「どうせ死ぬのにどうして生きてるの?」

室山哲也:昔の作文図書館
 
「どうせ死ぬのにどうして生きてるの?」
 
子供を育てていると教えられることが多い。ずいぶん前、まだ3人の子供が幼かった頃、我が家のペットのウサギ(フラッフィー・ボナパルト・ムロヤマ)が突然死する事故が起きた。予想外の暑い夏が続き、熱中症で、見ている前で息を引き取った。世話係の長男は大変なショックを受け、自分を責め、何日か話をしなくなった。数日後、少し元気になった彼が、思いつめた顔で、私に質問してきた。「生き物はみんな死ぬのか?」私はその質問に少し驚いたが次のように答えた。「生き物はみんな死ぬ(正確には死のプログラムは有性生殖の引き換えだという説がある)。人間も全員死ぬ。キリスト様も、お釈迦様も死んだ。死亡率は100%だ。」「パパやママも、自分も死ぬのか?」(息子)「みんな死ぬ。生まれる前にいたところに戻るのだから、余り心配しなくてもいい」(私)。長男は少し考え込み、さらに質問してきた「どうせ死ぬのにどうして生きているの?」。
私はこの質問に絶句し、しばらく言葉が出なかったが、親の沽券もあり、次のように答えた。「大輔(長男)はお小遣いをもらっているね。どうせ使うのだから、もういらないよね?」あわてて長男は否定し、お小遣いは必要だと主張した。・・私は何とか苦境を切り抜け、長男の追及を逃れたが、実を言うと苦し紛れの回答だった。
この質問は、すごい質問だ。そうだよなあ。何でだろうなあ。生きるってどういうことなのかなあ。。そのあと少し考えてみたが、巨大で本質的すぎてとても分からない。正直言って、いまだに分からない。もう一度聞かれたらなんと答えればいいのだろうか。
私はNHK教育テレビで「科学大好き土よう塾」という、子供向けの科学番組を5年間やったが、子供の質問に窮したことは何度もある。「空はなぜ青い?」から始まって「地上には何故たくさんの生き物がいるのか?」「宇宙の果てはどうなっているのか?」など、私たちが子供の頃感じたのと同じ質問に出会う。しかし私たち大人は、そのような素朴な疑問や驚きを、いつしか忘れ、「分かった」ふりをして、その場をごまかし続けることが多い。青空や星空を見上げて感動したり、海の波の向こうに思いをめぐらす時間は、日常的にほとんどない。
私がNHKに入局したとき、報道番組の神様と呼ばれるプロデューサーに、番組つくりの秘訣を質問したことがある。答えは「高度な平凡性」というものだった。ジャーナリストの大敵は「分かったふり」。子供のような素朴な質問ほど、鋭く本質をえぐることを教えたかったのだろう。
子供から学ぶことは多い。私たちはどこまで「あの心」を思い出せるだろうか。心の曇りをもっと取り払わなければならない。
(NHK解説委員 室山哲也)

| | コメント (0)

異文化衝突の青春

室山哲也:昔の作文図書館

 

異文化衝突の青春

(第23期生 室山哲也:NHK解説主幹)

 

あこがれの早稲田大学に入学し、キャンパス内で私がはじめて見たものは、ヘルメット姿の「核マル」や「中核」の学生を、ジュラルミンの楯を片手に追いかける機動隊の恐ろしげな姿でした。学生たちは走りながら石を投げつけ、クモの子を散らすように逃げています。

「なんじゃこりゃ!こんな風景見たことない!」

私は愕然としました。倉敷青陵までの18年間、私は過激派の学生も、機動隊も見たことがありませんでした。しかし、当時の早稲田大学にはまだ大学紛争の名残があり、内ゲバで学生が構内で死亡するという事件まで起きる状況が続いていたのです。

私はなんだか無性にハラが立ってきました。そして、よせばいいのに、核マルの学生たちの巣窟といわれる部屋に抗議に行きました。

「君たちは同じ学生なのに、なぜ大学内で暴力を振るうのか」「なぜ歩み寄って解決しようとしないのか」・・

田舎もののウブな私は、ぞろぞろと出てきた10人近い核マルに取り巻かれ、当時の青春ドラマのような安っぽいせりふを吐きました。

私の抗議は34時間続きました。

私は制服と寮歌と野球が大好きな、社会のことにはほとんど無知な純朴な田舎学生。話せば分かる。やれば出来る。人間みんな友達だ。さあいっしょに浜辺を走ろうじゃないか。という単純な思想の持ち主でした。

日本人なら、きっと分かってくれる。肩を組んで涙してくれる。そんな根拠のない幻想を持っていました。

しかし、そこでの議論で分かったのは、同じ日本人なのに、話してもわからないやつがいる。議論が通じないやつがいる。そしてどうやら私よりも知識豊富で頭がよさそうだということでした。

まるで、吉本新喜劇のようなあほらしい結末。

私の18年の哲学は音を立てて崩れ、以後2年間、私はノイローゼとなり、ほとんど話もせず、心身症のような毎日を送る学生になりました。

この世の中で真実とはなにか。本当の倫理や哲学とはどういうものか。それを知りたくて、連日連夜あちこちの宗教団体や、政治団体、教育機関を訪問し、質問し、議論しました。しかしどこにも満足できる答えはなく、私は次第に孤立し、実存主義の本を読み漁る、さらに暗い学生となっていったのです。。

今思い起こすと、当時の私は、「異文化衝突」によって、自分の信念や自我がこわれ、心を閉ざした状況におちいったわけです。

その後、私には何度かの激動の事件があり、私はいつしか、「現代ジャーナリズム研究会」という部をつくり、日本のあちこちをルポルタージュの旅をする学生に変身したのです。

あれから35年。

何の因果か、私はいまジャーナリストになっています。

何百かの番組を作るために、冬の北極にも、夏の赤道にも、事故直後のチェルノブイリ原発にも行きました。多重人格の患者と生活したり、断食行者と共に10日間山にもこもりました。私の目で確かめ、自分の手で触り、自分で考え、自分の言葉で表現することが大好きになってしまいました。

この変身振りは何なのか。自分でも謎です。

しかし今、私は、あの若かった頃、異文化衝突で自分がペッチャンコになってしまったおかげで、今の自分があるような気がしてしようがありません。

たしかにみっともない青春でしたが、その悲喜劇の中で、異質なものとのぶつかり方、議論の仕方、調整の仕方、融合の仕方といった、人生の基本をはじめて学べたのかもしれません。

「人生にゃ、なんも無駄なもんはねえもんじゃのう」

最近わたしは、よくそう思います。

| | コメント (0)

「李紗に教えてもらったこと」

室山哲也:昔の作文図書館

 

「李紗に教えてもらったこと」2010.1.3

  • 娘が発達障害とわかったとき

李紗が発達障害(自閉症)とわかったのは、2歳のころでした。わたしはNHK東京から広島局に異動し、3年間の忙しいローカル勤務が始まったころでした。李紗は赤ちゃんのころから泣くことも少なく、手のかからない子だなあと感心していたのですが、2歳になったころ、なぜか、後ろから呼びかけても振り向かない、大きな音がしても振り向かない傾向がありました。「耳が悪いのではないか」と広島大学病院で診察しても、耳に異常はなく、脳にも異常は見つかりませんでした。けれどもやっぱり何かおかしいと、市の児童相談所に相談に行き、1年間通所して、自閉的傾向があるのではと告げられる経緯をたどりました。私と妻のショックは大きく、何日もふさぎ込む日が続きました。「なぜ李紗がそんな病気にならなければならないのか?」「なぜ我が家でこのようなことが起きるのか?」心の中で何度自問したことでしょうか。私はそのころ、NHKスペシャル「脅威の小宇宙人体~脳と心」という番組を担当し、脳の専門家の先生とはずいぶんお付き合いをしていたのですが、結果的に、娘の自閉症を見抜くことすらできなかった無力感に駆られ、悩む日が続きました。私はテレビディレクターという仕事をしていたため、ほとんど早い時間に帰宅することが出来ず、妻はますます孤立し、焦りばかりが先行する日々となったのです。「李紗をこれからどのように育てていけばいいのか」。一生懸命李紗に話しかけたり、抱きしめたりしましたが、今となれば、その対応は、自閉症のことをきちんと理解していない、間違った対応でした。私たちは「自閉が脳由来の障害だ」ということをきちんと理解できず、医療や教育で、何とか「治る」ものだと信じていたのです。その結果、李紗のアイコンタクトはほとんどみられず、関係を作り上げることが出来ない状況が続いていたのです。

 

  • 最初のボタンを李紗がはめる

むさぼるように読んでいた本の中に、次のような一節がありました。

「自閉だとわかったとき、親は驚き、あせり、状況を変えようと、子供に激しく干渉するが、それは間違っている。状況を受容し、子供と同じ空間と時間を共有する、ゆったりとした状況からはじめなければならない」。

書かれていることは、当時の私たちにはとても難しいことでしたが、わらをもつかむ気持ちで試すことにしました。

私は畳の上で遊んでいる李紗の横に寝そべり、一日中本を読むことにしました。二日目も、三日目も同じように、そこに寝そべり、ただ本を読みました。今までなら、僕のほうから一方的に、李紗に話しかけたり、体にさわったり、目を覗き込んだりするところですが、そこをぐっと我慢して、ただただ同じ空間を共有するだけに努めてみたのです。

ある日、李紗にわずかな変化があらわれました。遊んでいるおもちゃを僕のほうへ少し近づけ、知らぬ顔をして、別のおもちゃで遊び続けたのです。まるでそのおもちゃで遊びなさいというサインのように。。。

僕は、しばらくして、そのおもちゃを李紗のほうに少し押し返し、読書を続けてみました。するとしばらくして、李紗がそのおもちゃを、今度はもっと近くまで押し返してくるではありませんか。僕は高鳴る胸を押さえながら、しばらく時間を置き、それをさらに彼女に押し返してみました。

この奇妙なやりとりは何度か続き、おもちゃはそのたびにお互いのより近くを往復するようになって行きました。そして、最後に、李紗が僕の目をチラリと覗き込んだのです。「アイコンタクトだ!!」

僕は、そのときの、破裂する風船直前のような喜びを忘れることが出来ません。

その後、李紗の様子が変わりはじめ、時々僕の目を見るようになり、心のつながりが出来上がっていく実感をおぼえるようになりました。

この体験で、いったい僕は、何を学んだのでしょうか。

それは「最初のボタンを李紗がはめる」ということでした。

今までは、僕のほうから、強引に李紗に接近し、コミュニケーションの押し付けをやっていた。李紗はそれを嫌がり、逃げていた。しかし、最初のアクションを李紗がして、それに答えていくことを繰り返すことで、確かなやり取りが生まれていったのではないでしょうか。そしてそれをするためには、子供が出す、最初のわずかなサインを見逃さないことが、大切なのではないでしょうか。

このことは、一般社会にも通用します。

会社で仕事をするとき、部下の意見や発想を元に企画を育てていけば、部下のやる気や仕事への情熱はどんどん大きくなっていきます。押し付けの仕事は、どうしても限界があるように、「最初のボタンをその人がはめる」ということは、普遍的な人間関係の原則なのかもしれません。おかげで、僕は、仕事のときの部下との人間関係が劇的に良くなり、活力のあるチームを作り上げることが出来ました。

李紗が教えてくれたこの経験は、今でも僕の仕事や生活のバイブルなのです。

 

 

  • 一緒に幸せになる

いま、李紗は21歳になり、近くの作業所で働いています。妻は、時々、幼い自閉の子供を育てている若い母親の会に呼ばれ、子育ての秘訣について、体験談を話すようになりました。その内容の一部から、「二つの戒め」をご紹介しましょう。

まず大切なことは「親の虚栄心に気をつける」ということです。

当然ながら私たちの心の奥には、競争心や虚栄心があります。しかし、その気持ちは、時として、自分と仲間たちの関係を萎縮させ、可能性を奪っていきます。「あの子よりうちの子のほうが能力が高い。」とか、負けた勝ったという虚栄心が、際限のない競争を生み、足を引っ張り合う結果になっていることが少なくないのです。カメラをずっとズームバックしてみれば、「障害」がある人々が乗っている船は、粗末で小さく、荒れ狂う社会という海の中でもまれているのに、小さな船の中で争っている構図です。心の中の虚栄心が、いつの間にか、ともに前進していくことを阻んでしまっているのです。

もうひとつの大切なことは「一緒に幸せになる」ということです。

NHKの番組取材で、私は数多くの、障害と闘う家族を見てきました。どの家族もそれぞれの状況の中で奮闘を続け、それぞれの戦いを続けてはいるのですが、時々首をかしげる状況がありました。それは、「子供のためにすべてを犠牲にする」姿です。ある日見た家族は、子供を療育するために、仕事と住所を変え、ほとんどの財産をつぎ込みセラピーを続け、家族全員が心身ともにくたくたになっていました。その思想の根底には、「一刻も早く障害を治さなければならないならない」「正常に戻さなければ負けだ」という考えがありました。この気持ちは痛いほどわかります。しかし、「治る」という発想だけでは、発達障害の問題を解決できないことも明らかです。発達障害を個性のひとつととらえ、子供も親も、ともに成長していく態度がどうしても重要なのではないでしょうか。疲れたときはほかの人や施設の協力を仰ぎ、親の疲れを癒し、親も人生を楽しみ、子供とともに前進していく態度こそが必要なのです。「みんな一緒に幸せになる」。子供も、親も、兄弟も、友人も、社会もすべてが連動して、ともに成長し、人生を謳歌できる状況を作る必要があります。「みんな違ってみんな良い」ことを認め、その人らしく社会に貢献し、真の意味で助け合える社会にしていかなければなりません。

僕は、年をとるごとに、その思いがますます強くなっていくようです。

(NHK解説委員 室山哲也)

 

 

| | コメント (0)

横須賀で講演しました。2019.10.15

横須賀の内外情勢調査会で人工知能の可能性と課題について講演しました。曇りで少し涼しい風が吹いていました。

Img_0850 Img_0851 Img_0852 Img_0853 Img_0849

| | コメント (0)

電気刺激で脳をよみがえらせる男たち

室山哲也:昔の作文図書館

 

電気刺激で脳をよみがえらせる男たち(2007.6.19

先日、ある病院で、信じられない光景を見ました。

脳に障害がある患者さんの手がぶるぶると震え、コップをどうしてもつかむことができません。脳卒中の後などに起きる振戦(しんせん)という症状です。その人は、何とか自分の意志で、暴れまわる手を制御しようと苦闘しています。

しかし、手の勢いはいっこうに止まろうとはしません。

そこに、医師がバッテリーのようなものを持ち出し、患者さんの胸に当て、スイッチを入れました。すると、ウソのように手の動きが止まったのです。驚くべきことに、その後は、自分の意志で手を動かせるようになりました。

この治療法は、脳内に電極を埋め込み、外部から電気を流して脳に刺激を加え、異常な体の動きを抑える「脳電気刺激療法」です。

以前、同じ病院で、このような光景も見ました。

その患者はいわゆる植物状態で、長くこん睡が続いていました。表情は硬く動かず、時間が止まったような印象でした。この患者の脳にも電極が入れられ、電気刺激が与えられました。その瞬間、患者さんの目が開き、口が開き、なんと「あー」と声が出てきたのです!意識が覚醒したのです。

「たまげた」という言葉がありますが、私はその光景に腰を抜かし、夢を見ているような、キツネにつままれた気分でした。

日本大学板橋病院(片山容一教授)では、この療法を20年ほど前からはじめ、既に600例もの実績をあげてきました。最初は疼痛(痛み)の除去、その後、振戦やヘミバリスムス(動きが制御できない)、パーキンソン病などに治療範囲を広げ、今では(植物患者などへの医療以外は)保険適用を受ける確立したものとなり、国内でも30ほどの病院で行われるまでに成長しました。

なぜこのようなことが可能なのでしょうか?

脳を構成する神経細胞の回路には、「インパルス」と呼ばれる電気信号が流れています。この流れが、体を動かしたり、思考する情報となっているのです。電気信号が過度に伝わりすぎると、情報が混乱して、てんかんや手足の震えにつながり、電気信号が伝わらないと、対応する体の運動も停止してしまいます。

電気刺激治療は、この神経細胞の活動パターンを外部から制御し、脳の機能を正常な状態に戻そうというものです。

「こんなことをしてもいいのか・・」

最初見たとき、実は、私はそう思いました。

しかし、脳に障害を受け、他の治療法やリハビリで回復の見込みが立たず、深い悩みの中で、回復を切望している患者さんを見ると、「最後の手段」としてこの療法を認めてもいいのではないか。いや、新分野の療法として、もっと育成していくべきものなのではないかとも思います。

最近、この電気刺激療法に新しい展開が始まりました。脳卒中による運動マヒに、この療法を使おうというのです。

今までの治療は、振戦のように、体が過度に動いたり、激しい痛みを「抑える」方向にこの療法を使ってきました。

しかし運動マヒの場合、動かない状態を「動かす」方向の治療で、この症状に悩む患者数も多いことから、社会的なインパクトがあり、新しい段階の局面といえます。

アメリカでは、既にこの療法について論文がだされ、18の医療センターで、治療(一般治療ではなく研究段階)が始まっています。そしてついに、日本でも試みが始まりました。

愛知県厚生農業協同組合連合会加茂病院(小倉浩一郎部長)では、運動マヒ患者の脳の表面(硬膜外)に電極を載せ、7例で改善を確認しています。リハビリと併用し、治療後、電極を除去しても、効果が持続するといいます。これは、電気刺激で脳内部に変化がおき、変化が持続していることを示しています。現在この治療は保険適用外ですが、今後の治療の成績いかんでは、新しい脳神経外科の療法として発展していく可能性があります。

とまあ、いいこと尽くめの話なのですが、私には一つ心配があります。

この療法の効果があまりにも劇的なため、適用範囲が次第に広がりそうなことです。アメリカでは既に、今までのほかに、てんかん、失語症、うつ病、過食症による肥満、強迫性障害などに、この療法を使う研究が進んでいます。

しかしこれらは、今までの「痛み」や「運動不全」の領域を超えた、人間の心や精神にかかわる領域。本当にどこまでこの療法を使っていいのか、わたしは素朴な不安を感じるのです。この動きはそのうち日本にも押し寄せるだろうと思います。「ガイドライン」や「倫理的問題」など、社会的な視点でこの療法を位置づけていく必要があります。

脳の世界では、かつて「ロボトミー」のような悲劇が起きました。その悲劇を繰り返さず、正しい医療として上手に育ってもらいたいと心の底から祈っています。

 

| | コメント (0)

放射能汚染の現場に立つ

室山哲也:昔の作文図書館

放射能汚染の現場に立つ(2006.4.28

 

私はチェルノブイリ原発事故の放射能汚染地帯に何度か行ったことがあります。

私は当時、テレビディレクターで、テレビ番組を作ることが目的でした。

この原発事故は、人類史上、最大、最悪の原発事故です。

20年前の426日、チェルノブイリ原発4号炉が突然爆発して、

中にある放射能が大量に放出され、周辺の国々を広く汚染してしまいました。

放射能は風に乗り、世界中に広がり、日本でも観測されました。

放射能は放射線を出します。放射線は、生物の遺伝子に傷をつけ、がんなどの病気を引き起こすリスクとなります。そういうわけで、放射能で激しく汚染された土地に人間が住むことはできません。放射能の中には半減期(放射線が半分になるまでの年数)2万年以上のものもあり、そのような放射能がある場所では、影響が長期にわたって続きます。

 

事故から3年後、私はその現場に立ちました。

チェルノブイリ原発周辺の自然の美しさは、目を見張るほどでした。透明な空気、美しい湖、川、草原地帯、青空をゆっくりと飛ぶコウノトリ、鮮やかな麦畑をうねらせながら風が通り過ぎていきます。まるでグリム童話の世界を絵にしたような風景の村。

しかしそこに住民の姿は一人もありませんでした。

事故後、汚染勧告で全員が避難。村は「もぬけの殻」になっていました。食べかけのパン、脱ぎ捨てた服といった生活の様子を残したまま、人間だけがすっぽりと消えています。不気味なほどの静寂。遠くに事故を起こした4号炉がシルエットのように見えます。

「色もなければにおいもしない」放射能汚染の現場---

風景が美しければ美しいほど、五感ではわからない放射能汚染が、私の不安感と恐怖を増幅させていきました。

 

事故から20年たって、最近、チェルノブイリ事故の放射能でどのくらいの人が死ぬのかという報告が相次いで出されました。国連の組織が、4000人くらいとか、9000人だとか、いや16000人だとかの数字を公表したり、いやそんなものじゃなく数万人以上なくなるだろうとか、色々な科学者が色々な考えを発表しました。なぜ科学者の言うことがこんなに違うのでしょうか?

それは、実は放射能や放射線の人体への影響はよく分からないからです。

 

 

放射線が人体にどんな影響を与えるかを知る手がかりとしては、広島、長崎に落とされた原爆による医学データがあります。でもチェルノブイリ事故は原発事故なので、原爆とは違います。激しい放射線が人体を外から貫く「外部被曝」の点は同じですが、チェルノブイリ事故の場合、吐き出された放射能がホコリや食べ物を介して人体に入り、体を内部から被曝させていく「内部被曝」というメカニズムがあります。しかも住民は、体の中に放射能を持ったまま、長期間、ゆっくりと被曝していくのです。人類はこういうタイプの放射線被曝を、今まで大規模にしたことがありません。チェルノブイリの汚染地帯にはまだ500万人もの人々が住んでいます。原発周辺や高濃度汚染地帯から逃げ出した人々とともに、これらの人々の健康が心配です。

 

「放射能の分からなさ」はまだ他にもあります。

環境の中に放出されたのち、どのように環境を汚染し、生物に蓄積していくのか。予期せぬことがたくさんおきました。

事故から3年目に公表された汚染地図を見ると、汚染地帯が不規則に各方面に延びています。

実は事故直後、ソビエト政府は原発から周囲30キロの範囲を危険地帯として、そこにいる住民116000人を避難させました。そのときは、それ以外の場所の住民は、自分のところは安心だと思っていました。ところが3年後、政府が突然この地図を発表。汚染地帯に住んでいる住民は大混乱におちいりました。放射能のほとんどが風に乗って30キロゾーン外に飛び出し、広範囲な地域を汚染していたのです。しかもいたるところに「ホットスポット」と呼ばれる超濃度汚染地帯が出来ています。これは吐き出された放射能が雨によって集中したり、水によって一箇所に集まったりしたためです。

「水」が集まる場所は一般的には穀倉地帯が多く、作物ができる豊かな場所です。ところが放射能は、水と共謀して、自然の恵みのメカニズムをオセロのように裏返しにしてしまったのです。

また事故後、放射能は地中に沈み、農作物などへの影響はなくなっていくだろうとされていました。ところが20年たってみると結果は違っていました。放射能が森などの植物が根から吸い、葉にためたのち、落ち葉となって地面に落ちるため、結果的に汚染は、地表近くにとどまっていました。また汚染地帯には泥炭質の土地が多く、森林火災などで火事を起こしやすいため、熱風とともに放射能が舞い上がり、他の土地に移動してしまう心配も出てきています。

 

 

 

もともと医学的に分からないことの多い放射能が、どこのどのようにたまり、どのように振舞うか分からないという状況は、人間を不安にさせていきます。人々はそのような状況で20年間も生活してきたのです。

 

さて、人々が避難し、消えていった町や村は、この20年間で500以上にのぼります。避難は今も続き、廃村の数は増え続けています。

 

私は、消えていく村の様子をいくつも目撃しました。

放射能による汚染レベルが高いために、畑には、たわわに実った麦が、収穫されないまま放置されています。放射線には若い人ほど敏感なため、普通避難は赤ちゃんを持つ若夫婦などから始まります。そして歯が抜けるように住民が減っていきます。若い人が集まる店や学校が消えると、村はしだいに活気を失っていき、やがて機能停止し、消えていきます。

 

村のあちこちに、老人の姿が多くなります。「老人たちは見知らぬ新しい場所に逃げるより、村に残ることを望んだ。」と役場の人は説明しましたが、実際は、いっしょに住んでいた若い人たちに経済的余裕がないため、老人たちは結果的に「置き去りにされた」状態でした。

放射能汚染が人間の絆を引き裂き、村を内面から崩壊させ始めていました。

 

その近くに、住民全員を引き連れて、知人のいる場所へ避難する決意をした小さな村の村長がいました。不思議なことに、その村は汚染レベルとしては国が定める基準値以下の村でした。

「逃げる必要がないのになぜ避難するのですか?」

私の問いに村長は答えました。

「たしかに放射能は遺伝子DNAを切断し、人体にダメージを与えます。でも傷つくものはもうひとつあります。それは心。汚染地帯にいると、たとえ汚染レベルが低くても、共同体が壊れ、人の絆がずたずたに切れていきます。そこでは体は生きても、心が死んでしまうのです。「心が死ぬ場所」に、人間が暮らすことはできない。」

村長の言葉が私の心に突き刺さりました。

私のディレクター人生で、忘れられない言葉の一つとなりました。

被曝には「体の被曝」と「心の被曝」があるのだ。私はそう悟りました。

 

 

 

放射能。つまり放射性物質は、うまく使えば人間に大きな利益を与えてくれます。レントゲン写真でどれほどたくさんの人々の病気が治ったか知れません。

でもこの放射性物質は、原発事故のように、いったん人間の管理の手を離れたとき、まったく違う姿を見せてきます。チェルノブイリがその例です。

最近、わたしは、このような物質は、扱うべき人と、扱ってはいけない人を峻別し、扱ってもよい能力と資格のある人(機関、国、体制)だけが手にすべきものなのだとさえ思います。

 

考えてみると人間が作り出した物質は、すべて似たようなものです。

物質には安全なものから非常に危険なものまで、様々なレベルがありますが、危険性の高い物質、未知な側面の大きい物質については、人間は慎重になる必要があります。

危険な物質の管理には、保管法や操作法といった技術的レベルのものから、安全性をチェックする医学的知識、物質を生産し移動させる交通システム、複合した要素を包み込む社会制度、それを認識し政策として位置づける国民の民主主義の成熟度など、あらゆるフェーズの要素が絡んできます。その意味で、物質のリスク管理は、科学の側面を大きく越えて、その国が到達した社会レベルや文明の高さと直結する問題です。

 

そういう意味で、チェルノブイリ事故は、私たちに、

人間の傲慢と、物質との付き合い方について、今もいろいろな事を教えてくれていると思います。

 

| | コメント (0)

お化けはなぜ見えるか?

「オバケ」はなぜ見えるか?(NHK解説委員 室山哲也)2006.4.10

 

奥深い山や公園を歩いていると、木の間に不気味な人間の顔が急に見えて、思わずギャッと叫んだことはありませんか?

目を凝らすと「顔」はますますはっきりしてきて、こちらを向いてにやっと笑っていたり、表情までくっきりと分かる場合すらあります。

これは心霊現象なのでしょうか?それとも未知の科学現象なのでしょうか?

実はこれは、私たち人間の脳が作り出していることなのです。

 

この図を見てください。

じっと見つめていると、真ん中に黄色の三角形が見えてきます。

だけどよく見てみましょう。

図にかかれているのはパックマンみたいな円形と、二つに折れ曲がった線だけで、三角形がかかれているわけではありません。

三角形は実際にはないのに、なぜ見えるのでしょうか?

これが人間の脳がなせるワザなのです。

 

人間の脳は「断片的な情報」をつなぎ合わせて勝手に別のものを作り上げる「クセ」があります。この絵の場合、パックマンや折れ曲がった線をつないで、その間に勝手に三角形を脳が作り上げているのです。このように人間の脳は、ないものを、あたかもあるもののようにイメージ化してしまうのです。

 

なぜこのようなことがおきるのでしょうか?

人間の脳は他の動物と比べて大きく、情報を組み立てる力が極端に強くなっています。この脳の中で様々な感情や、知性が組み合わされて、私たちの心や精神活動が出来あがっています。

たとえば、モノを見るとき目から飛び込んだ情報は、いったん脳の中でばらばらに分解されて、もう一度組み立てなおされます。Aさんの顔を見たとき、目から脳に飛び込んだ情報は、「線」や「傾き」や「色」など、顔を作り上げている要素にばらされて、脳の中でもう一度組み立てなおしてAさんだと分かるようになっています。なぜこんな面倒なことをしているのかというと、「応用を利かせる」ためです。Aさんの顔は写真で見ると一つしかありません。でもひげを伸ばしたり、日焼けしたり、カツラをつけてもAさんだと分かるためには、脳は写真をそのまま受け取るよりも、要素にばらして組み立てなおせば、柔軟にAさんだと知ることが出来ます。

私たちは「目でAさんを見ている」と思っていますが、実は「脳で見ている」のです。

目を閉じているのにいろんな光景が見える「夢」も「脳が作り出す世界です。

 

このような人間の脳の特徴は、うまく使えばすごいパワーを発揮します。山の中に逃げた獲物を探すとき、フンや足跡からそのエモノの種類、数、逃げた方向を割り出すように、人間の脳は断片的な情報からイメージをつなぎ、全体的な認識へと高めていくことが出来ます。人類が作り出した数々の文明も、そのような脳の力が生み出したものです。

でも、脳の使い方を誤ったとき、ありもしない幻想が生まれ、その幻想のために人間が不幸になってしまうこともあります。「戦争」はそのようにして起きるのだと思います。

脳は、人間が進化の中で手に入れた「ものすごい臓器」です。

人間の脳のしくみをきちんと理解して、正しく使えるように努力することがなによりも大切だと思います。

Imga03d1fe8zik4zj   

 

| | コメント (0)

アポロ13号は地球そのものだ

室山哲也:昔の作文図書館

 

アポロ13号は地球そのものだ(2006.5.8

 

この連休は自宅でのんびりとしながら昔の映画を何本か見ました。

その中に「アポロ13」という感動的な映画がありました。

ロンハワード監督が、トムハンクスなどの名優と、最先端の映像技術を駆使して作り上げた傑作。今から36年前のちょうど今頃、アメリカで(というより宇宙で)、実際に起きた出来事をもとにつくられました。

 

アポロ計画は、米ソの熾烈な宇宙開発競争の中で、「月に人間を送り込む」ことを目的に、アメリカがはじめた巨大プロジェクト。その計画の途上、歴史に残る深刻な事故が発生したのです。

 

1970年の4月11日に打ち上げられたアポロ13号は、月に向かう途上、司令船の酸素タンクが爆発するという前代未聞の事態に直面しました。被害は、船内の電気、水、生命維持装置などにおよび、乗組員の生命が深刻な危険にさらされました。アメリカは既にアポロ11号で、人類史上初の有人月面着陸を成し遂げており、その直後のこの事故に、強い衝撃を受けました。

その意味では、アポロ13号の事故は、アメリカの宇宙開発の汚点ともいえるかもしれません。

しかし私は、アポロ11号よりも、このアポロ13号こそが、アメリカの宇宙開発が持つ底力を示す「快挙」なのではないかと思います。

映画の終わりに「アポロ13号は栄光の失敗だ」という言葉が出ますが、同感です。アポロ13号の物語にはある種の感動と共に、現代に生きる人類への深いメッセージが秘められていると思うからです。

 

私がアポロ13号を見て感動するのは、地球帰還に至る、試行錯誤に満ちたプロセスです。

 

アポロ13号の様子を外から撮影した写真を見ると、酸素タンクの爆発で大きな穴があき、ただならぬ被害だと分かります。この状態では月面への着陸どころか、地球帰還すら不可能です。結局アポロ13号は月面着陸を諦め、月の軌道を回った後、6日後に地球帰還を遂げるわけですが、そのプロセスは想像を絶する苦闘となりました。

アポロ13号の船内は、電力低下、極端な室温低下、酸素欠乏、二酸化炭素増加など、呼吸そのものもままならない、最悪の状況でした。

 

この危機をどのように克服するのか。

 

NASAのチームは、まず地上にアポロ13と同じ環境の部屋を再現しました。そして乗組員との交信の中で、船内にどのような物が残っているのか、どれが使用可能か、克明なリストを作っていきます。検証は、ゴムホース、ひも、ビニールテープ、靴下にまでおよびました。普通なら見落としてしまいそうなあらゆる物が、生存へのカギとなるからです。そして船内で次々に起きていくトラブル(温度低下や電力低下、二酸化炭素上昇など)に対して、地上で実験を繰り返し、解決策をアポロの乗組員に連絡。乗組員はその方法を船内で実践していきます。たとえば、二酸化炭素の上昇を食い止めるために、数センチのゴムホース、ビニール膜、靴下を組み合わせて奇妙な装置を作り、それを二酸化炭素浄化フィルターと接続して問題を解決するといった案配です。

その結果、船内はまるでパッチワークのような状態になっていきましたが、見てくれはとにかく、人間が生き続けられる環境がかろうじて作られ、1つ1つの危機を乗り越え、ついにアポロ13号は、地球帰還を果たすことが出来たのです。

 

私はこのシーンを見て、今私達が暮らしている地球と似ていると思いました。

温暖化や地球汚染が進行し、牙をむき始めた地球災害の中で、人類は限られた資源と知恵をつかって生き延びていかなければならない。サバイバル技術と運用する人間のチームワークがその成否のカギとなる。

これは、アポロ13号と全く同じシチュエーションではないでしょうか。

 

私達人類は、地球を捨てることは出来ません。この星の上にある、限られた資源や物質を使い、知恵を働かせて環境を守るシステムを作り、生き延びていくしか方法はないのです。

その意味で、知恵と勇気と協力で、見事に危機を乗り越え、生還を果たしたアポロ13は私達人類のモデルケースといっても良いかも知れません。

 

 

 

| | コメント (0)

天才ジュウシマツ“パンダ”の悲劇

室山哲也:昔の作文図書館

 

天才ジュウシマツ“パンダ”の悲劇(2006.5.21)

 

鳥の声はどうしてあんなに透明で美しく、はかなく、懐かしいのだろう。

わたしは長年、不思議に思ってきました。

5月は野鳥が活発に活動する季節。

またあの疑問が、心の中でふくらんできていました。

 

ところが先日、その長年の謎を解いてくれる研究者が、ついにあらわれました。理化学研究所脳科学総合研究センターの岡ノ谷一夫先生が

「科学大好き土よう塾:鳥はどうして鳴くの?」に出演したのです。

先生はとてもユニークな方で、スタジオでいろんな興味深い話をしてくださいました。そもそも一般に鳥は、オスメスに限らず、一年中「地鳴き」と呼ばれる声で、鳥同士のコミュニケーションをするのですが、オスだけ、春から夏にかけて、「さえずり」という不思議な鳴き方をします。

(余談:したがって春から夏以外のキャンプでは「鳥のさえずりで目が覚めた」ではなく、「鳥の地鳴きで目が覚めた」という表現が正しい。あまりロマンチックではないですが・・。)

さえずりは人間でいうと「歌」のようなもので、この上手下手で、オスはメスにもてるかどうか、つまり自分の遺伝子を後世に残せるかどうかの瀬戸際に立たされるというのです。

 

岡ノ谷先生の実験を、番組の中で紹介しました。

ジュウシマツの2匹のオス、タロウとアキラがメスのモモコに求愛し、

その声(さえずり)の分析をします。

まずタロウがモモコと一緒のかごに入りました。

タロウはまだ新米のジュウシマツで、メスへのさえずりに慣れていません。

しかし、かごに入ってまもなく、タロウはさえずりをはじめました。しだいに声の調子もあがり、若いタロウは、しきりとモモコに働きかけますが、何故かモモコは気乗り薄で、タロウがモモコのそばに行っても、顔を背けるようにしてすぐに別の所に逃げてしまいます。

実験終了時、タロウはがっくりと肩を落として、傷心の状態になってしまいました。

さて次に入れられたのはアキラ。ジュウシマツのメスの世界では評判のプレイボーイです。入ってまもなく、アキラは常にモモコのそばに寄り添って歌を歌い、あっという間に交尾してしまいました。モモコも嫌がる様子はありません。

 

一体何が違ったのか。

 

声のパターンを分析すると、タロウの声は一見にぎやかで活発に見えますが、よく見ると同じパターンを繰り返し、一本調子で押しつけがましい感じです。これに比べてアキラは、まず短い「さわり」の声を出して、次にやや変化をつけたものに変え、そののち「メインテーマ」で歌い上げています。しかし延々と歌い上げることはせず、また短いパターンの声で変化をつけ、再び歌い上げるという、手の込んだ歌唱方法をとっています。アキラはこのバリエーションをメスによって変えていきます。しかもアキラは、つねにメスのそばに寄り添い、反応を確認しながらさえずりを続け、常に歌の効果を検証しつつ、タイミングを見計らっています。ジュウシマツのテクニシャンの面目躍如です。

 

歌い方が違うと、なぜ「もて方」に差が出るのでしょうか。

岡ノ谷先生によると、じつは野鳥の世界では、アキラのような変化に富んだ声を出すことは、本来危険なことなのだそうです。外敵がいる森の中で、歌に精力を費やすと、そのぶん注意力散漫となり、生存の危機に自らをさらしてしまいます。しかしこの状況をメスから見ると、「危険な中でも歌が歌える頼もしい人(鳥)」ということになります。つまりジュウシマツは複雑なさえずりをすることで、自分の余裕の姿をメスに見せつけ、自分の大きさやたくましさをアピールしているというのです。

 

わたしはこの話を聞いて、とても不思議でした。人間と姿も違う鳥の世界で、人間そっくりのドラマが展開し、しかもそれが「歌」という手段を通じて行われている姿は、単なる不思議を通り越して、深い共感すら覚えます。これは、人間界でいう「文化」の物語ではないかとさえ思えてきます。生物が生きるとは、一体どういう事なのか。進化の神秘というほかありません。

 

さて、番組の収録も終わり、岡ノ谷先生とお茶を飲みながら談笑しているとき、衝撃的な話がでました。それは「今までで一番歌が上手かったジュウシマツは誰か」という話題になったときでした。岡ノ谷先生は、突然声を低め、「それはやっぱりパンダだなあ」と、感慨深そうにつぶやき、遠くを見つめました。

「パンダ・・」私の心の中をざわざわと胸騒ぎが駆け抜けました。

パンダは天才的なさえずりの名手でした。

歌のバリエーションはアキラの比ではなく、さわり、展開、メインテーマの組み合わせとも天下一品、絶妙無比。人間ですらうっとりとするほどの技量だったといいます。しかし奇妙なことにパンダはもてなかったのです。

なぜか。

 

パンダは自分の歌に酔うタイプのジュウシマツでした。

歌のバリエーションは天才的でも、アキラのようにメスの表情を読みながら歌うことをせず、純粋に音のつながりでさえずる芸術家タイプの鳥だったのです。

 

結局この話は、テレビで紹介されることはなく、

打ち合わせ室に居合わせた、数人のスタッフ達の心の中に、

小さな感動を巻き起こしただけで終わってしまったのでした。

 

 

| | コメント (0)

多重人格者との契約書

室山哲也:昔の作文図書館

 

多重人格者との契約書(2006.7.3)

 

私は多重人格者と契約を結んだことがあります。

あの体験は私の人生の中で、もっとも複雑怪奇、奇妙奇天烈、出口混沌、暗中模索な体験でした。「契約」とか何か。そもそも「私」とは何か。私の心に深い思い出を残して、ここ10数年間、すっかり忘れておりました。

ところが最近、あることが原因で、その体験を思い出してしまったのです。

 

きっかけは、京都のATRという研究所に、取材に行ったことでした。

「じゃんけん必勝のロボット作ります!」

髪はぼさぼさ、少し太めで、どこか少年の面影を残した著名な脳科学者が、

押し殺した声で、僕にささやきました。

「へ?どういうこと?」

ぽかんと聞き返す僕を、少し愉快そうにのぞきこみながら、ATR脳情報研究所の神谷先生の説明が続きました。

「脳の活動を外から捉える技術が進んできたので、それを使って、対戦相手の脳を読みながらじゃんけんすれば、100100中、勝てるっちゅうことです」

どうだというかんじで、神谷先生は太ったおなかを突き出して胸を張りました。

 

少しユーモラスだけど、信じられないこの話は、「ブレイン・マシン・インターフェイス」という最先端の科学研究から生まれたものです。

「ブレイン・マシン・インターフェイス」とは、人間の脳とコンピュータ(マシン)を接続し、その人が考えている内容を外から読み取ったり、逆に、心で念じただけでロボットを動作させたりする、いわゆるサイボーグ技術を含む最先端のものです。

少しまえ、NHKスペシャルで、患者の脳内にチップを埋め込んで義手を動かすショッキングなシーンが紹介されましたが、神谷さんたちのグループは、それをさらに進め、fMRIを使って脳の外から脳の血流変化を捉え、解析することで、脳のイメージ通りにロボットの腕を動かすことに、世界で始めて成功したのです。

「じゃんけんロボット」はその文脈から出てきた研究です。

 

しくみはこうです。

私たちはじゃんけんをするとき、脳の運動野の指令で、体(手や指)を動かしています。この運動野の動きを、指が動く前に読めれば、じゃんけんの中身が分かり、勝つことが出来るというわけです。

さらに運動野は運動前野という「計画」を作る部分の指令で動くので、もし運動前野の信号を読めば、さらに早い段階で、じゃんけんが読めることになります。この話はいろんな意味で示唆的なものを含んでいます。

たとえば私がじゃんけんで「グー」を出すとき、私はどの段階で「グー」を出すことを決めているのでしょうか?運動野が「グー」を出せと指令を送るときは、私は「グー」を出すことを知っていると思いますが、運動前野の場合はどうでしょうか?さらに運動前野にどこかから(たとえば前頭前野)から指令がくるとき、どの段階で「グーを出す」意識が生まれているのでしょうか?

「グー」を出す意識は、あるとき突然表れるのでしょうか?あるいは、脳内の前兆活動の中で、グラジュエーションのようにじわじわと生まれてくるのでしょうか?

 

運動の場合はまだ単純ですが、もっと複雑な意思決定の時、自分の意思が生まれるプロセスはどうなっているのでしょうか?

意識の前の無意識のところでの脳の活動はどうなっているのでしょうか?

そしてもしそれらの動きを、この装置で読むことが出来たら・・・

ここまで考えて、私は、かつて取材で出会った多重人格者のことを思い出してしまったわけです。

 

10年ほど前、私がまだディレクターだった頃、アメリカのある病院を舞台に、多重人格者の番組を作ったことがあります。ペグとよばれる女性で、20以上の多重人格者でした。

普通、大型の科学番組をつくるとき、取材を始める前に「許諾書」を示し、サインしていただくのですが、どの人と契約を結べばいいのか、私はハタと立ち止まってしまいました。病院長に相談したところ、正式には全員ということになるが、実質上はそれは不可能だとのこと。ペグの中にいる色々な人格は、仲が極端に悪かったり、引っ込み思案な人がいて、そもそも会うこと自体ができないというのです。

「ペグ」は20数人の中の代表格の人格の名前で、私たちは大体「彼女」と交渉ごとをやっていたのです。

とりあえずペグに相談することにしました。

「私(ペグ)は取材に応じてもいいんだけど、この顔や体はほかの人のものでもあるので、相談したほうがいいかもしれないわね。」

「じゃ、みんなに話してくれる?」(私)

「ちょっと待っててね」(ペグ)

突然ガクッと体を傾け、はっとわれに返ったように話し始めるペグ。

「あの人はOKって言ってる。」(ペグ)

聞けば、心の向こう側の草むらのところに居合わせたほかの男性の人格に聞いてきたのだといいます。

わたしは理解不能で、頭がぐらぐらしてきましたが、さらに聞きました。

「ペグは何人くらいの人の合意を取れそう?」

「分からないけど10人ちょっとならいけると思うけど・・」

ということはそのほかの人格の了承をどう取るのであろうか?

「他の人たちはどうなるの?」

「私はあまり親しくないし、ほとんど出てこない人だから、全員は無理ね」

「どうしたらいいんだろう?」

「うーん・・・」

ペグは困った表情になり、しばしの沈黙。。。

「ま、しょうがないわね。何かあったら私が説得するから・・」

とこういう按配で、結局、可能な限りの数人分のサインをいただいてロケが始まりました。

この病院で、私はのべ十何時間も、多重人格の人たちと話し込むことになりました。

私は「多重人格」者と呼ばれる人に直接向かい合って、奇妙な感覚にとらわれました。目の前の人の脳の中に、何人もの人格がいる。それらの人々が次々と登場し、姿を消していく姿を見ていると、なんだか私の中にいる「何人もの人格」が呼応してうなりを上げ、表に出てくるような気がしたのです。

 

一体「私」とは何なのか。

一つの意思を決めて発言する、社会的は「私」は、本当の私自身(脳の中の人格)と同一か。

否、「私」の中には矛盾した何人もの人格がいて、いつもせめぎあい、闘争し、ついたり離れたりしながら、かろうじて「私」が作られているのではないでしょうか。

本当の私の姿は、矛盾に満ちた、整合性のない、とらえどころのないものなのではないでしょうか。

もし、脳科学の進歩でこの状況が読み取られると、一体どういうことになるのでしょうか。

「私」とはどの部分を指せばいいのでしょうか?

社会はどの私を信頼し、どの私に責任を負わせればいいのでしょうか。

そもそもそんなことがどこまで可能なのでしょうか。

どこまでそれをしてもいいのでしょうか。

社会的ルールはどうなるのでしょうか?

 

 

そいういうわけで、せっかく忘れていたあの感覚。

頭がくらくらするような感覚が、

最近、私の脳に、戻ってきているのです。

 

(私は専門家でないので、哲学的な言葉の定義がばらばらかもしれません。あしからず。)

| | コメント (0)

インターネットと透明人間

室山哲也:昔の作文図書館

 

インターネットと透明人間(2007.1.14)

私は、いわゆる「インターネットいじめ」をうけたことがあります。

関係者が多いので、詳しい記述は差し控えますが、「凄絶」「残酷」などの言葉では、簡単に表現できないような、異常な体験でした。

いじめる第3者側は「祭り」とよんで、軽いノリで書いているらしいのですが、表現は次第にエスカレート。毒気を増し、ふだんは聞いたこともない罵詈雑言になっていきました。インターネット上に仲間がいるらしく、言葉が次の言葉に火をつけ、自己増殖する感じで、数十、数百もの中傷があらゆる方向から降り注いできます。その言葉に傷つき、ついに僕の友人の3人が心身症になり、ひとりは会社を辞めるまで追い詰められてしまいました。

私たちは、もし人を非難するときでも、相手の表情を見ながら話せば、普通そこまでいきません。ノンバーバルな言葉が全体を包み、血のかよった豊かなコミュニケーションが成立しているからです。ところがネットいじめの言葉は、普段は使わないひどいものばかり。おそらくその人たちも、日常生活では絶対使ってはいないのではないでしょうか。

 

なぜ、こんなことがおきるのでしょうか。

 

インターネット上で、文字のやり取りをする場合、情報量が少ないので、表現が先鋭化し、極端になっていく傾向があるという説明をよく聞きます。おそらくそうだろうと思いますが、私はその背後で、もっと深刻なことが起きているような気がします。

 

ある脳科学者が「ボディイメージ」という面白い話をしてくれました。

私たちの脳は、もともと手や足などからなる「人体」と強い絆で結ばれています。身体を取り巻く周囲の情報が、視覚、触覚、聴覚などの五感を通じて脳に入力され、脳の中に「イメージ」が生まれます。逆に脳は、作り上げたイメージを土台にして、指令を出力し、筋肉を操って、身体に移動を命じたり、物をつかませたりしています。このとき、脳の中には「ボディイメージ」と呼ばれる「身体の地図」が出来ており、その地図をベースにして、対象物との距離を測り、つかんだりいじったりしているというのです。

「座って半畳、寝て一畳」しかない、人間の小さな身体。傷を受ければ出血し、死にいたってしまうはかない人体。脳はそのことを熟知し、この身体をどのように操り、生きていこうかを常に考え続けているのです。脳は、身体の虚弱さのゆえに、命のはかなさも知っているのです。もともと人間の脳と心はそのようなものでした。

ところが、脳には、もうひとつの別の側面があることがわかってきました。

サルに道具を使わせると、脳内のボディイメージが道具にまで拡大される研究があります。今まで自分の身体を認識していたニューロン(神経細胞)が、道具を手の一部として認識し始めるというのです。

道具を操る職人が、よく、「道具の先に触れるものの形や硬さ、状態までもがわか

る」と言います。そのとき、道具の先は指先と同じで、脳内の「ボディイメージ」は、道具と一体になった「サイボーグ」のようなものになっているのでしょうか。

この理屈を広げていくと、色々なことが理解できます。

自動車を運転するときの「車間距離」や「車幅感覚」は、自動車が自分の身体のように思えているからかもしれません。タイヤを蹴られると、身体を蹴られたかのようにハラが立つのも、納得がいきます。タンカーを操縦する船長のボディイメージは、堂々とした巨大な鋼鉄製の船のイメージなのかもしれません。

この理論でいくと、インターネットに接続されたときの脳には、どのようなボディイメージが出来ていることになるのでしょうか。

脳は、クモの巣のように果てしなく広がった身体を得て、どこにでも自らの触角を伸ばし、世界を知り、逆に世界に働きかけることが出来ます。無数のサーバーには、無尽蔵の情報が蓄積され、森羅万象の物語、科学的成果、バーチャル住民との虚構の市民生活が詰まっています。そこには「座って半畳、寝て一畳」の虚弱な身体は、もはやなく、生物界の原則を越えた、今まで見たこともない、モンスターのようなボディイメージが出来ているのかもしれません。数百万年かけて人類が獲得してきた人体イメージは、まるで透明人間のように透き通り、淡い粒子となって消え去っているのかもしれません。

「人間とはそのようなものだ」といえばそうかも知れません。人類が、獲物をとるとき最初に棒を手にしたときから、その物語は始まっていたともいえます。しかし、科学技術が爆発的に進歩する中で、生物としての人間の約束事まで急速に塗り替えられ、「生存」にかかわる事態が発生しているのではないかと、私は時々、不安になってくるのです。

インターネットいじめは、そのような文脈で起きているのではないでしょうか。そこは「生物としての掟」が通用しない世界。天使のような人間と、悪魔のような人間が、むき出しで生息する空間なのかもしれません。

 

 

 

 

| | コメント (0)

66歳になりました2019.10.6

NHKという大きな船からゴムボートに乗り換えて1年。おぼつかない航海は、波や風が強く、室山丸は木の葉のようですが、難破せずに進んでいます。どこまでいけるか、小さな穴から海水が少し入ってきていますが、もうすこし頑張ってみたいと思います。
66年といえば、地球は今日で、24090回転したことになります。あと何回転して、この回り舞台を去るのだろうか。。。 

| | コメント (0)

かんぽ問題とNHK2019.10.1

かんぽのいい加減さには呆れるが、NHK上層部の対応は、ジャーナリズムとしてあり得ないこと。いったい何やってるんだろうか。現場の苦しみをどう思っているのか。情けなさで一杯だ。NHK上層部は責任をとるべきではないか。

| | コメント (0)

モビリティシンポジウムとミュージカル観劇2019.10.1-2

今日はモビリティの未来についてのシンポジウムのコーディネイトと司会をしました。自動運転が社会に何をもたらすのか?多くの課題をはらみながら急速に進展しています.

昨日は妹の旺なつきの舞台を観ました。頑張っている妹を観て自分も頑張っていこうと思いました。ちなみに旺なつきは左側です。

Img_0791 Img_0786 Img_0777 Img_0776 Img_0777

| | コメント (0)

「温暖化防止はセクシーに」に思うこと2019.9.25

小泉環境大臣がNYで「温暖化対策をセクシーに」といった言葉がマスコミで議論されています。私はその言葉の裏には「息の長い温暖化対策をするには、我慢だけではだめで、新しい文明や生活への心のシフトチェンジが必要だ」というメッセージがあるのではという気がします。数年前に書いた文章を添付します。

地球温暖化防止を楽しもう!(NHK解説委員 室山哲也)

最近、子供たちと環境問題の話をしていて、気になることがあります。それは「温暖化防止」のイメージを、「辛い」「暗い」「苦しい」ものだととらえていることです。「車に乗れず」「いつでもクーラーを使えず」「物を浪費できない」人生。右肩下がりの悲壮感に満ちた、夢のない苦行の日々・・まるで疲れた中年のサラリーマンのようなことを言う子がいます。

彼らは、大人から何をどのように教わったのでしょうか?情報としては確かに正しいかもしれません。クーラーは、お年寄りのような方には欠かせないものだということもわかります。

しかし私は、大切なことがすっぽりと欠けているにおいを感じます。それは、「自分の足で歩いたり、自転車に乗ること」や「汗をかくこと」がいかに爽快で、愉快で、素敵なことかというポジティブな態度です。

以前、動物学者の友人が「動植物が好きな子は、環境問題を身体で理解している」と言いました。生き物や自然のかけがえのなさを知る子供は、自分が何をなすべきかを自然に見つけ出すというのです。

私たち大人が、今、子供にしっかりと伝えておかなければならないこと。

それは「・・してはいけない」ということよりも、「・・することがいかに楽しい」かという視点ではないでしょうか。

地球温暖化防止は、これから長期間人類がとり組んでいく、息の長い社会運動です。次世代、次々世代と、教育で、その思いをつないでいかなければなりません。そのためには大規模は消費文明のコンセプトに修正を加える必要があります。地球温暖化について学ぶことは、美しい地球の中で、生態系のバランスを崩さず生きていくことの大切さ、素晴らしさ、感動を再確認する、絶好のチャンスという側面があります。地球というシステムのすごさ、生き物の素晴らしさを、子供たちに伝えることは、真の意味で地球温暖化防止を進めていく、原動力になっていくのではないかと思うのです。

 

| | コメント (0)

ABUロボコン誕生の夜2019.9.23

 

 

今年もABUロボコンの放送が始まった。今年はモンゴルでの開催。昔と同じ瞳をした若者たちが、熱い戦いを展開しているテレビの映像を見て、ふと昔のことを思い出した。

 

今から20前、渋谷の路地裏の、傾きかけたおんぼろ料理屋の2階で、ABUロボコンは生まれた。当時私は、ロボコン担当プロデューサー。NHKの科学番組部から、人事異動の命令を受けて2年目だった。NHKが事業としてかかわっている3つのロボコンを維持する為に東奔西走していた。その3つのロボコンの中に、資金繰りが最もむつかしく、お先真っ暗なロボコン(大学部門国内大会)があった。人事異動直後、NHKのお偉いさん達は、私に、このイベントは廃止せよと告げていた。しかし私は抵抗し、国内大会を「国際化」することで生き延びようともがいた。突破口は見つからず、もうだめかと思っていた矢先、NHK会長の特命を受けたある人物(後の理事)と、たまたま酒を酌み交わす機会があった。ほろ酔いの中、「何かNHKが世界に貢献出来ることはないか」と問われ、私は「ロボコンをアジア各国の若者でやりたい」と直訴した。酒の宴がすすみ、ほかの話題に話が進み、その日はそれで終わった。翌日、その人物から、ABU(アジア太平洋放送局連合)の事業として展開できるかもしれないとの電話が入った。驚く私をよそに、事態はあれよあれよと展開し、1週間後、なんとABU理事会で決定してしまった。朝、出社した私に、現地滞在中のNHK会長側近から電話を頂き、呆然としながらその結果を知った。その後、ロボコン関連の何人ものプロデューサーたちと、世界各国を走り回り、ロボコンの内容を説明し、実現方法を説いて回った。「アジアの青少年を育てる教育イベント」をつくりたいという一心だった。

あれからずいぶん時が流れ、ABUロボコンは、アジア太平洋各国の中に、またたくまに広がっていった。「自分の頭で考えて、自分の手でつくる」このロボコンの精神が、アジア太平洋の若者たちの心に火をつけ、大きく成長したのだと思う。ロボコンはものつくりを通じて人を育てる。揺れ動く世界。願わくばこのイベントが、単なる国威発揚の場になるのではなく、アジアの大人たちが共同して、若者たちを育てていく、愛に満ちた教育の場になることを、心の底から願っている。

Ogp 1709_4

 

 

| | コメント (0)

NHK文化センター青山で「世界の今を読む」シリーズでSDGsについてお話ししました。2019.9.18(水)

NHK文化センター青山で「世界の今を読む」シリーズでSDGsについてお話ししました。
世界の“今”を読む
最新の世界情勢・話題について、国際ジャーナリストが解説します。
トランプ政権と国際秩序の行方、テロ、北朝鮮、エネルギー、地球環境、宇宙開発、日本の選択は…。
取材経験豊富な国際ジャーナリストが、激動する世界の動きをわかりやすく読み解きます。
○ 2019/10/16(水) 船橋洋一元朝日新聞社主筆
○ 2019/12/04(水) 第2水曜 佐藤俊行元NHK国際放送局長
○ 2019/12/18(水) 秋元千明元NHK解説委員
○ 2020/01/15(水) 杉田弘毅共同通信特別編集委員
○ 2020/02/19(水) 森保裕共同通信論説委員
○ 2020/03/18(水) 室山哲也元NHK解説委員

| | コメント (0)

年縞科学の新展開― 福井年縞博物館の年縞サンプルがやってくる ―

■■ 2019年10月例会のご案内 ■■

年縞科学の新展開

― 福井年縞博物館の年縞サンプルがやってくる ―

 

講師: 山根一眞(サイエンスライター、福井県年縞博物館特別館長)

日時: 2019年10月08日(火)午後07:00〜09:00

場所: 日本プレスセンタービル8階 特別会議室(東京都千代田区内幸町2-2-1)

 

 福井県若狭市・水月湖の底に幾星霜、静かに積もり続けた湖底の泥。その地層に刻印された「時」を告げるシマシマを、「年縞」と呼びます。これを垂直に45m掘り進んで、円筒の容器に採取したサンプルが、年縞サンプルです。驚くことに7万年分あることがわかり、一躍、世界の注目をあびました。こんな長期間の年縞が、これほど明瞭に示されたことがなかったからです。

 

 

 まず、放射性炭素の時代測定の新たな標準「INTCAL」として認定されただけでなく、泥に含まれる生物の死骸、排出物、花粉、火山灰、黄砂や金属を調べることで、地球環境、生態系、そして地球という衛星が浴びた宇宙線や、自転、軌道変化など、自然科学の様々な領域の研究を支える、貴重な資料となりました。さらに気象と人間のかかわりなど、人類の歴史も読み解くことができます。

 

 このため昨年9月、年縞サンプルを保管、展示し、また、「年縞学」の研究や学会開催の拠点として「福井県年縞博物館」がオープンしました。すでに国際シンポジウムも開催され、各国の研究者との共同研究も進んでいます。今回は、特別館長として、年縞の意義や研究成果を社会に伝えるコミュニケーション活動に取り組んでいる、山根一眞さんに講師としてお話しいただき。また、年縞サンプルもお持ちいただき、本物の「年縞」にも、触れていただきたいと思います。

 

 

                           担当 JASTJ企画委員長 室山哲也

 

※小出重幸理事による「福井県年縞博物館を取材したルポ(読売日本テレビ文化センター季刊誌掲載)」を添付します。ご参考ください。

 

※参加希望の方は下記URL先に、10月1日(火)までにお申し込みください。会員以外の方の参加も可能です(勤務先など、ご所属をご明記いただきます)。 お申込みURL:http://bit.ly/jastj_201910m

 

※会員と塾開催期間中の塾生は無料。学生などは500円、その他の方には参加費1,000円をいただきます。

| | コメント (0)

イグノーベル賞13年連続受賞!

イグノーベル賞13年連続受賞!いいぞニッポン。エッジのきいたユニークさこそ日本が生き残る道だ!!

| | コメント (0)

第18回JASTJ塾が始まりました2019.9.5

日本科学技術ジャーナリスト会議の第18回JASTJ塾がプレスセンターで始まりました。科学コミュニケーションの極意を学ぶ塾生のエネルギーが、今後どのような化学反応を起こすか楽しみです。https://jastj.jp/about/

Dsc_0069 Dsc_0053 Dsc_0001

| | コメント (0)

«内外情勢調査会で対談しました。2019.9.2