10年前、僕の心が変わった。2021.3.11

正直言って、10年前まで、 新宿のネオン街で飲んでいるとき、電気が福島から送られてきているという意識はなかった。知識はあったが実感がなかった。お金さえ払えば、電気はどこからか届くもの。「私電気使う人。あなた電気作る人」・・そんな精神構造だった。しかし、あの事故で考えが変わった。わずか一か所の出来事が、日本全体をマヒさせる状況の異常さ。大量生産、大量消費の社会モデルの暗くて深い落とし穴。災害が起きても持ちこたえる、しぶとい社会とはどんな社会なのだろう?多様な要素で支えられ、人間の絆で裏打ちされているような地域の在り方を、もっと考えなくてはならない。

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安野さん、安らかにお眠りください。

安野光雅さんが亡くなった。NHKスペシャル人体「脳と心」の時、アドバイザーとしてずいぶんお世話になった。笑顔が素敵な、才能あふれる巨人だった。乳離れ直後の次男のことを年賀状に書いたことがある。もう大きいのだから、おっぱいを飲むのはやめなさいと諭したら「もちゅだて(持つだけ)」とせがんできた。その文章を読んだ安野さんは、「気持ちがわかる。感動した」と返事をしてきた。我が家の中にやさしい空気が流れた。愛に満ちた人だった。安野さん、安らかにお眠りください。

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阪神・淡路大震災26年

阪神・淡路大震災から26年。早朝、Nスペ班の同僚から突然の電話。「ムロちゃん、すぐテレビをつけろ!」画面には黒い煙が数か所から上がるヘリ映像が流れていた。最初はぴんと来なかった。しかし時間が過ぎるにつれて、ただ事ではないことがわかった。NHKに出社し、クローズアップ現代のチームを集めた。3週間前に起きた三陸はるか沖地震を取材しているチームにも電話し、そのまま神戸に向かえと指示した。青森県では、建築基準法改正前の住宅が倒壊しており、その問題をクロ現で警告するはずだった。しかし放送は中止となった。同じことが神戸で大規模に起きていたからだ。神戸には陸路では行けず、船をチャーターして海から上陸した。NHKではじめて大量の携帯電話を使用した。私はNスぺの統括プロデューサーとなり、現地から3日後の放送の臨んだ。下着も持たず、1か月間大阪局の廊下で睡眠をとった。自然災害の恐ろしさ。あの日のことは忘れない。

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謹賀新年2021元旦

あけましておめでとうございます。コロナ禍の不安の中の船出ですが、今年一年が平穏な年となりますように。皆様のご健康とご多幸を心からお祈りします。

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日本学術会議問題。2020.10.9

日本学術会議問題。現状での考察。

推薦された新会員の「任命なし」の理由を説明せずにいることは、関係者に対する脅しと同じ。いらぬ詮索と忖度をもたらし、結局は、自由な精神活動を委縮させることにつながる。また論点が、学術会議の是非にスライドしていることに危惧を感じる。

そもそも学術は、自由な精神のもと「知の探究」を通じて、未来を創造する作業。その絶え間ない努力によって、今日の人類文明も形造られてきた。

当然、政治は学問と一定の距離を置き、学問の自由を守る必要がある。

今後、文明の状況がどのように地殻変動を起こすかわからない。

短絡的な価値判断によって、長期的な人類の知的活動を阻害するのは、愚かな態度といえる。政府には今回の判断を改め、善処することを求めたい。

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「情報発信者と科学:現代日本の科学ジャーナリズム」

GALAC2020.11月号  

「情報発信者と科学:現代日本の科学ジャーナリズム」

(日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長:室山哲也)

 

  • 「科学ジャーナリズム」と聞くとドキッとする

「科学ジャーナリズム」の現状についての原稿を依頼され、私は少々、困っている。「科学ジャーナリズムとは何か」について、教科書的には説明できても、釈然としない気持ちが残るからだ。NHKで科学番組や解説委員を40年もやってきたのに、いまだによくわからない。それどころか、ますますその気持ちが強くなってきた。私は、大学時代は法学部、いわゆる文科系の人間だ。NHKに入局後、何の因縁か、科学番組部のディレクターとなり、その後、多くの科学報道や、科学番組に携わった。教育テレビの科学番組も作ったし、クローズアップ現代で、宇宙開発やノーベル賞、サリン事件も報道した。NHKスペシャルで、脳科学のドキュメンタリーや、天文学、生命科学、原発報道にも携わってきた。それらを通じて、数多くの科学者や専門家とも向き合ってきた。

しかし、自分が「科学ジャーナリスト」かと問うと、どこか違和感がある。大学で物理学や数学、生物学を専門に学んだ、著名な科学ジャーナリストとくらべて、自分との違いを感じてしまう。

私が、文字を使って表現する記者ではなく、映像を使うTVディレクターだったからかもしれない。

「記者は狩猟民族、ディレクターは農耕民族」という言葉があるが、記者は刻々と変化する社会事象に切り込み、情報をまとめ、11秒でも早く、正確に伝達する仕事だ。一方ディレクターは、同じ情報でも、すぐには報道せず、種をまき、1年後に実った実を収穫して、番組(物語)として放送する。

もちろん私も、科学に関する番組やニュースに関わるとき、元情報に当たる。研究した科学者を何度も取材し、論文を読み、社会的価値としての位置づけを行い、もう一度内容を確認したのちに、放送する。

しかし、高度な科学情報の場合、理解するのも大変だし、わかりやすく伝えるのはとてもむつかしい。私は七転八倒し、研究内容を易しく解説してくれるほかの研究者の講釈も受け、再び、ターゲットの科学者の研究室のドアをノックすることもあった。

半分冗談だが、「正しく」報道するのは、簡単だ。論文をそのまま見せればよい。しかしそれでは報道にならないので、情報を翻訳したり、単純化したりしながら、視聴者や読者に伝える必要がある。しかし、ここで大きな壁に突き当たる。「正確すぎると伝わらず、単純化しすぎるとウソになる」からだ。本質を見誤らず、適切な言葉や表現で単純化し、情報を正確に伝えるのは、本当に至難のわざだと思う。

 

  • 日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)がめざすもの

私は、1年半前NHKを退職したのち、今は、日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)という組織に属している。この会は、19947月に、新聞、放送、通信、出版などの科学ジャーナリストたちが、組織を超えて交流し、刺激しあいながら、新しい価値を生み出そうと誕生した。現在では、新聞記者、テレビプロデューサー、出版の編集者のみならず、大学研究者、フリーランス、企業の広報、弁護士、主婦、学生も参加して、会員数200名を超えるまでになっている。

JASTJの活動は、月例会(講演会)や見学会、会報発行、出版、科学ジャーナリスト賞(その年の優れた記事、著作、放送、展示などを表彰)、JASTJ塾(後進の育成)、科学ジャーナリスト世界会議への参加など、多岐にわたる。

JASTJの長所は、会員と活動の多様性だ。放送業界で仕事をしてきた私は、私の分野とは違う様々な科学ジャーナリストたちの、取材の仕方、伝え方の多様性に触れ、感心するとともに、自分が、放送業界の人間だと、あらためて気づくのだ。

 

 

  • 科学ジャーナリズムの意義

私が、NHKスペシャル「人体:脳と心」の制作にかかわっていた時、取材先でよく「カニッツアの三角形」の話を聞いた。図に書かれているのは、折れ曲がった線と、円に切れ目が入った図形だけなのに、なぜか真ん中に白い三角形が見えてくる。これは、人間の脳が、断片的な情報を手掛かりに、勝手に作り上げた幻影だ。この現象は、人間の脳の機能のすばらしさとともに、脳の危険な落とし穴も示している。脳は、外部からの信号をもとに、脳内に「世界」を作り出す。そして、この仮想情報は、高次になるにつれて、その人が属している文化、国、環境に影響される傾向があり、異なる主観を生み出していく。この多様な主観を乗り越え、できるだけ客観的で、検証可能な認識に近づくために、科学的手法があるのだと思う。

 

あるアメリカのジャーナリストは、記者の基本は「マリスの除去」だと述べた。「マリス」とは「悪意」のことで、取材するとき、まず自分の心からマリスを除去し、透明な心で、謙虚に取材し、反論に耳を傾け、情報と正しく格闘し、整理し、伝えていく必要があるという。私たちの脳内に浮かぶ、悪意、善意、興奮、喜び、悲しみなどの情動を排除し、できるだけ客観的に、事実を共有できる良質な情報に、磨き上げる必要がある。科学ジャーナリストとは、そのような作業を必要とする人々であり、科学技術が日々進化し、多様化、複雑化する現代社会においては、ますます重要な存在となっている。

 

  • 放送メディアは科学ジャーナリズムを体現できるか

ところで、テレビなどの放送業界における「科学ジャーナリズム」は、新聞や雑誌などとどう違うのだろうか?

以前、月面探査機「かぐや」が、月面の様子をハイビジョンで伝えたとき、専門家との電話で、次のような話が出たことがある。

「室山さん、見ましたよ。私は、あそこで写っているものや事象は、すべて知っていました。でも、見てびっくりしました!」

私はこの言葉を聞いて、うれしくなった。「知っていたけどびっくりした」とは、映像が持つ存在感が、文字や記号や知識の範疇を超え、潜在意識に、何か強烈なものを伝えたからではないだろうか。私は、これはテレビマンとしての最高の誉め言葉だと思った。

また、プラネタリウムを作るとき、目で見える星以外の、見えない星もすべて投影するという話を聞いたことがある。そのほうが、宇宙空間のリアリティが増すというのだ。見えないのに、なぜリアリティが増すのだろうか?映像の世界には、文字とは違う、何か特別な潜在的な情報が含まれているのだろうか。

放送では、もちろん言葉や文字も使う。その部分は、新聞と同じだ。しかし、それに映像が加わった時、「科学ジャーナリズム」がどのように変質し、成立するのか?私には、まだよくわからない。もう少し、時間をかけて考えてみなければならない。

 

  • CGが作り出す世界

最近の放送を見ていて、気になることがある。

それは、番組やニュースで使われるCG(コンピューターグラフィック)についてだ。じつは私も、科学番組を作るとき、やたらとCGを使ってきた。今から20数年前「NHKスペシャル脳と心」のディレクターをしていた頃、CGは最先端の表現手段として注目されていた。当時、CGと言えば、メタリックな映像が主流で、リアルな映像との合成が、やっとでき始めた頃だった。その後、コンピュータ技術の目覚ましい進歩で、どこがCGかわからないほどリアリティを増し、今や、テレビ業界では、CGを使わない日はないほど、日常的なものとなっている。

しかし私は、この状況に、漠然とした不安を覚える。

例えば、科学番組やニュースで、脳のメカニズムを説明するとき、ポンチ絵程度なら問題はないが、本物と見間違えるようなCGで説明した時、それが、虚構なのかリアルな世界なのかがわからなくなってくる。

特に、大型の科学番組などで、神経細胞の世界を、ダイナミックな視点移動で説明したり、神経伝達物質の様子を、色を付けて映像化するなど、一大スペクタクルとなっている。まるで、見てきたような感動があり、何よりもわかりやすい。しかし、所詮、CGは作り物である。実際の脳は、中身がぎっしり詰まっており、もっと複雑で、混沌とした世界だ。

もし子供がこのテレビを見て、脳は、そのようなものだと思い込んだら、どうなるのだろうか。きちんと整理された、知識の体系を学ぶのは、いいことだとは思う。しかし、現実の世界に直面し、その複雑さと存在感に触れたのちに、CGで理解する順序ではないだろうか。現実を体験しないまま、疑似映像が多用され続けていくとしたら、この世界に対する敬意や、畏怖の念が忘れ去られ、本当の意味での「科学的思考」を身につけることが出来なくなっていくのではないかと思う。

 

 

  • 未来の科学ジャーナリズムを育てるために

科学ジャーナリズムが、今後、成長するには何が必要だろうか?それは科学ジャーナリズムを支える、スペシャリストの育成に尽きる。海外で取材すると、50代や60代の科学ジャーナリストたちが、生き生きと取材活動を続けている様子をよく見かける。彼らは、知識は豊富で、人脈も豊か。時には専門家が一目置くような発言もする。一方、日本からのジャーナリストは、どちらかというと、若い人が多く、その厚みや存在感において、やや劣っていることを否定できない。

放送局勤務の私の経験から言うと、一般的に、人事の方針は、ジェネラリスト重視。優れた科学ジャーナリストも、部長や局長など、いわゆる「ライン」に乗せ、「出世」させようとする傾向がある。ジェネラリストは、スペシャリストよりも上位だという、伝統的な考え方があるのかもしれない。しかし、高度化、複雑化する科学報道の世界で、このままの状態が続いていいと思えない。今後検討すべき課題ではなかろうか。

日本は、これから、どこへ向かうのだろうか?

司馬遼太郎は、著作「坂の上の雲」で、欧米を追いかける日本を、坂の上の欧米の雲(知識)に向かう存在と表現した。しかし、時が流れ、日本は、既に「雲」に到達し、その先に続く坂を、自らの足で、登る存在となった。

もはや模倣すべき対象はいない。

これからの日本は、独創性こそが、問われる時代となる。

そのためにも、私たちは、激変する科学や技術の状況を深く理解し、高い次元で市民と情報を共有し、自ら考える人材を育て、科学ジャーナリズムを、さらに進化させていく必要があると思う。

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温暖化懐疑論にどう向き合うか?

日本科学技術ジャーナリスト会議 会員各位

■■202010月例会案内■■

温暖化懐疑論にどう向き合うか?

 

講師: 江守正多さん(国立環境研究所地球環境研究センター副センター長)

日時: 2020年10月16日(金曜日) 午後700900

場所: ZOOM開催

 

 地球温暖化に対する懐疑論や否定論が、再び活発化してきています。温暖化懐疑論は2007-2009年頃、社会的関心を集めたことがありましたが、その後は散発的になりました。ところが最近イギリスのGWPFや日本のIEEI(国際環境経済研究所)が系統的な温暖化懐疑論を主張し始め、次第に社会的な注目を集めだしています。温暖化懐疑論がなぜ復活するのでしょうか?その論点を整理し、最近の科学的知見を紹介しながら、地球温暖化への正しい向き合い方についてお話を伺います。

担当JASTJ企画委員長 内城喜貴

江守正多さん(えもり・せいた)さん 略歴:

1970年神奈川県生まれ。1997年に東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程にて博士号(学術)を取得後、国立環境研究所に入所。2018年より地球環境研究センター 副センター長。社会対話・協働推進オフィス(Twitter @taiwa_kankyo)代表。専門は地球温暖化の将来予測とリスク論。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第5次および第6次評価報告書 主執筆者。著書に「異常気象と人類の選択」「地球温暖化の予測は『正しい』か?」、共著書に「地球温暖化はどれくらい『怖い』か?」「温暖化論のホンネ」等。

 

※参加ご希望の方は下記URLに10月9日(金)までにお申し込みください。会員以外の方もJASTJの活動へのご賛同、ご支援としてご寄付をいただく形で参加いただけます。(勤務先など、ご所属をご明記いただきます)。学生は500円、社会人は1000円です。振込み口座は申し込みされた非会員の方にメールでお知らせします。

(会員と塾開催期間中の塾生は無料です)

 

申し込みURL:  http://bit.ly/jastj-202010m

参加方法は申し込みフォームに入力されたメールアドレス宛にお送りします。

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「原爆が分けた人生の光と影」2020.8.6

75年前、私の父は朝8時過ぎに広島駅に着く列車に、友人達と乗っていたはずだった。ところが朝、突然の腹痛で、母親は、列車に乗るのを強く止めた。友人たちは、そのまま列車に乗り、全員死んだ。父は、自分だけ生き延びたことを恥じ、贖罪の気持ちから、時々、小さかった私たち子どもを、原爆資料館に連れて行き、その話をした。子供心に恐ろしい風景が胸に刺さった。その後、成長した私はNHKに入り、広島転勤となった。そこで南方特別留学生のドキュメンタリーを作った。東南アジアから集められた要人の子弟が、広島で被爆し、非業の死を遂げた物語。死ぬべき父が生き残り、その結果この世に生を受けた息子が、いなくてもいいのに被爆して死んでいった人々の番組を作った。不思議な因縁。ヒロシマは今も、私の心に複雑な影を落としている。

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第19期 科学ジャーナリスト塾 塾生の募集を開始しました!

第19期 科学ジャーナリスト塾 塾生の募集を開始しました
2020年7月20日 第19期 科学ジャーナリスト塾 塾生の募集を開始しました は お知らせ, 塾
【オンライン開催】コミュニケーションの極意を学ぼう!!~プロのジャーナリストが文章やプレゼンを指南~

「自分の考えがまとまらない」「人にうまく情報を伝えられない」あなたはそんな悩みをお持ちではありませんか?日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)では、情報を伝えるために必要な「企画力」「取材力」「構成力」「表現力」をプロから学ぶ「科学ジャーナリスト塾」を開講します。講師陣は、著名なジャーナリストやプロデューサーばかり!長年の活動で身に着けた「取材」「表現」の極意を、オンライン講座であなたに伝授します。さあ、一緒に始めましょう。

■塾の内容

 科学的思考は、物事の本質を見抜き、分析し、整理し、組み立てる、普遍的な技術です。 それは、政治、経済、文化などあらゆることにも通じます。科学ジャーナリスト塾では、プロのジャーナリストやプロデューサーや編集者を講師として招き、「企画の立て方」「取材の仕方やまとめ方」「文章やプレゼンの仕方」などを総合的に学びながら、オンライン取材も行い、コミュニケーション力を身につけていただきます。

 学習の集大成として「作品(記事かPPTプレゼン)」つくりにも挑戦し、最終的に発表していただきます。テーマは、基本的に自由です。塾が準備したオンライン取材をもとに設定することも可能です。完成作品は、JASTJのHPや会報でも紹介する予定です。

※今年は新型コロナウイルス対策として、会議システム(ZOOM)を使用して行います。参加者には使用方法などを事前にお伝えします。(当日参加できなかった人には録画視聴できるようにします)
※ 昨年の塾の活動の様子は以下のホームページで見ることができます。https://jastj.jp/tcsj/
※ 塾の修了者のコメントも見ることができます。https://jastj.jp/tcsj/graduates/

■期間
2020年9 月3 日(木)にスタート。原則第1、第3木曜日の午後7 時~9 時、2月の修了時まで計10 回
(状況に応じて変則スケジュールあり)。

■場所
各自自宅などから参加。

■スケジュール(予定)

2020年

① 9/3 (木)ガイダンス(内城、瀧澤、柏野、事務関係者ほか)
② 9/17 (木)講義1「テーマの立て方」(軍司)
③10/1 (木)講義2「塾生:作品発表①」(作品提出+アドバイス)(室山、内城)
④10/15(木)講義3「文章の書き方、伝え方+一部作品アドバイス」(高橋、内城)
⑤11/5 (木)講義4「映像のつくり方、伝え方」(小林)
⑥11/19(木)講義5「本の作り方」(瀧澤+倉田)
⑦ 12/3 (木)講義6「Web ジャーナリズム+フリーランスの心得」(亀松)

2021年

⑧ 1/14(木)作品発表(文章)+指導(高橋、内城、添削協力理事)
⑨ 1/28(木)作品発表(プレゼン)+指導(室山、瀧澤ほか)
⑩ 2/4 (木)修了式+大質問大会(講師全員+JASTJ 理事+塾OB)

⑪ WEB 発 表

■講師紹介

内城喜貴(JASTJ 副会長、共同通信社客員論説委員、JST 主任調査員)
室山哲也(JASTJ 会長、元NHK 科学番組プロデューサー+解説主幹)
瀧澤美奈子(JASTJ 副会長、サイエンスライター)
軍司達男(元NHK エンタープライズ社長、NHK スペシャルプロデューサー)
高橋真理子(JASTJ 副会長、朝日新聞科学コーディネーター)
小林隆司(元NHK ためしてがってんディレクター、物質・材料研究機構広報室長)
倉田卓史(講談社ブルーバックス編集者)
亀松太郎(関西大学特任教授、あしたメディア研究会)

■取材先(2~3回予定)

オンラインでの取材を計画

■塾受講料

15000 円/10 回(JASTJ会員(2020 年7 月末時点)、賛助会員は7000 円/10 回、学割7000 円)

※部分参加はありません。
※PC 環境などは各自のものを使用。

■塾への申し込み方法

希望者は、氏名、所属(または職業)、住所、連絡方法、メール、電話番号のほか、参加の動機(400 字程度)を書いて、申し込みフォーム(https://forms.gle/ufqT8oyfCcZyas9D6 )からお申込みください。

※申し込みは8月15 日まで。ただし、人数が定員(約20 人)に達した時点で締め切り、10 人に達しない場合は開催しないこととします。手続きについては受付後に連絡します。
※受講料は8月25 日までにお支払いいただきます。

■アドバイザー(五十音順)

縣秀彦(国立天文台天文情報センター普及室長)、鴨志田公男(筑波大教授、元毎日新聞論説委 員)、小出重幸(JASTJ 理事、元読売新聞編集委員)、佐藤年緒(JASTJ 理事、元時事通信編集委員)、武部俊一(科学ジャーナリスト、元朝日新聞科学部長)ほか

■事務局スタッフ・サポーター

内城喜貴(塾長)、瀧澤美奈子(副塾長)、室山哲也(塾顧問)、柏野裕美(JASTJ 副会長、元塾生)、都丸亜希子(JASTJ 理事、元塾生)、早野富美(JASTJ 理事、元塾生)、今野公美子(朝日小学生・中学生新聞、元塾生)、富樫一夫(元塾生・17 期)、藤田豊(元塾生・15/16 期) 他

■事務局
日本科学技術ジャーナリスト会議
〒100-0011 東京都千代田区内幸町2-2-1日本プレスセンタービル8階848室
メール hello@jastj.jp ホームページ www.jastj.jp

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硫黄島の不思議な体験


こんな話をしていいのだろうか?2009年に硫黄島で皆既日食生中継をしたとき、奇妙な体験をいくつもした。当然島には旅館などなく、自衛隊の宿舎にお世話になり、10日間?を過ごした。島には1万もの遺骨が埋もれ、耐え難い太陽の日差しが降り注ぐ信じられない過酷な環境。炎天下の中継準備でふらふらになって宿舎に戻り、食事をして別途に潜り込む。うとうとした瞬間、何者かが僕の頭頂部をガツンと殴った。気のせいではない。何度も殴られた。しかしふと見ると、僕の枕の1-2センチの上は、ベッドの壁。誰かが腕入れる隙間はない。気のせい?そうかもしれない。しかしあまりにもリアルな体験。あれは何だったのだろう?翌朝自衛隊の若者にそのことを告げたら、「やっぱり出ましたか」。そのような話はいっぱいあると告げられた。僕はその他の体験もすることとなった。

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硫黄島に原初の皆既日食を見た 2009.7.22

 

今日、太平洋戦争の激戦地、硫黄島の皆既日食中継から帰ってきた。硫黄島は、今なお各所に戦車や大砲の残骸、壕が残り、1万人以上の遺骨が眠るすさまじい島。栗林中将の執務室のある壕にも入った。身を狭めても通れない程の穴が地下に向かって延び、次第に蒸し暑さが増し、もう地上に戻れないのではないかと恐怖感すら覚える。言い古された言葉だがまさに地獄。よくぞこんなところに潜み戦ったものだ。
何の因縁か、その硫黄島が今回の皆既日食観測のベスト地点とわかり、国立天文台のチームのお世話になりつつ、自衛隊機で島に向かい、生中継にのぞむことになった。NHKスタッフは僕を入れてわずかに4人。重量や人数制限でこの数に絞り込んだのだが、通常あり得ないわずかな人数。装置とスタッフの不足で、東京からの映像の送り返しも見えず、コーディネーションの声も聞き取りにくい環境での中継だった。そして空からは突如スコールが降り、生放送の直前でも避難せざるを得ない、今まで体験したことにないきびしい状況となった。僕たちはずぶぬれになりながら、雲の合間にやっと皆既日食を目撃できた。
皆既日食の光景はすばらしいものだった。今までテレビで見たことはあったが、現場で見るとまるで違った。しかも今となると、中継環境の悪さが逆に幸いだったとすら思える。それは、結局、現場で「生皆既日食」を見続けることができたのは、僕だけだったからだ。カメラマンはカメラのファインダー越しの日食しか見ない(それが仕事)。天文台の先生方もモニターや太陽が送ってくるスペクトラム分析のモニターは凝視するが、「生日食」は見ない。僕のようなリポーターも普通は、太陽の話になるときはモニターを見ながら話すのだが、送り返し映像を見ることが出来ないので、僕はそのすべてのプロセスを肉眼で見届けることになった。テレビを見た人の中には、僕のコメントと太陽の画像がシンクロしていないことに気づいたヒトもいるだろうが、それはそういう理由からだった。
それにしても、肉眼で見る皆既日食はすごかった。太陽のドラマチックな変化とともに、周囲360度の状況が同時に変化するのだ。「日食は目で見るものではなく、体全体で感じるもの」と言ったヒトがいたが、まさにその通りだと思った。
息をのむような天体ショーの最中も、硫黄島は静かだった。皆既日食では、普通人間の集団から歓声や拍手が起こり、ざわめきに包まれるものだが、硫黄島で聞こえたものは、波の音だけ。硫黄島の前回の皆既日食は850年前。人も住まず、鳥と小さな昆虫しかすまない硫黄島上空を、きっと皆既日食は、このように、音もなく、悠然と通り過ぎていったのに違いない。
僕は偶然にも、硫黄島に「原初の皆既日食」を見る、おそらく初めてのテレビマンとなった。

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インターネットと透明人間

インターネットと透明人間(2007.1.14)

 

私は、いわゆる「インターネットいじめ」をうけたことがあります。

関係者が多いので、詳しい記述は差し控えますが、「凄絶」「残酷」などの言葉では、簡単に表現できないような、異常な体験でした。

いじめる第3者側は「祭り」とよんで、軽いノリで書いているらしいのですが、表現は次第にエスカレート。毒気を増し、ふだんは聞いたこともない罵詈雑言になっていきました。インターネット上に仲間がいるらしく、言葉が次の言葉に火をつけ、自己増殖する感じで、数十、数百もの中傷があらゆる方向から降り注いできます。その言葉に傷つき、ついに僕の友人の3人が心身症になり、ひとりは会社を辞めるまで追い詰められてしまいました。

私たちは、もし人を非難するときでも、相手の表情を見ながら話せば、普通そこまでいきません。ノンバーバルな言葉が全体を包み、血のかよった豊かなコミュニケーションが成立しているからです。ところがネットいじめの言葉は、普段は使わないひどいものばかり。おそらくその人たちも、日常生活では絶対使ってはいないのではないでしょうか。

 

なぜ、こんなことがおきるのでしょうか。

 

インターネット上で、文字のやり取りをする場合、情報量が少ないので、表現が先鋭化し、極端になっていく傾向があるという説明をよく聞きます。おそらくそうだろうと思いますが、私はその背後で、もっと深刻なことが起きているような気がします。

 

ある脳科学者が「ボディイメージ」という面白い話をしてくれました。

私たちの脳は、もともと手や足などからなる「人体」と強い絆で結ばれています。身体を取り巻く周囲の情報が、視覚、触覚、聴覚などの五感を通じて脳に入力され、脳の中に「イメージ」が生まれます。逆に脳は、作り上げたイメージを土台にして、指令を出力し、筋肉を操って、身体に移動を命じたり、物をつかませたりしています。このとき、脳の中には「ボディイメージ」と呼ばれる「身体の地図」が出来ており、その地図をベースにして、対象物との距離を測り、つかんだりいじったりしているというのです。

「座って半畳、寝て一畳」しかない、人間の小さな身体。傷を受ければ出血し、死にいたってしまうはかない人体。脳はそのことを熟知し、この身体をどのように操り、生きていこうかを常に考え続けているのです。脳は、身体の虚弱さのゆえに、命のはかなさも知っているのです。もともと人間の脳と心はそのようなものでした。

ところが、脳には、もうひとつの別の側面があることがわかってきました。

サルに道具を使わせると、脳内のボディイメージが道具にまで拡大される研究があります。今まで自分の身体を認識していたニューロン(神経細胞)が、道具を手の一部として認識し始めるというのです。

道具を操る職人が、よく、「道具の先に触れるものの形や硬さ、状態までもがわか

る」と言います。そのとき、道具の先は指先と同じで、脳内の「ボディイメージ」は、道具と一体になった「サイボーグ」のようなものになっているのでしょうか。

この理屈を広げていくと、色々なことが理解できます。

自動車を運転するときの「車間距離」や「車幅感覚」は、自動車が自分の身体のように思えているからかもしれません。タイヤを蹴られると、身体を蹴られたかのようにハラが立つのも、納得がいきます。タンカーを操縦する船長のボディイメージは、堂々とした巨大な鋼鉄製の船のイメージなのかもしれません。

この理論でいくと、インターネットに接続されたときの脳には、どのようなボディイメージが出来ていることになるのでしょうか。

脳は、クモの巣のように果てしなく広がった身体を得て、どこにでも自らの触角を伸ばし、世界を知り、逆に世界に働きかけることが出来ます。無数のサーバーには、無尽蔵の情報が蓄積され、森羅万象の物語、科学的成果、バーチャル住民との虚構の市民生活が詰まっています。そこには「座って半畳、寝て一畳」の虚弱な身体は、もはやなく、生物界の原則を越えた、今まで見たこともない、モンスターのようなボディイメージが出来ているのかもしれません。数百万年かけて人類が獲得してきた人体イメージは、まるで透明人間のように透き通り、淡い粒子となって消え去っているのかもしれません。

「人間とはそのようなものだ」といえばそうかも知れません。人類が、獲物をとるとき最初に棒を手にしたときから、その物語は始まっていたともいえます。しかし、科学技術が爆発的に進歩する中で、生物としての人間の約束事まで急速に塗り替えられ、「生存」にかかわる事態が発生しているのではないかと、私は時々、不安になってくるのです。

インターネットいじめは、そのような文脈で起きているのではないでしょうか。そこは「生物としての掟」が通用しない世界。天使のような人間と、悪魔のような人間が、むき出しで生息する空間なのかもしれません。

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木村花さん自殺 ネット中傷の背後にあるもの 2020.5.30

木村花さん自殺 ネット中傷の背後にあるもの 2020.5.30



https://www.youtube.com/watch?v=LuPJzj8p8Rk&t=38s

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「李紗に教えてもらったこと」(NHK解説委員 室山哲也2010.3)2020.5.23

「李紗に教えてもらったこと」(NHK解説委員 室山哲也)2010.1.3

  • 娘が発達障害とわかったとき

李紗が発達障害(自閉症)とわかったのは、2歳のころでした。わたしはNHK東京から広島局に異動し、3年間の忙しいローカル勤務が始まったころでした。李紗は赤ちゃんのころから泣くことも少なく、手のかからない子だなあと感心していたのですが、2歳になったころ、なぜか、後ろから呼びかけても振り向かない、大きな音がしても振り向かない傾向がありました。「耳が悪いのではないか」と広島大学病院で診察しても、耳に異常はなく、脳にも異常は見つかりませんでした。けれどもやっぱり何かおかしいと、市の児童相談所に相談に行き、1年間通所して、自閉的傾向があるのではと告げられる経緯をたどりました。私と妻のショックは大きく、何日もふさぎ込む日が続きました。「なぜ李紗がそんな病気にならなければならないのか?」「なぜ我が家でこのようなことが起きるのか?」心の中で何度自問したことでしょうか。私はそのころ、NHKスペシャル「脅威の小宇宙人体~脳と心」という番組を担当し、脳の専門家の先生とはずいぶんお付き合いをしていたのですが、結果的に、娘の自閉症を見抜くことすらできなかった無力感に駆られ、悩む日が続きました。私はテレビディレクターという仕事をしていたため、ほとんど早い時間に帰宅することが出来ず、妻はますます孤立し、焦りばかりが先行する日々となったのです。「李紗をこれからどのように育てていけばいいのか」。一生懸命李紗に話しかけたり、抱きしめたりしましたが、今となれば、その対応は、自閉症のことをきちんと理解していない、間違った対応でした。私たちは「自閉が脳由来の障害だ」ということをきちんと理解できず、医療や教育で、何とか「治る」ものだと信じていたのです。その結果、李紗のアイコンタクトはほとんどみられず、関係を作り上げることが出来ない状況が続いていたのです。

 

  • 最初のボタンを李紗がはめる

むさぼるように読んでいた本の中に、次のような一節がありました。

「自閉だとわかったとき、親は驚き、あせり、状況を変えようと、子供に激しく干渉するが、それは間違っている。状況を受容し、子供と同じ空間と時間を共有する、ゆったりとした状況からはじめなければならない」。

書かれていることは、当時の私たちにはとても難しいことでしたが、わらをもつかむ気持ちで試すことにしました。

私は畳の上で遊んでいる李紗の横に寝そべり、一日中本を読むことにしました。二日目も、三日目も同じように、そこに寝そべり、ただ本を読みました。今までなら、僕のほうから一方的に、李紗に話しかけたり、体にさわったり、目を覗き込んだりするところですが、そこをぐっと我慢して、ただただ同じ空間を共有するだけに努めてみたのです。

ある日、李紗にわずかな変化があらわれました。遊んでいるおもちゃを僕のほうへ少し近づけ、知らぬ顔をして、別のおもちゃで遊び続けたのです。まるでそのおもちゃで遊びなさいというサインのように。。。

僕は、しばらくして、そのおもちゃを李紗のほうに少し押し返し、読書を続けてみました。するとしばらくして、李紗がそのおもちゃを、今度はもっと近くまで押し返してくるではありませんか。僕は高鳴る胸を押さえながら、しばらく時間を置き、それをさらに彼女に押し返してみました。

この奇妙なやりとりは何度か続き、おもちゃはそのたびにお互いのより近くを往復するようになって行きました。そして、最後に、李紗が僕の目をチラリと覗き込んだのです。「アイコンタクトだ!!」

僕は、そのときの、破裂する風船直前のような喜びを忘れることが出来ません。

その後、李紗の様子が変わりはじめ、時々僕の目を見るようになり、心のつながりが出来上がっていく実感をおぼえるようになりました。

この体験で、いったい僕は、何を学んだのでしょうか。

それは「最初のボタンを李紗がはめる」ということでした。

今までは、僕のほうから、強引に李紗に接近し、コミュニケーションの押し付けをやっていた。李紗はそれを嫌がり、逃げていた。しかし、最初のアクションを李紗がして、それに答えていくことを繰り返すことで、確かなやり取りが生まれていったのではないでしょうか。そしてそれをするためには、子供が出す、最初のわずかなサインを見逃さないことが、大切なのではないでしょうか。

このことは、一般社会にも通用します。

会社で仕事をするとき、部下の意見や発想を元に企画を育てていけば、部下のやる気や仕事への情熱はどんどん大きくなっていきます。押し付けの仕事は、どうしても限界があるように、「最初のボタンをその人がはめる」ということは、普遍的な人間関係の原則なのかもしれません。おかげで、僕は、仕事のときの部下との人間関係が劇的に良くなり、活力のあるチームを作り上げることが出来ました。

李紗が教えてくれたこの経験は、今でも僕の仕事や生活のバイブルなのです。

 

 

  • 一緒に幸せになる

いま、李紗は21歳になり、近くの作業所で働いています。妻は、時々、幼い自閉の子供を育てている若い母親の会に呼ばれ、子育ての秘訣について、体験談を話すようになりました。その内容の一部から、「二つの戒め」をご紹介しましょう。

まず大切なことは「親の虚栄心に気をつける」ということです。

当然ながら私たちの心の奥には、競争心や虚栄心があります。しかし、その気持ちは、時として、自分と仲間たちの関係を萎縮させ、可能性を奪っていきます。「あの子よりうちの子のほうが能力が高い。」とか、負けた勝ったという虚栄心が、際限のない競争を生み、足を引っ張り合う結果になっていることが少なくないのです。カメラをずっとズームバックしてみれば、「障害」がある人々が乗っている船は、粗末で小さく、荒れ狂う社会という海の中でもまれているのに、小さな船の中で争っている構図です。心の中の虚栄心が、いつの間にか、ともに前進していくことを阻んでしまっているのです。

もうひとつの大切なことは「一緒に幸せになる」ということです。

NHKの番組取材で、私は数多くの、障害と闘う家族を見てきました。どの家族もそれぞれの状況の中で奮闘を続け、それぞれの戦いを続けてはいるのですが、時々首をかしげる状況がありました。それは、「子供のためにすべてを犠牲にする」姿です。ある日見た家族は、子供を療育するために、仕事と住所を変え、ほとんどの財産をつぎ込みセラピーを続け、家族全員が心身ともにくたくたになっていました。その思想の根底には、「一刻も早く障害を治さなければならないならない」「正常に戻さなければ負けだ」という考えがありました。この気持ちは痛いほどわかります。しかし、「治る」という発想だけでは、発達障害の問題を解決できないことも明らかです。発達障害を個性のひとつととらえ、子供も親も、ともに成長していく態度がどうしても重要なのではないでしょうか。疲れたときはほかの人や施設の協力を仰ぎ、親の疲れを癒し、親も人生を楽しみ、子供とともに前進していく態度こそが必要なのです。「みんな一緒に幸せになる」。子供も、親も、兄弟も、友人も、社会もすべてが連動して、ともに成長し、人生を謳歌できる状況を作る必要があります。「みんな違ってみんな良い」ことを認め、その人らしく社会に貢献し、真の意味で助け合える社会にしていかなければなりません。

僕は、年をとるごとに、その思いがますます強くなっていくようです。

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多重人格者との契約書

多重人格者との契約書(2006.7.3

 

私は多重人格者と契約を結んだことがあります。

あの体験は私の人生の中で、もっとも複雑怪奇、奇妙奇天烈、出口混沌、暗中模索な体験でした。「契約」とか何か。そもそも「私」とは何か。私の心に深い思い出を残して、ここ10数年間、すっかり忘れておりました。

ところが最近、あることが原因で、その体験を思い出してしまったのです。

 

きっかけは、京都のATRという研究所に、取材に行ったことでした。

「じゃんけん必勝のロボット作ります!」

髪はぼさぼさ、少し太めで、どこか少年の面影を残した著名な脳科学者が、

押し殺した声で、僕にささやきました。

「へ?どういうこと?」

ぽかんと聞き返す僕を、少し愉快そうにのぞきこみながら、ATR脳情報研究所の神谷先生の説明が続きました。

「脳の活動を外から捉える技術が進んできたので、それを使って、対戦相手の脳を読みながらじゃんけんすれば、100100中、勝てるっちゅうことです」

どうだというかんじで、神谷先生は太ったおなかを突き出して胸を張りました。

 

少しユーモラスだけど、信じられないこの話は、「ブレイン・マシン・インターフェイス」という最先端の科学研究から生まれたものです。

「ブレイン・マシン・インターフェイス」とは、人間の脳とコンピュータ(マシン)を接続し、その人が考えている内容を外から読み取ったり、逆に、心で念じただけでロボットを動作させたりする、いわゆるサイボーグ技術を含む最先端のものです。

少しまえ、NHKスペシャルで、患者の脳内にチップを埋め込んで義手を動かすショッキングなシーンが紹介されましたが、神谷さんたちのグループは、それをさらに進め、fMRIを使って脳の外から脳の血流変化を捉え、解析することで、脳のイメージ通りにロボットの腕を動かすことに、世界で始めて成功したのです。

「じゃんけんロボット」はその文脈から出てきた研究です。

 

しくみはこうです。

私たちはじゃんけんをするとき、脳の運動野の指令で、体(手や指)を動かしています。この運動野の動きを、指が動く前に読めれば、じゃんけんの中身が分かり、勝つことが出来るというわけです。

さらに運動野は運動前野という「計画」を作る部分の指令で動くので、もし運動前野の信号を読めば、さらに早い段階で、じゃんけんが読めることになります。この話はいろんな意味で示唆的なものを含んでいます。

たとえば私がじゃんけんで「グー」を出すとき、私はどの段階で「グー」を出すことを決めているのでしょうか?運動野が「グー」を出せと指令を送るときは、私は「グー」を出すことを知っていると思いますが、運動前野の場合はどうでしょうか?さらに運動前野にどこかから(たとえば前頭前野)から指令がくるとき、どの段階で「グーを出す」意識が生まれているのでしょうか?

「グー」を出す意識は、あるとき突然表れるのでしょうか?あるいは、脳内の前兆活動の中で、グラジュエーションのようにじわじわと生まれてくるのでしょうか?

 

運動の場合はまだ単純ですが、もっと複雑な意思決定の時、自分の意思が生まれるプロセスはどうなっているのでしょうか?

意識の前の無意識のところでの脳の活動はどうなっているのでしょうか?

そしてもしそれらの動きを、この装置で読むことが出来たら・・・

ここまで考えて、私は、かつて取材で出会った多重人格者のことを思い出してしまったわけです。

 

10年ほど前、私がまだディレクターだった頃、アメリカのある病院を舞台に、多重人格者の番組を作ったことがあります。ペグとよばれる女性で、20以上の多重人格者でした。

普通、大型の科学番組をつくるとき、取材を始める前に「許諾書」を示し、サインしていただくのですが、どの人と契約を結べばいいのか、私はハタと立ち止まってしまいました。病院長に相談したところ、正式には全員ということになるが、実質上はそれは不可能だとのこと。ペグの中にいる色々な人格は、仲が極端に悪かったり、引っ込み思案な人がいて、そもそも会うこと自体ができないというのです。

「ペグ」は20数人の中の代表格の人格の名前で、私たちは大体「彼女」と交渉ごとをやっていたのです。

とりあえずペグに相談することにしました。

「私(ペグ)は取材に応じてもいいんだけど、この顔や体はほかの人のものでもあるので、相談したほうがいいかもしれないわね。」

「じゃ、みんなに話してくれる?」(私)

「ちょっと待っててね」(ペグ)

突然ガクッと体を傾け、はっとわれに返ったように話し始めるペグ。

「あの人はOKって言ってる。」(ペグ)

聞けば、心の向こう側の草むらのところに居合わせたほかの男性の人格に聞いてきたのだといいます。

わたしは理解不能で、頭がぐらぐらしてきましたが、さらに聞きました。

「ペグは何人くらいの人の合意を取れそう?」

「分からないけど10人ちょっとならいけると思うけど・・」

ということはそのほかの人格の了承をどう取るのであろうか?

「他の人たちはどうなるの?」

「私はあまり親しくないし、ほとんど出てこない人だから、全員は無理ね」

「どうしたらいいんだろう?」

「うーん・・・」

ペグは困った表情になり、しばしの沈黙。。。

「ま、しょうがないわね。何かあったら私が説得するから・・」

とこういう按配で、結局、可能な限りの数人分のサインをいただいてロケが始まりました。

この病院で、私はのべ十何時間も、多重人格の人たちと話し込むことになりました。

私は「多重人格」者と呼ばれる人に直接向かい合って、奇妙な感覚にとらわれました。目の前の人の脳の中に、何人もの人格がいる。それらの人々が次々と登場し、姿を消していく姿を見ていると、なんだか私の中にいる「何人もの人格」が呼応してうなりを上げ、表に出てくるような気がしたのです。

 

一体「私」とは何なのか。

一つの意思を決めて発言する、社会的は「私」は、本当の私自身(脳の中の人格)と同一か。

否、「私」の中には矛盾した何人もの人格がいて、いつもせめぎあい、闘争し、ついたり離れたりしながら、かろうじて「私」が作られているのではないでしょうか。

本当の私の姿は、矛盾に満ちた、整合性のない、とらえどころのないものなのではないでしょうか。

もし、脳科学の進歩でこの状況が読み取られると、一体どういうことになるのでしょうか。

「私」とはどの部分を指せばいいのでしょうか?

社会はどの私を信頼し、どの私に責任を負わせればいいのでしょうか。

そもそもそんなことがどこまで可能なのでしょうか。

どこまでそれをしてもいいのでしょうか。

社会的ルールはどうなるのでしょうか?

 

 

そいういうわけで、せっかく忘れていたあの感覚。

頭がくらくらするような感覚が、

最近、私の脳に、戻ってきているのです。

 

(私は専門家でないので、哲学的な言葉の定義がばらばらかもしれません。あしからず。)

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「田の神さあ」になった鳥集さん

「田の神さあ」になった鳥集さん2004年夏

 

鳥集さん。

あなたは僕の人生の先生そのものです。東京暮らしから宮崎勤務になり、傲慢で生意気盛りなディレクターだった僕を、まず、霧島山の見える田んぼに連れて行き、静かに「田の神様(たのかんさあ)」のことを教えてくださいました。

霧島の大地が「生命大循環」の中心にあること。人間はそこに生かされていること。生きるせつなさ。苦しさ。ありがたさ・・。そんな思いをこめて、南九州の農民たちは、山麓に点在する「たのかんさあ」を拝み、守り続けていること。

どの「たのかんさあ」も、ずんぐりとした体つきでお山にむかい、笑ったような顔をしていました。体中の細胞がゆるみ、心の底から安心感がこみ上げてくるような姿でした。

 

僕の心にざわざわと南九州の風が吹き抜けました。

 

夜になると、焼酎の飲み方を夜明けまで教わり、南九州の芸能の素晴らしさの講釈。いつしか三味や太鼓で、歌い、踊り、歌い。。。永遠に続くかと想われる時間の中で、世の中にこんな楽しいことがあったのかと圧倒され、桃源郷をさまよう僕でした。

 

ある日、荒武たみさんという女性を紹介してくださいました。北の長岡ごぜに対して、南には薩摩ごぜと呼ばれる人々がいて、たみさんが最後の薩摩ごぜ。霧島山麓を舞台に、ごったんという不思議な楽器を操って、不思議な歌を歌う女性。僕は彼女のとりこになり、何本も番組を作りました。お世話になりすぎて、たみさんは、「独身の僕を養子に迎え、針で眼をつぶして座頭として育てたい」と申し出てきました。困る僕の顔を見て、鳥集さんは傍らでうれしそうに笑っていました。

 

どんなに貧しくても苦しくても、土地に住む神々を祈りぬき、笑いを持って歌い飛ばす南九州の芸能のたくましさ。

 

たみさんと鳥集さんと僕は、何日も何回も霧島山麓を旅して映像を撮る作業を続けました。行く先々のあらゆる自然。小川のせせらぎ、葉の裏側、路傍の小石、洞窟の中のコケ。風の中にすら、神様が住んでいるような気がしました。

 

ぼくは、「神は細部に宿るのだ」と実感しました。

 

眼を閉じれば、霧島山麓という巨大な風土の中を、小さな三人の影が移動していく様子が、見えてきます。鳥集さんの歌声が聞こえてきます。

はんやぶし、やっさぶし・・・。独特の南九州の抑揚。リズム。

 

あれから20数年。

見よう見まねで僕も覚え、東京に来たのちも、みんなの前で歌いました。いただいたごったんの腕はおちたけれど、あの歌を歌うと鳥集さんとたみさんが、いっしょに歌ってくれているような気がします。

 

思い出せば出すほど、胸の中に涙が海のようにたまり、悲しみが増します。

 

でもぼくは、今でも霧島山麓を歩けば、ここそこに鳥集さんが住んでいて、笑いかけてくるような気がするのです。

 

 

NHK解説委員 室山哲也(昭和51-56年 NHK宮崎放送局勤務)

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私の父の室山貴義について2020.5.19

室山貴義は私の父。倉敷の町並み保存は日本のさきがけの一つだが、文化を基調とした地方自治に尽力した。2年前88歳で死去。多くのことを教えてくれた人生の先輩です。

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ネット観劇のご案内2020.5.13

ご案内。

私の妹(旺なつき)は舞台女優です。新型コロナで日本の舞台運営は危機的状況に直面しており、いま、演劇支援プロジェクトが立ち上がっています。旺なつきの舞台もそれに参加しています。ご興味のおありの方は、ぜひとも見てやっていただきたくご案内申し上げます。

下記のサイトで5/17-5/31見ることができます。料金300円です。

 

(演劇支援プロジェクトの中の旺なつきのサイト)

https://savethetheatre.zaiko.io/_buy/1mQR:Rx:31e76

(旺なつき)

https://news.goo.ne.jp/entertainment/talent/W93-0543.html

テレビにはあまり出ませんが、文化庁芸術祭賞や紀伊国屋演劇賞個人賞などもいただいています。以前、NY?プロデューサーが選出する世界の舞台人(ロンドン、パリ?、モスクワ、NY、東京)の中で、東京の部のベスト女優に選ばれたこともあります。

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生放送「北大の西浦教授に実効再生産数(Rt)を使ったコロナ対策について聞く」2020.5.12(火)20.00-22.00

私が属しているJASTJ(日本科学技術ジャーナリスト会議)はきたる5/12(火)の夜、新型コロナウイルスの感染にかかわる数字がどのように算出されるのかについて生放送を行います。やや専門的情報ですが、今後の対策にかかわる重要な情報です。興味のある方は是非ともご覧ください。

■ ■ 緊急勉強会のご案内 ■■
北大の西浦教授に実効再生産数(Rt)を使ったコロナ対策について聞く

ゲスト: 西浦博さん(北海道大学大学院 教授)
     江島啓介さん(インディアナ大学 リサーチアソシエイト)
ファシリテーター: 田中幹人さん(JASTJ会員、早稲田大学 准教授)

日時: 2020年5月12日(火曜日) 午後8:00〜10:00
場所: ニコニコ生放送で生中継します。
URL: https://live2.nicovideo.jp/watch/lv325833316

プログラム:
 趣旨説明 田中幹人さん
 第一部 西浦さんによる講演「Rtを使ったコロナ対策」
 第二部 西浦さんと江島さんによる「Rtの計算方法のすべて」
 第三部 全体の質疑応答

 緊急事態宣言が5月31日まで延長され、地域の感染状況に応じた自粛要請などの行動制限が続いています。感染症対策で最も大切なキーワードの一つが「実効再生産数(Rt)」です。これは対策の結果、一人の感染者が平均して何人に感染させるかを示す数値で、日々数字が変動します。これが感染の動向を見通す物差しとなります。
 民主主義国家における感染症対策では、国民一人一人が対策の科学的意味を理解し、それぞれの持ち場で協力しあうことが大切です。そこで我々は、今後数年間は続くとされる「コロナ時代」において重要な数値である、実効再生産数(Rt)に関心を持つ方たちが、正確に、深く学ぶ機会を作りたいと考えました。
 この実効再生産数(Rt)は理論疫学が構築してきた数理モデルを使って導かれます。基本的な枠組みは世界標準の手法ですが、日本では「人との接触を8割減らすことが流行を収めるために必要」と訴えて「8割おじさん」として広く知られる存在となった、北海道大学の西浦博教授らのグループが計算を担っています。
 そこで今回、西浦教授に加えて米国インディアナ大学で理論疫学を研究している江島啓介さんをオンラインで迎え、実効再生産数(Rt)の意味合い、数理モデル、データの取り方、計算方法のすべてを明かしていただき、データとコードを使って実効再生産数(Rt)を計算する仕組みを理解するオンライン勉強会を開催いたします。

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新型コロナで各国の政治家の力量の差があらわになってきた2020.5.3

新型コロナで各国の政治家の力量の差があらわになってきた。新型コロナはただの風邪だと暴言を吐き、国民の命より経済を守れとするブラジル大統領や、国民の射殺を認めるフィリピン大統領など信じられない報道がある一方、芸術の重要性も認め、スピード感をもって国民を守り続けようと奮闘するドイツのメルケル大統領などもいる。さて、日本の政治家はどうか?PCR検査を増強しますと、今頃になって宣言するも一向に増加しない現状に、なぜだか原因がわからないと他人事のように言う政治家。この不透明さは一体何なのだろう?政府を批判するのはいいが、こんな時こそ市民や企業の力を結集して、状況を突破するポジティブな発想を生み出すコアになっていかなければならないのに、それができない政治家たち。あんなにたくさんいるのに。。今こそ大活躍していなくてはならないのに。。本人は「いえやってます」と言うだろうが、国民から見てそんな印象はない。政治家は国民の希望でなければならない。しっかりしてほしい。

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