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「田の神さあ」になった鳥集さん2004.3.22

南九州の農民文化をこよなく愛し、人々に愛され、この世を旅立たれた鳥集忠男先生にささげます。

鳥集さん。あなたは僕の人生の先生そのものです。東京暮らしから宮崎勤務になり、傲慢で生意気盛りなディレクターだった僕を、まず、霧島山の見える田んぼに連れて行き、静かに「田の神様(たのかんさあ)」のことを教えてくださいました。霧島の大地が「生命大循環」の中心にあること。人間はそこに生かされていること。生きるせつなさ。苦しさ。ありがたさ・・。そんな思いをこめて、南九州の農民たちは、山麓に点在する「たのかんさあ」を拝み、守り続けていること。どの「たのかんさあ」も、ずんぐりとした体つきでお山にむかい、笑ったような顔をしていました。体中の細胞がゆるみ、心の底から安心感がこみ上げてくるような姿でした。僕の心にざわざわと南九州の風が吹き抜けました。夜になると、焼酎の飲み方を夜明けまで教わり、南九州の芸能の素晴らしさの講釈。いつしか三味や太鼓で、歌い、踊り、歌い。。。永遠に続くかと想われる時間の中で、世の中にこんな楽しいことがあったのかと圧倒され、桃源郷をさまよう僕でした。ある日、荒武たみさんという女性を紹介してくださいました。北の長岡ごぜに対して、南には薩摩ごぜと呼ばれる人々がいて、たみさんが最後の薩摩ごぜ。霧島山麓を舞台に、ごったんという不思議な楽器を操って、不思議な歌を歌う女性。僕は彼女のとりこになり、何本も番組を作りました。お世話になりすぎて、たみさんは、「独身の僕を養子に迎え、針で眼をつぶして座頭として育てたい」と申し出てきました。困る僕の顔を見て、鳥集さんは傍らでうれしそうに笑っていました。どんなに貧しくても苦しくても、土地に住む神々を祈りぬき、笑いを持って歌い飛ばす南九州の芸能のたくましさ。たみさんと鳥集さんと僕は、何日も何回も霧島山麓を旅して映像を撮る作業を続けました。行く先々のあらゆる自然。小川のせせらぎ、葉の裏側、路傍の小石、洞窟の中のコケ。風の中にすら、神様が住んでいるような気がしました。ぼくは、「神は細部に宿るのだ」と実感しました。眼を閉じれば、霧島山麓という巨大な風土の中を、小さな三人の影が移動していく様子が、見えてきます。鳥集さんの歌声が聞こえてきます。はんやぶし、やっさぶし・・・。独特の南九州の抑揚。リズム。あれから20数年。見よう見まねで僕も覚え、東京に来たのちも、みんなの前で歌いました。いただいたごったんの腕はおちたけれど、あの歌を歌うと鳥集さんとたみさんが、いっしょに歌ってくれているような気がします。思い出せば出すほど、胸の中に涙が海のようにたまり、悲しみが増します。でもぼくは、今でも霧島山麓を歩けば、ここそこに鳥集さんが住んでいて、笑いかけてくるような気がするのです。NHK解説委員室山哲也(昭和51-56年NHK宮崎放送局勤務)

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コメント

突然、すいません。
かごしまの里山に住む「あらいぐま」と申します。
室山様と荒武タミさんとの深いお付き合いにびっくりしました。鳥集先生も交えて、宮崎で素敵な充実した日々を過ごされたのですね。全国放送の科学番組でしか存じ上げなかったので、本当にびっくりしました。
私は、少し後の昭和59年2月〜3月にタミ師匠にお世話になりました。昨年からその頃の記録を整理しておりますが、なかなか進みません。そんな中、全国に荒武タミさんのことで繋がる方が結構おられるのでとてもうれしく思います。
嬉しくて、私のページからもリンクを張らせて頂きました。
http://web.me.com/koichi_hashiguchi/Raccoon/Blog/entries/2011/12/30_20111230.html
よろしくお願いします。

投稿: あらいぐま | 2011年12月31日 (土) 10時14分

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