の工場の至る所で見られた。熟練した町工場の技術者が、わたされた設計図のわずかな矛盾や欠点を見抜き、設計した大学出のエリートを驚かせたり、物作りの視点によって設計図が修正され、つくり手と設計者の緊張感のなかで見事な図面に進化していったという話は、我々も科学番組部の先輩デイレクターからよく聞かされた話である。しかしいま、技術者が自らの手によって「つくる」力量が低下する中で、技術の空洞化とでも言える現象が起きている。その評価を簡単に述べるのは難しいことだが、その現象の根底には、「物との格闘」をわすれ、「実学」の重みを忘れた「ひ弱な日本」の姿があるように、私には思えてならない。ロボコン高専部門の「ロボコン大賞」は、ロボットの設計図に与えられる賞ではない。独創的なアイデアを図面にし、アイデアに基づいて素材と格闘し、その繰り返しの中でマシンの形をなし、動かすといった事を見事に行ったチームに、「ロボコン大賞」は与えられるのである。


(フランスに見たロボコンの未来の姿 )パリから車で1時間半ほど離れたところに、フェルテベルナールという、人口わずか1 万人ほどの古い町がある。今年5月のはじめ、私はその町で開催されるロボットコンテスト「フレンチロボテイックスカップ98」に招待され、その様子を見に行った。 実はフランスでは、我々と同じようなロボットコンテストが5年前から行われている 。電子レンジくらいの大きさの、自動制御マシンを各チーム1台ずつ作り、サッカーのルールにのっとってゲームは行われた。参加チームは、フランス国内の大学から14 0チーム。今年からフランス大会に引き続いて、ヨーロッパ大会「ユーロボット98」がスタートしたこともあり、会場は5日間、沸きに沸いた。その様子を楽しみなが ら、私は日本ではあまり見られない2つのことを感じた。一つは、参加した140チームの学生たちは、それぞれの地域でお金を調達し、その金でロボットを製作し参加してきていること。具体的には、地域の企業の援助を仰いだ り、足りないところは全員であるバイトをして大会に参加していることだ。 もう一つは、大会の運営そのものが、多数の市民ボランテイアによって支えられている点だ。フレンチロボテイックスカップ98の主催者は、市と、科学番組専門のプロダ クション、そして全国青少年科学技術連盟(ANSTJ)だが、大会の趣旨に賛同した市 民ボランテイアが、ロボットコンテスト会場の駐車場や、観客の整理、機材や出場者 の輸送など、実に至るところで活躍している。大学の学生たちのボランテイアはもちろんだが、50歳とか60歳代に見えるような市民が、100人以上もあちこちでボランテ イアとして活発に動いているのだ。私たちが大会後のパーテイーに参加し、夜、宿舎 に戻るときも、ボランテイアの人が車で我々を送ってくれたが、その人は実は近所のおじさんで、非常にボランテイアになれた感じで、自然に仕事をこなしていたのには 、本当に驚いた。日本では、ともすれば資金を一定のところが一方的に出し、競技進行や運営にあてたり、アルバイトの人には謝礼としていくらかのお金がわたる場合が多いが、フランス の例を見ていると、もっとちがった大会の進め方があるのだということが良くわかる。 ロボットコンテストそのものが、市民による市民のためのものになっており、公共の財産になっているようすが、私には少しうらやましく思えた。


(これからのロボコン )NHKのカメラマンから、「ロボコンにはハマルから気をつけろ」と冗談めかしていわれたことがある。学生たちが一生懸命ロボット作りをしている様子を撮影しているとき、ついつい引き込まれて口を出したくなるというのだ。「そこのアームはこちらに 伸ばしたほうがうまく物がつかめるとか、ギアをこうしたらもっと早く動く」とか、 いっている内に、カメラを回すのを忘れて、いつのまにかロボットをいじっている自分に驚いたという笑い話がある。ロボコンには何かそんな、人を夢中にさせる魔力のようなものがある。一体それは何か。おそらくそれは「創造することに熱中する人間の本能」のようなものからきているのではなかろうか。子供が野原でひろった木や石 を夢中でいじり、何かをつくることに熱中したりするのをみていると、人間という生物が、脳の中にイメージを造り上げ、それを実現することにこだわりと喜びを感じるようにできていることが良くわかる。「自分の頭で考えて、自分の手でつくる。そしてつくったもので遊ぶ。」という、ごく単純なことが、私たちの心を激しく揺さぶり、感動させるのだ。ロボコンにはそんな、私たちが忘れてはならない宝物が詰まっているとおもう。このロボコンを大切にして、さらに育てていかなければならないと、 私はこの頃、つくづくよく思う。 1998年(「技術と経済」378号 (社)科学技術と経済の会 より抜粋))

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