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2009年3月

障害者は「困った人」ではなく「困っている人」だ(2005.11.22)

上記の名言はテレビの福祉番組に出演している関係者が言ったこと。その通りだよなあ。障害がある人を健常の人は、手間のかかる「困った人」だという。口では言わないとしてもそう思っている。まちがいない。

しかし、障害者は「困った人」ではなく「困っている人」なのだ。「罪を憎んで人を憎まず」的発想から言えば、障害者は、自らの障害を見つめ、自分になりきれない状況を苦しみ「どうしたものか」と悩んでいる人なのだ。つまり障害さえ取り除けばその人は本来のその人になれるのだ。だから障害者は「困った人」ではない。「困っている」あるいはその人を「困らせている」障害をどのように克服し、その人らしく生きていけるかといった技術と支援を社会は用意すべきである。近眼の僕がめがねをかけて社会参加しているように。足の弱った人が杖をついて町を歩くように。欠落した部分を補完して、全ての人はその人らしく生きていく権利があるのだ。

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異文化衝突の青春2007.8.29

あこがれの早稲田大学に入学し、キャンパス内で私がはじめて見たものは、ヘルメット姿の「核マル」や「中核」の学生を、ジュラルミンの楯を片手に追いかける機動隊の恐ろしげな姿でした。
学生たちは走りながら石を投げつけ、クモの子を散らすように逃げています。

「なんじゃこりゃ!こんな風景見たことない!」
私は愕然としました。倉敷青陵までの18年間、私は過激派の学生も、機動隊も見たことがありませんでした。しかし、当時の早稲田大学にはまだ大学紛争の名残があり、内ゲバで学生が構内で死亡するという事件まで起きる状況が続いていたのです。

私はなんだか無性にハラが立ってきました。
そして、よせばいいのに、核マルの学生たちの巣窟といわれる部屋に抗議に行きました。
「君たちは同じ学生なのに、なぜ大学内で暴力を振るうのか」「なぜ歩み寄って解決しようとしないのか」・・
田舎もののウブな私は、ぞろぞろと出てきた10人近い核マルに取り巻かれ、当時の青春ドラマのような安っぽいせりふを吐きました。

私の抗議は3-4時間続きました。
私は制服と寮歌と野球が大好きな、社会のことにはほとんど無知な純朴な田舎学生。
話せば分かる。やれば出来る。人間みんな友達だ。さあいっしょに浜辺を走ろうじゃないか。
という単純な思想の持ち主でした。
日本人なら、きっと分かってくれる。肩を組んで涙してくれる。
そんな根拠のない幻想を持っていました。

しかし、そこでの議論で分かったのは、同じ日本人なのに、話してもわからないやつがいる。
議論が通じないやつがいる。そしてどうやら私よりも知識豊富で頭がよさそうだということでした。

まるで、吉本新喜劇のようなあほらしい結末。
私の18年の哲学は音を立てて崩れ、以後2年間、私はノイローゼとなり、ほとんど話もせず、心身症のような毎日を送る学生になりました。

この世の中で真実とはなにか。本当の倫理や哲学とはどういうものか。
それを知りたくて、連日連夜あちこちの宗教団体や、政治団体、教育機関を訪問し、質問し、議論しました。
しかしどこにも満足できる答えはなく、私は次第に孤立し、実存主義の本を読み漁る、さらに暗い学生となっていったのです。。

今思い起こすと、当時の私は、「異文化衝突」によって、自分の信念や自我がこわれ、
心を閉ざした状況におちいったわけです。
その後、私には何度かの激動の事件があり、私はいつしか、「現代ジャーナリズム研究会」という部をつくり、日本のあちこちをルポルタージュの旅をする学生に変身したのです。

あれから35年。
何の因果か、私はいまジャーナリストになっています。
何百かの番組を作るために、冬の北極にも、夏の赤道にも、事故直後のチェルノブイリ原発にも行きました。多重人格の患者と生活したり、断食行者と共に10日間山にもこもりました。私の目で確かめ、自分の手で触り、自分で考え、自分の言葉で表現することが大好きになってしまいました。

この変身振りは何なのか。自分でも謎です。

しかし今、私は、あの若かった頃、異文化衝突で自分がペッチャンコになってしまったおかげで、今の自分があるような気がしてしようがありません。

たしかにみっともない青春でしたが、その悲喜劇の中で、異質なものとのぶつかり方、
議論の仕方、調整の仕方、融合の仕方といった、人生の基本をはじめて学べたのかもしれません。

「人生にゃ、なんも無駄なもんはねえもんじゃのう」

最近わたしは、よくそう思います。

(倉敷青陵高校第23期生 室山哲也:NHK解説主幹)

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若き地球人たちへのメッセージ2007

Yuri's Nightに集まっているみなさんに、心から連帯の挨拶を送ります。
 わたしは、大学生のころ、私たち人間という存在が、宇宙誕生のビッグバンからつながる、巨大な物質進化の流れの中にあることを知りました。
そのときの衝撃、感動は今も忘れられません。

 宇宙の物質が作り上げた人間という生物=私たちが、いま、進化の中で獲得した脳を使って、
はてしない宇宙に思いをはせ、そこに進出し、活動を始めようとしています。
そして私たちをはぐくんだ地球を、もう一度見つめなおそうとしています。
その姿は、ドラマチックで感動的です。
 人類史上、今までありえなかった輝かしい時代を、
皆さんは今、迎えようとしているのかもしれません。

 それにしても、「宇宙」を思うとき、わたしたちの心は、どうしてこのように、
切なく、やるせなく、ドキドキするのでしょうか?

 ふるさとの宇宙が私たちの心と共鳴して、ヨロコビを充満させてくれているのでしょうか?
それとも、宇宙が地球と連動して、地球上の生命もろとも、揺さぶっているのでしょうか?

 宇宙とは一体なんでしょうか?
 そして人間とは一体なんでしょうか?

 輝かしい時代の裏腹に、今、人類は生存の危機を迎えています。
 地球温暖化などの深刻な環境問題、鳥インフルエンザにみられるウイルスの反逆、
貧困や飢餓、終わることのない戦争・・・。
私たちはこの未曾有の危機を乗り越え、生き延び、本当に輝かしい時代に突入していけるでしょうか?

 ここに集った若い皆さん。
 どうか、今心の奥に燃えている情熱を忘れず、人類のために戦ってください。
あらゆる困難を克服して、人類は一つなのだということを証明してください。
そして皆さんに続く次世代の子供たちに、希望の火をバトンタッチしてください。

 皆さんの奮闘を心からお祈りしています。

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アポロ13号は地球そのものだ(2006.5.8)

この連休は自宅でのんびりとしながら昔の映画を何本か見ました。
その中に「アポロ13」という感動的な映画がありました。ロンハワード監督が、トムハンクスなどの名優と、最先端の映像技術を駆使して作り上げた傑作。今から36年前のちょうど今頃、アメリカで(というより宇宙で)、実際に起きた出来事をもとにつくられました。
アポロ計画は、米ソの熾烈な宇宙開発競争の中で、「月に人間を送り込む」ことを目的に、アメリカがはじめた巨大プロジェクト。その計画の途上、歴史に残る深刻な事故が発生したのです。
1970年の4月11日に打ち上げられたアポロ13号は、月に向かう途上、司令船の酸素タンクが爆発するという前代未聞の事態に直面しました。被害は、船内の電気、水、生命維持装置などにおよび、乗組員の生命が深刻な危険にさらされました。アメリカは既にアポロ11号で、人類史上初の有人月面着陸を成し遂げており、その直後のこの事故に、強い衝撃を受けました。その意味では、アポロ13号の事故は、アメリカの宇宙開発の汚点ともいえるかもしれません。
しかし私は、アポロ11号よりも、このアポロ13号こそが、アメリカの宇宙開発が持つ底力を示す「快挙」なのではないかと思います。映画の終わりに「アポロ13号は栄光の失敗だ」という言葉が出ますが、同感です。アポロ13号の物語にはある種の感動と共に、現代に生きる人類への深いメッセージが秘められていると思うからです。
私がアポロ13号を見て感動するのは、地球帰還に至る、試行錯誤に満ちたプロセスです。アポロ13号の様子を外から撮影した写真を見ると、酸素タンクの爆発で大きな穴があき、ただならぬ被害だと分かります。この状態では月面への着陸どころか、地球帰還すら不可能です。結局アポロ13号は月面着陸を諦め、月の軌道を回った後、6日後に地球帰還を遂げるわけですが、そのプロセスは想像を絶する苦闘となりました。アポロ13号の船内は、電力低下、極端な室温低下、酸素欠乏、二酸化炭素増加など、呼吸そのものもままならない、最悪の状況でした。この危機をどのように克服するのか。NASAのチームは、まず地上にアポロ13と同じ環境の部屋を再現しました。そして乗組員との交信の中で、船内にどのような物が残っているのか、どれが使用可能か、克明なリストを作っていきます。検証は、ゴムホース、ひも、ビニールテープ、靴下にまでおよびました。普通なら見落としてしまいそうなあらゆる物が、生存へのカギとなるからです。そして船内で次々に起きていくトラブル(温度低下や電力低下、二酸化炭素上昇など)に対して、地上で実験を繰り返し、解決策をアポロの乗組員に連絡。乗組員はその方法を船内で実践していきます。たとえば、二酸化炭素の上昇を食い止めるために、数センチのゴムホース、ビニール膜、靴下を組み合わせて奇妙な装置を作り、それを二酸化炭素浄化フィルターと接続して問題を解決するといった案配です。その結果、船内はまるでパッチワークのような状態になっていきましたが、見てくれはとにかく、人間が生き続けられる環境がかろうじて作られ、1つ1つの危機を乗り越え、ついにアポロ13号は、地球帰還を果たすことが出来たのです。
私はこのシーンを見て、今私達が暮らしている地球と似ていると思いました。
温暖化や地球汚染が進行し、牙をむき始めた地球災害の中で、人類は限られた資源と知恵をつかって生き延びていかなければならない。サバイバル技術と運用する人間のチームワークがその成否のカギとなる。これは、アポロ13号と全く同じシチュエーションではないでしょうか。私達人類は、地球を捨てることは出来ません。この星の上にある、限られた資源や物質を使い、知恵を働かせて環境を守るシステムを作り、生き延びていくしか方法はないのです。その意味で、知恵と勇気と協力で、見事に危機を乗り越え、生還を果たしたアポロ13は私達人類のモデルケースといっても良いかも知れません。
一度あなたも、アポロ13号の映画(本)をごらんになって、地球について考えてみてはどうでしょうか。

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インターネットと透明人間(2007.1.14)

私は、いわゆる「インターネットいじめ」をうけたことがあります。関係者が多いので、詳しい記述は差し控えますが、「凄絶」「残酷」などの言葉では、簡単に表現できないような、異常な体験でした。いじめる第3者側は「祭り」とよんで、軽いノリで書いているらしいのですが、表現は次第にエスカレート。毒気を増し、ふだんは聞いたこともない罵詈雑言になっていきました。インターネット上に仲間がいるらしく、言葉が次の言葉に火をつけ、自己増殖する感じで、数十、数百もの中傷があらゆる方向から降り注いできます。その言葉に傷つき、ついに僕の友人の3人が心身症になり、ひとりは会社を辞めるまで追い詰められてしまいました。
私たちは、もし人を非難するときでも、相手の表情を見ながら話せば、普通そこまでいきません。ノンバーバルな言葉が全体を包み、血のかよった豊かなコミュニケーションが成立しているからです。ところがネットいじめの言葉は、普段は使わないひどいものばかり。おそらくその人たちも、日常生活では絶対使ってはいないのではないでしょうか。なぜ、こんなことがおきるのでしょうか。インターネット上で、文字のやり取りをする場合、情報量が少ないので、表現が先鋭化し、極端になっていく傾向があるという説明をよく聞きます。おそらくそうだろうと思いますが、私はその背後で、もっと深刻なことが起きているような気がします。ある脳科学者が「ボディイメージ」という面白い話をしてくれました。私たちの脳は、もともと手や足などからなる「人体」と強い絆で結ばれています。身体を取り巻く周囲の情報が、視覚、触覚、聴覚などの五感を通じて脳に入力され、脳の中に「イメージ」が生まれます。逆に脳は、作り上げたイメージを土台にして、指令を出力し、筋肉を操って、身体に移動を命じたり、物をつかませたりしています。このとき、脳の中には「ボディイメージ」と呼ばれる「身体の地図」が出来ており、その地図をベースにして、対象物との距離を測り、つかんだりいじったりしているというのです。
「座って半畳、寝て一畳」しかない、人間の小さな身体。傷を受ければ出血し、死にいたってしまうはかない人体。脳はそのことを熟知し、この身体をどのように操り、生きていこうかを常に考え続けているのです。脳は、身体の虚弱さのゆえに、命のはかなさも知っているのです。もともと人間の脳と心はそのようなものでした。
ところが、脳には、もうひとつの別の側面があることがわかってきました。
サルに道具を使わせると、脳内のボディイメージが道具にまで拡大される研究があります。今まで自分の身体を認識していたニューロン(神経細胞)が、道具を手の一部として認識し始めるというのです。道具を操る職人が、よく、「道具の先に触れるものの形や硬さ、状態までもがわかる」と言います。そのとき、道具の先は指先と同じで、脳内の「ボディイメージ」は、道具と一体になった「サイボーグ」のようなものになっているのでしょうか。この理屈を広げていくと、色々なことが理解できます。自動車を運転するときの「車間距離」や「車幅感覚」は、自動車が自分の身体のように思えているからかもしれません。タイヤを蹴られると、身体を蹴られたかのようにハラが立つのも、納得がいきます。タンカーを操縦する船長のボディイメージは、堂々とした巨大な鋼鉄製の船のイメージなのかもしれません。
この理論でいくと、インターネットに接続されたときの脳には、どのようなボディイメージが出来ていることになるのでしょうか。脳は、クモの巣のように果てしなく広がった身体を得て、どこにでも自らの触角を伸ばし、世界を知り、逆に世界に働きかけることが出来ます。無数のサーバーには、無尽蔵の情報が蓄積され、森羅万象の物語、科学的成果、バーチャル住民との虚構の市民生活が詰まっています。そこには「座って半畳、寝て一畳」の虚弱な身体は、もはやなく、生物界の原則を越えた、今まで見たこともない、モンスターのようなボディイメージが出来ているのかもしれません。数百万年かけて人類が獲得してきた人体イメージは、まるで透明人間のように透き通り、淡い粒子となって消え去っているのかもしれません。「人間とはそのようなものだ」といえばそうかも知れません。人類が、獲物をとるとき最初に棒を手にしたときから、その物語は始まっていたともいえます。しかし、科学技術が爆発的に進歩する中で、生物としての人間の約束事まで急速に塗り替えられ、「生存」にかかわる事態が発生しているのではないかと、私は時々、不安になってくるのです。インターネットいじめは、そのような文脈で起きているのではないでしょうか。そこは「生物としての掟」が通用しない世界。天使のような人間と、悪魔のような人間が、むき出しで生息する空間なのかもしれません。

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多重人格者との契約書(2006.7.3)

私は多重人格者と契約を結んだことがあります。あの体験は私の人生の中で、もっとも複雑怪奇、奇妙奇天烈、出口混沌、暗中模索な体験でした。「契約」とか何か。そもそも「私」とは何か。私の心に深い思い出を残して、ここ10数年間、すっかり忘れておりました。ところが最近、あることが原因で、その体験を思い出してしまったのです。きっかけは、京都のATRという研究所に、取材に行ったことでした。「じゃんけん必勝のロボット作ります!」髪はぼさぼさ、少し太めで、どこか少年の面影を残した著名な脳科学者が、押し殺した声で、僕にささやきました。「へ?どういうこと?」ぽかんと聞き返す僕を、少し愉快そうにのぞきこみながら、ATR脳情報研究所の神谷先生の説明が続きました。「脳の活動を外から捉える技術が進んできたので、それを使って、対戦相手の脳を読みながらじゃんけんすれば、100発100中、勝てるっちゅうことです」どうだというかんじで、神谷先生は太ったおなかを突き出して胸を張りました。少しユーモラスだけど、信じられないこの話は、「ブレイン・マシン・インターフェイス」という最先端の科学研究から生まれたものです。「ブレイン・マシン・インターフェイス」とは、人間の脳とコンピュータ(マシン)を接続し、その人が考えている内容を外から読み取ったり、逆に、心で念じただけでロボットを動作させたりする、いわゆるサイボーグ技術を含む最先端のものです。少しまえ、NHKスペシャルで、患者の脳内にチップを埋め込んで義手を動かすショッキングなシーンが紹介されましたが、神谷さんたちのグループは、それをさらに進め、fMRIを使って脳の外から脳の血流変化を捉え、解析することで、脳のイメージ通りにロボットの腕を動かすことに、世界で始めて成功したのです。「じゃんけんロボット」はその文脈から出てきた研究です。しくみはこうです。私たちはじゃんけんをするとき、脳の運動野の指令で、体(手や指)を動かしています。この運動野の動きを、指が動く前に読めれば、じゃんけんの中身が分かり、勝つことが出来るというわけです。さらに運動野は運動前野という「計画」を作る部分の指令で動くので、もし運動前野の信号を読めば、さらに早い段階で、じゃんけんが読めることになります。この話はいろんな意味で示唆的なものを含んでいます。たとえば私がじゃんけんで「グー」を出すとき、私はどの段階で「グー」を出すことを決めているのでしょうか?運動野が「グー」を出せと指令を送るときは、私は「グー」を出すことを知っていると思いますが、運動前野の場合はどうでしょうか?さらに運動前野にどこかから(たとえば前頭前野)から指令がくるとき、どの段階で「グーを出す」意識が生まれているのでしょうか?「グー」を出す意識は、あるとき突然表れるのでしょうか?あるいは、脳内の前兆活動の中で、グラジュエーションのようにじわじわと生まれてくるのでしょうか?運動の場合はまだ単純ですが、もっと複雑な意思決定の時、自分の意思が生まれるプロセスはどうなっているのでしょうか?意識の前の無意識のところでの脳の活動はどうなっているのでしょうか?そしてもしそれらの動きを、この装置で読むことが出来たら・・・ここまで考えて、私は、かつて取材で出会った多重人格者のことを思い出してしまったわけです。10年ほど前、私がまだディレクターだった頃、アメリカのある病院を舞台に、多重人格者の番組を作ったことがあります。ペグとよばれる女性で、20以上の多重人格者でした。普通、大型の科学番組をつくるとき、取材を始める前に「許諾書」を示し、サインしていただくのですが、どの人と契約を結べばいいのか、私はハタと立ち止まってしまいました。病院長に相談したところ、正式には全員ということになるが、実質上はそれは不可能だとのこと。ペグの中にいる色々な人格は、仲が極端に悪かったり、引っ込み思案な人がいて、そもそも会うこと自体ができないというのです。「ペグ」は20数人の中の代表格の人格の名前で、私たちは大体「彼女」と交渉ごとをやっていたのです。とりあえずペグに相談することにしました。「私(ペグ)は取材に応じてもいいんだけど、この顔や体はほかの人のものでもあるので、相談したほうがいいかもしれないわね。」「じゃ、みんなに話してくれる?」(私)「ちょっと待っててね」(ペグ)突然ガクッと体を傾け、はっとわれに返ったように話し始めるペグ。「あの人はOKって言ってる。」(ペグ)聞けば、心の向こう側の草むらのところに居合わせたほかの男性の人格に聞いてきたのだといいます。わたしは理解不能で、頭がぐらぐらしてきましたが、さらに聞きました。「ペグは何人くらいの人の合意を取れそう?」「分からないけど10人ちょっとならいけると思うけど・・」ということはそのほかの人格の了承をどう取るのであろうか?「他の人たちはどうなるの?」「私はあまり親しくないし、ほとんど出てこない人だから、全員は無理ね」「どうしたらいいんだろう?」「うーん・・・」ペグは困った表情になり、しばしの沈黙。。。「ま、しょうがないわね。何かあったら私が説得するから・・」とこういう按配で、結局、可能な限りの数人分のサインをいただいてロケが始まりました。この病院で、私はのべ十何時間も、多重人格の人たちと話し込むことになりました。私は「多重人格」者と呼ばれる人に直接向かい合って、奇妙な感覚にとらわれました。目の前の人の脳の中に、何人もの人格がいる。それらの人々が次々と登場し、姿を消していく姿を見ていると、なんだか私の中にいる「何人もの人格」が呼応してうなりを上げ、表に出てくるような気がしたのです。一体「私」とは何なのか。一つの意思を決めて発言する、社会的は「私」は、本当の私自身(脳の中の人格)と同一か。否、「私」の中には矛盾した何人もの人格がいて、いつもせめぎあい、闘争し、ついたり離れたりしながら、かろうじて「私」が作られているのではないでしょうか。本当の私の姿は、矛盾に満ちた、整合性のない、とらえどころのないものなのではないでしょうか。もし、脳科学の進歩でこの状況が読み取られると、一体どういうことになるのでしょうか。「私」とはどの部分を指せばいいのでしょうか?社会はどの私を信頼し、どの私に責任を負わせればいいのでしょうか。そもそもそんなことがどこまで可能なのでしょうか。どこまでそれをしてもいいのでしょうか。社会的ルールはどうなるのでしょうか?そいういうわけで、せっかく忘れていたあの感覚。頭がくらくらするような感覚が、最近、私の脳に、戻ってきているのです。(私は専門家でないので、哲学的な言葉の定義がばらばらかもしれません。あしからず。)

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天才ジュウシマツ“パンダ”の悲劇(2006.5.21)

鳥の声はどうしてあんなに透明で美しく、はかなく、懐かしいのだろう。わたしは長年、不思議に思ってきました。5月は野鳥が活発に活動する季節。またあの疑問が、心の中でふくらんできていました。ところが先日、その長年の謎を解いてくれる研究者が、ついにあらわれました。理化学研究所脳科学総合研究センターの岡ノ谷一夫先生が「科学大好き土よう塾:鳥はどうして鳴くの?」に出演したのです。先生はとてもユニークな方で、スタジオでいろんな興味深い話をしてくださいました。そもそも一般に鳥は、オスメスに限らず、一年中「地鳴き」と呼ばれる声で、鳥同士のコミュニケーションをするのですが、オスだけ、春から夏にかけて、「さえずり」という不思議な鳴き方をします。(余談:したがって春から夏以外のキャンプでは「鳥のさえずりで目が覚めた」ではなく、「鳥の地鳴きで目が覚めた」という表現が正しい。あまりロマンチックではないですが・・。)さえずりは人間でいうと「歌」のようなもので、この上手下手で、オスはメスにもてるかどうか、つまり自分の遺伝子を後世に残せるかどうかの瀬戸際に立たされるというのです。岡ノ谷先生の実験を、番組の中で紹介しました。ジュウシマツの2匹のオス、タロウとアキラがメスのモモコに求愛し、その声(さえずり)の分析をします。まずタロウがモモコと一緒のかごに入りました。タロウはまだ新米のジュウシマツで、メスへのさえずりに慣れていません。しかし、かごに入ってまもなく、タロウはさえずりをはじめました。しだいに声の調子もあがり、若いタロウは、しきりとモモコに働きかけますが、何故かモモコは気乗り薄で、タロウがモモコのそばに行っても、顔を背けるようにしてすぐに別の所に逃げてしまいます。実験終了時、タロウはがっくりと肩を落として、傷心の状態になってしまいました。さて次に入れられたのはアキラ。ジュウシマツのメスの世界では評判のプレイボーイです。入ってまもなく、アキラは常にモモコのそばに寄り添って歌を歌い、あっという間に交尾してしまいました。モモコも嫌がる様子はありません。一体何が違ったのか。声のパターンを分析すると、タロウの声は一見にぎやかで活発に見えますが、よく見ると同じパターンを繰り返し、一本調子で押しつけがましい感じです。これに比べてアキラは、まず短い「さわり」の声を出して、次にやや変化をつけたものに変え、そののち「メインテーマ」で歌い上げています。しかし延々と歌い上げることはせず、また短いパターンの声で変化をつけ、再び歌い上げるという、手の込んだ歌唱方法をとっています。アキラはこのバリエーションをメスによって変えていきます。しかもアキラは、つねにメスのそばに寄り添い、反応を確認しながらさえずりを続け、常に歌の効果を検証しつつ、タイミングを見計らっています。ジュウシマツのテクニシャンの面目躍如です。歌い方が違うと、なぜ「もて方」に差が出るのでしょうか。岡ノ谷先生によると、じつは野鳥の世界では、アキラのような変化に富んだ声を出すことは、本来危険なことなのだそうです。外敵がいる森の中で、歌に精力を費やすと、そのぶん注意力散漫となり、生存の危機に自らをさらしてしまいます。しかしこの状況をメスから見ると、「危険な中でも歌が歌える頼もしい人(鳥)」ということになります。つまりジュウシマツは複雑なさえずりをすることで、自分の余裕の姿をメスに見せつけ、自分の大きさやたくましさをアピールしているというのです。わたしはこの話を聞いて、とても不思議でした。人間と姿も違う鳥の世界で、人間そっくりのドラマが展開し、しかもそれが「歌」という手段を通じて行われている姿は、単なる不思議を通り越して、深い共感すら覚えます。これは、人間界でいう「文化」の物語ではないかとさえ思えてきます。生物が生きるとは、一体どういう事なのか。進化の神秘というほかありません。さて、番組の収録も終わり、岡ノ谷先生とお茶を飲みながら談笑しているとき、衝撃的な話がでました。それは「今までで一番歌が上手かったジュウシマツは誰か」という話題になったときでした。岡ノ谷先生は、突然声を低め、「それはやっぱりパンダだなあ」と、感慨深そうにつぶやき、遠くを見つめました。「パンダ・・」私の心の中をざわざわと胸騒ぎが駆け抜けました。パンダは天才的なさえずりの名手でした。歌のバリエーションはアキラの比ではなく、さわり、展開、メインテーマの組み合わせとも天下一品、絶妙無比。人間ですらうっとりとするほどの技量だったといいます。しかし奇妙なことにパンダはもてなかったのです。なぜか。パンダは自分の歌に酔うタイプのジュウシマツでした。歌のバリエーションは天才的でも、アキラのようにメスの表情を読みながら歌うことをせず、純粋に音のつながりでさえずる芸術家タイプの鳥だったのです。結局この話は、テレビで紹介されることはなく、打ち合わせ室に居合わせた、数人のスタッフ達の心の中に、小さな感動を巻き起こしただけで終わってしまったのでした。

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「泣き、笑い、そして感動!ロボコンを支える力」1998・2・3

「別に超有名人がでて歌ったり踊ったりするわけでもないのに、ロボットが動くだけで、どうしてこんなに客が入るのか、不思議ですねえ」 あるイベントのプロが私のそばでそうつぶやいた。 アイデア対決・ロボットコンテスト=略して「ロボコン」。NHKグループの代表的なイ ベントである。ロボコン高専部門全国大会の場合、会場の国技館の客数はどう入れても7000人だが、観戦を希望してくる人はゆうに1万人を越える。つまりロボコンのチケットはいまやなかなか手に入らない人気チケットなのである。有名タレントの歌番 組ならまだしも、NHKグループの「教育的」な目的のイベントで、こんな現象は本当に珍しい。 客は親子連れや若者たちが圧倒的に多く、今年の競技の内容の問い合わせがずいぶん 前からきたり、年々人気は高まる一方。イベントの担当者の私ですら、こんなロボコンを見て、「なぜだろう」と、その魅力の理由について考えてこんでしまうことがしばしばである。いまから11年前、ロボコンはNHK101スタジオで「科学番組として」ひっそりと始まった。当時アメリカの某大学で、ある授業が学生たちの間で評判を拡げていた。それは、ロボット工学をめざす学生に、座講ではなく、実際に自分たちの手でロボットの 設計をさせ、自分たちで製作させ、コンテストを通じてその性能を競い合わせようと いうものだった。やってみると、学生たちの学力の伸びはめざましく、この授業の教育的効果は絶大であることがわかった。学生たちは自らの頭で考え、主体的にデータ を漁りつつ、ロボット工学のエキスを知らず知らずの内に吸収していたのだ。「教育 的効果も大きく、何しろ楽しい!」というこの授業は、またたく間に学生の間でも評判になり、マサチューセッツ工科大学(MIT)の名物授業となってしまったのである。 NHKのロボコンはこの授業にヒントを得て始まった。当時ロボコンを始めた科学番組 部のデイレクターの一人、谷田部雅嗣氏(現NHK解説委員)はそのころを振り返り、 こういう。「ロボコンを始めるときは、特にやるぞ!とか、別に強い思いこみはありませんでした。MITの授業を見て、おもしろいと思って、NHKでもやってみようと始めたんです。ものつくりのうまさでは定評のある高専の学生たちを集めてやったらいいのではと思 い、相談してみたところ、おもしろそうだということで、参加校もあっというまに決 まり、番組でコンテストをやることになった。東京工業大学の森政弘先生と相談してルールを決め、乾電池2本でどのくらいマシンが走れるか・・・といった内容の競技 大会をやりました。ところがやってみると、何というのか、とても楽しい。というより、なんだか心がざわついて、鳥肌が立ったり、変な感動がある。「これはいけるぞ 」ということで続けていたら、ロボコンに対する協力者が少しずつ増え、気がついた ら、今日のような巨大なイベントに成長していたのです。ぼくらはなにも新しい教育を見つけようとか、社会のためになることをやろうとか、そんな大それたことを考え たわけではない。ただ、おもしろいことを子供のように喜びながら続けてきただけなんです。」昨年のロボコン高専部門全国大会には、10周年を記念して、NASAから火星探査プロジェクトのリーダーの一人、D.シェイク博士が駆けつけてくれた。博士は会場の様子を 見て大変驚き、ロボコンを賞賛してくれた。18歳そこらの少年たちがこれほど独創性 に溢れたマシンをつくれる事も驚きだが、何よりも楽しそうにこの競技が進行していくことに感銘するということであった。シェイク博士はロボコンとNASAの研究が似ていると述べた。「自由に発想し、楽しみ ながら設計し、創造することに対する感動の気持ちを忘れず、仲間と共に友情をもってチャレンジする。そしてその主役を若者が演じる。」部分が両者に共通していると いうのである。  

*現在NHKグループが行っているロボコンには次の3つの種類がある。
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)高専部門2)大学部門世界大会 3)大学部門国際大会(International Design Contest


(忘れられないあの場面)私は去年の人事異動で、NHK科学番組部から現在のセクションに異動。ロボコンのイベント担当となった。去年の年末、私ははじめて審査のために各地方の大学を回り、ロボットのでき具合を見たり、学生たちと語り合ったりした。ある大学でこんな事があった。雨のしょぼしょぼ降る夕方の大学校内の実験室。学生たちは緊張したおももちで、私を待っていた。人数はわずか数人。全員髪がぼさぼさ、思い詰めたような目は充血し、周囲にはクマができている。どうやらロボット作りが間に合わず、徹夜でつくったらしく、疲労の色が濃く全員にでていた。「やあこんにちは。室山です。さて早速ですが、マシン、みてみようかあ。」やや軽薄な感じの私の声が、湿り気のある部屋中に響いた。しかし、彼らの緊張はいっこうに解ける気配はない。彼らのつくったマシンは2台あった。1台は人間乗り込み型で、椅子のような板が乗ってはいるが、どこが駆動部分で、どこに箱をつかむアームがあるのか、一見してはわからない出来映えであった。やたらにピアノ線のようなものがはりめぐらされていて、全体がいまにも壊れそうな、奇妙なバランスのなかで「ロボット」は横たわっていた。目を横に転じると、もう1台の自動制御マシンはまだ形になっておらず、金属片とモーター、センサー、ハンダゴテとコードなどが混在しているだけといったありさまだった。聞けば彼らはロボコン初参加。これほどのマシンを製作するのははじめてという。ロボコン実行委員会から配布されたお金ではマシンつくりに足りないため、残りのお金は手分けしてバイトでためたという。操縦者の学生が座席に乗り、モーターのスイッチを入れた。ところがその瞬間、ピアノ線がうなりをあげ、激しい音とともに切れ、マシンは動くことなく静止してしまった。結局、そのマシンは審査にもれ、彼らの成果は会場で披露されることなく終わった。私は彼らに色々質問してみたい気持ちに駆られ、一体なぜそこまでしてロボコンに参加するのかを問うた。「なぜって、やっぱりマシン作りは楽しいからだよな。自分たちで稼いだ金でマシンつくって、それが動いたりしたときは、ほんとに幸せだと感じる。」「稼いだお金で遊んだりしないの?」「遊ぶのも良いけど、いまはロボコンに使う方がいい。」「ロボコンは君たちにとってそんなにおもしろいの?」「おもしろい。高校で受けた授業や、大学の授業は、理論だけでおもしろくない。なんかこう、砂をかむようなそんな感じ。」彼らの顔を見ながら私は、高専大会に参加している高専生たちが、ゲームに勝ったり負けたりしながら、喜びの雄叫びをあげたり、泣きじゃくったりしているシーンをぼんやり思い出した。そして森政弘先生(ロボコン高専部門審査委員長)がいつもいっている言葉が頭に浮かんだ。「いまの教育は知識偏重で、無味乾燥です。ところがロボコンには喜怒哀楽がある。そこが学生たちに強烈にアピールしている。ものをつくるときに流す汗や涙が、彼らの心を潤し、思考の大きな原動力になっていくのです」。「自分の頭で考え、自分の手でつくる。」この当たり前のことが、いまの学生たちにとって、それほど重い意味を持つのか。私は、重く鈍い衝撃を感じた。審査が終わりしばらくたって、私は彼らのメンバーに再び電話してみた。結局彼らのマシンは大会に出場できなかったが、彼らはその後マシンを完成させ、見事に動かす事に成功したという。私には、NHKロボコンの結果に関わらず、ロボットつくりに本気でこだわっている彼らの姿がまぶしく思えた。


(名言連発!ロボコンを支える知恵者たち)ロボコンの仕事に携わっていると、なるほどと感心したり、深く考えさせられる名言に接することが多い。発信源は、ロボコンを生み出し、支えてきたブレインの先生方や、高専そしてNHK関係者である。どの人も、いままで愛情を持ってロボコンの大会や学生たちの姿を見つめてきた方々である。その筆頭株はやはり、東京工業大学名誉教授の森政弘先生だろう。森先生はロボコンの誕生そのものに深く関わっている。もともと知育偏重の理科教育を憂えていた森先生は、教育の中に「夢や感動をもたらす」要素を組み込めないかと考え続けていた。ロボコンの第1回目の企画をNHKが成立させたときも、森先生の存在は欠かせない。その後先生は、NHKのロボコンの精神的支柱とも言える存在となり、たえず我々を励まして下さった。ロボコンの大会で様々なチームが勝ったり負けたりしていくのを見て、森先生はよく次のような言葉で、敗退したチームを讃える。「勝ったマシンには力がある。負けたマシンには夢がある!」私は、努力の甲斐なく勝負に敗退していくチームの学生たちに、この言葉がどれほど勇気を与えているだろうかと、胸に熱いものを感じながら思う。負けたチームが描いた夢・・・。「こんなマシンをつくって、こんな動きをさせたい。」彼らは自らのマシンの勇姿を思い描きながらロボットつくりに挑戦し、大会に参加し、そして思うようなマシンの動きができず、敗退していった失意のチームである。しかし彼らはマシンの実力では負けても、そのアイデアの空想力、創造性では、誰にも負けないという自負をもっている。実はロボコンでは、このことが最も重要なポイントなのだ。ロボコン高専部門では優勝や準優勝以外に「ロボコン大賞」というグランプリとでもいうべき賞がある。この賞は1992年の第5回大会から始まったものだが、そのいきさつはこうであった。ロボコンが始まって、学生たちのロボットづくりにかける熱気は年々高まり、マシンのレベルも向上していった。しかし勝負にこだわるあまり、確かに強いのだが面白味のないマシンが、ときどき見られるようになった。「ロボコン大賞」の設立の意図は、勝負の勝ち負けでなく、そのマシンのもつ「のびやかな発想」「独創性」や「技術的可能性」といった部分を評価しようと言うもので、「アイデア対決」と銘打ったロボコンの本来の趣旨に戻ろうとするものであった。去年の第10回大会では、このほかに「芸術点」という要素が審査に加えられた。マシンの構造、機能、動き全てが織りなす、美しさを、評価の基準に盛り込もうという考え方である。マシンは強ければいいというのではない。今後も、マシンのもつ「質的部分」の高さを評価し、その考え方を発展させていきたいものである。もう一つ、こんな言葉があった。「頭で考えたとおりに物はつくれない。反逆する素材と格闘してこそ本物の教育ができる。」いまの教育の欠点として、知育偏重という言葉がよくいわれる。理科系の教育でも、コンピュータなどを駆使して、まず設計図をつくる。パソコンを使えば、頭の中に描いたイメージはたやすく画像化することができる。メビウスの輪でもクラインの壷でも思いのままだ。しかしそのようにして描かれた設計図に従って、実際に物をつくろうとするとき、我々の目の前に「現実」が立ちはだかり、大きく「待った」をかけ始める。例えば鉄をこのように曲げたいけれど、重力のある地上では、鉄はそういう風には曲がらないという場合がある。イメージと現実のギャップが現れて、そこに物作りの最初の葛藤が生まれるのだ。設計図に従ってもの作りをする人は苦しみ、なんとか素材を我が手中に収め、思いどうりに料理しようとするが、素材の反逆は手強く、それがかなわぬ時は設計図を変更しながら、次のステップに移っていかざるを得ない。このような光景は、実は、かつて日本が技術立国化していくプロセスで、下町の工場の至る所で見られた。熟練した町工場の技術者が、わたされた設計図のわずかな矛盾や欠点を見抜き、設計した大学出のエリートを驚かせたり、物作りの視点によって設計図が修正され、つくり手と設計者の緊張感のなかで見事な図面に進化していったという話は、我々も科学番組部の先輩デイレクターからよく聞かされた話である。しかしいま、技術者が自らの手によって「つくる」力量が低下する中で、技術の空洞化とでも言える現象が起きている。その評価を簡単に述べるのは難しいことだが、その現象の根底には、「物との格闘」をわすれ、「実学」の重みを忘れた「ひ弱な日本」の姿があるように、私には思えてならない。ロボコン高専部門の「ロボコン大賞」は、ロボットの設計図に与えられる賞ではない。独創的なアイデアを図面にし、アイデアに基づいて素材と格闘し、その繰り返しの中でマシンの形をなし、動かすといった事を見事に行ったチームに、「ロボコン大賞」は与えられるのである。


(フランスに見たロボコンの未来の姿 )パリから車で1時間半ほど離れたところに、フェルテベルナールという、人口わずか1 万人ほどの古い町がある。今年5月のはじめ、私はその町で開催されるロボットコンテスト「フレンチロボテイックスカップ98」に招待され、その様子を見に行った。 実はフランスでは、我々と同じようなロボットコンテストが5年前から行われている 。電子レンジくらいの大きさの、自動制御マシンを各チーム1台ずつ作り、サッカーのルールにのっとってゲームは行われた。参加チームは、フランス国内の大学から14 0チーム。今年からフランス大会に引き続いて、ヨーロッパ大会「ユーロボット98」がスタートしたこともあり、会場は5日間、沸きに沸いた。その様子を楽しみなが ら、私は日本ではあまり見られない2つのことを感じた。一つは、参加した140チームの学生たちは、それぞれの地域でお金を調達し、その金でロボットを製作し参加してきていること。具体的には、地域の企業の援助を仰いだ り、足りないところは全員であるバイトをして大会に参加していることだ。 もう一つは、大会の運営そのものが、多数の市民ボランテイアによって支えられている点だ。フレンチロボテイックスカップ98の主催者は、市と、科学番組専門のプロダ クション、そして全国青少年科学技術連盟(ANSTJ)だが、大会の趣旨に賛同した市 民ボランテイアが、ロボットコンテスト会場の駐車場や、観客の整理、機材や出場者 の輸送など、実に至るところで活躍している。大学の学生たちのボランテイアはもちろんだが、50歳とか60歳代に見えるような市民が、100人以上もあちこちでボランテ イアとして活発に動いているのだ。私たちが大会後のパーテイーに参加し、夜、宿舎 に戻るときも、ボランテイアの人が車で我々を送ってくれたが、その人は実は近所のおじさんで、非常にボランテイアになれた感じで、自然に仕事をこなしていたのには 、本当に驚いた。日本では、ともすれば資金を一定のところが一方的に出し、競技進行や運営にあてたり、アルバイトの人には謝礼としていくらかのお金がわたる場合が多いが、フランス の例を見ていると、もっとちがった大会の進め方があるのだということが良くわかる。 ロボットコンテストそのものが、市民による市民のためのものになっており、公共の財産になっているようすが、私には少しうらやましく思えた。


(これからのロボコン )NHKのカメラマンから、「ロボコンにはハマルから気をつけろ」と冗談めかしていわれたことがある。学生たちが一生懸命ロボット作りをしている様子を撮影しているとき、ついつい引き込まれて口を出したくなるというのだ。「そこのアームはこちらに 伸ばしたほうがうまく物がつかめるとか、ギアをこうしたらもっと早く動く」とか、 いっている内に、カメラを回すのを忘れて、いつのまにかロボットをいじっている自分に驚いたという笑い話がある。ロボコンには何かそんな、人を夢中にさせる魔力のようなものがある。一体それは何か。おそらくそれは「創造することに熱中する人間の本能」のようなものからきているのではなかろうか。子供が野原でひろった木や石 を夢中でいじり、何かをつくることに熱中したりするのをみていると、人間という生物が、脳の中にイメージを造り上げ、それを実現することにこだわりと喜びを感じるようにできていることが良くわかる。「自分の頭で考えて、自分の手でつくる。そしてつくったもので遊ぶ。」という、ごく単純なことが、私たちの心を激しく揺さぶり、感動させるのだ。ロボコンにはそんな、私たちが忘れてはならない宝物が詰まっているとおもう。このロボコンを大切にして、さらに育てていかなければならないと、 私はこの頃、つくづくよく思う。 1998年(「技術と経済」378号 (社)科学技術と経済の会 より抜粋))

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「おーい、ニッポン」との出会い2001.3.3

(「おーい、ニッポン」の不思議な魅力)2月18日日曜日、「おーい、ニッポン~今日はとことん福島県」では、世界有数の豪雪地帯、福島県只見町から、終日数回にわたって、農家のくらしを生放送した。タレントのきゃんひとみが、家の人と打ち解け、談笑しながら漬物のつけ方を教わったり、生活の智恵の数々に感心したり、おばあちゃんに縫い物の仕方を教わったりしながら、のんびりとした時間が流れていく・・・。そんな中継だった。この日は、家の最長老、貞子おばあちゃんが97歳の誕生日を迎えた日だった。驚くべきことはそのあと起きた。きゃんがテレビに向かって「おばあちゃんにお祝いのファックスを」と呼びかけたところ、300通ものファックスがあっというまにあ手元に寄せられたのだ。「貞子おばあちゃん!お誕生日おめでとう!!」「おばあちゃんの笑顔がとてもかわいい!」「見ていて涙が出た。ふるさとに帰りたい!」などなど・・・。まるで実家の祖母への手紙のような、親しみと愛情に満ちたファックスばかりであった。われわれスタッフは飛び上がらんばかりに驚いた。天気のいい日曜日の8時間、テレビのブラウン管に映された見知らぬ農家の日常に、これほどの反響があるとは予想していなかったからである。「おーい、ニッポン」を見ている人々が、何かしら見えない糸でつながれ、ひとつのバーチャルな家族をなしているような、不思議な感覚だった。「おーい、ニッポン」の接触率は最近快調で、10%を越えることがよくある。先ほどは15%を記録し、人気は高まる一方である。これはBSの放送としては特筆すべき数字だ。いったいそれはなぜなのか・・。担当している私たちですら不思議に思うことが最近よくあるのだ。(連続8時間!驚異の生放送番組)私は去年の夏の人事異動で衛星ハイビジョン局勤務となり、「おーい、ニッポン」プロジェクトの事務局長となった。入局以来、主に科学ドキュメンタリーを制作してきた私にとって、このようなタイプの番組は初めてで、新鮮な驚きの連続だった。もっとも大きい驚きは、「8時間連続」という前代未聞の長さの生番組だということである。かつてテレビが始まった頃、放送といえば「生」番組が当たり前だった。ドラマですら「生」で、効果音や音楽を生で当てながら、冷や汗たらたらで放送に望んだと当時の様子を記録した本に書いてある。しかし、番組の情報量が濃密になり演出も複雑化する中、VTRという便利な技術が開発され、収録、ポスプロ(収録した映像をあとで編集したり、加工したりすること)による番組制作が、今では主流となった。収録した映像を編集できるため、カメラの取り損ないや、不要な部分をカットし、論理の流れを整理し、わかりやすく、かつハイレベルな作品が作れるようになった。しかしその一方で、「あとで編集でごまかせばいい」といったような安易な製作態度が生まれ、緊張感のある映像がとれないディレクターやカメラマンが増えたという批判もある。現在のテレビ制作システムの中には、番組からリアリティーが消え、「作られた」「嘘っぽい」感じのものになる落とし穴があると、私も思う。いま、NHKはいくつもの生放送番組を放送しているが、「おーい、ニッポン」は、その中でもことさらにすさまじい。「おーい、ニッポン」は8時間の番組を、4~5つの中継グループをつなぎながら作られていくが、その中で最も激務なのが「とことん」中継班。地上から、宇宙空間に浮かぶ通信衛星に電波を飛ばし、生中継を可能にするCSKという中継車を駆使して、旧来なら1~2箇所しか中継できないところを、7~8箇所、多いときで10数箇所から次々と生中継していくのだ。しかしこのシステムだと、スタッフと出演者は想像を絶する状況に追い込まれる。「とことん」中継には、中継車に「癒し系タレント」として親しまれているホンジャマカの石塚英彦さんが乗り込み、次々と中継地を変えていくのだが、現場についてなんと5分後に中継なんてこともある。石塚さんは初めてみた現場で、わずか5分後にすべてを理解し、相手から話を引き出し、なおかつジョークで人々を笑わせていくのだ。これを神業といわずになんといおうか。昔の中継スタッフが聞いたら卒倒するような離れ業である。「おーい、ニッポン」はけっして洗練された繊細な作りではないが、現実と格闘し、リアルな世界で勝負する「生放送」という、テレビジョンの本来の「野性」を秘めている。その野性こそが「おーい、ニッポン」の最大の魅力なのだと思う。(生まれ育った人にはかなわない)「おーい、ニッポン」の放送が進むにつれて、スタジオのゲストがつい涙ぐんでしまうことがよくある。「おーい、ニッポン」では、永井美奈子さんのようなメインの司会者をのぞいて、できるだけその県の出身者に出演していただくことにしているが、それは、どんなに優れた出演者も「生まれ育った人にはかなわない」という我々の信念から出たものだ。ゲストの方々は、最初はクールに我が県のことを語っているが、次第に懐かしい風景や人々に引き込まれ、懐かしい食べ物をスタジオで味わうにつれて、話が熱を帯びてくる。そして時々方言が口をついて出始め、自分が子供の頃に見聞きした個人的な話を目を輝かして話し始める。番組の司会は永井さんとともに、その県出身のNHKアナウンサーにお願いしているが、テレビで見るあのアナウンサーとは別人ではないかと思えるような表情で、情熱的に語る姿に驚くこともしばしばである。ただ単に情報を伝えるのでなく、その県への思いが言葉の端々にあふれているのだ。以前こんなことがあった。「とことん兵庫県」のスタジオ出演者の大村昆さんが、神戸市内のアーケードを映し出す風景の中に、駆け出し中に苦労をともにし、その後ゆくえがわからなくなった友人を見つけ、涙のやりとりをしたとき、周りの人が深い驚きと感慨に包まれたことがある。そのとき、私は「ふるさと」がもつ、底知れぬ懐の深さを改めて強く感じた。

このように「おーい、ニッポン」をやっていると「ふるさと」が持つ圧倒的なパワーを体全体で感じることが多い。「ふるさと」を語ることは、自分という存在の深淵を語ることと同じなのだ。(「ネタより人を」)

テレビディレクターはネタに敏感だ。テレビになりそうなネタを探すことこそ、名作への近道だともいえる。しかし、「おーい、ニッポン」の場合、ネタを追いかける視点だけでは番組は作れない。限られたローカルエリアで、8時間もの長さの番組を満たすネタを探すのは至難の業なのである。「おーい、ニッポン」のチームには「ネタより人を」というキーワードがある。たとえばおいしいお菓子の情報をカメラで伝えている場面を想像してみよう。「ネタ」の発想で行くと、お菓子の形、色、味わいなどをできるだけ克明に伝えることで中継を展開していくことになるだろう。もしかしたら顕微鏡でお菓子の組成を分析するところまで行くかもしれない。

しかし、その発想ではせいぜい数分のリポートしかできないだろう。カメラをお菓子から上にパンアップしてみよう。そこにはそのお菓子を作った人がいるではないか。「ネタより人を」の発想は、お菓子の細部に埋没する前に、その菓子を作った人物に視点を定め、その人の世界を伝え、背後の広がりを描いていこうというものである。人間は情報の宝庫だ。人間こそ「おーい、ニッポン」の最大関心事なのである。(忘れられないあのシーン)「おーい、ニッポン」には、「川の流れのように」などの作品で知られる作詞家の秋元康さんが作る「県の歌」というコーナーがある。その県在住の人からオーディションで選ばれた1グループが、秋元さんが作った「県の歌」を番組の中で歌うという企画である。

去年7月、神戸放送局が放送した「おーい、ニッポン~兵庫県」のとき、秋元さんはおびただしい参加者の中から浜田さんという小学校の先生を選んだ。浜田先生は、子供達に絶大な人気を持つ金八先生タイプの人情味あふれる教師で、子供を取り囲む社会環境や教育の在り方を悩んでいた。

秋元さんが作った歌は「しゃんとせえ!」という歌だった。/背中の悲しみは/忘れられる日が来る/最後の微笑みは/覚えているだろう/おまえは一人じゃない/振り向けばいつだってみんながいる/由良の砂浜を駆け抜けた仲間達/(中略)/おまえは一人じゃない/それぞれの人生が始まっても/孤独な季節には帰ってくればいい/しゃんとせえ!/しゃんとせえ! (秋元康作詞「しゃんとせえ!」より抜粋)この歌は、悩む子供達に「しゃんとせえ」と励ましの言葉をかけ、一緒に生きていこうとする浜田先生の生き方そのものを歌ったような歌だった。この歌は、「おーい、ニッポン」のメイン会場に選ばれた神戸港で、暮れなずむ夕日の中で歌われた。私はあの阪神大震災の時、クローズアップ現代とNHKスペシャルのチーフプロデューサーとして災害報道にあたっていた関係で、港から見えるあのころの風景を良く覚えている。震度7という激烈な力が神戸の町を破壊し、ビルはがれきのように崩壊していた。至る所で火災が起き、黙々と立ち上る煙。亡くなった多くの人々と渦巻く悲劇。神戸の町は絶望の淵に沈み込んでいた。しかし、浜田先生が歌ったその日、港から見える神戸の町はあの日から見事に復興していた。りんとしてそびえるビルの姿は、太陽の光を浴びて輝いているように見えた。けれども耳を凝らすと、その背後から苦しみに耐える声が聞こえてくる。神戸の町は、あの日の記憶を深く沈殿させ、今もなお復興に向けて懸命に格闘中なのだ。浜田先生がそんな神戸の町を背に歌う「しゃんとせえ!」は、歌を聴くものの胸に強く迫り、立ち直ろうとする人々の心を、激しく揺さぶり、勇気づけるものだった。会場で歌をきく人の中に、涙ぐむ夫婦や手を合わせる初老の婦人もいた。私はその光景を見て、「おーい、ニッポン」というプロジェクトに参加していることを誇りに思った。(これからの「おーい、ニッポン」)先日放送された「おーい、ニッポン~福島県」は、第1回の富山県から数えて23本目である。「おーい、ニッポン」は日本中のすべての県を一巡するまで終わらない。計算ではあと27回。3年かかる計算になる。「おーい、ニッポン」に関わっていて、やればやるほど強く思うことがある。

それは、日本にはこんなにも多様な自然や文化があるのかということである。一つの県の中にも、いくつもの文化圏が共存し、互いに刺激しあい、融合しあって、今も進化を続けている。地方に残る文化は豊穣だ。たとえば言葉(方言)のニュアンス。私の出身地の岡山県の方言を例にあげよう。岡山弁では、傷などが「しみる」ことを「はしる」というが、「はしる」は厳密には「しみる」と同じ意味ではない。傷口の表面が焼けるような感じでしみるという意味なのだ。この言葉に合致する標準語がないことを思うと、方言や地方文化の世界の豊かさ、多様さを改めて感じる。生物学の世界では生物の遺伝子の保存が重要だとよく言われる。それは遺伝子の多様性が生命進化を押し進めていく原動力だからである。それと同じように、日本の文化や社会の将来を考えるとき、この文化の多様性が、私たちの国の未来を創りあげる「種」になるのではないだろうか。「おーい、ニッポン」はこれからも日本各地の多様な姿を、楽しみながら、丁寧に、愚直に掘り起こしていきたい。日本が地域から元気になっていく日を夢見ているのだ。(文責)衛星ハイビジョン局CP 室山哲也(「おーい、ニッポン」事務局長)

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チェルノブイリに見た「心」の被曝2004.4.1418

年前の4月26日、ウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故は、人類史上、例を見ない放射能汚染をひき起こした。私は当時科学番組部でディレクターをしており、NHKスペシャルの取材で、事故直後から数回、通算半年間ほど汚染地帯で暮らしたことがある。食料や水、ほこりを通して私の体に蓄積されたセシウムやストロンチウム、プルトニウムなどの放射性物質は、いまも体内で放射線を出し続けているはずだ。(放射線は皮膚に届くまでに減衰し、私とお話しする人には影響ありません。念のため。)はじめて汚染地帯に立ったときの気持ちを忘れることができない。透明な空気、美しい湖、川、草原地帯、青空をゆっくりと飛ぶコウノトリ、鮮やかな麦畑をうねらせながら風が通り過ぎていく。まるで童話の世界を絵にしたような風景の村。しかしそこに住民はいなかった。汚染勧告で全員が避難したのだ。生活の様子を残したまま、人間だけがすっぽりと消えている。不気味なほどの静寂。遠くに事故を起こした4号炉がシルエットのように見える。「色もなければにおいもしない」放射能汚染の現場---。風景が美しければ美しいほど、五感ではわからない放射能汚染が、恐怖感を増幅させた。問題が深刻化したのは、事故から4年目だった。事故直後、原発から周囲30キロ以内は立ち入り禁止ゾーンとして無人化したが、ゾーンの外は放射能汚染がなく、立ち退きの必要がないエリアとされていた。しかし、事故の4年後、恐るべき事態が明らかになった。チェルノブイリ原発から放出された放射性物質が、予測不能の気流に乗り、「ゾーン」をはるかに越えた北方のベラルーシ共和国に、大量に降り注いでいたのだ。しかも所々に、水が作り出す「ホットスポット」と呼ばれる超高濃度汚染地域ができており、住民は大パニックに陥った。「水」が集まる場所は穀倉地帯であり、結果的に自然の恵みのメカニズムが裏目となった。公表されていた放射能汚染地図も、根本的に書き換えなければならない最悪の事態であった。私たちは、そのベラルーシにカメラを入れた。ベラルーシの村々の畑には、たわわに実った麦が、汚染のため収穫されないまま放置されていた。すでに住民避難が始まっており、歯が抜けるように住民が減り始めていた。避難は赤ちゃんをもつ若い夫婦から始まった。若い人が集まる店がつぶれ、学校が消え、共同体が機能を失いつつあった。老人と一緒に住む大家族では、若夫婦だけが子供を連れて逃げた。「老人たちは見知らぬ新しい場所に逃げるより、村に残ることを望んだ。」と役場の人は説明した。しかし実際は、老人とともに新しい人生を始める経済的余裕がなく、「現代の姥捨て山」とでもいえる状況が起きていた。老人たちは、行く当ても、生活のすべもないまま放置された。放射能汚染が村人や家族の絆を引き裂き、ずたずたに崩壊させ始めていた。その近くに、住民全員を引き連れて、知人のいる場所へ避難する決意をした小さな村の村長がいた。奇妙なことに、その村は汚染レベルとしては国が定める基準値以下の村だった。「逃げる必要がないのになぜ避難するのか?」私の問いに村長は答えた。「たしかに放射能は遺伝子DNAを切断し、人体にダメージを与える。しかし傷つくものはもうひとつある。それは心だ。汚染地帯にいると、たとえ汚染レベルが低くても、共同体が壊れ、人の絆がずたずたに切れていく。そこでは体は生きても、心が死んでしまう。「心が死ぬ場所」に、人間が暮らすことはできない。」村長の言葉が私の心に突き刺さった。私の25年のディレクター人生で、忘れられない言葉の一つとなった。東京に帰って私は考えた。人間が人間として生きていくとはどういうことなのだろうか。

科学番組をやっていると、人間を精密な機械として見、物理的ものさしだけで判断をする癖がついてくる。健康上安全な場所から「気分だけで」避難する人をまるで愚か者のように感じてくる。しかし人間には、生物的(物理的)存在としての側面のほかに、社会的、文化的存在としての側面がある。「人はパンのみでは生きない」。この当たり前のことを私たちはすぐに忘れ、無慈悲なシステムを作り上げてはこなかっただろうか。人間の顕在意識だけを尊重し、その底流にある潜在意識の世界を忘れてはいないだろうか。形あるものだけを信じてはいないだろうか。形のないものに内在する価値を忘れ去ってはいないだろうか。チェルノブイリで私は、被曝には「体の被曝」と「心の被曝」があることを知った。あの日から18年。あの重く苦い記憶は、まだ心の底に沈殿したまま残っている。

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ロボットシティへの質問2004.10.6

ロボット特区で感じたこと)今年の3月、ロボット特区に指定された博多と北九州市で、ロボットによる初の公道移動実験が行われた。ロボットを今までの実験室から外に出し、実際の生活の場でロボットを移動させ技術的課題を探ろうというもの。いつもは研究室や建物の中で歩いたり仕事をしている警備ロボットなどが借り出され、商店街を練り歩いた。北九州市では、数百メートル離れたイベント会場から遠隔操作でロボットを動かし、モニターと音声マイクを頼りに商店街で買い物をする試みも行われた。ぜひその実験の様子を見たいとかねがね思っていた私は、急きょ東京から九州入りし、勇んで商店街の様子を見に行った。すでにロボットの周りは黒山の人だかりとなっていた。物見高い市民、子ども達、そして何よりもマスコミの人間が興奮したように取り巻いていた。その真ん中にいつもは建物の中で警備をしているロボットが、何が起きているのかわからないような様子で、じっとたたずんだまま操縦者からの指示を待っていた。「ロボットだあ!」と叫んで小さな子供が駆け寄る。「なにやっちょっとね?」と不思議そうに老人が近づいてくる。「かわいい!」とアベックの女性が甘えたような声を出し、彼氏の腕にしがみつく。時々「道んなかで邪魔じゃろが!!」と怒る老人なども出てくる。混沌とした時間の中で、市民たちの好奇心がいやがおうにも高まり、このロボットが一体何をしでかしてくれるのか、期待と興奮は頂点に達しようとしていた。「ががが」とロボットが動きだした。「おーーー!」という感動の声。少しだけ動き始めたロボットにまとわりつくように、黒山の人だかりが移動していく。ロボットが止まる。黒山も止まる。ロボット動く。黒山動く。やがて雑貨屋の前まで来て、ロボットから声が出た。「買イ物シタインデスケド・・」。

まってましたという風に店の主人がでてきて、「何が入用でしょうか?」と一世一代の声を出す。マスコミは、滝つぼで聞くような音を立てながら、カメラのシャッターを切りまくる。うまく撮影できず、『もう一度やって!』などと、怒るカメラマン。言葉がわからない振りをして、ひじで後ろのマスコミを阻止し、優位な位置をキープしようとする外国のカメラマンなど、周辺は騒然とした状況となった。周囲のすったもんだと対照的に、すんなりとロボットの腕に商品がぶらさげられ、ロボットはそののち少し動いて、実験はあっけなく終了した。「もうおわり?」拍子抜けしたような子供の声が聞こえた。その日の新聞やテレビのニュースでは「ロボットが町でお買い物!」とか、「ロボット市民誕生!」とかのニュアンスの報道が流された(実は私もテレビで同様のリポートをした一味である)。あとでこの記事を読むと、現実の雰囲気はなかなか読み取れないと感じた。実際のロボットは、華やかな報道とは少し違い、なかなか動かず、動いても思うように歩行できず、買い物の品物もうまく掴めないという状況だった。見物の市民の中には、ロボットが思うほど派手に動かないことを知ると、次第にいらついて「壊れてるんじゃないの」と不満を口にしはじめる人も出てくる。中には「なんだこんなものだったのか」と落胆の表情でその場を去る人もいる。ロボットへの期待と現実とのギャップ。私は「うーむ」とうなった。ロボット開発という観点から見れば、ロボットがうまく動かないのは当然のことだ。だからこそこうして実験をしているのではないか。ロボットはまだ進化の途上なのだ。その中で奮闘している研究者の苦労を、市民はなぜ理解できないのか。(マスコミのロボット報道)しかし、落胆する人の気持ちもわかる。

なぜなら常日頃、マスコミを通じて流されるロボットの映像は、目を奪う素晴らしいものばかり。そういう映像を見慣れている市民が、目の前のロボットに過大な期待を寄せても、少しもおかしくはない。このギャップを作りだした犯人は、マスコミなのではなかろうか。私はテレビで30年近くディレクターをしてきた。撮影した映像の都合のいい部分をつなぎ、モンタージュしていけば、その動きのエッセンスだけで、あたかも素晴らしい動きをしたかのような映像が簡単に作れる。映像に感動的な音楽や、意味深いコメントをつければ、さらにありがたみが増す。それを繰り返していると、番組やニュースの中で、ロボットはしだいに神秘性を帯びた存在になっていく。そのうち、ロボットが、運動能力や判断能力はもとより、思考能力ですら人間を上回っているような幻想が生まれてくる。そして現実から乖離した『ロボットのイメージ』が形作られていく。「ロボットが世の中に知られるのなら良いじゃないか」という意見もある。確かにロボットに対する市民の期待が大きければ、研究を推進する大きな原動力となるし、予算も獲得しやすいかもしれない。しかし、私はこのイメージ先行の状況が、ロボット研究にとっても、実は好ましくないのではないかと思うようになってきた。マスコミはそのことに責任をとるべきではないかとも思うようになってきた。ロボット社会が来るのはおそらく間違いない。ロボットは、私たち社会に何らかの形で入り込み、一定の役割を果たすだろう。しかし、アトムはまだ誕生していない。誕生することになるアトムがどのようなものなのかも、誕生してみなければ判らない。つきあってみなければどういう存在かも判らない。人間にとってどのような仲間なのか、そうでないのかも判らない。ロボットについての情報は全てがまだ断片的で、物事はまだ始まったばかりなのだ。わたしは最近、ロボットは心を持つ高尚な存在なのではなく、人間のために使われる道具なのだと、一度きちんと定義したほうがいいのではないかと思うようになった。そのことがむしろ、足腰の強い、健全なロボット開発につながるのではないかとすら思える。そしてマスコミは、薄っぺらなアトムの大安売りをやるのではなく、きちんと「人間」と「物(ロボット)」の関係を考える報道をすべきではないかと思う。(ロボットを愛するとはどういうことか)私は毎週土曜日に教育テレビで「科学大好き土よう塾」という子供番組をやっている。その中で、パンダの話をしたときの笑い話がある。中山エミリという僕の相棒が、パンダは実は可愛くないと云うエピソードを紹介した。ある日、動物園にいたエミリの友人が、遠めにも愛くるしいパンダを発見。丸っこいふかふかの身体で、愛嬌のあるしぐさでササを食べている。「かわい~いっ!!」若い女性特有の声を上げながら近寄ってみて彼女は驚いた。至近距離のパンダの目は意外と鋭く、思わず「ひいてしまった」というのだ。私はこの話がおかしく、思わず笑ってしまったが、このエピソードには人間にとっての『好ましさ』を考えるヒントが潜んでいるように思う。ロボットについて言うと、人間にとって心地よいロボットとはどういうものかという問題である。私たち人間は、一体どういうときにロボットに親近感や愛情を感じるだろうか。

その答えのひとつとして『人間に似たロボットを作る』という考えがある。しかし、人間に似ているとはどういうことだろうか。どういう形で「人間に似る」ことが、ロボットと人間の良い関係作りになるのだろうか。東京工業大学の森政弘先生は「不気味の谷」という言葉を使って説明している。ロボットが人間に似ていく過程で「不気味の谷」が次第に深くなっていくというのだ。(もちろん100%同質になれば、不気味の谷は消える。)この言葉を聞いて私は、あるホラー映画の一場面を思い出した。かわいい顔の少女が実は悪魔で、誰かを追いかけるために、階段を『体操のブリッジ』の姿で駆け下りてくるシーン。悪魔の少女は仰向けになった格好で身体をエビぞらせ、両手両足を激しく動かし、ものすごいスピードで駆け下りてくるのだ。その光景は筆舌に表せないほど恐ろしく、とてもこの世のものとは思えないものだった。人間そっくりの存在が、突然、人間らしからぬ行動に出たとき、恐ろしさが増幅されるメカニズムが人間の脳の中にあるのではなかろうか。もし、人間そっくりのヒューマノイドが、「非人間的動き」を一瞬でも見せたら、私たちの親近感は絶望的に覆され、違和感や恐怖心に変わっていくのではなかろうか。これは、性善説にたった人間が一度裏切られたときのショックに似ているかも知れない。人間に似ていないロボットの場合はどうか。たとえば人間とは似ていない不思議な動物のロボットが、時々見せる人間的しぐさが、愛くるしく見えることはないだろうか。

砂漠に住む爬虫類が、熱い砂から身体を守るため、時々片足をいれかえて立ち続ける映像を見たことがある。2本足で砂漠に立つ爬虫類は、砂が熱くなると使っていた2本の足をひょいと入れ替えて、同じような姿勢で立ち続けるのだ。

『熱そうだなあ・・。あんなときは大変なんだよなあ。。』見ているとそんな気持ちがわいてくる。この爬虫類は、人間と形は全く違うのに、なぜか言いようのない連帯感を感じるのは私だけだろうか。形だけ人間に似せた人形よりも、むしろこの異形の動物に愛情を感じてしまうのはなぜだろうか。私はこのあたりに今後のロボット開発の「ツボ」があるように思えてしかたがない。人間がロボットを「可愛い」と感じるのは、興味深い現象だと思う。しかし、そのとき興味深いのは、そのロボットがどのように出来ているかと云うことではなく、人間の脳と心がどのように出来ているのかと云うことなのではないかと思う。

たとえ木や石でも愛情を感じる人間の心の延長に、『ロボットへの愛』があるのではないだろうか。(ロボットと暮らす社会)ロボットは何のために存在すべきなのだろうか。それについて考えるきっかけになった最近の動きを紹介したい。

2年前、川崎市と神戸市に「国際レスキューシステム研究機構」という組織が生まれた。大地震など災害現場で活躍する「救助ロボット」を開発する組織だ。

実はこの組織の代表者は、1995年の阪神淡路大震災で自らの生徒が被災したある大学の助教授。ロボット工学を専攻するにもかかわらず、災害で教え子を救えなかった気持ちがこの組織を作る原点となった。そんないきさつもあり、このプロジェクトの研究は「人命救助」というひとつのベクトルで束ねられている。ロボットの形や機能は「人命救助」という目的に沿った研究の結果である。ロボットの形は実にバラエティに富んでいる。ヘビ型、蜘蛛型、小型の2輪車のようなもの。風船のようなもの、ジャッキ状のもの、ファイバーのようなもの。。。そこにはロボットと道具の区別はなく、ただ人間と共に「人命救助」に当たる救助システムがあるのみである。それらのロボットを見て私は空想した。私は燃えさかる我が家の前にいる。炎に包まれた家の中には愛する子供がいる。そのとき、白く輝く天使のようなヒューマノイドがあらわれ、あっというまに家に飛び込み、わが子を救ってくれたとする。私は感動の涙にくれ、ロボットに感謝する・・・。しかし、あまのじゃくな私の心には、何か割り切れない感情が残る。私が欲しいのはそういうロボットだろうか?いや、私が欲しいのはそういうロボットではない。私が欲しいのは、私とともに家の中に飛び込み、薄い耐熱性のベールで私を火の粉から守りながら、ともに救援に当たってくれるようなロボットである。「私の思いを遂げさせてくれるようなロボット」があったらいいなあと思うのだ。少子高齢化社会が目前に迫っている。

福祉ロボットや家事ロボットの研究がそれに向けて急がれている。この場合も大切なことは、ロボットは福祉や家事に当たる人に取って代わるのではなく、福祉や家事を行う人をサポートするという発想が大切だと思う。「「育児」のような楽しいことを、何でロボットにさせなければならないのか」という意見はもっともである。また、少子高齢化での介助ロボットを開発する予算があるのであれば、国際化を促進して外国人が働く場をつくり、国際国家を目指した方が良いのではないかという意見ももっともである。ロボットは社会の中心的存在なのではなく、人間という主人公のそばにいて慎ましくそれを支える存在でなくてはならない。人間に取って代わるのでなく、人間の絆や社会を育てるものでなくてはならない。そしてロボットにしか出来ないことをやる存在でなければならない。私が『ロボットが人間的存在だと考える前に、人間のための道具だと割り切るところから出発するほうがいい』と言ったのは、そういう思いからである。そのようなロボットとともに暮らす社会を、私は「ロボット社会」と呼びたい。(ロボット学会誌10月号)

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「田の神さあ」になった鳥集さん2004.3.22

南九州の農民文化をこよなく愛し、人々に愛され、この世を旅立たれた鳥集忠男先生にささげます。

鳥集さん。あなたは僕の人生の先生そのものです。東京暮らしから宮崎勤務になり、傲慢で生意気盛りなディレクターだった僕を、まず、霧島山の見える田んぼに連れて行き、静かに「田の神様(たのかんさあ)」のことを教えてくださいました。霧島の大地が「生命大循環」の中心にあること。人間はそこに生かされていること。生きるせつなさ。苦しさ。ありがたさ・・。そんな思いをこめて、南九州の農民たちは、山麓に点在する「たのかんさあ」を拝み、守り続けていること。どの「たのかんさあ」も、ずんぐりとした体つきでお山にむかい、笑ったような顔をしていました。体中の細胞がゆるみ、心の底から安心感がこみ上げてくるような姿でした。僕の心にざわざわと南九州の風が吹き抜けました。夜になると、焼酎の飲み方を夜明けまで教わり、南九州の芸能の素晴らしさの講釈。いつしか三味や太鼓で、歌い、踊り、歌い。。。永遠に続くかと想われる時間の中で、世の中にこんな楽しいことがあったのかと圧倒され、桃源郷をさまよう僕でした。ある日、荒武たみさんという女性を紹介してくださいました。北の長岡ごぜに対して、南には薩摩ごぜと呼ばれる人々がいて、たみさんが最後の薩摩ごぜ。霧島山麓を舞台に、ごったんという不思議な楽器を操って、不思議な歌を歌う女性。僕は彼女のとりこになり、何本も番組を作りました。お世話になりすぎて、たみさんは、「独身の僕を養子に迎え、針で眼をつぶして座頭として育てたい」と申し出てきました。困る僕の顔を見て、鳥集さんは傍らでうれしそうに笑っていました。どんなに貧しくても苦しくても、土地に住む神々を祈りぬき、笑いを持って歌い飛ばす南九州の芸能のたくましさ。たみさんと鳥集さんと僕は、何日も何回も霧島山麓を旅して映像を撮る作業を続けました。行く先々のあらゆる自然。小川のせせらぎ、葉の裏側、路傍の小石、洞窟の中のコケ。風の中にすら、神様が住んでいるような気がしました。ぼくは、「神は細部に宿るのだ」と実感しました。眼を閉じれば、霧島山麓という巨大な風土の中を、小さな三人の影が移動していく様子が、見えてきます。鳥集さんの歌声が聞こえてきます。はんやぶし、やっさぶし・・・。独特の南九州の抑揚。リズム。あれから20数年。見よう見まねで僕も覚え、東京に来たのちも、みんなの前で歌いました。いただいたごったんの腕はおちたけれど、あの歌を歌うと鳥集さんとたみさんが、いっしょに歌ってくれているような気がします。思い出せば出すほど、胸の中に涙が海のようにたまり、悲しみが増します。でもぼくは、今でも霧島山麓を歩けば、ここそこに鳥集さんが住んでいて、笑いかけてくるような気がするのです。NHK解説委員室山哲也(昭和51-56年NHK宮崎放送局勤務)

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「湯けむりの里にロボットのドラマを見た!」2008.10.19(日曜日)

抜けるような九州の秋の空、あたりに温泉地特有の硫黄のにおいがただよう大分県別府市で、高専ロボコン2008九州大会が行われました。私はその大会に招かれ、中継録画の「解説」をすることになりました。2000人以上も入ろうかという会場に、九州地区各県から、高専生手作りロボット20台がずらりと並び、汗と涙と興奮に満ちた激戦が展開されました。今年のテーマは「Robo-evolution 生命大進化」。対戦チームは、赤チームと青チームに分かれ、4本以上で歩く「多足ロボット」でスタート。障害物のパイロンをぐるりと回り、高さ20センチの山を越え、2足歩行ロボットに変身後、立ち上がって2本足で歩きながらゴールインするというもの。まるで昆虫や牛や馬が、人間に進化し、ゴールするように見えることから「生命大進化」と名付けられたわけです。2足歩行ロボットの製作は、ロボコン史上21年で初めて。高度な技術が要求されるため、高専生たちの半年のロボットづくりの緊張と激闘はいかばかりであったでしょうか。「2足歩行ロボット」はロボット工学者の夢。鉄腕アトムにあこがれた日本の科学者技術者が、その技術と研究を練り上げ、世界をリードするヒューマノイドを目指して、日夜奮闘努力をしているのです。2足歩行とは、それほど高度な技術と発想がなければできないものなのです。

その2足歩行ロボットを、あろうことか、最初は多足ロボットでスタートし、障害物を超え、変身し、2本足で歩いてゴールインせよという、破天荒きまわりないルールがあたえられたのです。「どうつくればいいんじゃい!」と専門家でも頭を抱えるほどの内容なのです。しかしその不安は払しょくされました。

そこはロボコン21年を乗り越えてきた高専生たち。思いもかけないロボットを完成させてきたのです。大きなゲジゲジのような形でかしゃかしゃと素早く歩き、山の上に大きな橋をかけたとみるや、子機を滑り出させ、見事に着地。あれよあれよという間に人の形に変身し、大魔神のように立ちあがり、のっしのっしと歩くさまは、思わず拍手せずにはおれませんでした。今回参加の20チームは、それぞれユニークなマシンばかりでしたが、若者特有の夢とみずみずしいアイデアに満ちたものばかりでした。優勝は沖縄高専の「movement」。

恐竜型の4足歩行のマシンで、巨大な卵を滑らせるように山越えさせ、卵の中から肉食獣が誕生。雄たけびを上げながら、恐竜特有の2足歩行で、あっという間にゴールインする姿は圧巻でした。このほかにも立ち上がると4mにもなる巨大なキリン型ロボット。かわいいメジロがダンスをしながら移動するもの。2人のかごかきが運ぶ、重厚なかごからあらわれた篤姫さまが、すっくと立ち上がり、高貴にゴールインするもの。山越えをジャンプしようとして失敗するもの。倒れても倒れても起き上がる感動スポ根型ロボット。黒豚とんかつをもち、客席に向かって暴走するシュールな西郷人形など、客席はやんややんやの拍手と、笑いと歓声の渦に包まれました。激しい戦いは5時間続き、ついに競技終了。全国大会に参加する4台のマシンが決まり、ロボコン九州大会は夕闇せまる湯けむりの里の風情の中で、終了していったのです。「こりゃあ、今年の全国大会は面白くなるぞお!」私は、ときめく胸を押さえながら、一人そうつぶやきました。(各地区大会の様子は11/16(日)13.05-13.59に各地区のGTVで放送。全国大会は11/23日(日)国技館で開催され、12/30(火)21.15-22.24GTVで全国放送されました。)

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異文化衝突の青春2008.8.8

あこがれの早稲田大学に入学し、キャンパス内で私が始めて見たものは、ヘルメット姿の「核マル」や「中核」の学生を、ジュラルミンの楯を片手に追いかける機動隊の恐ろしげな姿でした。学生たちは走りながら石を投げつけ、クモの子を散らすように逃げています。「なんじゃこりゃ!こんな風景見たことない!」私は愕然としました。倉敷青陵までの18年間。私は過激派の学生も、機動隊も見たことがありませんでした。しかし、当時の早稲田大学にはまだ大学紛争の名残があり、内ゲバで学生が構内で死亡するという事件まで起きる状況が続いていたのです。私はなんだか無性にハラが立ってきました。そして、よせばいいのに、核マルの学生たちの巣窟といわれる部屋に抗議に行きました。「君たちは同じ学生なのに、なぜ大学内で暴力を振るうのか」「なぜ歩み寄って解決しようとしないのか」・・田舎もののウブな私は、ぞろぞろと出てきた10人近い核マルに取り巻かれ、当時の青春ドラマのような安っぽいせりふを吐きました。私の抗議は34時間続きました。

私は制服と寮歌と野球が大好きな、社会のことにはほとんど無知な純朴な田舎学生。話せば分かる。やれば出来る。人間みんな友達だ。さあいっしょに浜辺を走ろうじゃないか。という単純な思想の持ち主でした。日本人なら、きっと分かってくれる。肩を組んで涙してくれる。そんな根拠のない幻想を持っていました。しかし、そこでの議論で分かったのは、同じ日本人なのに、話してもわからないやつがいる。議論が通じないやつがいる。そしてどうやら私よりも知識豊富で頭がよさそうだということでした。まるで、吉本新喜劇のようなあほらしい結末。私の18年の哲学は音を立てて崩れ、以後2年間、私はノイローゼとなり、ほとんど話もせず、心身症のような毎日を送る学生になりました。

この世の中で真実とはなにか。本当の倫理や哲学とはどういうものか。それを知りたくて、連日連夜あちこちの宗教団体や、政治団体、教育機関を訪問し、質問し、議論しました。しかしどこにも満足できる答えはなく、私は次第に孤立し、実存主義の本を読み漁る、さらに暗い学生となっていったのです。。今思い起こすと、当時の私は、「異文化衝突」によって、自分の信念や自我がこわれ、心を閉ざした状況におちいったわけです。その後、私には何度かの激動の事件があり、私はいつしか、「現代ジャーナリズム研究会」という部をつくり、日本のあちこちをルポルタージュの旅をする学生に変身したのです。あれから35年。何の因果か、私はいまジャーナリストになっています。何百かの番組を作るために、冬の北極にも、夏の赤道にも、事故直後のチェルノブイリ原発にも行きました。多重人格の患者と生活したり、断食行者と共に10日間山にもこもりました。私の目で確かめ、自分の手で触り、自分で考え、自分の言葉で表現することが大好きになってしまいました。この変身振りは何なのか。自分でも謎です。しかし今、私は、あの若かった頃、異文化衝突で自分がペッチャンコになってしまったおかげで、今の自分があるような気がしてしようがありません。たしかにみっともない青春でしたが、その悲喜劇の中で、異質なものとのぶつかり方、議論の仕方、調整の仕方、融合の仕方といった、人生の基本をはじめて学べたのかもしれません。「人生にゃ、なんも無駄なもんはねえもんじゃのう」最近わたしは、よくそう思います。(倉敷青陵高校創立100周年に寄せて~第23期生室山哲也)

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宇宙連詩によせて

進化は「多様化」の方向に進んできました。地球上にはおびただしい形の生物が満ち、人類は民族に分かれ、数々の文化や文明を通じて、独自の精神世界を作ってきました。私たちが今「宇宙」というキーワードでつながると、一体、何がおきるのでしょうか。多彩な神話が複雑に絡み、宝石のようにきらめきながらぶつかり、融合して、今まで見たこともない、未来の神話が生み出されるのでしょうか。それとも苦しみが増幅して、巨大な悲劇がつむがれるのでしょうか。遠い宇宙から眺めたとき、私たち人類という生物はどんな色で輝いているのでしょうか。

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地球温暖化防止を楽しもう!2009.3.29

最近、子供たちと環境問題の話をしていて、気になることがあります。それは「温暖化防止」のイメージを、「辛い」「暗い」「苦しい」ものだととらえていることです。「車に乗れず」「クーラーを使えず」「物を浪費できない」人生。悲壮感に満ちた、夢のない苦行の日々・・まるで疲れた中年のサラリーマンのようなことを言う子がいます。一体、大人から何をどのように教わったのでしょうか?情報としては確かに正しいかもしれません。しかし私は、大切なことがすっぽりと欠けているように思います。

それは、「自分の足で歩いたり、自転車に乗ること」や「汗をかくこと」がいかに爽快で、愉快で、素敵なことかというポジティブな態度です。以前、動物学者の友人が「動植物が好きな子は、環境問題を身体で理解している」と言いました。生き物や自然のかけがえのなさを知る子供は、自分が何をなすべきかを自然に見つけ出すというのです。私たち大人が、今、子供にしっかりと伝えておかなければならないこと。それは「・・してはいけない」ということよりも、「・・することがいかに楽しい」かという視点ではないでしょうか。地球温暖化防止は、美しい地球の中で、生態系のバランスを崩さず生きていくことの大切さや、素晴らしさ、感動を再確認する、絶好のチャンスです。地球というシステムのすごさ、生き物の素晴らしさを、まず子供たちに伝えることが、全ての出発点になるのではないかと、私は最近よく思うのです。

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電気刺激で脳をよみがえらせる男たち2007.7.7

先日、ある病院で、信じられない光景を見ました。脳に障害がある患者さんの手がぶるぶると震え、コップをどうしてもつかむことができません。脳卒中の後などに起きる振戦(しんせん)という症状です。その人は、何とか自分の意志で、暴れまわる手を制御しようと苦闘しています。しかし、手の勢いはいっこうに止まろうとはしません。

そこに、医師がバッテリーのようなものを持ち出し、患者さんの胸に当て、スイッチを入れました。すると、ウソのように手の動きが止まったのです。驚くべきことに、その後は、自分の意志で手を動かせるようになりました。

この治療法は、脳内に電極を埋め込み、外部から電気を流して脳に刺激を加え、異常な体の動きを抑える「脳電気刺激療法」です。以前、同じ病院で、このような光景も見ました。その患者はいわゆる植物状態で、長くこん睡が続いていました。表情は硬く動かず、時間が止まったような印象でした。この患者の脳にも電極が入れられ、電気刺激が与えられました。その瞬間、患者さんの目が開き、口が開き、なんと「あー」と声が出てきたのです!意識が覚醒したのです。「たまげた」という言葉がありますが、私はその光景に腰を抜かし、夢を見ているような、キツネにつままれた気分でした。日本大学板橋病院(片山容一教授)では、この療法を20年ほど前からはじめ、既に600例もの実績をあげてきました。最初は疼痛(痛み)の除去、その後、振戦やヘミバリスムス(動きが制御できない)、パーキンソン病などに治療範囲を広げ、今では(植物患者などへの医療以外は)保険適用を受ける確立したものとなり、国内でも30ほどの病院で行われるまでに成長しました。なぜこのようなことが可能なのでしょうか?脳を構成する神経細胞の回路には、「インパルス」と呼ばれる電気信号が流れています。この流れが、体を動かしたり、思考する情報となっているのです。電気信号が過度に伝わりすぎると、情報が混乱して、てんかんや手足の震えにつながり、電気信号が伝わらないと、対応する体の運動も停止してしまいます。電気刺激治療は、この神経細胞の活動パターンを外部から制御し、脳の機能を正常な状態に戻そうというものです。「こんなことをしてもいいのか・・」最初見たとき、実は、私はそう思いました。しかし、脳に障害を受け、他の治療法やリハビリで回復の見込みが立たず、深い悩みの中で、回復を切望している患者さんを見ると、「最後の手段」としてこの療法を認めてもいいのではないか。いや、新分野の療法として、もっと育成していくべきものなのではないかとも思います。最近、この電気刺激療法に新しい展開が始まりました。脳卒中による運動マヒに、この療法を使おうというのです。今までの治療は、振戦のように、体が過度に動いたり、激しい痛みを「抑える」方向にこの療法を使ってきました。しかし運動マヒの場合、動かない状態を「動かす」方向の治療で、この症状に悩む患者数も多いことから、社会的なインパクトがあり、新しい段階の局面といえます。アメリカでは、既にこの療法について論文がだされ、18の医療センターで、治療(一般治療ではなく研究段階)が始まっています。そしてついに、日本でも試みが始まりました。愛知県厚生農業協同組合連合会加茂病院(小倉浩一郎部長)では、運動マヒ患者の脳の表面(硬膜外)に電極を載せ、7例で改善を確認しています。リハビリと併用し、治療後、電極を除去しても、効果が持続するといいます。これは、電気刺激で脳内部に変化がおき、変化が持続していることを示しています。現在この治療は保険適用外ですが、今後の治療の成績いかんでは、新しい脳神経外科の療法として発展していく可能性があります。とまあ、いいこと尽くめの話なのですが、私には一つ心配があります。この療法の効果があまりにも劇的なため、適用範囲が次第に広がりそうなことです。アメリカでは既に、今までのほかに、てんかん、失語症、うつ病、過食症による肥満、強迫性障害などに、この療法を使う研究が進んでいます。しかしこれらは、今までの「痛み」や「運動不全」の領域を超えた、人間の心や精神にかかわる領域。本当にどこまでこの療法を使っていいのか、わたしは素朴な不安を感じるのです。この動きはそのうち日本にも押し寄せるだろうと思います。「ガイドライン」や「倫理的問題」など、社会的な視点でこの療法を位置づけていく必要があります。脳の世界では、かつて「ロボトミー」のような悲劇が起きました。その悲劇を繰り返さず、正しい医療として上手に育ってもらいたいと心の底から祈っています。

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天才ジュウシマツ“パンダ”の悲劇(2006.5.21)

鳥の声はどうしてあんなに透明で美しく、はかなく、懐かしいのだろう。わたしは長年、不思議に思ってきました。5月は野鳥が活発に活動する季節。またあの疑問が、心の中でふくらんできていました。ところが先日、その長年の謎を解いてくれる研究者が、ついにあらわれました。理化学研究所脳科学総合研究センターの岡ノ谷一夫先生が「科学大好き土よう塾:鳥はどうして鳴くの?」に出演したのです。先生はとてもユニークな方で、スタジオでいろんな興味深い話をしてくださいました。そもそも一般に鳥は、オスメスに限らず、一年中「地鳴き」と呼ばれる声で、鳥同士のコミュニケーションをするのですが、オスだけ、春から夏にかけて、「さえずり」という不思議な鳴き方をします。(余談:したがって春から夏以外のキャンプでは「鳥のさえずりで目が覚めた」ではなく、「鳥の地鳴きで目が覚めた」という表現が正しい。あまりロマンチックではないですが・・。)さえずりは人間でいうと「歌」のようなもので、この上手下手で、オスはメスにもてるかどうか、つまり自分の遺伝子を後世に残せるかどうかの瀬戸際に立たされるというのです。岡ノ谷先生の実験を、番組の中で紹介しました。ジュウシマツの2匹のオス、タロウとアキラがメスのモモコに求愛し、その声(さえずり)の分析をします。まずタロウがモモコと一緒のかごに入りました。タロウはまだ新米のジュウシマツで、メスへのさえずりに慣れていません。しかし、かごに入ってまもなく、タロウはさえずりをはじめました。しだいに声の調子もあがり、若いタロウは、しきりとモモコに働きかけますが、何故かモモコは気乗り薄で、タロウがモモコのそばに行っても、顔を背けるようにしてすぐに別の所に逃げてしまいます。実験終了時、タロウはがっくりと肩を落として、傷心の状態になってしまいました。さて次に入れられたのはアキラ。ジュウシマツのメスの世界では評判のプレイボーイです。入ってまもなく、アキラは常にモモコのそばに寄り添って歌を歌い、あっという間に交尾してしまいました。モモコも嫌がる様子はありません。一体何が違ったのか。声のパターンを分析すると、タロウの声は一見にぎやかで活発に見えますが、よく見ると同じパターンを繰り返し、一本調子で押しつけがましい感じです。これに比べてアキラは、まず短い「さわり」の声を出して、次にやや変化をつけたものに変え、そののち「メインテーマ」で歌い上げています。しかし延々と歌い上げることはせず、また短いパターンの声で変化をつけ、再び歌い上げるという、手の込んだ歌唱方法をとっています。アキラはこのバリエーションをメスによって変えていきます。しかもアキラは、つねにメスのそばに寄り添い、反応を確認しながらさえずりを続け、常に歌の効果を検証しつつ、タイミングを見計らっています。ジュウシマツのテクニシャンの面目躍如です。歌い方が違うと、なぜ「もて方」に差が出るのでしょうか。岡ノ谷先生によると、じつは野鳥の世界では、アキラのような変化に富んだ声を出すことは、本来危険なことなのだそうです。外敵がいる森の中で、歌に精力を費やすと、そのぶん注意力散漫となり、生存の危機に自らをさらしてしまいます。しかしこの状況をメスから見ると、「危険な中でも歌が歌える頼もしい人(鳥)」ということになります。つまりジュウシマツは複雑なさえずりをすることで、自分の余裕の姿をメスに見せつけ、自分の大きさやたくましさをアピールしているというのです。

わたしはこの話を聞いて、とても不思議でした。人間と姿も違う鳥の世界で、人間そっくりのドラマが展開し、しかもそれが「歌」という手段を通じて行われている姿は、単なる不思議を通り越して、深い共感すら覚えます。これは、人間界でいう「文化」の物語ではないかとさえ思えてきます。生物が生きるとは、一体どういう事なのか。進化の神秘というほかありません。さて、番組の収録も終わり、岡ノ谷先生とお茶を飲みながら談笑しているとき、衝撃的な話がでました。それは「今までで一番歌が上手かったジュウシマツは誰か」という話題になったときでした。岡ノ谷先生は、突然声を低め、「それはやっぱりパンダだなあ」と、感慨深そうにつぶやき、遠くを見つめました。「パンダ・・」私の心の中をざわざわと胸騒ぎが駆け抜けました。パンダは天才的なさえずりの名手でした。歌のバリエーションはアキラの比ではなく、さわり、展開、メインテーマの組み合わせとも天下一品、絶妙無比。人間ですらうっとりとするほどの技量だったといいます。しかし奇妙なことにパンダはもてなかったのです。なぜか。パンダは自分の歌に酔うタイプのジュウシマツでした。歌のバリエーションは天才的でも、アキラのようにメスの表情を読みながら歌うことをせず、純粋に音のつながりでさえずる芸術家タイプの鳥だったのです。結局この話は、テレビで紹介されることはなく、打ち合わせ室に居合わせた、数人のスタッフ達の心の中に、小さな感動を巻き起こしただけで終わってしまったのでした。

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アポロ13号は地球そのものだ(2006.5.8)

この連休は自宅でのんびりとしながら昔の映画を何本か見ました。その中に「アポロ13」という感動的な映画がありました。ロンハワード監督が、トムハンクスなどの名優と、最先端の映像技術を駆使して作り上げた傑作。今から36年前のちょうど今頃、アメリカで(というより宇宙で)、実際に起きた出来事をもとにつくられました。

アポロ計画は、米ソの熾烈な宇宙開発競争の中で、「月に人間を送り込む」ことを目的に、アメリカがはじめた巨大プロジェクト。その計画の途上、歴史に残る深刻な事故が発生したのです。1970年の4月11日に打ち上げられたアポロ13号は、月に向かう途上、司令船の酸素タンクが爆発するという前代未聞の事態に直面しました。被害は、船内の電気、水、生命維持装置などにおよび、乗組員の生命が深刻な危険にさらされました。アメリカは既にアポロ11号で、人類史上初の有人月面着陸を成し遂げており、その直後のこの事故に、強い衝撃を受けました。その意味では、アポロ13号の事故は、アメリカの宇宙開発の汚点ともいえるかもしれません。しかし私は、アポロ11号よりも、このアポロ13号こそが、アメリカの宇宙開発が持つ底力を示す「快挙」なのではないかと思います。映画の終わりに「アポロ13号は栄光の失敗だ」という言葉が出ますが、同感です。アポロ13号の物語にはある種の感動と共に、現代に生きる人類への深いメッセージが秘められていると思うからです。私がアポロ13号を見て感動するのは、地球帰還に至る、試行錯誤に満ちたプロセスです。アポロ13号の様子を外から撮影した写真を見ると、酸素タンクの爆発で大きな穴があき、ただならぬ被害だと分かります。この状態では月面への着陸どころか、地球帰還すら不可能です。結局アポロ13号は月面着陸を諦め、月の軌道を回った後、6日後に地球帰還を遂げるわけですが、そのプロセスは想像を絶する苦闘となりました。アポロ13号の船内は、電力低下、極端な室温低下、酸素欠乏、二酸化炭素増加など、呼吸そのものもままならない、最悪の状況でした。この危機をどのように克服するのか。NASAのチームは、まず地上にアポロ13と同じ環境の部屋を再現しました。そして乗組員との交信の中で、船内にどのような物が残っているのか、どれが使用可能か、克明なリストを作っていきます。検証は、ゴムホース、ひも、ビニールテープ、靴下にまでおよびました。普通なら見落としてしまいそうなあらゆる物が、生存へのカギとなるからです。そして船内で次々に起きていくトラブル(温度低下や電力低下、二酸化炭素上昇など)に対して、地上で実験を繰り返し、解決策をアポロの乗組員に連絡。乗組員はその方法を船内で実践していきます。たとえば、二酸化炭素の上昇を食い止めるために、数センチのゴムホース、ビニール膜、靴下を組み合わせて奇妙な装置を作り、それを二酸化炭素浄化フィルターと接続して問題を解決するといった案配です。その結果、船内はまるでパッチワークのような状態になっていきましたが、見てくれはとにかく、人間が生き続けられる環境がかろうじて作られ、1つ1つの危機を乗り越え、ついにアポロ13号は、地球帰還を果たすことが出来たのです。私はこのシーンを見て、今私達が暮らしている地球と似ていると思いました。温暖化や地球汚染が進行し、牙をむき始めた地球災害の中で、人類は限られた資源と知恵をつかって生き延びていかなければならない。サバイバル技術と運用する人間のチームワークがその成否のカギとなる。これは、アポロ13号と全く同じシチュエーションではないでしょうか。私達人類は、地球を捨てることは出来ません。この星の上にある、限られた資源や物質を使い、知恵を働かせて環境を守るシステムを作り、生き延びていくしか方法はないのです。その意味で、知恵と勇気と協力で、見事に危機を乗り越え、生還を果たしたアポロ13は私達人類のモデルケースといっても良いかも知れません。一度あなたも、アポロ13号の映画(本)をごらんになって、地球について考えてみてはどうでしょうか。

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多重人格者との契約書(2006.7.3)

私は多重人格者と契約を結んだことがあります。あの体験は私の人生の中で、もっとも複雑怪奇、奇妙奇天烈、出口混沌、暗中模索な体験でした。「契約」とか何か。そもそも「私」とは何か。私の心に深い思い出を残して、ここ10数年間、すっかり忘れておりました。ところが最近、あることが原因で、その体験を思い出してしまったのです。きっかけは、京都のATRという研究所に、取材に行ったことでした。「じゃんけん必勝のロボット作ります!」髪はぼさぼさ、少し太めで、どこか少年の面影を残した著名な脳科学者が、押し殺した声で、僕にささやきました。「へ?どういうこと?」

ぽかんと聞き返す僕を、少し愉快そうにのぞきこみながら、ATR脳情報研究所の神谷先生の説明が続きました。「脳の活動を外から捉える技術が進んできたので、それを使って、対戦相手の脳を読みながらじゃんけんすれば、100100中、勝てるっちゅうことです」どうだというかんじで、神谷先生は太ったおなかを突き出して胸を張りました。少しユーモラスだけど、信じられないこの話は、「ブレイン・マシン・インターフェイス」という最先端の科学研究から生まれたものです。「ブレイン・マシン・インターフェイス」とは、人間の脳とコンピュータ(マシン)を接続し、その人が考えている内容を外から読み取ったり、逆に、心で念じただけでロボットを動作させたりする、いわゆるサイボーグ技術を含む最先端のものです。少しまえ、NHKスペシャルで、患者の脳内にチップを埋め込んで義手を動かすショッキングなシーンが紹介されましたが、神谷さんたちのグループは、それをさらに進め、fMRIを使って脳の外から脳の血流変化を捉え、解析することで、脳のイメージ通りにロボットの腕を動かすことに、世界で始めて成功したのです。「じゃんけんロボット」はその文脈から出てきた研究です。しくみはこうです。私たちはじゃんけんをするとき、脳の運動野の指令で、体(手や指)を動かしています。この運動野の動きを、指が動く前に読めれば、じゃんけんの中身が分かり、勝つことが出来るというわけです。さらに運動野は運動前野という「計画」を作る部分の指令で動くので、もし運動前野の信号を読めば、さらに早い段階で、じゃんけんが読めることになります。この話はいろんな意味で示唆的なものを含んでいます。

たとえば私がじゃんけんで「グー」を出すとき、私はどの段階で「グー」を出すことを決めているのでしょうか?運動野が「グー」を出せと指令を送るときは、私は「グー」を出すことを知っていると思いますが、運動前野の場合はどうでしょうか?さらに運動前野にどこかから(たとえば前頭前野)から指令がくるとき、どの段階で「グーを出す」意識が生まれているのでしょうか?「グー」を出す意識は、あるとき突然表れるのでしょうか?あるいは、脳内の前兆活動の中で、グラジュエーションのようにじわじわと生まれてくるのでしょうか?運動の場合はまだ単純ですが、もっと複雑な意思決定の時、自分の意思が生まれるプロセスはどうなっているのでしょうか?意識の前の無意識のところでの脳の活動はどうなっているのでしょうか?そしてもしそれらの動きを、この装置で読むことが出来たら・・・ここまで考えて、私は、かつて取材で出会った多重人格者のことを思い出してしまったわけです。10年ほど前、私がまだディレクターだった頃、アメリカのある病院を舞台に、多重人格者の番組を作ったことがあります。ペグとよばれる女性で、20以上の多重人格者でした。

普通、大型の科学番組をつくるとき、取材を始める前に「許諾書」を示し、サインしていただくのですが、どの人と契約を結べばいいのか、私はハタと立ち止まってしまいました。病院長に相談したところ、正式には全員ということになるが、実質上はそれは不可能だとのこと。ペグの中にいる色々な人格は、仲が極端に悪かったり、引っ込み思案な人がいて、そもそも会うこと自体ができないというのです。「ペグ」は20数人の中の代表格の人格の名前で、私たちは大体「彼女」と交渉ごとをやっていたのです。とりあえずペグに相談することにしました。「私(ペグ)は取材に応じてもいいんだけど、この顔や体はほかの人のものでもあるので、相談したほうがいいかもしれないわね。」「じゃ、みんなに話してくれる?」(私)「ちょっと待っててね」(ペグ)突然ガクッと体を傾け、はっとわれに返ったように話し始めるペグ。「あの人はOKって言ってる。」(ペグ)聞けば、心の向こう側の草むらのところに居合わせたほかの男性の人格に聞いてきたのだといいます。わたしは理解不能で、頭がぐらぐらしてきましたが、さらに聞きました。「ペグは何人くらいの人の合意を取れそう?」

「分からないけど10人ちょっとならいけると思うけど・・」ということはそのほかの人格の了承をどう取るのであろうか?「他の人たちはどうなるの?」

「私はあまり親しくないし、ほとんど出てこない人だから、全員は無理ね」「どうしたらいいんだろう?」「うーん・・・」ペグは困った表情になり、しばしの沈黙。。。「ま、しょうがないわね。何かあったら私が説得するから・・」とこういう按配で、結局、可能な限りの数人分のサインをいただいてロケが始まりました。この病院で、私はのべ十何時間も、多重人格の人たちと話し込むことになりました。私は「多重人格」者と呼ばれる人に直接向かい合って、奇妙な感覚にとらわれました。目の前の人の脳の中に、何人もの人格がいる。それらの人々が次々と登場し、姿を消していく姿を見ていると、なんだか私の中にいる「何人もの人格」が呼応してうなりを上げ、表に出てくるような気がしたのです。一体「私」とは何なのか。一つの意思を決めて発言する、社会的は「私」は、本当の私自身(脳の中の人格)と同一か。否、「私」の中には矛盾した何人もの人格がいて、いつもせめぎあい、闘争し、ついたり離れたりしながら、かろうじて「私」が作られているのではないでしょうか。本当の私の姿は、矛盾に満ちた、整合性のない、とらえどころのないものなのではないでしょうか。

もし、脳科学の進歩でこの状況が読み取られると、一体どういうことになるのでしょうか。「私」とはどの部分を指せばいいのでしょうか?社会はどの私を信頼し、どの私に責任を負わせればいいのでしょうか。そもそもそんなことがどこまで可能なのでしょうか。どこまでそれをしてもいいのでしょうか。社会的ルールはどうなるのでしょうか?そいういうわけで、せっかく忘れていたあの感覚。頭がくらくらするような感覚が、最近、私の脳に、戻ってきているのです。(私は専門家でないので、哲学的な言葉の定義がばらばらかもしれません。あしからず。)

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主な受賞テレビ番組

NHKスペシャル「にがよもぎ・チェルノブイリ原発事故」(1987:モンテカルロ国際映像祭ゴールデンニンフ賞~メンバー参加)/NHKスペシャル「巨大橋を列車が渡る」(1988:ギャラクシー奨励賞)/NHKスペシャル「脳死~新しい死がもたらすもの~」(1991:放送文化基金賞優秀賞)/NHKスペシャル「汚染地帯で何が起きているか~チェルノブイリ事故から4年~」(1991:モンテカルロ国際映像祭シルバーニンフ賞+レーニエ3世賞)/NHKスペシャル・驚異の小宇宙人体2・脳と心第5集「秘められた復元力~発達と再生」(1994:ギャラクシー奨励賞、上海国際映像祭撮影賞)/NHKスペシャル「驚異の小宇宙人体2・脳と心」(1994)*シリーズ受賞(橋田壽賀子賞・放送文化基金賞グループ賞)/NHKスペシャル「私のなかの他人~現代社会が生む多重人格症」(1995:モンテカルロ国際映像祭参加、志賀信夫選「年間ベスト作品の1つ」、ギャラクシー奨励賞、国際乖離性障害学会による国際メデイア賞~各年で世界の全メデイアから1本だけ作品を選定~/NHKスペシャル「シリーズ阪神大震災・その死を無駄にしない」(1996:放送文化基金賞優秀賞)/NHKスペシャル「終わりなき人体汚染~チェルノブイリ事故から10年」(1996:国際エミー賞参加、芸術祭参加、モンテカルロ国際映像祭参加、地球環境映像祭参加、ギャラクシー奨励賞、世界テレビ映像祭推賞)/NHKスペシャル「化学兵器をどう処理するのか」(1996:科学技術映像祭科学技術長官賞)/土曜特集「松任谷由実モンゴルをゆく」(1996:放送文化基金賞参加)/アイデア対決ロボットコンテスト(1997:第11回東京クリエイション大賞)/アイデア対決ロボットコンテスト(1998)橋田壽賀子賞/アイデア対決ロボットコンテスト(1999)  ABU(アジア太平洋放送連合)特別賞/千人の力(2001:ABU(アジア太平洋放送連合)奨励賞)

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みなさんこんにちは!

皆さんはじめまして!
僕は室山哲也というしがない者です。マスコミで仕事をしています。テレビでモノをしゃべるときは、発言内容を何度も練り上げて、「公の言葉」で注意深く表現するのですが、このブログでは、テレビではしゃべらない、できるだけ自分の肉声を書いていくことにします。ということなので、ここに書く文章は、全て僕個人の責任によるものです。
さあ、今日からドキドキでブログの日記を付けます。デザインやら何やら、やることが色々あり、もたもたするとは思いますが、どうぞよろしくおねがいします!
「室山哲也」という木が、このブログで大きく成長するといいなあと祈りつつ。。。

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