「太陽系大航海時代の教育論」2023.6.12

「太陽系大航海時代の教育論」

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長)

 

  • 宇宙との出会い

子供のころ、野原に寝そべって星空を眺めたことがよくある。思えば大人になって、空を見上げることが少なくなった自分を、問題だなあと感じるが、子供のころの心は大きく羽ばたいていた。あちこちに見える星々は、それぞれ違う距離にあり、何千万年も、何億年もかけて光が届いていると聞いた時、胸が騒ぎ、宇宙の不思議さに感動した。歴史でいうと、坂本竜馬と、聖徳太子(今は呼び名が違うそうだ)が、同じ星空に並んでいるということになるわけで、時空を超えた宇宙の不思議は、少年の心をとらえて離さなかった。

その宇宙に、今や人類は進出を始めた。地球近傍はもとより、太陽系を超えて探査機を送り込む時代になってきた。「太陽系大航海時代」という言葉を教えてくれた専門家がいたが、まさにそのような時代に突入したのだと思う。

 

  • 地球環境が危ない

さて、その宇宙の一員の地球だが、いま大きな問題に直面している。

ホモサピエンスが誕生して20万年。私たち人類は、科学文明を築くことで、豊かな生活を手に入れたが、一方で深刻な文明の隘路にはまり込んでしまった。

オックスフォード大学が、2015年に発表した「人類滅亡12のシナリオ」には、人類の未来を左右するさまざまな項目が並んでいる。もし人類が滅亡するとしたら、どんなプロセスをたどるかという、論考だ。

その原因として、「核戦争」「生態系の崩壊」「グローバル経済での格差拡大による国際システムの崩壊」「巨大隕石衝突」「大規模火山噴火」「バイオハザード」「ナノテクによる小型核兵器開発」「人工知能」「超汚染物質や宇宙人の襲来など未知の出来事」「政治の失敗」「パンデミック(新興感染症)」などと並んでいるが、一番最初に「気候変動」が挙げられている。人類社会の発展で放出された、温室効果ガスが、地球温暖化を誘発し、その結果、地球の水循環が擾乱され、気候変動問題が発生してしまった。

この根幹には、人類の人口の急激な増加がある。

5万年前、人類の平均寿命は10年ほどだが、今よりはるかに多くの子供を産んでいた。しかし、人口はわずかに増える程度だった。その後、農耕が始まり、食糧が確保しやすくなり、人口が増え始めた。紀元前8000年ころで500万人、1世紀ごろで3億人、19世紀初頭で10億人、そして20世紀に入って急増をはじめ、1960年には30億人、1987年には50億人、2010年には70億人を超え、ついに国連は、「80億人突破」の報告をするに至った。

産業革命以降、食料問題の解決と相まって、私たちの生活は格段に豊かになってきた。しかしその反面、地球環境に大きな負荷がかかり始めたのだ。

エコロジカルフットプリントという指標でみると、人類は、すでに地球1・7個分の生活をしており、今の文明のパターンのまま、人類全員が日本人の水準の生活をすると、地球が2・8個、アメリカ人の水準の生活をすると、5個必要になるというデータもある(14年データ)。

地球は1個しかないわけで、このままでは、地球環境は疲弊し、資源は消耗し、私たち人間は、持続可能な生活を続けることはできなくなる。

これからは、私たちは「地球1個分の生活」をしながら、持続可能で、しかも豊かで質の高い生活をする方法を探さなければならない。

私たちを悩ませた「新型コロナウイルス」も、実はこの構図に密接に関連している。新型コロナは、増加を続ける、新興感染症の一つだが、その原因は、人間社会の開発によって、自然界の奥深くまで、人類が進出し、未知のウイルスに触れることにある。野生動物には、多くのウイルスが取り付いているが、人間が未知のウイルスに遭遇した場合、免疫がないため、病気になったり、また、体内で変異が起き、人間の間で伝染するウイルスに変身してパンデミックが発生する。新型コロナは、私たちが、地球の資源や環境とバランスをとった、持続可能な社会を作る必要があることを教えてくれている。

 

  • 「宇宙」の視点で解決できるか

このような地球規模の問題を、どう解決していけばいいのだろうか?

私は、そのカギの一つに「宇宙」があるのではないかと思う。

以前、ある数学の世界で著名な学者に、多元方程式について聞いたことがある。私は文科系なので、ほとんどわからなかったが、一つだけ記憶に残る言葉があった。それは「次元を上げれば、課題が解決する」という言葉だった。一次元の線上でぶつかり合う点と点は、二次元の面になれば衝突しにくくなる。二次元で衝突する事象は、三次元にすれば解決しやすくなるという風な言葉だった。文科系の私の脳でも理解できそうな気がした。この話を宇宙に当てはめるとどうなるだろうか?今、地上では、様々な深刻な、地球規模の問題が起きている。しかし、この問題に「宇宙」からの視点を入れ込むと、一つ次元が上がり、解決に迎えるのではないかというわけだ。

考えてみれば、地球観測衛星や通信衛星、測位衛星が、陸上のネットワークを進化させ、新しい社会のフェーズに入っているので、おそらく正しい指摘だろう。

しかし、気候変動のような地球の危機(実は人類の危機)を解決するほどの、道筋が存在するのか、私にはわからない。

ただひとつ、あるエピソードを思いだし、そこから何かが学べないかと思ったので、ご紹介したい。

それは、アポロ13号のエピソードだ。そのいきさつは、「アポロ13」という映画でも紹介されている。1970年の4月11日に打ち上げられたアポロ13号は、月に向かう途上、司令船の酸素タンクが爆発するという前代未聞の事態に直面した。被害は、船内の電気、水、生命維持装置などにおよび、乗組員の生命が深刻な危険にさらされた。アメリカは既にアポロ11号で、人類史上初の有人月面着陸を成し遂げており、その直後のこの事故に、強い衝撃を受けた。その意味では、アポロ13号の事故は、アメリカの宇宙開発の汚点ともいえるかもしれない。しかし私は、アポロ11号よりも、このアポロ13号こそが、アメリカの宇宙開発が持つ底力を示す「快挙」なのではないかと思う。

映画の終わりに「アポロ13号は栄光の失敗だ」という言葉が出るが、同感だ。アポロ13号の物語にはある種の感動と共に、現代に生きる人類への深いメッセージが秘められていると思うからだ。

私がアポロ13号を見て感動するのは、地球帰還に至る、試行錯誤に満ちたプロセスにある。アポロ13号の様子を外から撮影した写真を見ると、酸素タンクの爆発で大きな穴があき、ただならぬ被害だと分かる。この状態では月面への着陸どころか、地球帰還すら不可能。結局アポロ13号は月面着陸を諦め、月の軌道を回った後、6日後に地球帰還を遂げるわけだが、そのプロセスは想像を絶する苦闘となった。アポロ13号の船内は、電力低下、極端な室温低下、酸素欠乏、二酸化炭素増加など、呼吸そのものもままならない、最悪の状況。この危機をどのように克服したのか。

NASAのチームは、まず地上にアポロ13と同じ環境の部屋を再現した。そして乗組員との交信の中で、船内にどのような物が残っているのか、どれが使用可能か、克明なリストを作った。検証は、ゴムホース、ひも、ビニールテープ、靴下にまでおよんだ。普通なら見落としてしまいそうなあらゆる物が、生存へのカギとなるからだ。そして船内で次々に起きていくトラブル(温度低下や電力低下、二酸化炭素上昇など)に対して、地上で実験を繰り返し、解決策をアポロの乗組員に連絡。乗組員はその方法を船内で実践していった。たとえば、二酸化炭素の上昇を食い止めるために、数センチのゴムホース、ビニール膜、靴下を組み合わせて奇妙な装置を作り、それを二酸化炭素浄化フィルターと接続して問題を解決するといった案配だ。その結果、船内はまるでパッチワークのような状態になったが、見てくれはとにかく、人間が生き続けられる環境がかろうじて作られ、1つ1つの危機を乗り越え、ついにアポロ13号は、地球帰還を果たす快挙を成し遂げた。

私はこのシーンを見て、今私達が暮らしている地球と似ているなあと思った。

温暖化や地球汚染が進行し、牙をむき始めた地球災害の中で、人類は限られた資源と知恵をつかって生き延びていかなければならない。サバイバル技術と運用する人間のチームワークがその成否のカギとなる。これは、アポロ13号と全く同じ状況ではなかろうか。

私達人類は、地球を捨てることは出来ない。この星の上にある、限られた資源や物質を使い、知恵を働かせて環境を守るシステムを作り、生き延びていくしか方法はないからだ。その意味で、知恵と勇気と協力で、見事に危機を乗り越え、生還を果たしたアポロ13は私達人類のモデルケースといっても良いかも知れない。

このように、宇宙空間で起きることは、時として、地球上の課題を解決するヒントを与えてくれる場合があると思う。

 

  • 人工知能と人間

このごろ、人工知能(AI)についての報道が活発だ。AIは、いつのまにか私たちの社会に浸透し、既に社会構造を変え始めている。人類が宇宙に進出するとき、AIなしには不可能に違いない。宇宙空間では、人間とAIは最強コンビとして活躍するに違いない。しかしその時、AIが進化すればするほど、人間にしかできないことが重要になってくる。では人間にしかできない重要なこととは何か?未来社会では、そのことを深く掘り下げ、そのシナリオに沿った社会構造や教育が必要になってくる。

人間の脳とAIは、どこか違うのだろうか?

比較の仕方はいろいろあるだろうが、取材の結果、私は、「生きている」かどうかが判断の基準のように思う。人間の脳は、38億年の生物進化の果てに出来上がったものだ。しかしAIは生物進化の結果ではない。

つまり、脳は「生き物」、AIは「死に物」。これが根本的な違いではなかろうか?

人間の脳はどのようにできているのだろうか?

脳には「3匹の動物」が棲んでいるとよく言われる。一番奥に「ワニの脳」(呼吸や体温などの生存機能)、その上に「ウマの脳」(喜怒哀楽)、そして一番外側に「ヒトの脳」(知能や知性)の三層構造になっている。これは人間が進化するプロセスで、脳が増築されてきた結果で、この三層の脳が同時に働くのが人間の脳活動だ。したがって、「知能」は脳の働きの一部でしかなく、脳は「生きるため」にこそ存在すると言える。一方、AIは「ヒトの脳」(知能)の一部の機能を真似て増幅したものだ。一見人間の脳に似た動きをするが、AIは生き物ではないので、喜怒哀楽や、生存欲求はない。ただ、情報を操って、人間の知能の脳に似た振る舞いをしているだけなのである。

その例として、2017年に北海道大学が行った「AI俳句プロジェクト」を紹介しよう。このコンテストでは、最終的に、AIが作った「かなしみの片手開いて渡り鳥」という句が、最高点を獲得した。しかしAIは「かなしみ」とは何かを知らないまま、この句を作った。私たちは「かなしみ」という言葉を聞くと、人生の記憶がよみがえってくる。失敗した時の「かなしみ」、失恋した時の「かなしみ」、肉親が亡くなった時の「かなしみ」。。胸が締め付けられるような、あの苦いような、痛いような「かなしみの感覚」。しかし、AIはその感覚を知らない。ただ言葉を操り、悲しいふりをして、この句を作ったわけだ。

しかし、そんな心のこもっていない句に、感動する人間とはいったい何なのか、逆に考え込んでしまう。どうやら、このエピソードの周辺に、人間とAIの違いを解くカギがありそうにも思う。

 

  • 未来を切り開く人間の冒険心とは

かつて、JAXA主催で、世界の宇宙飛行士による「人はなぜ宇宙に行くのか?」という3日連続のシンポジウムがあり、私が司会をすることになった。そこで議論されたテーマの一つに、人間の「冒険心」の話題があった。人間の知的好奇心、冒険心は、科学を推進してきた原動力だ。これこそ人間のあかし。私たちがAI時代にも死守しなければならない人間の特性といえる。

一体「冒険心」とは何か?

最近私は二人の脳科学者に興味深いことを聞いた。

一つ目は、人間とほかの動物の冒険心の違いについてだ。

興味深いことに、「冒険」は人間だけでなく、哺乳類もするらしい。

例えば子ネズミは、母親の元を時々離れ、探索行動をする。周りの環境がどうなっているかを確かめるために、周りをうろうろして、しばらくしたら慌てて母ネズミのもとに戻る。母親はいわゆる「安全基地」。子ネズミは、安心して探索行動を繰り返し、精神世界を広げていくのだそうだ。しかし大人になると、この探索行動は消え、子ネズミの「冒険の時期」は終了する。しかし、奇妙なことに、人間だけは、大人になってもこの探索行動をやめない。それは一体なぜか? 自分を守る親がいなくなっても、自分の友人たちや、グループ、組織、社会を「安全基地」として位置づけ、冒険を続けていくからなのだという。つまり人間は「心の安全基地」を、成長の途中で切り替え、果てしない探索行動(冒険)を続ける存在だというのだ。そしてこの行動を通じて、人類はアフリカ大陸から、世界中に拡散していった。グレートジャーニーのプロセスで、新しい発見をくりかえし、所属集団に情報を持ち帰って共有し、結果的に文明を発展させていったというのだ。

もう一つの説は、「ドーパミン予測誤差説」と呼ばれる考え方だ。

よく知られるように、ドーパミンは脳内の快楽物質。物事がうまくいったり、おいしいものを食べたときに放出される報酬物質で、これを求めて、動物は行動を起こす。ところが、最近言われているのは、ドーパミンは、単にいいことが起きたときに出るのではなく、「自分の予測」と「結果」が大きく食い違い、しかもその結果が「好ましい」という、二つの条件がそろったときに放出される、ということが分かってきた。例えば、ある素敵な場所を予測して出かけたら、予想以上に素晴らしい場所だったとか、予測して食べたものが、予測以上においしかったとかいう場合だ。しかし「予測との誤差」があっても、結果が悪かったら、ドーパミンは出ない。「予測との誤差」+「良好な結果」の組み合わせが必要なのだという。そしてその経験をした動物(人間)は、同じ経験をしようと、同じ行動を繰り返す。しかし、次第にドーパミンは少なくなっていく。結果に慣れ、予測と結果の誤差が減っていくからだ。そして人間は、新たな「誤差」を求めて次の行動をとろうとする。この行動は「未知なもの」にあこがれる人間の特性そのものといえる。別の言葉でいえば、知的好奇心とか冒険といえるものなのかもしれない。この人間独特の特性は、我々人類が進化の中で獲得した「生存戦略」であり、決して消えるものではない。そう考えると、人間とAIの関係は、人間は目標を設定し、AIはそれを補助する形が最強ということになる。

 

  • ロボコンに見る教育論

知的好奇心を子供に育てる方法や教育はどうあるべきなのだろうか?手前みそだが、NHK時代私がやっていた「ロボコン」もその一つだと思う。

私はNHK時代、ロボコン(アイデア対決ロボットコンテスト)の担当プロデユーサーをしていたことがある。ロボコンからは多くのことを学んだ。

あまり知られていないが、NHKロボコンの源流は、アメリカのマサチューセッツ工科大学と東京工業大学の授業だ。ロボット工学の教授が、学生の心に火をつけようと、「限られた材料」でロボットを手作りさせ、性能とアイデアを競う競技大会を始めたところ、これが大当たり!たちまち名物授業となった。なにせ、ロボコンには、正解がない。何をやっても許される。そして自分が作ったマシンが、競技場で動き活躍するのだ。その自由な精神と、創造の喜びが、学生たちの心に火をつけたのだろうと思う。NHKはその様子を番組で紹介し、それがきっかけで、1988年に高専ロボコンが誕生した。そして今やロボコンは、大学生、中学生、小学生にまで広がり、私が設立に関与したABUロボコン(アジア太平洋放送局連合)など、日本が世界に誇る、グローバルイベントに発展した。

タイの前国王も、アジアのリーダーたちも、ロボコンファンが多く、アジアの多くの若者の支持を得て、ロボコンは急速に広がっていった

なぜロボコンは、こんなに若者たちを夢中にさせるのだろうか?その秘密を、「ロボコンの祖」と言われる、森政弘東京工業大学名誉教授に聞いた。

ロボコンには数々の名言がある。

まず「ロボコンに正解なし」という言葉が重要だ。

ロボコンは、材料や競技大会のルールさえ守れば、どんなマシンを作ろうが、形や動きは自由だ。「これが正解」といった、定型的な正解はなく、まさにアイデアこそ、勝負のキーとなる。荒唐無稽、抱腹絶倒、空前絶後のロボットこそ、ロボコン精神が最も大切にするものだからだ。いまや、人工知能が出現し、人間の仕事が消滅していかざるを得ない現代においては、ロボコンの自由闊達な精神が重要なカギとなってくる。

そして、「モノが人を育てる」という言葉がある。

たとえば考え抜かれたマシンの設計図があるとする。しかし作ってみると、マシンはなぜか動かない。町工場のベテラン職人に聞くと、「遊び」が足りないからだという。設計者は、指摘に反発するが、やってみると、確かにマシンは動いた。設計図は、ものつくりの羅針盤だが、ものつくりのプロセスで、その後「モノとの格闘」が始まる。いくら設計図で指示されても、例えば、鉄を曲げようにも、鉄という素材は、そのようには曲がらない場合がある。現実は理屈通りにはいかない。「モノ」が反逆しているのだ。学生たちは、ロボコンを通じて、自分が思い描いたイメージを実現するためには、モノと対話し、格闘し、そして命を吹き込んでいかなければならないことを知る。そしていつの間にか、モノに対する敬意を学んでいく。

「ものつくり教育」の本質は、人間の想像力と、現実のはざまで生み出される美しい関係性にあるのかもしれない。

最後に、「勝ったマシンにゃ力がある、負けたマシンにゃ夢がある」という言葉。これは負けが多いチームの先輩が、後輩に残した言葉だ。しかしなかなか含蓄がある言葉だ。ロボコンは、ただ勝てばいいというものではない。つまらない形の、ただ強いだけのマシンは、あまり面白くない。たとえ弱くても、作り上げようとした夢の大きさ、しなやかさ、独創性こそロボコン精神の柱だという発想だ。実は、ロボコンには「アイデア倒れ賞」が設定され、そのような学生をたたえるシステムが用意されている。

私は、ロボコンを見ていると、子供のころ竹とんぼを作って、野原で飛ばした、あの気持ちを思い出す。自分の頭で考えて、自分の手で作り、それを使って遊ぶという単純な行為が、いかに感動的かを、今となって、しみじみと感じる。宇宙船を作り、それを打ち上げる大人たちも、同じ精神なのに違いない。しかし、今の教育に、そのようなわくわくした、のびやかな要素が、どれほど貫かれているだろうか?

これからは、きゅいくの根本について、もっと考える必要があるように思う。

 

  • 人類の未来は?

人類は、いつまで生き延びていけるのだろうか?

私は、最近の人類社会を取り巻く困難な状況を見て、時々暗い気持ちになる。気候変動にしても環境問題にしても、国際間の紛争や核の脅威にしても、すべて人類の「知」が作り上げたものだ。しかし私は、それらの課題を「知」によって解決できないはずはない。「宇宙時代」という新しい時代に突入する今、私たち人類は、いまこその本領を発揮して、輝かしい未来に進み出る時であってほしい。

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アポロ13号は地球そのものだ2023.3.6

アポロ13号は地球そのものだ

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議JASTJ会長)

 

「アポロ13」という映画をご存じだろうか。ロンハワード監督が、実際に起きた出来事をもとに作った傑作だ。

アルテミス計画で、再び月を目指す今、私は、ある出来事を思い出す。アポロ計画は、米ソの熾烈な宇宙開発競争に打ち勝つために、アメリカが行った「月に人間を送り込む」巨大プロジェクト。計画の途上で、その事故が起きた。1970年4月11日に打ち上げられたアポロ13号は、月に向かう途上、司令船の酸素タンクが爆発するという前代未聞の事態に直面し、乗組員の生命が深刻な危険にさらされた。アメリカは既にアポロ11号で、人類史上初の有人月面着陸を成し遂げており、その直後のこの事故に、強い衝撃を受けた。

その意味では、この事故は、アメリカの宇宙開発の汚点かもしれない。しかし私は、アポロ11号よりも、13号こそが、アメリカの宇宙開発の底力を示す「快挙」ではないかと思う。

映画の終わりに「アポロ13号は栄光の失敗だ」という言葉が出るが、同感だ。アポロ13号が、地球に帰還する、試行錯誤の物語には、現代に生きる我々への深いメッセージが秘められているように思う。

事故直後の写真を見ると、機体に大きな穴があき、ただならぬ被害と分かる。この状態では月面への着陸どころか、地球帰還すら不可能。結局、月面着陸を諦め、月の軌道を回った後、6日後に、なんとか地球帰還を遂げるが、そのプロセスは想像を絶する苦闘となった。船内は、電力低下、極端な室温低下、酸素欠乏、二酸化炭素増加など、呼吸もままならない、最悪の状況に陥っていた。

この危機をどのように克服したのか。

NASAのチームは、まず地上にアポロ13号と同じ環境の部屋を再現。そして乗組員との交信の中で、船内にどのような物が残っているか、どれが使用可能か、克明なリストを作る。検証は、普通なら見落としてしまいそうな、ゴムホース、ひも、ビニールテープ、靴下にまでおよんだ。そして船内で次々に起きるトラブル(温度低下や電力低下、二酸化炭素上昇など)に対して、地上で実験を繰り返し、解決策をアポロの乗組員に伝えた。乗組員はその方法を船内で実践し、課題を一つ一つ解決していった。

手作りの装置で、船内はまるでパッチワークのような状態になったが、見てくれはとにかく、人間が生存できる環境が、かろうじて作られ、危機を一つ一つ乗り越え、アポロ13号は、ついに地球帰還を果たすことが出来た。

私はこのシーンを見て、この宇宙船は、今私達が暮らしている地球と、よく似ていると感じた。

気候変動が進行し、牙をむき始めた地球環境の中で、人類は限られた資源と知恵をつかって生き延びていかなければならない。そして、サバイバル技術と運用する人間のチームワークがその成否のカギとなる。

この状況は、アポロ13号と同じではないか。

人類は、地球を捨てることは出来ない。この星の上にある、限られた資源や物質を使い、知恵を働かせて環境を守るシステムを作り、80億人の人類が、生き延びる環境をつくるしか道はないのだ。

その意味で、知恵と勇気と協力で、見事に危機を乗り越え、生還を果たしたアポロ13号は私達人類のモデルケースといっても良いかも知れない。

一度あなたも、アポロ13号の映画(本)をごらんになって、地球について考えてみてはいかがだろうか。

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「生物多様性の危機と私達」2023.2.6

「生物多様性の危機と私達」

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議JASTJ会長)

 

昨年12月、国連の「生物多様性条約締約国会議」(COP15)がカナダで開かれ、生物多様性を回復するための、2030年までの国際目標が採択された。この会議は、地球上の生物種を保全し、生態系をどう守るかを議論する重要なもので、今回が15回目となる。「COP」というと、気候変動のCOP(気候変動枠組み条約締約国会議)を連想するが、それとは別の国際会議。しかし両者には深い因縁がある。というのも、1992年にブラジルで行われた地球サミットで、「気候変動」と「生物多様性」の条約が同時に生まれたからだ。そのため、この二つは「双子の条約」と呼ばれている。

なぜ生物多様性が重要なのだろうか?

それは、生物多様性と私達の暮らしが深く結びついているからだ。農作物を収穫するにしても、漁業を営むにしても、大地や海の存在なしには成り立たない。森林は、二酸化炭素を吸収して酸素を提供してくれるし、豊富な木材などの資源を提供してくれる。森林を上手に育てれば、雇用も生まれ、森が水を蓄えて水害防止にも役立つ。また森などに住む生物は、医薬品の原料になることが多く、抗がん剤の4割以上が自然由来の成分を利用しているという指摘もある。

その生物多様性が、今、危機を迎えている。原因は人間活動だ。

実は40億年の地球史で、生物種の大絶滅といわれる現象が、かつて5回あった。最近のものは、6600万年前の、隕石衝突による恐竜の大絶滅だが、それ以前も巨大火山噴火など、さらに深刻な出来事があったことがわかっている。それらの原因は自然現象で、絶滅も1000年に平均1種の速度だった。しかし、今、人間活動によって、6回目の大絶滅が起きており、1年に平均4万種の速度で絶滅が進んでいると言われる。絶滅危惧種のリストを見ると、イリオモテヤマネコをはじめ、ホッキョクグマ、ゴリラ、チンパンジー、アザラシ、レッサーパンダと、おなじみの動物があげられている。海ではサンゴ礁が激減している。サンゴ礁は海洋の1%以下の面積なのに、海洋生物の1/4が生息する生物多様性の重要な場で、その影響は大きい。

お金の話で恐縮だが、「世界のGDPの半分以上の44兆ドルが自然に依存しており、生物多様性の喪失は世界経済の重大リスクだ」という報告もある(世界経済フォーラム2020)。このように、生物多様性の損失は、さまざまな側面で私達人類にダメージを与える。

SDGsのウエディングケーキモデルをみると、自然環境の上に、経済や政治、文化が成立している。「命あっての物種」というが、私達人類は、生物多様性を破壊しながら繁栄するのは、おそらく難しい。

ではどうすればいいのだろうか?

残念ながら、生物多様性をめぐる保全は十分には機能していない。今回のCOP15でも、「陸域、海域、内水域(河川や湖沼など)を、2030年までに少なくとも30%保全」「プラスチック汚染を減らし、過剰な肥料と農薬のリスクを30年までに半減」「自然に根差した方法で気候変動を最小化」などが決まったが、今後の実効性については課題が多い。

生物多様性の問題は、一見地味で、わかりにくいが、一歩一歩着実に進める必要がある。

かつて日本には「里山」と呼ばれる地域が広がっていた。人間が自然環境に手を加えるとき、欧米では、介入が強すぎて、生物種が減少するが、里山ではなぜか、生物種が増えているという。自然環境を根絶やしにせず、共存する態度を保ち、獲物の一部を小動物のために置いて帰るなど、「自然と共存する」文化があるからなのかもしれない。

私達日本人は、このような文化を大切にしながら、自然と人間が共存できる、社会の姿をもう一度再考する必要があるように思う。

(日刊自動車新聞2023/2/6掲載)

 

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「80億人時代の地球の在り方とは?」2023.1.16

「80億人時代の地球の在り方とは?」室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議JASTJ会長)

昨年11月、世界の人口が80億人を突破した。

このままでは、15年後には90億人、2058年には100億人になるという。驚くことに、現在の地球上の大型動物の重さは1億トンだが、人間は3億トンにも上る。まさに「地球は満員」状態だ。

いったいいつからこうなったのだろう?

5万年前、人類の平均寿命は10年ほどだが、今よりはるかに多くの子供を産んでいた。しかし、人口はわずかに増える程度だった。その後、農耕が始まり、食糧が確保しやすくなり、人口が増え始めた。紀元前8000年ころで500万人、1世紀ごろで3億人、19世紀初頭で10億人、そして20世紀に入って急増をはじめ、1960年には30億人、1987年には50億人、2010年には70億人を超え、ついに国連は、去年11月15日「80億人突破」の報告をするに至った。

この、人口急増の背景には、産業革命で生産性が向上し、医療技術の進歩が寿命を延ばしたことがある。それ自体はおめでたいことだが、人口の急増によって、自然が破壊されたり、環境が汚染されるなど、地球規模の環境問題が発生し続けている。世界が直面している「森林の消滅」「生物種の減少」「エネルギー不足」「食料不足」「地球温暖化」などは、急増する人口増加に対して、地球環境が耐え切れない状態になっているわけで、このアンバランスを、何らかの方法で解決しなければならない。

ではどうすればいいのか?

人類の人口を減少させるのが一番だが、それが当面難しければ、地球と人間活動の関係を変えるしかない。つまり、科学技術を使ってイノベーションを進め、地球の資源を浪費せず、環境を汚さず、できるだけ地球に負荷をかけない文明を作り上げる必要がある。最近叫ばれているSDGsは、それを実行するための方策だが、やってみると実現には様々な壁がある。

代表的なものの一つが、「格差」の問題だ。世界の人口増加のうち、急増が目立つのは、アジアやアフリカなど開発途上の国が多い。中国とインドの人口は、共に14億人を超え、特にアフリカでは、2050年までに、人口が、今の2倍以上に増加すると言われている。そしてそれらの国々には「貧困」という苦難が立ちはだかり、深刻な健康被害と、社会不安をもたらしている。

世界では今、10人に1人、8億2800万人が飢餓に苦しんでいるが、安全な飲料水が手に入らない人が22億人存在し、毎日、700人以上の子供が不衛生な水が原因で死亡しているという。昨年、エジプトで開かれたCOP27で問題になった、気候変動による被害の背景には、このような実態が横たわっている。

そしてもう一つ。途上国で人口が急増している一方、先進国の一部では、人口が減少し始めている。その典型が日本で、人口減少のみならず、「少子化」「高齢化」が同時進行している状況だ。つまり現在の世界は、人口急増と減少が入り混じりながら、全体として深刻な地球環境問題が進行するという、複雑な状況になっているのだ。この多元方程式をどう解いていくのか?ウクライナ戦争なども含めて、2023年は、人類社会の未来を決める、重要な年となりそうだ。

 

(日刊自動車新聞2023/1./16掲載)

 

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NHKの立花隆のドキュメンタリーを見た。2022.12.31

NHKの立花隆のドキュメンタリーを見た。懐かしい顔と声。知的好奇心に従って生きる人だった。NHKの理事が表敬訪問を望んでも「そんな無駄な時間はない」と一蹴した。しかしまだ新人に近いディレクターの私が「高野山で空海に迫る取材をします」と言ったら、一升瓶を2本抱えてやってきた。夜の酒宴。こんな有名なジャーナリストが僕の前にいる!びっくりした。地位や権力に関係なく行動する人だった。突然「室山君は攻めには強いが守りに弱い」といわれ、ぎょっとしたこともある。渋谷の店で、深夜3時ころまで、映像と文字をめぐって議論したこともある。あの素晴らしい人はもういない。きっと、数えきれない多くの人が、立花さんに影響を受け、それぞれの記憶を思い出しているのだろう。小さな存在のぼくだが、ぼくなりにしっかり生きていこうと改めて思った。

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「ロボコンで心の灯をともせ」2022.12.5

冬が来るとロボコンの歓声が聞こえてくる。

私はNHK時代、ロボコン(アイデア対決ロボットコンテスト)の担当プロデユーサーをしていたことがある。ロボコンからは多くのことを学んだ。

あまり知られていないが、NHKロボコンの源流は、アメリカのマサチューセッツ工科大学と東京工業大学の授業だ。ロボット工学の教授が、学生の心に火をつけようと、「限られた材料」でロボットを手作りさせ、性能とアイデアを競う競技大会を始めたところ、これが大当たり!たちまち名物授業となった。なにせ、ロボコンには、正解がない。何をやっても許される。そして自分が作ったマシンが、競技場で動き活躍するのだ。その自由な精神と、創造の喜びが、学生たちの心に火をつけたのだろうと思う。NHKはその様子を番組で紹介し、それがきっかけで、1988年に高専ロボコンが誕生した。そして今やロボコンは、大学生、中学生、小学生にまで広がり、私が設立に関与したABUロボコン(アジア太平洋放送局連合)など、日本が世界に誇る、グローバルイベントに発展した。

タイの前国王も、アジアのリーダーたちも、ロボコンファンが多く、アジアの多くの若者の支持を得て、ロボコンは急速に広がっていった

なぜロボコンは、こんなに若者たちを夢中にさせるのだろうか?その秘密を、「ロボコンの祖」と言われる、森政弘東京工業大学名誉教授に聞いた。

ロボコンには数々の名言がある。

まず「ロボコンに正解なし」という言葉が重要だ。

ロボコンは、材料や競技大会のルールさえ守れば、どんなマシンを作ろうが、形や動きは自由だ。「これが正解」といった、定型的な正解はなく、まさにアイデアこそ、勝負のキーとなる。荒唐無稽、捧腹絶倒、空前絶後のロボットこそ、ロボコン精神が最も大切にするものだからだ。いまや、人工知能が出現し、決められた作業が消滅し、人間の仕事が、非定型的な創造性に富むものになっていかざるを得ない現代においては、ロボコンの自由闊達な精神が重要なカギとなってくる。

そして、「モノが人を育てる」という言葉がある。

たとえば考え抜かれたマシンの設計図があるとする。しかし作ってみると、マシンはなぜか動かない。町工場のベテラン職人に聞くと、「遊び」が足りないからだという。設計者は、反発するが、やってみると、確かにマシンは動いた。設計図は、ものつくりの羅針盤だが、その後「モノとの格闘」のプロセスが始まる。いくら設計図で指示されても、例えば、鉄を曲げようにも、鉄という素材は、そのようには曲がらない場合がある。現実は理屈通りにはいかない。「モノ」が反逆しているのだ。学生たちは、ロボコンを通じて、自分が思い描いたイメージを実現するためには、モノと対話し、格闘し、そして命を吹き込んでいかなければならないことを知る。そしていつの間にか、モノに対する敬意を学んでいく。

「ものつくり教育」の本質は、人間の想像力と、現実のはざまで生み出される美しい関係性にあるのかもしれない。

最後に、「勝ったマシンにゃ力がある、負けたマシンにゃ夢がある」という言葉。これは負けが多いチームの先輩が、後輩に残した言葉だ。しかしなかなか含蓄がある言葉だ。ロボコンは、ただ勝てばいいというものではない。つまらない形の、ただ強いだけのマシンは、あまり面白くない。たとえ弱くても、作り上げようとした夢の大きさ、しなやかさ、独創性こそロボコン精神の柱だという発想だ。実は、ロボコンには「アイデア倒れ賞」が設定され、そのような学生をたたえるシステムが用意されている。

私は、ロボコンを見ていると、子供のころ竹とんぼを作って、野原で飛ばした、あの気持ちを思い出す。自分の頭で考えて、自分の手で作り、それを使って遊ぶという単純な行為が、いかに感動的かを、今となって、しみじみと感じる。

今の教育には、そのようなわくわくした、のびやかな要素が、どれほど貫かれているだろうか?

テクノロジーが進化し、人間らしさとは何かが、より問われる現代において、「モノを創造する」行為の重要性が、もっと尊重されてもいいと思う。

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議JASTJ会長)

(日刊自動車新聞2022/12/5掲載)

 

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「サイボーグ技術の可能性とは」2022.11.7

「サイボーグ技術の可能性とは」

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議JASTJ会長)

 

人間が念じるだけで、マシンやロボットが動いたりする、夢のような技術がある。

BMI(ブレインマシンインターフェイス)というこの技術は、脳が働くときの、脳波や脳の血流変化などの信号を、外からキャッチして、コンピューターと接続し、機械やロボットを自由に動かそうというもの。一般的には、サイボーグ技術といってもいいかもしれない。

私は、かつて、京都の研究所で、家庭内の電気製品が、念じるだけで動く様子をロケしたことがある。エアコンのスイッチを付けたり、テレビのチャンネルを変えたり、カーテンを開け閉めしたり、水道の水を出したり止めたりする様子を見て驚いた。また、fMRIという装置に人が入り、手を握ったり開けたりするときの、脳の血流変化の信号で、離れたところのロボットの手を動かす実験も撮影した。当時、アメリカでは、体がマヒした患者の脳に電極を入れ、念じるだけで、コンピューターを操作したり、外部のロボットを動かすことに、すでに成功していたころだ。

NHKでは、17年前、「立花隆最前線報告:サイボーグ技術が人類を変える」という番組を放送し、大反響を呼んだが、その後、BMI技術は目覚ましく進歩し、いくつものベンチャー企業によって、医療や教育、ゲームなどのエンターティンメントに、大きく広がり始めている。特に注目すべき人物として、イーロンマスク氏がいるが、電気自動車や宇宙開発事業のほか、BMIにも強い興味を示し、AIと脳を接続して、人類の能力(脳力)を増強させるなどの発言で、世界を驚かせた。

BMIは脳の仕組みを利用した技術だ。

脳は、様々な部位に分かれている。判断を司る前頭前野、体を動かす運動野、手で触った感覚等を感じとる体性感覚野、目で見た世界を感じ取る視覚野、耳からの情報を感じる聴覚野などいくつもの領野に分かれている。

BMIは、これらの領野とコンピューターを接続し、様々な結果を生み出す。

運動野からの信号をマシンに接続すれば、マシンが動き、カメラで撮影した情報を視覚野に入力すれば、視覚が回復し、マイクで集めた音の信号を聴覚野に入力すれば、聴覚がよみがえることになる。実際、人工内耳を使って、失われた聴覚を取り戻し、バイオリンを演奏できるまでになった人まで存在している。

さらに、医療への応用も進んでいる。たとえば、脳卒中で運動不全になった患者の、運動野の一部を電気刺激し、回復させることに成功した例もある。

もしかしたら、いつか、脳と脳を直接つないでテレパシーによるコミュニケーションが可能になる日が来るかもしれない。

BMIは夢の技術だ。しかし一方で、人為的に脳を操作するなど、倫理上の問題もはらんでいる。今後は、「BMIの悪用禁止」「本人の合意」「医学的影響の研究」など、いくつもの課題の検討も必要になってくると思われる。

(日刊自動車新聞2022.11.7掲載)

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「人体拡張時代の光と影」2022.10.3

パラリンピックが面白い。

そこには、今までにはない、未来の競技大会の姿がある。私は、活躍する選手たちの姿を見ていて、人間の進化の可能性すら感じる。

たとえば、両足義足のスプリンターが、100メートルを10秒台で走ったり、走り幅跳びで8メートルを越えたり、驚くべき記録が出ているが、このままいくと、いつか、オリンピック選手の記録を大幅に上回り、「超人スポーツ」大会になっていくのではないかとさえ思う。

もともとパラリンピックは、戦争で障害を負った人のリハビリとして始まった。そして、スポーツに触れ、強靭で、前向きな精神を育てることが目的だった。彼らは、生活の場では、義手や義足などを使って、身体の不自由さを補い、市民として生活できる努力を続けてきたのだ。

ところがその後、テクノロジーの進歩で、状況が一変した。身体の不自由を補完するどころか、一部では、本来の肉体の能力を超えるものが現れはじめたのだ。そしてそれらの技術は、コンピューター技術と融合して、広く一般人にも適用され、人体そのものの能力を、大きく拡張する可能性を示し始めた。「人間拡張工学」という新しい学問があるが、今後、サイボーグ技術は、大きく成長する局面に入ったと言える。

しかし、この輝かしい発展とともに、漠然とした不安も感じる。

私は、障害がある方が、これらの技術を使って、もともと持っていた体の機能を回復することには何の依存もない。

しかし、健康体の人が、肉体の能力を拡大していく時、何らかの生物的影響はないのだろうかが心配になる。

特に脳への影響だ。私たちの脳には、人体地図が埋め込まれている。そして、目や耳、手や足の感覚の重要性によって、脳内の領野の形と大きさが決まっている。「座って半畳、寝て一畳」といわれるように、私たちの体はもともと小さく虚弱で、傷つきやすい。脳は、その体の特性を十分知っていて、それに対応した脳内人体地図を用意している。ところが、例えば、拡張技術によって、本来の肉体の能力を超えた速さで動く手足を手に入れたり、宇宙の果てまで見える目を手に入れたり、100万馬力の破壊力のこぶしを手に入れたとき、脳はそれに呼応した、別の姿に変化するのではないだろうか?

脳には可塑性があり、外部からの入力刺激で、構造が変化することが知られている。以前、私は、著名な脳科学者の、霊長類を使った実験を取材したことがある。指先からの入力刺激の程度を変えるだけで、脳内の領野が大きくなったり小さくなったりする結果を見て驚いた。マージャンの達人は、指先だけで、パイの形を見分けることが出来るが、そのような人は、指先に対応する、脳内領野が変化している可能性がある。

これらの研究を見ていると、テクノロジーで肉体の能力が拡大されることによって、脳が変化していくことが十分に予想される。

その時、私達の脳は、本来のつつましい存在から、傲慢な存在に変貌してはいないだろうか?私は、あれこれ、心配しすぎなのかもしれない

人体拡張技術に大きな可能性があることは間違いない。しかし、その可能性を信じつつも、光に対する影の部分への意識もまた、心にとめておく必要があるように思う。

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議JASTJ会長)

(日刊自動車新聞2022.10.3掲載)

 

 

 

 

 

 

 

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「人工知能にどう向き合うか」2022.9.5

このごろ、人工知能(AI)についての報道が活発だ。AIは、いつのまにか私たちの社会に浸透し、既に社会構造を変え始めている。

顔を見せるだけでテーマパークに入場できたり、会話を自動的に文字起こししたり、MRIなどの医学画像から小さなガンを発見したり、無人のコンビニで、商品を買ってそのまま出ても、自動的に清算が出来たり、ネットで、見透かされたように自分の好みの商品リストが届いたり。昔の生活からは想像もできないことばかりだ。

研究者によると、AIの進化は、まだ序の口で、今後さらに深く社会に浸透し、私達の生活を根本的に変えていくだろうと言われている。

しかし、その反面、どこか不安を感じる人もいる。それは人間の心に似たことを、AIができるからだ。しかし、考えてみれば、人間が走る速度より速く走る自動車が現れたとき、「人間が負けた」と嘆く人はいなかった。なぜ、AIが出てきたときだけ「人間が負けた」とか「不気味だ」とかいうのだろうか?それはおそらく私達が、精神活動や心の世界こそ、崇高な人間のみに許されたものだと信じ、それが侵される恐怖を感じているからなのかもしれない。

人間の脳とAIは同じなのだろうか?それとも、どこか違うのだろうか?

比較の仕方はいろいろあるだろうが、私は、「生きている」かどうかが判断の基準のように思う。人間の脳は、38億年の生物進化の果てに出来上がったものだ。しかしAIは生物進化の結果ではない。

つまり、脳は「生き物」、AIは「死に物」。これが根本的な違いではなかろうか?

では、人間の脳はどのようにできているのだろうか?

脳には「3匹の動物」が棲んでいるとよく言われる。一番奥に「ワニの脳」(呼吸や体温などの生存機能)、その上に「ウマの脳」(喜怒哀楽)、そして一番外側に「ヒトの脳」(知能や知性)の三層構造になっている。これは人間が進化するプロセスで、脳が増築されてきた結果で、この三層の脳が同時に働くのが人間の脳活動だ。したがって、「知能」は脳の働きの一部でしかなく、脳は「生きるため」にこそ存在すると言える。一方、AIは「ヒトの脳」(知能)の一部の機能を真似て増幅したものだ。一見人間の脳に似た動きをするが、AIは生き物ではないので、喜怒哀楽や、生存欲求はない。ただ、情報を操って、人間の知能の脳に似た振る舞いをしているだけなのである。

その例として、2017年に北海道大学が行った「AI俳句プロジェクト」がある。このコンテストでは、AIが作った「かなしみの片手開いて渡り鳥」という句が、最高点を獲得した。しかしAIは「かなしみ」とは何かを知らないまま、この句を作った。私たちは「かなしみ」という言葉を聞くと、人生の記憶がよみがえってくる。失敗した時の「かなしみ」、失恋した時の「かなしみ」、肉親が亡くなった時の「かなしみ」。。胸が締め付けられるような、あの苦いような、痛いような「かなしみの感覚」。しかし、AIはその感覚を知らない。ただ言葉を操り、悲しいふりをして、この句を作ったに過ぎないのだ。

しかし、そんな心のこもっていない句に、感動する人間とはいったい何なのか、逆に考え込んでしまう。どうやら、このエピソードの周辺に、人間とAIの違いを解くカギがありそうにも思う。

しかし、そうはっても、やはりAIは素晴らしい人間の発明品だ。

一定のルールの中では、私達が逆立ちしても及ばない仕事をしてくれる。

私達は、この新しい相棒に、今後どのように向き合っていけばいいのだろうか?そのためには、人間にしかできない部分を発見し、育て、AIと「最強のコンビ」となるしかない。私たちは、人間らしく生きているか?人間にしか出来ない、創造的な暮らしをしているか?もう一度、胸に手を当てて、考えるべき時なのかもしれない。

(日刊自動車新聞2022.9.5掲載)

 

 

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「原爆が分けた人生の光と影」2022.8.6

77年前、私の父は朝8時過ぎに広島駅に着く列車に、友人達と乗っていたはずだった。ところが朝、突然の腹痛で、母親は、列車に乗るのを強く止めた。友人たちは、そのまま列車に乗り、全員死んだ。父は、自分だけ生き延びたことを恥じ、贖罪の気持ちから、時々、小さかった私たち子どもを、原爆資料館に連れて行き、その話をした。子供心に恐ろしい風景が胸に刺さった。その後、成長した私はNHKに入り、広島転勤となった。そこで南方特別留学生のドキュメンタリーを作った。東南アジアから集められた要人の子弟が、広島で被爆し、非業の死を遂げた物語。死ぬべき父が生き残り、その結果この世に生を受けた息子が、広島にいるはずもなかったのに、被爆して死んでいった人々の番組を作った。不思議な因縁。ヒロシマは今も、私の心に複雑な影を落としている。

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ロボットがつくる未来社会とは?2022.8.1

歳を重ねた今でも、「ロボット」と聞くと胸が高鳴る。

私は、鉄人28号や鉄腕アトムの世代だが、子供のころ、テレビで活躍するロボットたちに胸を躍らせ、「正義の味方頑張れ」と、バラ色の未来を夢見ていた。

あれから数十年。ロボット技術の進歩はすさまじく、ガンダムのような人間乗り込み型、ドラえもんのような人工知能型、アシモのようなヒューマノイド、人間そっくりのアンドロイドと、多種多様なロボットが登場し、工事現場や料理の現場、そして福祉の世界など、社会全体に革命をが起こりつつある。

最近、私が興味を持っているのは「テレイグジスタンスロボット(分身ロボット)」だ。ロボットの視覚や触覚が、離れたところの操作者と共有され、かつ、操作側の手や足の動作と連動して動くことが出来る。操作者から見ると、まるでロボットに自分の魂が宿り、自分の体のような感じがする。私も体験したが、ロボットの目を通じて自分の背中が見えた時は、幽体離脱のような不思議な感覚にとらわれた。

このロボットを使えば、普段できないことが可能になる。

例えば、人間が行くことが出来ない、危険な場所で作業をしたり、エベレストのてっぺんで、ロボットを通じて、現場打ち合わせをすることもできる。遠隔地に住む両親を介護したり、歩くことが出来ないお年寄りが、海の中やミクロの世界を散歩することもできる。

実際、都内のある会社は、テレワークにこのロボットを使っていたり、体の障害でベッドから動けない人が、このロボットを通じて喫茶店で働く場面が、ニュースで紹介されたこともあった。

最近、メタバースのような仮想現実社会が話題になっているが、テレイグジスタンスロボットは、メタバースとリアルが融合する形なので、仮想現実ではできないことが可能になる。

しかし、検討しなければならない、いくつかの課題もある。

例えば、Aという国に操作者がいて、Bという国でこのロボットが動く場合、どの国の法律が適用されるのだろうか?もし、ロボットが違法行為をしたとしたら、どんな犯罪になるのか?また、B国の警察がロボットを拘束した場合、それは人権侵害になるのだろうか?さらに、そもそも出入国管理上、このロボットは「もの」なのか「ヒト」なのか?入国するとき、不法侵入罪が適用される可能性は?などなど、様々な論点が浮かび上がってくる。また、将来、このロボットが高度なセンサーを搭載し、人体と同様の感覚を作り出し、操作者と「一心同体」状態となったとき、誰かがこのロボットを破壊し、操作者に苦痛を与えた場合は、器物損壊罪なのか、あるいは傷害罪というべきなのだろうか?

このように、ロボット技術の高度化は、単に科学技術的な問題を超え、法律や倫理といった社会的課題を色濃く帯びてくる。

自動運転などでも同じ課題が見られるが、科学技術が素晴らしい進展を示せば示すほど、それをコントロールする社会側の対応の遅れが、気になってくる。

ロボットとの真の意味での共存社会をつくるには、今後、考えるべき課題がまだまだ多い。

(日刊自動車新聞2022.8.1掲載)

 

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「どう実現?自動運転社会」2022.7.4

自動運転は、社会を大きく変える力を持っている。

「交通事故の97%はドライバーの運転ミス」といわれるが、自動運転社会になれば、事故が大幅に減少し、渋滞が緩和し、エネルギーや環境問題の解決や、高齢者の自立が進むと期待されている。

また、CASE(通信、自動化、シェア+サービス、電動化)と連動して、社会にDXを引き起こし、私達の生活は革命的に変わるだろう。

しかし一方で、克服すべき課題もわかってきた。

それは自動運転(AI)と人間との関係だ。

自動運転のレベルは5つに分類される。

レベル1は、自動車の縦方向と横方向の動きのひとつを自動化したもの(自動追尾など)、レベル2は二つを自動化したもの(車線変更後の追い越しなど)だ。これらは、むしろ「運転支援技術」と呼ぶべきだが、もし運転主体のドライバーが事故を起こせば、責任はドライバーがとることになる。

しかし、レベル3以降は、運転主体が、基本的にシステム(AI)なので、様々な課題が現れてくる。

そのひとつが「法律上の問題」だ。

たとえば、システムが操縦中の事故責任は、どうなるのだろうか?

自動車を製造したメーカーの責任か、車を所有しているドライバーの責任なのだろうか?

さらに複雑な状況を想像してみよう。

自動運転車が、ナビに導かれて場所を認識し、道路の白線などをトレースしながら走行している場合、白線が消えていたり、捨てられたゴミで白線が見えなかったり、ナビの更新が不備で、変化した道路状況に対応できず起きた事故の場合は、どうなるのだろうか?

責任の所在をめぐる主体が、メーカー、所有者、道路の管理者、ナビの更新責任者、ゴミを捨てた人などと、どんどん増加し、状況が複雑化していく。

残念なことに、これらに対応する法律は、まだ整備されていない。

私はこれらの事例を考えるとき「AIと人間の関係」という問題を、あらかじめ考える必要があると思う。

当然のことながら、自動運転車のシステム(AI)は、法律を守るように設計されているので、法定速度をオーバーすることはない。

しかし人間はそうではない。法定速度40キロの道路でも、(よくないことではあるが)全体の道路事情によっては、スピードを増減させ、柔軟かつ、臨機応変な走行をしているのが現状だ。

以前、こんな興味深いニュースがあった。

アメリカのある町の道路で、あまりにも渋滞がひどいので、警察官が、先頭を走る車を捕まえたところ、法定速度で(のろのろと)走るグーグルカーだったというのだ。

繰り返すが、自動運転車は、速度オーバーをしない。完全な自動運転社会となれば、おそらく道路上の車は、整然と流れ、渋滞のトラブルもなくなるのかもしれない。しかし、そのような社会になる前には「自動運転車と人間が運転する車が混在する」長い期間が続く。ゆるゆると走る自動運転車にイラついたドライバーが、突然割り込みをしたり、追い抜きをすると、かえって道路は混雑したり、事故につながる可能性もある。

人間は、気まぐれで、予想外の行動をとる生き物だ。

こんなアンケートがある(インターリスク総研2016)。

「公道実験中の自動運転車に出会ったらあなたはどうしますか?」

という問いに、「近づかない」という答えが41.9%と多かったが、「追走してみる」「接近して観察」「ちょっかいを出す」という答えが、なんとあわせて38.7%にも上った。これらは、どれも人間の好奇心から出たものだが、AIから見たら不謹慎きわまる答えだろう。AIに言わせると、「事故の原因になるからやめろ」と言ってくるかもしれない。

しかし、このアンケートの答えは、本当に不謹慎なのだろうか?

私はそうは思わない。この好奇心こそ、人間の最も重要な特性であり、科学や文明を進めてきた源泉だからだ。

人間とは、好奇心に満ちた、予測不能な、愛すべき生き物なのだ。

まじめな読者からは、お叱りがあるかもしれないが、私は、自動運転社会を、真に豊かなものにするためには、この人間の特性を認め、人間中心のシステムを目指す必要があると考える。

今後の自動運転の技術開発が、単に技術のみでなく、人間の心理や行動を深く理解し、融合しながら、本当の意味で、人間が幸せに暮らせる社会につながるものであることを望みたい。

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議会長:日刊自動車新聞2022..4掲載)

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沖縄の思い出2022.5.14

今から46年前、大学生の私は沖縄への旅に出た。道路工事でためたわずかなお金で、1か月の貧乏一人旅だった。旅の終わり、沖縄本島にたどり着いた私は、あまりの空腹と喉の渇きで、サトウキビ畑に侵入し、盗み食いをした。突然後ろから大きな手が私の肩を捕まえ「何をしている?」と問うてきた。畑の持ち主だった。「もう倒れるので1本頂いてます」と答え、さらに一本引き抜いて、目前でバリバリと食べた。私の顔をじっと見た後、「こっちへ来い」大柄なその人は私の手を引き、畑の外へ連れ出した。ああ、警察に連れて行かれるんかな?と思った矢先、「お前の体は臭い。俺の家に泊まってふろに入れ」と信じられない言葉。そののち、私に夕食をふるまい、次の日に朝食まで食べさせてくれた。私は何度もお辞儀し、その家を去った。東京に帰ってお礼の手紙を書いた。やがて私はNHKに入局し、そのことも報告した。とても喜んでいただいたその方は、すでにこの世にはいない。あの恩を忘れることはない。

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「自然エネルギーと安全保障」2022.5.2

「自然エネルギーと安全保障」
室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長)
ウクライナ戦争の各国の駆け引きを見ていると、安全保障にとって、エネルギーがどれほど重要かがよくわかる。豊かな天然ガスを持つロシアに対して制裁をかけようにも、その天然ガスに依存していては、交渉の切っ先が鈍ってしまうからだ。今後、安定したエネルギーをどう確保するのか?とりわけ、自前の国産エネルギーをどう育成するかが重要なカギとなる。
日本は資源が乏しく、エネルギーも世界に依存しなければ成り立たない国だと言われる。しかし、東日本大震災による原発事故以来、エネルギーをめぐる様々な議論が起きている。その中に、日本がもともと持っている自然エネルギーのポテンシャルを見直そうという動きがある。
日本は国土が狭い島国で、陸地の広さは世界の61位だ。しかし、実は、海(排他的経済水域(EEZ))を含めると、なんと世界6位の広さの海洋大国なのだという。さらに海が深く、容積では世界4位。そこを巨大なエネルギーの黒潮が流れている。もちろん、その強烈なエネルギーはほとんど利用されてはいない。
この海洋を舞台に、洋上風力発電や、潮流発電、波力発電、温度差発電などを展開し、エネルギーの舞台とする計画が動いている。また日本周辺の海底には、固体状の天然ガス「メタンハイドレート」が眠っており、日本が消費する天然ガスの、100年分に近い量があるという試算もある。
また、日本の地熱エネルギーは、アメリカ、インドネシアに続き世界第3位。森林率は先進国では第3位で、バイオマスの宝庫でもある。
さらに、上空から太陽エネルギーがふり注ぎ、豊富な水資源と、豊かな風力にも恵まれた国なのである。
つまり、日本は自然エネルギーの宝庫なのだ。
CO2を出さず、無尽蔵で、なによりも国産エネルギーなため、安全保障上も頼もしい存在といえる。
2011年の東日本大震災の時のエピソードがある。
ある村が津波で壊滅し、夜は暗黒の世界となった。ところが、ある家だけが不思議なことに電気が灯っていた。その主は、かねてから、自宅で小水力発電をしていた老人だった。
「電気はいっぱいあるのに変な人だねえ」と、人々は、奇異な目で見ていた。しかしその家が、災害後、希望の砦となった。夜の村の一角を照らし、冷蔵庫もつかって、人々は寄り添い、災難を乗り越えたのだという。
もちろん、わずかな電気で、村全体を救うことはできない。
しかし、救援までの数日間、その人たちは、なんとか持ちこたえることが出来た。
このエピソードは、自然エネルギーは、災害時などの緊急時に、しぶとい地域を作り出す、重要なインフラなのだということを示している。
自然エネルギーは不思議だ。
単に電気を作り出すだけでなく、共に生活する地域社会が生み出す財産として、人々の心の絆をつなぎ、地域社会を強靭化する、横糸のような存在ともいえるのではなかろうか。
今後、国際世界は、環境、エネルギー、経済、安全保障を織り交ぜながら、激動期に入っていく。
その中で、日本や地域社会がどのように自立し、持ちこたえていくのかを考えるためにも、自然エネルギーにどう向き合うべきかを、考えていく必要があるのではなかろうか。
(日刊自動車新聞2022年5月2日掲載)

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ウクライナ戦争での情報操作について2022.4.8

ロシアの行為を「戦争犯罪だ」と糾弾するウクライナ。「すべてウクライナ側の捏造だ」だと?堂々反論するロシア(驚くべき厚顔?)。いずれにしても、大ウソをついている国がある。そしてその国は、今後、世界の信用を大きく失い、歴史の流れから転落していくのだろう。しかし、今も私の心は混乱する。現在進行中のこの状況の中の真実を、どう明らかにすればいいのだろう?正しい情報と、偽りの情報が交差する霧の中で、勇気ある多くのジャーナリストの報道をつないで、真実の方向性を感じ取っていくしかないのか?あるいは、いずれ解明される?第三者機関の、検証を待つしかないのか?歴史の不条理と混濁。失望と落胆。人間とはなんと罪深い存在なのかとすら思えてくる。

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「新型コロナとSDGs」2022.4.5

「新型コロナとSDGs」

室山哲也(日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長)

 

「もし人類が滅亡するとしたら、どんなプロセスをたどるだろうか?」

オックスフォード大学が、2015年に発表した「人類滅亡12のシナリオ」には、人類の未来を左右するさまざまな項目が並んでいる。

「気候変動」から始まり、「核戦争」「生態系の崩壊」「グローバル経済での格差拡大による国際システムの崩壊」「巨大隕石衝突」「大規模火山噴火」「バイオハザード」「ナノテクによる小型核兵器開発」「人工知能」「超汚染物質や宇宙人の襲来など未知の出来事」「政治の失敗」と続く中、3番目に「パンデミック(新興感染症)」があがっている。

私たちを悩ませている「新型コロナウイルス」は、この新興感染症の一つ。人間が、自然の奥深く侵入し、免疫をもたない「未知のウイルス」に感染し、現代社会の交通網に乗って世界中に拡大するメカニズムだといわれている。

ウイルスの変異は活発で、人間がたたいてもたたいても、新しいタイプのウイルスが現れる。このため、先進国だけが対策しても、開発途上国などの対応が遅れれば、変異が繰り返され、タチの悪いウイルスが現れ、先進国に再流入し、イタチごっこは終わらない。この構図は、人類全体で取り組まなければ根本的には解決しない点で、SDGs(持続可能な開発目標)のテーマそのものだと言える。

SDGsは、15年の国連サミットで、193カ国によって採択された。「環境問題」「貧困」「紛争」「格差」「健康問題」など、30年までに解決すべき17の目標が掲げられ、その下に169のターゲットが並んでいる。一見ばらばらの目標に見えるが、実はこれらは、根底で関連し合い、影響し合っている。

そしてその最も根本の部分に、「地球環境」があるのではなかろうか。

「命あっての物種」という言葉があるが、自然環境や生態系が壊れれば経済も、政治も、文化も成り立たないからだ。

産業革命以降、人類の人口は急激に増加し、地球環境に大きな負荷を与えてきた。エコロジカルフットプリントという指標でみると、人類は、すでに地球1・7個分の生活をしており、今の文明のパターンのまま、人類全員が日本人の水準の生活をすると、地球が2・8個、アメリカ人の水準の生活をすると、5個必要になるというデータもある(14年データ)。

地球は1個しかないわけで、このままでは、地球環境は疲弊し、資源は消耗し、私たち人間は、持続可能な生活を続けることはできなくなる。

これからは、私たちは「地球1個分の生活」をしながら、持続可能で、しかも豊かで質の高い生活をする方法を探さなければならない。

ではどうすればいいのか?

重要な方法の一つにテクノロジーがある。科学技術は、イノベーションと絡めていけば、効率がよく、最適で、人間を幸福にする社会をつくる力がある。中でも、自動車のありようは大きな影響を及ぼすものの一つだ。CASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)の方向性に従って、自動車が進化していくことは、今後の社会を大きく変える原動力になるに違いない。

(日刊自動車新聞2022年4月4日掲載)

 

室山哲也氏(むろやま・てつや)

1953(昭和28)年、岡山県倉敷市生まれ。76年NHK入局。「ウルトラアイ」「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」などの科学番組、特集番組チーフプロデューサー、NHK解説主幹などを務めた。テクノロジー、生命・脳科学、地球環境問題、宇宙開発など、「人類と科学技術文明」をテーマに論説し、子供向け科学番組「科学大好き土よう塾」(教育テレビ)の塾長として科学教育にも尽力。モンテカルロ国際映像祭金獅子賞、銀獅子賞、レーニエ3世賞、放送文化基金賞、上海国際映像祭撮影賞、科学技術映像祭科学技術長官賞、橋田壽賀子賞ほか受賞多数。現在、日本科学技術ジャーナリスト会議会長。東京都市大学特別教授。

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ウクライナの人々を想う 2022.3.20

信じられない残酷な光景でした。

ロシアの軍隊が、ウクライナの広大な国土を取り囲み、侵入し、残酷な火器で次々に街を破壊し、子供を含む多くの市民を死傷させ、核兵器をちらつかせながら、次第に狂暴化していく姿・・。まるで19世紀の戦争です。しかもその戦争は、ミサイルやドローンなど、テクノロジーを駆使した近代兵器で装飾されており、さらにおぞましい印象を与えます。

核兵器の他、生物化学兵器などの大量殺りく兵器を背景にしながら、超高速ミサイル、原発への攻撃、繰り返される情報操作で、民主主義が破壊され、人類の安全保障が大きく揺らいでいます。

そしてその中で、今日も無辜の市民が犠牲になり続けています。

 

科学ジャーナリストは、このような時、どう考え、何を伝えていけばいいのでしょうか?

この非人道的行動が、科学技術開発、安全保障、民主主義、エネルギーや経済、情報社会、市民意識や教育などと関連し、複雑に絡み合って、引き起こされている現状を、どうとらえればいいのでしょうか?

 

野蛮な戦争は、一刻も早く終結させるべきです。

しかし、その背景は複雑で、今後整理しなければならないことが山積しています。答えは簡単に出そうありませんが、真剣に議論を続けることが大切だと思います。

 

それにしても、悲劇はいつも市民などの弱者に降り注ぎます。

私は、チェルノブイリ原発事故の番組取材で、10年間ロケを続け、その都度、キエフを拠点に、長く滞在したことがあります。原発事故の不安の中でも、キエフは美しい街でした。郊外に出ると緑があふれ、花が咲き、鳥がさえずっていました。独立広場で食べたおいしいアイスクリームも、家族が憩う団地のたたずまいも、居酒屋にいた人々の笑顔も脳裏に浮かんできます。

多くの知り合いもできました。

市内の団地に住む、タチアナさん一家は、ソ連時代の核実験場で被曝し、放射能汚染を免れて、キエフに移住してきました。しかしそこで再び、チェルノブイリ原発事故に直面するという、悲劇に見舞われました。消防士のご主人は、事故後、放射線による後遺症に苦しみながら亡くなりました。その家族が今、再びロシアによる恐怖に直面しているのです。

以前、タチアナさん達が、招待されて来日した時、家族を連れて、都内のホテルで再開しました。私の娘は自閉症で、それを知ったタチアナさんは、娘を強く抱きしめてくれました。弱い立場の人間をいたわる、心のやさしい人でした。その後も交流は続き、取材にいく仲間に義援金を託したりしましたが、消息が分からなくなりました。

ニュースで見る攻撃されるキエフの街角は、タチアナさんと歩いた場所です。その町で、多くの市民が犠牲になり、不幸の淵にあえいでいます。

あの人たちは今、どうなっているのだろう?

どこに避難して、生活しているのだろう?

食事はとれているのだろうか?

 

現地の凄惨な姿は、想像も及びません。

私は、自分の心も一緒に、武力で攻撃されているような、にぶい痛みを感じます。この戦争が一刻も早く終結し、少しでも平和な生活に戻ってほしいと、心から祈るばかりです。

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東日本大震災から11年2022.3.11

東日本大震災から11年。M9.0の観測史上最大の災害だった。プレート型地震は、プレートの接着部分(アスペリティ)がはがれて起きる。それまでは、過去200年ほどの観測データをもとに、どこのアスペリティがどのようにはがれ、地震を引き起こすかがある程度わかっていた。しかし今回、そのさらに遠くの沖合に、1000年単位ではがれる巨大なアスペリティがあり、それらが連動して起きた。未知のメカニズムに地震学者は驚愕し、自信を失った。自然の歴史に比べて、人類の歴史は短い。ことさら科学的知見はさらに短い期間に手に入ったもの。科学の未熟さといえばそれまでだが、私たちは、観測されていないものを、ないものと勘違いすることがある。「ない」のではなく「わかっていない」のだ。「ない」ことは証明できない。

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WFSJ Statement on the conflict in Ukraine2022.3.11

WFSJ Statement on the conflict in Ukraine

The World Federation of Science Journalists (WFSJ) is deeply concerned about the impact of the war in Ukraine on both science and those who report on and write about science. We fear for the physical safety of journalists, communicators and researchers, and their ability to fully engage with their work without threats of reprisal.

The WFSJ, which is a member of the United Nations Economic and Social Council, comprises 69 member associations across the world, representing more than 15,000 individual science journalists, writers and communicators. Many of them are from countries that have current or recent experience of war.

War is a violent disruption to peoples’ lives, and it obstructs the essential work of scientists and journalists. It impacts the quality of journalism and the safety of our members, who are key players in civil society and democracy. It disrupts the scientific research that is key to progress. It disrupts free communication, collaboration and access to data. It disrupts communication around science, essential information that citizens can use to make decisions about anything from technology to health.

In our current reality, war has interrupted global efforts to overcome the COVID-19 pandemic, as attention has swiveled from virus to war. After more than a week of military conflict and media restrictions, violence is escalating, media outlets are subject to censorship, and a humanitarian disaster is unfolding in front of us.

We support negotiations for peace, a peace that is just and fair and serves all human beings. We stand by the members of our community who continue to work in extremely difficult environments. We hope that international diplomatic efforts will soon result in a peace agreement, so the massive destruction can stop and the healing can begin.

 

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ウクライナ攻撃について、159名のノーベル賞受賞者による公開声明書が作成されました。


159名のノーベル賞受賞者による公開声明書が作成されました。
声明書の全文と賛同する受賞者リストです。

An open letter from Nobel laureates
The undersigned Nobel laureates voice our support for the Ukrainian people and the free
and independent state of Ukraine as it faces Russian aggression.
In a move that recalls the infamous attack of Nazi Germany on Poland in 1939 (using
similar tricks of feigned provocation) and on the Soviet Union in 1941, the government
of the Russian Federation, led by President Putin, has launched an unprovoked military
aggression — nothing else but a war — against its neighbor, Ukraine. We choose our
words carefully here, for we do not believe the Russian people have a role in this
aggression.
We join in condemning these military actions and President Putin’s essential denial of the
legitimacy of Ukraine’s existence.
There is always a peaceful way to resolve disputes. The Russian invasion blatantly
violates the United Nations Charter, which says “All members shall refrain in their
international relations from the threat or use of force against the territorial integrity or
political independence of any state.” It ignores the Budapest Memorandum of 1994,
which obligated Russia and others to respect the sovereignty, independence, and existing
borders of Ukraine.
Russia’s security concerns can be addressed within the framework of the UN Charter, the
1975 Helsinki Final Act, and the 1990 Paris Charter. To make war, as President Putin and
his collaborators have done, is an unwarranted, bloody, and unproductive way to a future.
The Russian invasion will stain the international reputation of the Russian state for
decades to come. It will pose barriers to its economy and inflict hardships on its
population. The sanctions imposed will restrict the ease of movement of its talented and
hardworking people in the world. Why raise this fence between Russia and the world
now?
Hundreds of Ukrainian soldiers, Russian soldiers, and Ukrainian civilians, including
children, have died already. It’s so sad, so unnecessary. We gather in this appeal to call
upon the Russian government to stop its invasion of Ukraine and withdraw its military
forces from Ukraine.
We respect the calm and the strength of the Ukrainian people. We are with you. Our
hearts go out to the families and friends of all, Ukrainians and Russians, who have died
and been injured already. May peace come to this piece of our beautiful world.

159 signees:
Name Category Prize Year
Peter Agre Chemistry 2003
Frances H. Arnold Chemistry 2018
Paul Berg Chemistry 1980
Thomas R. Cech Chemistry 1989
Martin Chalfie Chemistry 2008
Emmanuelle Charpentier Chemistry 2020
Aaron Ciechanover Chemistry 2004
Elias James Corey Chemistry 1990
Robert F. Curl Jr. Chemistry 1996
Johann Deisenhofer Chemistry 1988
Jennifer A. Doudna Chemistry 2020
Jacques Dubochet Chemistry 2017
Gerhard Ertl Chemistry 2007
Joachim Frank Chemistry 2017
Richard Henderson Chemistry 2017
Dudley R. Herschbach Chemistry 1986
Avram Hershko Chemistry 2004
Roald Hoffmann Chemistry 1981
Robert Huber Chemistry 1988
Brian K. Kobilka Chemistry 2012
Roger D. Kornberg Chemistry 2006
Yuan T. Lee Chemistry 1986
Robert J. Lefkowitz Chemistry 2012
Jean-Marie Lehn Chemistry 1987
Michael Levitt Chemistry 2013
Tomas Lindahl Chemistry 2015
Benjamin List Chemistry 2021
Roderick MacKinnon Chemistry 2003
David W.C. MacMillan Chemistry 2021
Paul L. Modrich Chemistry 2015
William E. Moerner Chemistry 2014
Ryoji Noyori Chemistry 2001
Venkatraman Ramakrishnan Chemistry 2009
Jean-Pierre Sauvage Chemistry 2016
K. Barry Sharpless Chemistry 2001
Dan Shechtman Chemistry 2011
Hideki Shirakawa Chemistry 2000
Sir James Fraser Stoddart Chemistry 2016
Sir John E. Walker Chemistry 1997
Arieh Warshel Chemistry 2013
M. Stanley Whittingham Chemistry 2019
Kurt Wuthrich Chemistry 2002
Angus S. Deaton Economics 2015
Robert F. Engle III Economics 2003
Eugene F. Fama Economics 2013
Oliver Hart Economics 2016
Bengt Holmstrom Economics 2016
Finn E. Kydland Economics 2004
Eric S. Maskin Economics 2007
Daniel L. McFadden Economics 2000
Robert C. Merton Economics 1997
Paul R. Milgrom Economics 2020
Roger B. Myerson Economics 2007
Edmund S. Phelps Economics 2006
Alvin E. Roth Economics 2012
Robert J. Shiller Economics 2013
Kazuo Ishiguro Literature 2017
Elfriede Jelinek Literature 2004
Herta Muller Literature 2009
Orhan Pamuk Literature 2006
Wole Soyinka Literature 1986
James P. Allison Medicine 2018
Harvey J. Alter Medicine 2020
Werner Arber Medicine 1978
Richard Axel Medicine 2004
David Baltimore Medicine 1975
Bruce A. Beutler Medicine 2011
Elizabeth H. Blackburn Medicine 2009
Michael S. Brown Medicine 1985
Linda B. Buck Medicine 2004
William C. Campbell Medicine 2015
Mario R. Capecchi Medicine 2007
Andrew Z. Fire Medicine 2006
Joseph L. Goldstein Medicine 1985
Carol W. Greider Medicine 2009
Jeffrey Connor Hall Medicine 2017
Leland H. Hartwell Medicine 2001
Harald zur Hausen Medicine 2008
Jules A. Hoffmann Medicine 2011
H. Robert Horvitz Medicine 2002
Sir Michael Houghton Medicine 2020
Tim Hunt Medicine 2001
Louis J. Ignarro Medicine 1998
David Julius Medicine 2021
William G. Kaelin Jr. Medicine 2019
Eric R. Kandel Medicine 2000
Barry J. Marshall Medicine 2005
Craig C. Mello Medicine 2006
Edvard Moser Medicine 2014
May-Britt Moser Medicine 2014
Ferid Murad Medicine 1998
Erwin Neher Medicine 1991
Sir Paul M. Nurse Medicine 2001
John O'Keefe Medicine 2014
Yoshinori Ohsumi Medicine 2016
Ardem Patapoutian Medicine 2021
Stanley B. Prusiner Medicine 1997
Sir Peter J. Ratcliffe Medicine 2019
Charles M. Rice Medicine 2020
Sir Richard J. Roberts Medicine 1993
Michael Rosbash Medicine 2017
James E. Rothman Medicine 2013
Bert Sakmann Medicine 1991
Randy W. Schekman Medicine 2013
Gregg L. Semenza Medicine 2019
Phillip A. Sharp Medicine 1993
Hamilton O. Smith Medicine 1978
Jack W. Szostak Medicine 2009
Susumu Tonegawa Medicine 1987
Harold E. Varmus Medicine 1989
Eric F. Wieschaus Medicine 1995
Torsten N. Wiesel Medicine 1981
Shinya Yamanaka Medicine 2012
Michael W. Young Medicine 2017
Carlos Filipe Ximenes Belo Peace 1996
Shirin Ebadi Peace 2003
Leymah Roberta Gbowee Peace 2011
Tawakkol Karman Peace 2011
The 14th Dalai Lama Peace 1989
Maria Ressa Peace 2021
Oscar Arias Sanchez Peace 1987
Juan Manuel Santos Peace 2016
Kailash Satyarthi Peace 2014
Jody Williams Peace 1997
Hiroshi Amano Physics 2014
Barry Clark Barish Physics 2017
J. Georg Bednorz Physics 1987
Steven Chu Physics 1997
Jerome I. Friedman Physics 1990
Andre Geim Physics 2010
Reinhard Genzel Physics 2020
Andrea Ghez Physics 2020
Sheldon Glashow Physics 1979
David J. Gross Physics 2004
John L. Hall Physics 2005
Serge Haroche Physics 2012
Klaus Hasselmann Physics 2021
Gerardus 't Hooft Physics 1999
Takaaki Kajita Physics 2015
Wolfgang Ketterle Physics 2001
Klaus von Klitzing Physics 1985
J. Michael Kosterlitz Physics 2016
Anthony J. Leggett Physics 2003
John C. Mather Physics 2006
Michel Mayor Physics 2019
Arthur B. McDonald Physics 2015
Gerard Mourou Physics 2018
James Peebles Physics 2019
William D. Phillips Physics 1997
H. David Politzer Physics 2004
Adam G. Riess Physics 2011
Brian P. Schmidt Physics 2011
Donna Strickland Physics 2018
Joseph H. Taylor Jr. Physics 1993
Kip Stephen Thorne Physics 2017
Daniel C. Tsui Physics 1998
Rainer Weiss Physics 2017
Frank Wilczek Physics 2004
David J. Wineland Physics 2012

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